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思わぬことで1日遅れで帰阪することとなりました。高速道路は1000円となり、高速バスは渋滞しそうだったのと、長年慣れ親しんだ南海フェリーに乗りたいという妙な寂寥感もあり、和歌山経由で帰ることにしました。 南海フェリーも2隻体制となり、ドック入りの時には運航便は激減します。時代の流れとはいえ、寂しい限りです。 和歌山港に着くと、特急サザンが待っていました。体の調子はややいまいちでしたが、みさき公園で多奈川線撮影をするため、自由席に乗車することにしました。 みさき公園ではじっくりと多奈川線ビデオ撮影を行い、1時間後の特急サザンの指定席に乗り、堺に帰りました。 帰ると、即寝ました。(この黄金週間は寝てばかりです。)翌日、翌々日は仕事をしました。 5/9に続きます。 追伸、次徳島から帰るときは淡路島経由になるのかな。
2009.05.20

5/3夕方に徳島の両親の実家に到着し、5/2に発送したPC、ディスプレイ、液晶テレビ、HDDレコーダー、地デジチューナーを翌5/4にセットアップしました。と同時に、webカメラとskypeの受話器を上写真近くのケーズデンキで購入し、親父を後刻連れ、インターネットサービスの申し込みを行いました。 これで、徳島でもネット環境が整い、skypeでテレビ電話が無料でできる準備が整ったと安心したのでしょうか。もしくは、前日のハードな高知観光が祟ったのでしょうか。5/4深夜、おそらく過労による高熱(39℃)をだしたため、私は息絶え絶えになってしまいました。 その様子を見た両親は救急車を呼び、私は病院に搬送されることになりました。私は時期が時期だけに救急車を拒否したのですが、病人の立場なので、従わざるを得ませんでした。 救急車の中の担架に寝かされると、「最近、海外渡航されたことがありますか?」 救急隊員にまず聞かれました。やはり、新型インフルエンザ感染の疑いがかけられているよ~。だから、嫌だったのに~~。 続いてどこに行ったかを訪ねられたので、5/2~5/4までの梅田から徳島までの旅程を説明し、その後様々な質問に対し、回答することになりました。 病院に着くと、マスクと防護服を着た医師が、A型かB型のインフルエンザの検査を行い、一人だけ別室で隔離され、30分ほど待機させられました。両親も別室の待合室で待機させられていたようです。親父にとっては、5/4午前にたまたま同じ病院に見舞いに行っていたので、「1日に同じ病院を2度訪れるとは。」とぼやいていました。 (当然)インフルエンザウイルスが検出されなかったため、頓服の解熱剤をもらい、その日は帰ることになりましたが、翌日には保健所から確認の電話が入りました。こういったことはあまり体験したくはなかったですが、貴重な体験には違いありませんでした。 翌5/5に帰阪しようと考えていましたが、じっくり体を休養するため、滞在を1日延ばし、5/6に帰阪することになりました。 次回に続きます。
2009.05.12

桟橋車庫を後にし、たまには高知の観光をしてみようと思い、高知城に行くことにしました。 高知城に登ってみると、これが案外運動不足の体には厳しく、小さいながらも本格的な城だということがわかりました。 恥ずかしながら、予備知識なしで登城したため、何も知らなかったのですが、高知城は江戸時代の天守閣が現存する12の城の一つで、本丸御殿が現存する唯一の城でした。 天守閣の手前の方にみえるのが本丸御殿です。いわゆる本物の天守閣なので、松山城や姫路城のように苦労することになりました。その代わり、天守閣からの眺めはよかったです。 天守閣から降りた後、せっかくなので、アイスクリンを食べることにしましたが、驚いたのはその種類です。大阪ではバニラ(だと思います)しかありませんが、上の写真の抹茶、イチゴ、サイダーばかりではなく、チョコレートやゆずまでありました。しかも、4層分で200円でした!!!(大阪の1/4の価格で、種類が豊富でした。アイスクリンを食べるなら、高知です。ちなみに、上の写真は上からサイダー、イチゴ、抹茶、抹茶(コーンに隠れています。)です。) 十分に高知城を堪能し、いよいよ特急南風に乗り、阿波池田を目指します。 阿波池田からは特急剣山に乗り、終点の徳島に向かいます。 徳島駅に向かい、両親のいる実家に戻り、2泊3日を過ごすつもりでしたが、思わぬことで3泊4日になりました。次回に続きます。
2009.05.11

高知龍馬空港からバスに乗り、JR高知駅までやってきました。高知駅はすっかり高架工事が終わり、立派な駅となっていました。それとともに、土佐電気鉄道の高知駅前電停も立派になりました。 この高知駅であらかじめ徳島行きの切符を購入し、今回の目的のひとつである電車まつりの会場、桟橋車庫に向かいます。ちなみに、この日は第一日曜日だったので、初乗り運賃は長崎と同じ100円でした。 さて、桟橋車庫に到着しました。普段は立ち入ることができない車庫内に入ります。 まず、車庫内にはいると、ポルトガルの元リスボン市電電車が停車していました。当日はこの元リスボン市電とオーストリアの元グラーツ市電の2両が特別に桟橋車庫~高知駅前間を往復運転していました。 次に、子供たちとアンパンマン電車との綱引きも行われていました。 左の有蓋貨車は飾り付けられ、右のダブルルーフの維新号は休憩用車両として開放されていました。 その他、ノルウェーの元オスロ市電も休憩用車両として開放されており、カラオケ電車も子供には無料開放されていました。 車庫なので、たくさんの電車が留置されているのも見ることができました。 車庫内の建物の中にはいると、オークション用の部品が展示されていましたが、高知とは全く関係のない名鉄・岐阜600V線区で使用されていた新関行きの系統板も展示されていました。岐阜600V線区で使用されていたモ591系がこの土佐電気鉄道に譲渡されていることによるものだと思いますが、古い友人にあったような感覚に襲われました。(岐阜600V線区は2005年4月1日廃止) 最後に、上から撮影した桟橋車庫・電車まつりの様子です。 この桟橋車庫を出た後、高知城に向かいました。次回に続く。
2009.05.11

5/2も部屋の片付けをしながら、両親に献上するパソコンのセットアップをしていました。そのため、部屋からでることがありませんでした。 しかし、翌日の大阪空港発の飛行機に乗るため、渋滞等の遅延という万が一のことを想定し、梅田のカプセルホテルで宿泊することにしました。 ただし、ちょっとしただるさを感じており、若干気になりましたが、そのまま寝てしまいました。(これが数日後の騒動につながるとは夢にも思いませんでした。) さて、翌日の5/3です。 朝の5時20分にカプセルホテルをチェックアウトし、5:40発の宝塚行き普通電車に乗り、蛍池駅に向かい、蛍池駅で大阪モノレールの乗り換え、大阪空港に到着しました。上の写真は大阪モノレール線の蛍池駅です。 大阪空港で朝食をとり、いつも乗るものに比べ、小さなボンバルディア機に乗り、高知龍馬空港へと向かいました。 上の写真は「写ルンです」を使用して撮影した大阪市及び堺市沿岸部の写真です。 到着先の高知については次回に報告します。
2009.05.08

4/29も午前中は相変わらず部屋の片付けを行いましたが、このままではつまらない黄金週間になってしまうと考え、せめて近場の名所にでもでかけることにしました。 ちょうど、ツツジの咲いている季節なので、堺市内にあるツツジの通り抜けで有名な浅香山浄水場に行くことにしました。 せっかくなので、自転車で阪堺線沿いに北上したのち、大和川で右折、上流方向に進み、浅香山浄水場に向かいました。 ということで、阪堺線沿いにもツツジの花が咲いているので、阪堺線とツツジを撮ってみました。 途中、南海高野線を撮影し、さらに大和川を上流方向に向かいます。 浅香山浄水場に着き、びっくりしました。大勢の見物客はもちろんのこと、大きなツツジが浄水場を取り囲むようにたくさん植えられていたことです。ツツジはここまで生長するものなのですね。 この日は暑かったため、ツツジを十分に見た後、土佐名物アイスクリン(もちろんシングル)を200円で購入(この関連項目が後述されます。覚えてくださいね。)し、口を十分に冷やしてから帰宅しました。 帰宅すると、速攻で寝ました。とほほ。
2009.05.07

2009年も黄金週間が来ました。諸般の事情で5連休が終了した後に記述することとなりました。というのも、前半は通院、部屋の片付けと昼寝三昧という旅どころではない事情があったことと、5連休はネットがつながらない場所にいたことによります。ともあれ、過去を振り返りながら、記述したいと思います。 まずは4/25です。 4/25は通院のため、大阪市内に出ていたので、そのまま阪神本線に乗り、尼崎駅まで行き、懲りずに阪神なんば線を撮影し、尼崎駅から東大阪の布施駅までビデオ撮影を行っただけの日でした。 次に、4/26です。 この日は部屋の片付けを行い、疲れたら昼寝をし、起きたら、部屋の片付けというだらだらした1日の使い方でした。せめて写真でも撮ろうと近所で撮った写真が上の写真です。 とにかく、たいしたことをしなかった土日でした。
2009.05.07
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