風雲 いざなみ日記

2005年10月14日
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イスラエルの首都エルサレムの丘に、「ユダヤ民族の幸福に力をかした人々の恩を永久に讃えるために」と銘が刻まれたゴールデンブックと呼ばれる黄金の碑があります。 そのモニュメントには、モーゼやアインシュタインなど、ユダヤの英雄に混じって「偉大な人道主義者」として日本陸軍の樋口李一郎中将と彼の部下だった安江仙江陸軍大佐の名前が刻まれています。




「二万人を救った将軍の決断」


昭和12年(1937年)12月、この物語の舞台となったのはハルピン。 それはある吹雪の夜の出来事でした。

この年の夏、ハルピンに特務機関長として赴任してきた陸軍少将 樋口季一郎のところへ、深刻な顔をした初老の外国人が訪ねて来ます。 男は内科医のカウフマン博士と名乗り、流暢な日本語で突然の訪問の非礼を樋口に詫びたあと、驚くべきことを口にしたのでした。


カウフマンは、自分もユダヤ系ドイツ人で、ヒトラーのユダヤ人にたいする残虐な迫害を世界に訴えるため、ユダヤ人の大会を開く許可が欲しいということだったのです。 樋口自身、このハルピンに赴任する前は大使館付武官としてベルリンに駐在し、各地を巡ってはユダヤ人に何が起こっているのかを良く理解していました。 


当時のハルピンは、白系ロシア人とユダヤ人の対立が深刻化し、各地で流血事件が頻発している情況でした。 また、日本は日独伊三国同盟に調印しており、ユダヤ問題は日本にとってもデリケートな問題だったのです。 しかし、樋口はためらいもなく、カウフマン博士の願いを快諾し、力になろうと約束をしたのでした。 


樋口が許可したユダヤ人の集会は、極東ユダヤ人大会として昭和13年1月に開催され、樋口に身の危険が及ぶことを心配する部下の反対を押し切って樋口は招きに応じ、壇上から挨拶します。 このとき樋口は、ナチスによるユダヤ人迫害を厳しく非難し、彼等の庇護の必要性を示唆するなど、日本陸軍の軍人としては極めて異例のスピーチを行ったのでした。 樋口のスピーチが終わった途端、場内には割れんばかりの拍手と歓声が響き、ユダヤ人たちは壇上詰め寄って樋口の前にひざまずいて涙を流したといいます。


大会の終了後、樋口のもとに各国特派員や記者が、詰め寄りました。樋口は皆の前に笑顔で、「~~ユダヤの民族に同情的であるのは、日本人の古来からの精神~~日本人には、義を以て弱きを助ける気質を持つ~~世界が祖国のないユダヤ民族に一国を与え、幸福を真剣に考えない限り、この問題は解決しないだろう。」そう声高らかに答え、この発言は各国に報道されました。


樋口のもとに、「満州と国境を接するソ連領のオトポールに、ナチスのユダヤ人狩りから逃れた大量のユダヤ難民が、吹雪で立往生している。」という、部下からの緊急情報が入ったのは昭和13年(1938)3月8日の未明のことでした。 シベリア鉄道でやって来たユダヤ人の集団が、満州入国を拒否され、立ち往生して飢餓と寒さの中、約2万人が生命の危機に瀕していたのです。


この日を境に、樋口李一郎は軍人として極めて希な運命を歩むことになるのですが、このときの彼には、まだそんなことを知ることは出来なかったでしょう。


つづく・・・





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最終更新日  2005年10月14日 01時28分19秒 コメント(22) | コメントを書く
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