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「新・しゅらくの独り言」をこの楽天ブログで始めて、早くも4年弱になろうとしています。路面電車・鉄道、アニメ、競馬を主なテーマ(最近ではあまり取り上げていないものもありますが。)とし、徒然なるままに写真と駄文を掲載しましたが、遂に写真保管スペースがほぼ一杯となり、このままでは駄文はともかく、写真が掲載できなくなる事態が発生することになります。 そこで、舞台を楽天ブログからBloggerに移し、新たに「新・しゅらくの独り言(改)」としてブログを続けていくことにしました。誠に勝手ではございますが、新たな更新は「新・しゅらくの独り言(改)」で行うこととし、この「新・しゅらくの独り言」の更新はこの記事で終了させていただきます。 新たな「新・しゅらくの独り言(改)」のアドレスは下記の通りです。 http://shrike-monologue.blogspot.com/ ブックマークをされている方、またリンクをされている方がいらっしゃいましたら、変更の程よろしくお願いいたします。 今までご覧いただき、誠にありがとうございました。 (2009年12月4日追記) 「新・しゅらくの独り言(改)」移転後、約1ヶ月が経過しましたので、本ブログでのコメント・トラックバック及び掲示板の書き込みの受付を終了させていただきます。コメント等は「新・しゅらくの独り言(改)」でよろしくお願いいたします。
2009.11.06

札幌での目的も果たし、いよいよ今回の旅の最終目的である新日本海フェリー乗船を残すのみとなりました。札樽自動車道を軽快に抜け、青函フェリーの時とは異なり、余裕で小樽港フェリーターミナルに到着しました。 この小樽港フェリーターミナルはレストランや土産ショップ等の施設があるだけでなく、展望風呂も備えています。時間も余ったので、5階に向かい、展望風呂に入ります。フェリーの乗客には割引があるので、チケットの半券を持つようにしてください。 2時間弱ほどして、ようやく乗船することができました。フェリー内に車を駐めるのは九州縦断のときにも経験していたので、比較的落ち着いて行えました。この日の船は「あかしあ号」です。 小樽の街の灯を見ながら、北海道を後にします。 ここで船内の一部を案内しましょう。まず、エントランスロビーです。(用いた写真は時系列的には前後していますが、お許しください。)乗船したときには必ずここを通ります。乗客は4階、5階及び6階となります。私は2等客室なので、主にこの4階にいることになります。ちなみに、1等客室や特等客室は5階、6階にそれぞれあります。 ロビーの階段を上り、5階に上ります。5階には大浴場、レストラン、グリル、プロムナード、カフェ及びオープンデッキといった共有のスペースがあります。上の写真はプロムナードで、テーブルや椅子が設置され、自由に使うことができます。ここでパソコンを使用している人や読書をしている人をよく見かけました。ロビーの階段から船尾側の船体右側の位置にあります。 プロムナードから更に船尾側に進むと、カフェがあり、さらに進むと上の写真のオープンデッキに出ます。 レストランはプロムナードと反対側、つまりロビーの階段から船尾側の船体左側の位置にあります。このレストランからオープンデッキに出ることはできますが、オープンデッキからレストランには入ることはできません。ここで、朝食、昼食、夕食を取ることになります。なお、朝食はバイキング形式、昼食及び夕食はカフェテリア形式となります。また、プロムナード側にはグリルがあり、こちらは予約制のコース料理が用意されているようですが、庶民にはなかなか手を出しにくいですね。 23:30に小樽港を出港すると、すぐ寝てしまい、翌日は日の出前に目が覚めました。そのため、オープンデッキに出て、朝日を撮ることにしました。上の写真の島は大島で北海道松前半島の沖に浮かぶ島です。 フェリーの上では時間をもてあましてしまい、客室で寝ているか、レストランで食べているか、オープンデッキで景色を見ているかでした。しかも、見える景色は絶海の日本海を航行しているので、海しか見えません。(まあ、ここで不審船が現れても困るのですが、) そうしているうちに、日の入りの時間になりました。やはり、オープンデッキで夕日を撮影します。 暗くなると、景色もろくに見えなくなるので、客室で横になっていましたが、しばらくすると、陸地の灯りが見えてきました。舞鶴港はもうすぐです。 舞鶴港に到着したのが、21:00頃です。実はこの旅の最後の正念場が舞鶴港から西脇の自宅までの行程です。序章でも述べましたが、舞鶴若狭自動車道は途中まで対面2車線の上、カーブが多い道路です。しかも、夜なので、真っ暗です。また、行きとは異なり、途中から国道175号線を進みます。この国道175号線は明石市から舞鶴市を結んでいる一般国道で、関西地区西部の瀬戸内側と日本海側を結んでいるため、トラック街道となっています。道路自体は十分に整備されているので、走りやすいのですが、トラックが多く通るので、注意する必要があります。高速道路を降りた直後から、西脇市中心部手前の黒田庄まで、ずっとトラックの前を走る羽目になりました。 国道175号線を離れたため、トラックからようやく解放され、自宅近くのスーパーまで戻ってきました。このとき、23時頃になっていました。翌日は当然仕事なので、早く帰ってゆっくりと寝ることにしました。 お盆休みの九州縦断の時に比べると、距離は大幅に伸びたもの、それほど疲れは感じませんでした。ちょっとは運転に慣れたのかもしれません。結局、お盆休みとシルバーウイークで鹿児島から西脇経由で小樽まで自動車で走行してしまいました。 おかけで、旅気分は十分満喫することができました。ただし、鉄分が少なすぎるのが少し不満ですが、それは別の機会に補うことにします。
2009.11.05

有珠山、昭和新山エリアを発ち、伊達ICより再び道央自動車道に乗り、札幌に向かいます。有珠山を訪問する前の静狩PAや昭和新山の駐車場でもそうですが、見る車のほとんどが北海道ナンバーです。あっても東北各県です。すっかり、遠くに来た実感をもちながら、道央自動車道を進みます。 千歳ICを過ぎると、車が増え始め、あのときは大変だったなあと思いながら、札幌南ICまで進みます。 本州に比べ、1車線が広い道路にもかかわらず、通る車の量が多いため、なかなか走りにくい札幌の道路を走っていくうちに、すすきのに近づいてきました。この辺になると片道5車線ぐらいになり、西脇あたりでは考えられないほど広い道路になっています。さすが、北の大都市札幌ですね。 とにかく、すすきのからほぼ1周するように西4丁目まで「Tramway Killer号」の第10のターゲット、札幌市電の併用軌道を並走します。 札幌市電は枝分かれがありませんが、起終点がすすきのと西4丁目という繁華街となっているため、交通量が多く、起終点では走りにくくなっています。しかし、上の電車事業所前あたりでは交通量も少なくなるため、走りやすくなっています。 というわけで、西4丁目電停まで来ました。後はこの西4丁目からすすきのまで反対回りに再び進みました。 札幌市電並走が終わる頃には日没が近づき、北海道限定のサッポロビールクラシックを購入するためにアリオ札幌に来ました。隣のサッポロビール園でジンギスカンを食べるつもりでしたが、人がいっぱいで、このアリオで食事をすることにしました。それにしても、我が故郷、堺にあるアリオ鳳を差し置いて、初めて行ったアリオが札幌というのも、どうかと思います。とても複雑な気持ちです。 一通り、物品を買い終わった後、札樽自動車道に乗り、帰りのフェリーの待つ小樽へと向かいます。 (注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.11.04

予定通り、虻田洞爺湖ICで道央自動車道を降り、洞爺湖畔を進んだ後、昭和新山の近くまで来ました。 昭和新山から水蒸気が出ており、昭和新山が活火山であることに驚いたとともに、同じく火山である有珠山との谷間に観光施設があることにも驚きました。 ともあれ、ロープウェイに乗り、この山麓駅から有珠山に登ります。このロープウェイ乗り場にある説明文を読むと、有珠山は20世紀に4回噴火し、約30年周期で噴火していると書かれていました。(1910年、1944年~1945年、1977年~1978年、2000年) ちなみに、昭和新山は1944年~1945年の有珠山の火山活動で生まれたものであり、そうすると、谷間の観光施設の何処から噴火を起こしてもおかしくないことになります。まあ、2000年に噴火したばかりなので、2009年には噴火しないでしょう、きっと。 ロープウェイに乗り、山頂駅に到着し、有珠山に登りました。昭和新山を見下ろす絶好のロケーションです。 また、昭和新山ばかりではなく、北側の洞爺湖と中島が見えます。 ふと、山の上を見ると、あちこちから水蒸気が上がっています。ここで噴火したら、即あの世行きだなあと思いつつ、有珠火口原展望台まで散策します。 有珠火口原です。ここでも水蒸気が出ており、有珠山が紛れもない活火山であることを示しています。 この有珠火口原展望台からは南側に広がる内浦湾こと噴火湾を見ることができます。 有珠山を登っただけで、海、湖、火山と様々なものが見ることができ、非常に面白い体験をしました。 十分に自然を満喫したので、都市の乗り物である札幌市電の併用軌道を並走すべく、札幌市に向かいます。
2009.11.04

函館市電並走も終わり、いよいよ有珠山を経由し、札幌へ向かうことにしました。 函館と札幌の間は完全に高速道路でつながっているわけではなく、函館から八雲までは国道5号線で向かわなければなりません。しかし、この国道5号線は決して酷道ではないので、快適に運転することができました。 そうしているうちに、大沼公園の文字が見え始め、谷地頭温泉で話題にあがったこともあり、立ち寄ることにします。 大沼公園内に入ると、大沼湖及び小沼湖をモーターボートで回ることができるようなので、乗ります。 出発後、小さな島々が浮かぶ中、ゆっくりとモーターボートが進みます。自然豊かな環境で心が洗われます。 大沼湖の中央まで進むと、小さな島々は消え、広い湖面が見えるようになります。渡島富士とも呼ばれる成層火山である北海道駒ヶ岳も見ることができるのですが、私には運がないためか桜島同様、このときは見ることができませんでした。 大沼湖を一通り周遊した後、函館本線の橋梁の下をくぐり、小沼湖に入ります。 小沼湖は大沼湖と違い、水深が浅いため、周遊できる範囲が狭く、すぐに引き返しました。 こうして、駆け足で大沼湖、小沼湖を周遊した後、国道5号線と道央自動車道を通り、洞爺湖畔にある有珠山、昭和新山エリアに向かいます。
2009.11.03

一夜明け、早朝から定番のように函館朝市に向かいます。函館の朝食は毎回ここで食事を行い、更に土産物をここで購入します。今回はズワイガニ、イクラ等を購入し、準備したクーラーボックスに入れておきます。 朝市の後はこれまた定番のように谷地頭温泉に行きます。ここで体を洗うとともに、体の芯まで温めます。 この谷地頭温泉の駐車場に車を駐めたのですが、たまたま隣の車の人と話す機会がありました。彼は函館に親族がいるため、頻繁に函館へ来ているようで、「大沼公園」を始め、様々な観光スポットの話をしてくれました。いろいろと興味深い話もあったのですが、9/22中に様々な予定をこなした上で、小樽港まで到着しないと行けなかったので、いくつかは今回諦めることにしました。どうやら、私の車の「神戸」ナンバーが気になり、それで話しかけてくれたようです。でも、彼も「横浜」ナンバーだったのですが。 さて、谷地頭温泉の後は、「Tramway Killer号」の第9のターゲット、函館市電の並走です。谷地頭電停から十字街、末広町そして函館どつく前電停にまず向かいます。上の写真は末広町付近の相馬株式会社前の様子です。 函館どつく前電停からは函館市電5系統(函館どつく前~湯の川)と同じルートを通り、並走します。よく見ると、上の函館駅前電停までに新しい高規格電停が設置されていました。 函館駅前から更に進み、函館市街の新しい中心地でもある五稜郭公園前電停を通ります。五稜郭公園前電停を通過した後、湯の川まで進み、そこから再び函館市電2系統(湯の川~谷地頭)に並走しました。 函館市電の電車道ですが、1車線が異常に広く、他の路面電車の電車道の2車線分のところがあり、余裕をもって走ることができる場合もありますが、多くの場合、横に2台並んで走ることが多いので、いっそのこと2車線の方が良いと個人的には感じました。 函館市電並走が終わり、札幌に向かい出発します。 (注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.11.03

予定通り、14:35青森港発の青函フェリーに乗り込むことができました。フェリーが満車であることと割引特典を受けることの2つの理由から、あらかじめこの14:35発の便を予約していましたが、どうやら正解のようでした。フェリーの中はきれいにされており、他の客と一緒に雑魚寝するタイプの客室しかありませんが、普段からこの手のタイプの客室、いわゆる二等客室しか乗ったことのない私には十分なものです。 思えば、去年の年末に青函トンネルを通り、青森駅に到着したときには「上野発の夜行列車」でもある特急あけぼのを青森駅で見ながら、青森~函館間を船で渡ってみたいと考えていたものです。 季節は秋なので、「こごえそうな?」を見つめることはありませんが、陸奥湾を航行する青函フェリーの周りには?が多数飛んでいました。 青函フェリーはいよいよ陸奥湾を抜けようとしています。「ごらん、あれが竜飛岬、北の外れ」と見知らぬ人が指をさすこともなく、ひとりで感慨にふけりながら、いよいよ津軽海峡に入ります。 後方に下北半島(左)、津軽半島(右)が見えます。こうしてみると、この両者の間の平舘海峡(最も狭い場所で8km)は狭く感じます。 そうしているうち、日が暮れ始め、右前方に函館山が見えてきました。この函館山の裏側に古くからの市街地である末広町、十字街そして温泉のある谷地頭があります。 函館港に近づき、函館山から見るものとはひと味違う函館市街の夜景が広がります。「はるばるきたぜ 函館へ」という思いでいっぱいです。 函館港に入港し、いよいよ車に乗り、函館市に入ります。函館市では夕食を取った後、カプセルホテルで一泊し、十分に休養をとります。
2009.11.03

中尊寺の拝観も終了し、再び北上の旅を再開します。国道4号線に沿って進み、平泉前沢ICより東北自動車道に入ります。 東北自動車道が通る北上盆地は南北に長く、北は盛岡市から、南は一関市まで、約180km続いています。そのため、道は比較的まっすぐで、しかもトンネルもなく、快適に運転することできます。 盛岡市を抜け、岩手山SAで休憩しました。文字通り、ここから岩手山を見ることができます。岩手山は複式の成層火山であり、この岩手山SAからの岩手山はきれいな円錐形ではなく、片方が削れたような山容をしていることから南部片富士と呼ばれています。 北上盆地を抜けると、山間部を通ることとなり、道もくねくねと曲がり、アップダウンも大きくなります。時間があまりないので、弘前市には寄らず、津軽SAで休むだけにしました。 津軽SAは平川市にあり、ここから岩木山を望むことができます。上の写真ではわかりにくいですが、手前の住宅地と岩木山の間に小さく弘前市街が見えます。この岩木山も成層火山であり、そのきれいな円錐形の山容から津軽富士と呼ばれています。 東北自動車道を更に北に進むと、シルバーウイークにもかかわらず、前後及び反対車線に車がほとんど見えなくなることも多くなりました。東北自動車道から青森自動車道に入り、その青森中央ICから青森市街を経て、青森港フェリーターミナルに到着しました。どうやら、予約していたフェリーには間に合いました。ここから青函フェリーに乗り、函館へ向かいます。
2009.11.03

一関市に宿泊し、寒い朝を迎え、いよいよ青森に向かい、北上していくのですが、その前に平泉町にある中尊寺に寄ることにします。 8時前に一関を出発し、30分足らずで平泉に到着します。とりあえず、平泉町営中尊寺第2駐車場に駐め、国道4号線を横断した後、中尊寺の参道入口に向かいます。 中尊寺は山の上にあり、月見坂と呼ばれる参道をひたすら登ることになります。運動不足は私にはちょっときつい坂でした。 途中、門のような場所があります。上の写真もそうですが、参道には立派な杉の木が植えられています。この中尊寺は伊達歴代藩主により厚く保護されていたとのことで、樹齢350年のこれらの木々は伊達藩により植樹されたものです。 八幡堂、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂等を回った後、本堂にたどり着きました。この中尊寺は天台宗の高僧である慈覚大師円仁により850年開かれたとされており、本尊は阿弥陀如来です。 峯薬師堂、不動堂、大日堂、梵鐘、阿弥陀堂、弁財天堂を回った後、中尊寺の宝物館でもある讃衡蔵に着きました。ここで、拝観料800円を支払い、宝物を見た後、金色堂に行きます。この讃衡蔵は奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)を讃える宝蔵という意味とのことです。ちなみに、この中尊寺の開山は慈覚大師円仁と申しましたが、実質上の開祖は藤原清衡です。 貴重な宝物を見学した後、いよいよ本日のメインイベントである金色堂へと参ります。なお、金色堂は環境管理が行われている覆堂の中にあり、写真にはその覆堂が写っています。なお、金色堂は写真撮影不可なので、写真はありませんが、建物全体が金で覆われており、見事な装飾がなされていました。その金色堂には奥州藤原氏3代の遺体と泰衡の首級が納められています。 金色堂を見学した後、経蔵に立ち寄りました。この経蔵にはかつて経典が収められていました。現在は讃衡堂に保管されています。 続いて、旧覆堂に行きます。この旧覆堂は室町時代中期(16世紀)に建設され、1963年(昭和38年)の新覆堂建設まで金色堂を風雪から守っていました。 松尾芭蕉が「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだときには、この旧覆堂の中の金色堂を見たものと思われます。 旧覆堂の内部は上の写真のようになっています。 旧覆堂を離れ、中尊寺内による白山神社には立派な能舞台があります。この能舞台、近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとのことです。 釈迦堂の横を通り過ぎ、来た道を逆に進み、戻ることにしました。途中の東物見から景色を見ると、随分と高いところに登ったものと思い知らされます。 当然、月見坂を今度は下ることになるのですが、急勾配のため、慎重に降ります。 参道入口の近くには武蔵坊弁慶のものと伝えられる墓があります。 とにかく、中尊寺でも金色堂は一度見たかったので、駆け足でしたが、十分満足しました。 では、中尊寺を後にし、青森港へ向け、北に進みます。
2009.11.01

会津若松市を出発後、再び磐越自動車道に乗り、岩手県一関市を目指します。 郡山JCTで東北自動車道に入り、すぐ安達太良SAで休憩兼食事をすることにします。本当は喜多方ラーメンが食べたかったのですが、途中食べることができず、ここの安達太良ラーメンを食べました。ただ、お土産に喜多方ラーメンを買うことにしました。(後日、この喜多方ラーメンに大村湾PA(長崎県)で買った豚の角煮をトッピングし、食べました。滅茶苦茶美味しかったですよ。う~む、贅沢!!) 安達太良SAを出ると、ようやくこの旅で初めての渋滞に巻き込まれましたが、わずか2kmだったため、難なく通過できました。幸いにも以後、高速道路での渋滞は遭わなくなりました。 東北自動車道を北上し、福島県、宮城県を抜け、ようやく22時前に岩手県一関市のホテルに到着しました。車から降りると、すっかり寒くなっており、上着を着ないと確実に風邪を引く温度になっていました。富山では半袖で十分だったのですけれども。 とにかく、この日はよく運転しました。朝8時前から運転していたので、14時間ほど車の中にいました。(途中、休憩を何度かしているので、運転しているのは12時間程度だと思います。)単純計算ですが、高速道路だけで582.8km走りました。この距離は東海道本線(東京~神戸)589.5kmに匹敵する距離です。 十分に睡眠をとり、翌日に備えます。
2009.10.27

磐越自動車道の会津若松ICを降り、会津若松の中心部を抜け、9/20の目的地の一つである鶴ヶ城に到着しました。会津若松は保科正之を祖とする会津藩の城下町として栄えました。 折角なので、鶴ヶ城の天守閣に上り、景色を堪能するため、歩行者が行き交う中、駐車場に車を駐めようとすると、既に車がいっぱいで、狭いスペースで車庫入れをしなければなりません。強制自動車教習、第8課「限られたスペースでの車庫入れ」です。 無事に車庫入れも済み、天守閣の上まで登り、町並みを見るとともに磐梯山を望みました。できれば、裏磐梯あたりも行きたかったのですが、時間がありません。次の機会にすることにします。 天守閣の下では何やら舞台が設置されているようです。ネットで色々と調べてみると、9/21~23にかけ、会津まつりが開催されるようで、その準備のようです。残念ながら、私はこの会津まつりを見ることはできません。 駆け足で鶴ヶ城を見学した後、日没前なので、9/20の最終目的地である岩手県一関市に早速向かうことにします。
2009.10.27

富山を出発し、北陸自動車道に乗り、東に向かいます。富山県を抜け、新潟県に入ると、山が海岸近くまで迫り、崖の上の道路を走行する感覚となり、非常に美しい景色が眼前に広がるとともに、少し恐ろしい気分にさせられます。 新潟県は広い県なので、なかなか抜け出ることができません。昼食を兼ね、休憩のため、名立谷浜SAに立ち寄ります。すると、新しいテトラポッドが置かれているすぐ隣に、 波で浸食されたテトラポッドが置かれていました。これは日本海の荒波で削れたもののようで、要するに「日本海の荒波の力はこんなにも凄いよ」ということを主張したい展示物のようです。ここで、しっかり腹ごなしをし、先に進みます。 しかし、前述のとおり、新潟県は広いです。なかなか新潟市にたどり着けません。上信越自動車道との上越JCTを過ぎてもまだ100km以上あります。滝野社IC(西脇の最寄IC)~中国池田IC(阪神高速池田線の最寄IC)の倍の距離です。 何度も同じ曲を繰り返し聞きながら、めげずに東に進み、関越自動車道との長岡JCTに近づきます。すると、行き先案内板に「東京」の文字が見えるようになりました。随分、東に来たと感じたものの、新潟まではまだ50kmあります。 1時間弱が経過し、新潟市にたどり着き、ようやく北陸自動車道から磐越自動車道へ入ることができました。しかし、新潟県は広いです。磐越自動車道に入ってから福島県に入るのにも相当な時間が費やされました。しかも、すぐに対面2車線となり、しかもアップダウンが大きく、カーブやトンネルが多く、ただでさえ走りにくい上、対向車は大型車ばかりです。しかも、運の悪いことに翌日の新潟競馬開催のため、JRAマークのついた馬運車が次々と通っていきます。 結局、4時間ほどかけ、新潟県を抜け、福島県に入りました。早速、西会津PAに入り、休憩します。もう、夕方近くとなっていますが、休憩後、鶴ヶ城を目指します。会津若松市はもうすぐです。
2009.10.27

夜が明け、国道8号線で魚津市から再び富山市に舞い戻り、併用軌道並走を行うこととなります。 まずは第7のターゲットである富山ライトレールです。JR線の北側にある富山ライトレールには富山駅北~奥田中学校前間の短い併用軌道区間があります。 インテック前で富山駅北に向かうポートラムと遭遇しました。(この9/20時点では)ああ、こんな超低床車が堺にも走るんだなあと思いながら、並走を続けます。 富山ライトレールが終了したので、続いて第8のターゲット、富山地方鉄道の軌道線の併用軌道を並走します。ここは全線併用軌道なので、少々時間がかかりました。 (この9/20時点では)堺駅前も富山駅前のように路面電車が乗り入れるのだろうなあと思いながら、南富山駅前へ向かいます。 富山地方鉄道・軌道線を大学前に向かいます。神通川にかかる現行の富山大橋の北側には新しい富山大橋が建設されています。前回(5/22)よりも更に進捗具合は進んでいるようです。 (この9/20時点では)たとえ、大和川鉄橋が古くなっても、この富山大橋のように掛け替えを行って、阪堺線は大阪市内から大和川を越えて、堺市内に乗り入れるだろうと思いながら、神通川を渡ります。 一通り、現行の富山地方鉄道・軌道線の併用軌道を並走した後、現在工事中の環状化のための大手町新ルートも辿ります。架線はさすがにまだありませんが、多くの場所で軌道が敷設されていました。この環状化が完成すると、路線が線から面へ展開されることになります。 (この9/20時点では)東西の堺~堺東間が開通したら、堺市内の路線も南北の阪堺線だけでなく、東西にも広がり、面へ展開されるんだろうと思いながら、自動車を運転し続けます。 併用軌道並走が終わり、再び北陸自動車道に乗り、会津若松まで向かいます。 (いつの間にか広島で開催されるLRTサミットの参加都市から堺市消えていますね、広島の路面電車は大変便利で、非常に使い勝手が良かったので、堺の路面電車もそのようになればといいのにと思っていましたが、残念ですね。地下鉄四つ橋線延伸の方が無駄なような気がしますが、私の思い違いでしょうか?おっと、ここはシルバーウイークの話題でした、失敬、失敬。さて、2005年の岐阜訪問のような対応も考えないといけないのかな?) (注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.10.26

三方五湖からようやく北陸自動車道のインターチェンジのある敦賀市にたどり着き、北陸本線をアンダーパスした後、敦賀ICより北陸自動車道に入ります。 途中のパーキングエリアで鯖の巻き寿司と蕎麦を食べた後、鯖江ICで再び北陸自動車道を降り、県道229号線で木田四ツ辻電停より福井鉄道の併用軌道を並走することにします。 というわけで、「Tramway Killer号」の第5のターゲットは福井鉄道・福武線です。福井鉄道の併用軌道は短いのですが、市役所前~福井駅前のひげ線(しかも比較的狭い道路上の併用軌道)を持っているため、少し厄介かもしれません。公園前電停で元名鉄・岐阜600V線区の車両を横目で見ながら、並走を続けます。 双方ともどこかで聞いたことがあるような名前の中央大通り、フェニックス通り及び福武線・ひげ線の併用軌道との五叉路の交差点である大名町交差点では戸惑いながらも、ひげ線の併用軌道も並行し、福井鉄道の併用軌道並走は完了しました。 再び、北陸自動車道に乗り、富山方面に向かいます。途中、北陸自動車道は日本海の海岸沿いを通ります。そのため思わず、徳光PAに立ち寄り、日本海を眺めます。 秋の日本海はまだ穏やかでしたが、テトラポッド群に打ち寄せる波は結構荒々しいものです。冬になると、おそらくもっと荒々しくなるのでしょう。 休憩を終え、高岡市内に向かいます。途中、小矢部砺波JCTで能越自動車道に乗り換え、高岡ICより高岡駅前を目指します。 高岡駅前より万葉線が米島口、中伏木方面へ伸びています。 「Tramway Killer号」の第6のターゲットは万葉線です。併用軌道は高岡軌道線部分にあり、福武線とは違い、割と長い距離があります。とは言え、鹿児島、熊本、長崎そして広島と異なり、枝分かれがないので、並走は比較的容易です。上の写真は広小路電停付近のものです。 万葉線は米島口を過ぎると、一旦新設軌道(専用軌道)となり、道路上を通らなくなりますが、能町口電停より中伏木電停手前まで併用軌道となり、細い道路上を単線で通ります。電停には安全島がなく、その代わりにペイントで塗られた乗り場と歩道付近の待合所があります。この辺りの雰囲気は他都市の路面電車では味わえないものがあります。ちなみに上の写真は吉久電停付近です。 万葉線の撮影がようやく終わった頃には西の空がすっかりオレンジ色に染まっていました。急いで富山市に向かいましたが、残念ながら途中で日が沈んでしまいました。仕方なく、富山市を抜け、国道8号線で魚津市まで向かい、予定通り魚津で宿泊することにしました。九州縦断の旅とは違い、疲労もそれほどありませんでした。車の運転に慣れつつあるのでしょうか? 翌日は再び富山市内に戻り、併用軌道並走を行います。 (注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.10.20

ほぼ、1ヶ月遅れとなりましたが、2009年のシルバーウイークの話題です。2009年は通常の年と異なり、9月にもシルバーウイークと呼ばれる大型連休があります。これは敬老の日と秋分の日の間に国民の休日が発生することにより生じたものです。シルバーウイークは5月の大型連休であるゴールデンウイークに対して、また、敬老の日を含んでいることに対して、名付けられたらしいですが、個人的には毎年必ずある5月の大型連休とは異なり、必ずしも毎年現れないこの希少価値の高い9月の大型連休については、プラチナウイークとした方が良いのではないかとも思います。とりあえず世間での通りがよいシルバーウイーク(タイトルでは黄金週間に対し、白銀週間としました。)と呼んでおきます。 ところで、2009年のゴールデンウイークは転勤の準備のため、ろくに出かけることもなかったため、シルバーウイークこそは遠出しようと思い、お盆休みの鹿児島~西脇間のドライブ直後に、西脇~北海道・小樽間のドライブを企画しました。今回は、お盆休みの反省もふまえ、北海道からの帰りにカーフェリーを利用することにしました。今回の主目的は「Tramway Killer号」による併用軌道並走とし、途中で、鶴ヶ城(福島県)、中尊寺(岩手県)、有珠山及び昭和新山(北海道)に立ち寄ることにしました。 さて、ルートとしては、次の通りとなります。 自宅(兵庫県西脇市) ↓ 福井市内(福井県福井市) ↓ 高岡市内(富山県高岡市) ↓ 富山市内(富山県富山市) ↓ 魚津市内・1泊(富山県魚津市) ↓ 鶴ヶ城(福島県会津若松市) ↓ 一関市内・1泊(岩手県一関市) ↓ 中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町) ↓ 青森港フェリーターミナル(青森県青森市) ↓ 青函フェリー 函館港(北海道函館市) ↓ 函館市内・1泊(北海道函館市) ↓ 有珠山・昭和新山(北海道有珠郡壮瞥町) ↓ 札幌市内(北海道札幌市) ↓ 小樽港フェリーターミナル(北海道小樽市) ↓ 新日本海フェリー 舞鶴港フェリーターミナル(京都府舞鶴市) ↓ 自宅(兵庫県西脇市) さて、自宅を出発し、滝野社ICより中国自動車道に乗り、社PAで福井までのルートを考えました。名神高速道路を通り、近江地方経由で行くか、舞鶴若狭自動車道を通り、若狭地方経由で行くか検討しました。 高速道路情報によると、名神高速道路は中国豊中ICから約30kmの渋滞とのことなので、躊躇いもなく、舞鶴若狭自動車道を通り、若狭地方経由で行くことにしました。 舞鶴若狭自動車道は途中より対面2車線となり、カーブが多い道路でした。帰りはこの道を夜走行しないといけないと考えると、やや憂鬱気分でしたが、とにかく先に進みました。 舞鶴若狭自動車道は小浜西ICで終わっており、ここから北陸自動車道・敦賀ICまでは国道27号線を走行しました。そうしていると、三方湖の文字が見えたので、三方湖に立ち寄ることにしました。 本来であれば、三方五湖レインボーラインに乗り、三方五湖(三方湖をはじめとする5つの湖の総称)や若狭湾の風景を楽しむのが筋なのでしょうが、この日のうちに福井市、高岡市、富山市の4路面電車の併用軌道を並走する目的があるため、上の写真にあるように三方青年の家から三方湖を眺めるだけにしました。三方五湖は複雑な地形となっており、湖面や山が景色に重なり合い、眺めはきっといいでしょう。ちなみに、後日ウィキペディアで調べたところ、三方五湖は海とつながっており、その複雑な地形から海水と淡水の比率がそれぞれの湖で異なっているため、異なる青色に見えるということです。三方五湖レインボーラインにはまた行きたいと考えています。 再び、国道27号線に戻り、右手に見える山々に「あの山々の向こうに琵琶湖があるんだなあ。」と思いながら、敦賀経由で福井を目指します。
2009.10.12

「大阪-西脇紀行」の第4回目です。今回、再び阪急電車に乗ります。しかし、よく見てください、神戸本線ではなく、宝塚本線です。 今回は、前回の予告通り、阪急宝塚本線と阪急バスで有馬温泉へ行き、ゆっくりと日本三古湯のひとつに浸かり、疲れを癒した後、西脇に戻ることにします。利用する交通機関は次の通りです。 梅田 ↓ 阪急電鉄・宝塚本線 宝塚(宝塚駅前) ↓ 阪急バス(宝塚駅前~有馬温泉) 有馬温泉バス停 ↓ 徒歩 銀の湯 ↓ 徒歩 金の湯 ↓ 徒歩 有馬温泉駅 ↓ 神戸電鉄・有馬線(有馬温泉駅~有馬口駅) 有馬口駅 ↓ 神戸電鉄・有馬線(有馬口駅~鈴蘭台駅) 鈴蘭台駅 ↓ 神戸電鉄・粟生線 粟生駅 ↓ JR西日本・加古川線 西脇市駅 ↓ 神姫バス アピカ西脇(旧鍛冶屋線・西脇駅) 梅田駅から宝塚駅までについて述べようと考えていたのですが、宝塚本線に乗っている間、爆睡してしまい、気づいたら宝塚駅でした。 宝塚駅に降りると、西宮名塩駅経由の有馬温泉行きの阪急バスが停車していました。景色を楽しむのなら蓬莱峡経由が良いのですが、時間もないので、これに乗ります。ただ、エコロジーのためなのか、バスのエンジンが切られていたので、冷房もなく、30℃を超えるバスの中では汗だくになってしまいました。 宝塚駅前を出発してすぐの頃は降車客も多かったのですが、バスが中国自動車道のそばまで来ると、降車客はほとんどいなくなり、少ない乗客がバスに乗り続けます。もしかして、これらの人たちは私と同じ有馬温泉を目指しているのかな、と思いつつ、西宮名塩駅前を通過し、半時間ぐらいバスが狭い道を進んでも、降車客はほとんどおらず、結局ほぼ全員が有馬温泉バス停まで乗車していました。 猿回しを見た後、目的である有馬温泉入湯を行います。有馬温泉には赤茶色をした金泉と透明な銀泉があります。まず、銀泉の外湯である「銀の湯」に入ります。温泉にはいるとやや白濁した透明な湯が張ってあり、非常に気持ちがいいです。効能はとにかく、癒されました。 続いて、金泉の外湯である「金の湯」に入ります。こちらは、赤茶色した湯が張ってあり、湯船の底が見えません。慎重に足を運ばせながら、肩まで湯につかります。何となく熱かったような気がしますが、気持ちが良かったので、良しとします。ただ、着色させないため、タオルは湯につけないように、頭の上に置きます。 温泉も十分に入ったので、炭酸煎餅を購入し、神鉄に乗り、西脇方面へ向かいます。まずは盲腸線状態になっている有馬線の一部である有馬温泉~有馬口間の電車に乗ります。 有馬口駅に到着すると、準急新開地行きが待っていましたので、ホーム上で素早く乗り換えます。 鈴蘭台駅まで準急新開地行きに乗り、そこから地下道を通り、粟生線を走る準急粟生行きに乗り換えます。 のんびりと、車内でくつろぎ、粟生駅に到着する頃には日没直前となっており、JR加古川線のホームに移り、改造された103系が到着する頃にはすっかり暗くなってしまいました。 半時間ほど、電車に揺られ、無事に西脇市駅に到着しました。ここからは神姫バスでアピカ西脇に向かい、自宅に戻ります。 次回は全てJRで帰ろうと思います。
2009.09.15

平和記念公園すぐ隣にある某ホテルに一晩宿泊し、疲れもとれたことなので、市役所前電停、御幸橋電停及び元宇品口電停と高規格電停に改修された電停を中心に撮影し始めました。これらの写真は既に「しゅらくの日本全国路面電車の旅」にてアップ済みです。 折角、広島市に来ましたので、「Tramway Killer号」の第4のターゲット、広島電鉄の1号線(広島港→紙屋町東→広島駅)と5号線(広島駅→比治山下→広島港)の併用軌道並走を始めました。(広島はとても残りの時間で全併用軌道並走はできません。) 6年間在住した広島市なので、基本的に道はしっかりと頭に入っています。落ち着いて運転することができました。ちなみに上の写真は紙屋町東電停で、八丁堀方面を向いています。 何より、広島の路面電車の特徴は運行本数が多いこととグリーンムーバーmaxをはじめとする車体の長い連接車が多いことです。蛇のようにくねらす連接車は車にとっては脅威でしかありません。 無事に予定の広電撮影も終わり、いよいよ西脇へ帰ります。山陽自動車道に乗り、小野方面を目指していたのですが、やはり渋滞の洗礼が待っていました。特に事故に関する渋滞が多かったように思います。2回、休憩をとり、その2回目の休憩場所である道口PAを発った後、播磨JCTの先で10km以上の渋滞を知りました。「これはいけない。」と急遽、岡山JCTから岡山自動車道に乗り換え、中国自動車道へのルートへ切り替えました。しかし、この岡山自動車道は途中から対面通行となり、強制自動車教習、第7課「対面通行の高速道路教習」が始まりました。 中国自動車道に乗り換え、アップダウンが続き、カーブが多い高速道路を進んでいたにもかかわらず、平気でいられたのも九州自動車道での経験が生きたからかもしれません。夕方が近づき、滝野社ICの文字が見えたときはようやくゴールにたどり着けそうだという気持ちでいっぱいになりました。 高速道路を降り、一般道である国道175号線を走っていると、この町は何と交通量や歩行者が少なく、運転しやすいところなんだろう、と思えるほどでした。 自宅に戻り、ゆっくりと休むことにしました。疲れましたが、色々と楽しかった旅でした。ちなみに、出発時は走行距離1200km程度だったと思いますが、帰宅時には2700kmになっていました。(注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.09.13

長崎市内を出発し、再び長崎自動車道に乗り、長崎空港へ向かうバスのことをふと思い出しました。そういえば、長崎自動車道は大村湾のそばを通っていたな、と。そこで、ほとんど思いつきで大村湾PAに立ち寄りました。やはり、大村湾のすばらしい景色が広がっていました。 そうしているうちに長崎自動車道から九州自動車道へ順調に走行していたのですが、天候は悪化していき、遂に大雨が降ってきました。まさにバケツをひっくり返したような雨となり、ワイパーを最速にしてようやくフロントガラスに雨粒が残らない状態となり、しかも前方の車がまき散らす水しぶきのため、前の視界は悪くなる一方でした。ここに強制自動車教習、第6課「大雨の高速道路教習」が始まりました。 その大雨の後、8月12日に地滑りによる通行止めが解除された福岡IC~太宰府IC間での速度制限による渋滞が待っていました。 渋滞のあまり、疲労した私は直方PAで休憩することにしました。実は、この先も渋滞とのことなので、英気を養うという意味合いもありました。 この直方PAのすぐそばを山陽新幹線が走っており、鉄分が不足気味の私にはうれしい場所でした。上の写真は博多に向かうごだま号と新大阪に向かうひかりレールスター号です。 ちなみに、路面電車の車両を用いて運行する筑豊電気鉄道が直方PA付近で九州自動車道と立体交差しているのですが、筑豊電気鉄道は併用軌道はなく、全線新設軌道(専用軌道)なので、「Tramway Killer号」のターゲットではなく、そのまま通過しました。 やはり、予想通り渋滞に巻き込まれ、時間のみが過ぎていく中、ようやく関門橋が見えてきました。めかりPAに立ち寄り、関門橋をじっくりと撮影しました。 めかりPAの建物と関門海峡の写真です。しかし、こんな建物あったかなあと、帰宅して過去の写真を探していると。 ありました。よくみると同じ建物が上の写真に小さく見えていました。なお、上の写真は2008年5月3日に撮影したものです。このときの記事は「2008年黄金週間・第8日目」にあります。 関門橋を渡り、九州から本州へと戻ってきました。中国自動車道、山陽自動車道と順調に進むものの、疲労は溜まっていき、休憩する間隔も短くなってきました。宮島付近で日没となり、三度、「夜の高速道路教習」となりました。暗くなりながらも、先に進み、いよいよ廿日市JCTから廿日市ICへ抜け、気力を振り絞って西広島バイパスに入りました。 西広島バイパスは学生時代、昼間。車に乗せてもらったときに恐いと感じた道です。自動車の通行量は多く、走行速度も速いため、できれば避けたいと思っていた道でしたが、今回はその上夜間走行です。しかし、どうにか無事にホテルまでたどり着けました。立体駐車場に車を預け、夜の広島の街に出かけました。広島に到着したとたん、不思議と疲労が取れました。やはり、第二の故郷なのでしょうか?翌日は広島市内を回った後、西脇に戻ります。 終章につづきます。
2009.09.13

一夜明け、早朝に目覚めた私は近くにある出島まで散歩しました。鹿児島、熊本と晴れが続いていましたが、まるでこの日の厳しい旅路を暗示するかのように、長崎は今にも雨が降り出しそうな曇り空でした。 長崎市内での目的、「Tramway Killer号」の第3のターゲット、長崎電気軌道の全併用軌道並走を始めました。今回は鹿児島、熊本の反省をもとに、カーナビには頼らず、長崎市内を回る道路を頭にしっかりたたき込んで、臨むことにしました。 長崎は鹿児島や熊本と異なり、狭い道路に軌道敷があるところが所々あり、鎖国時代に日本の玄関口であった出島の前の道路では軌道敷内を走行しました。なお、ここでは自動車は軌道敷内進入可となっています。 また、トンネルではないですが、トンネルのような場所も走行しました。 しかし、基本的に長崎は道幅の広い道に軌道敷が敷設されているので、走りやすい道路が多いです。 たまに、こういうことも生じます。同じ車線上に大型の路線バス、軌道敷には路面電車に止まられると、前の様子がほとんどわかりません。 ここは長崎の中心部、浜んまちにある観光通電停です。朝早く走っているので、あまり人がいませんが、昼間以降は人でいっぱいになります。 その観光通電停のすぐそばにあるベルナード観光通りは午前10時以前は自動車通行可だったので、通りましたが、商店街を車で通行するのはやはり緊張します。 ベルナード観光通りを出て、中島川沿いの併用軌道では、左前方には駐車している車、右前方には5系統石橋行路面電車、右隣には4系統正覚寺下行路面電車がおり、前方の狭い範囲を右の路面電車に気を配りながら通り抜ける羽目になりました。ふ~、やれやれ。(こんなところに車を駐めるな!!!) とにかく、長崎電軌の全併用軌道を無事に並走しました。時間も頭に道をたたき込んだこともあり、比較的早く終えることができました。 こうして、長崎を後にしましたが、実はここからがこの旅でもっとも過酷なドライブとなりました。 断章その3に続きます。(注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.09.13

阿蘇を後にし、まず九州自動車道に向かうため、来た道を再び反対方向に向かい、進みました。しかし、当然ながら、渋滞が発生しており、再びゆっくりと進まざるを得なくなりました。 しかしながら、都市部に近づくと、2車線となり、車は流れるようになりました。ただ、日没の時間がもう迫っており、2日連続で「夜の高速道路教習」となりました。 高速道路上でも渋滞が発生しており、なかなか車は進みません。そのため、疲労が溜まり、鳥栖JCTを過ぎた後、山浦PAでゆっくりと休憩しました。 休憩後、再び長崎に向かい、いくつものトンネルを通り、長崎自動車道からながさき出島道路へと車を進め、最後のトンネルを抜け、長崎電軌の路面電車を見たとき、ようやく長崎市中心部に入ったことを確認し、ようやく安堵しました。 ホテルに到着すると、早速、ベッドの上で寝てしまいました。やはり疲れていたのでしょうね。 本章その5に続きます。
2009.09.12

熊本市電撮影で多少、時間的余裕がなくなったものの、桜島に続き、阿蘇山に向かいました。 熊本市内からしばらくの間は2車線の道路でしたが、途中から1車線となりました。そこからが大変で、渋滞のため、少しずつしか車が動かなくなりました。強制自動車教習第6課、「1車線での長時間渋滞教習」が始まりました。CDの音楽を何回繰り返して聞いたことでしょうか。 渋滞は阿蘇山の近くに来ても続いており、私の疲労もかなりたまってきました。 そうしていると、阿蘇山ロープウェーのりば(阿蘇山西駅)が見えてきました。一応、車で火口付近まで行くことはできるのですが、渋滞が延々と続いているのが見えているため、ここで車を諦め、ロープウェイで火口付近まで行きました。 疲れているにもかかわらず、なぜか心躍る気持ちでロープウェイに乗りました。つくづく思いました、やはり公共交通機関の方が良いと。 ロープウェイに乗り、4、5分で火口西駅に到着します。駅を降りると、警告表示があり、パトライトの色を見ると、なんと黄色!赤の一歩手前でした。特に喘息持ちでもないので、注意して火口に近づくことにしました。 火口に近づくと、ここはマジノ線か?と思わせるトーチカに似た避難壕がたくさん設置されていました。噴火の際、避難壕に逃げ、降ってくる噴石等をそこで避けるようです。背景には噴煙が上がっています。少し緊張してきました。 いよいよ火口付近に来ました。植物は一切生えておらず、辺りは卵の腐ったような臭いがほのかに感じられ、噴煙も絶えませんでした。切り立った断崖の下には、青緑の水をたたえた火口付近のカルデラ湖も見えています。 火口付近にはわずかな時間だけ滞在し、いよいよ阿蘇山を下山することにしました。駐車スペースがあったので、杵島岳を撮影しました。 ここはどこかは忘れましたが、背景に写る外輪山が印象的だったのを覚えています。外輪山を見たとき、阿蘇カルデラの大きさを強く感じました。 では、次の目標地点、長崎市まで向かいます。ここから4時間弱かかります。 断章その2に続きます。
2009.09.12

睡眠を十分にとることができ、翌日は爽快な気持ちで迎えることができました。車はしばらく立体駐車場に預けたままとし、しばらく通町筋付近と熊本城付近を彷徨くことにしました。 まずは通町筋で今回の目的でもある熊本市電新形超低床車0800形を撮影しました。その姿は富山ライトレールのポートラム、万葉線のアイトラムにそっくりです。 通町筋にいるので、定番の写真を撮影し、いよいよ写真の背景にある熊本城に向かいます。今回は天守閣と、最近復元された本丸御殿へと向かいます。 坂を上り、熊本城の天守閣にやってきました。熊本城の天守閣は写真左の大天守と右の小天守があり、時間の都合もあり、大天守に登り、熊本市中心部を眺めることにします。 天守閣は多くの展示物があり、それらを見た後、大天守の最上階にたどり着き、熊本市内を一望しました。上の写真は通町筋を大天守より撮影したものです。 大天守の次は復元された本丸御殿に向かいました。 さすがに復元されたばかりとあり、全体がきれいでした。特に本丸御殿最深部にある「昭君之間」はさすがに藩主との会見場だけあり、非常に煌びやかでした。ちなみに昭君とは中国・前漢元帝の時代に現在のモンゴル地方にいた匈奴の単于に嫁いだ王昭君のことであり、王昭君が向かっている方向にはモンゴル風の衣装をまとった人物が描かれています。 熊本城見学も終わり、再び車に乗り、「Tramway Killer号」の第2のターゲット、熊本市電の全併用軌道並走を始めました。やはり、市内中心部は道路は広いものの車の往来は多く、路線バスもたくさん走っているため、鹿児島の天文館通同様、通町筋も走りにくいです。 今回は時々、道を間違え、時間がかかったものの、並走の目的を無事果たし、いよいよ阿蘇山に向け、車を転進させました。しかし、右隣に路面電車がいるのは怖いですね。 本章その4に続きます。 (注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.09.09

鹿児島市中心部を後にし、九州自動車道に沿って熊本へ向かいました。途中の桜島SAでは既に5時近くになっており、強制自動車教習第4課、「夜の高速道路教習」が決定的になりました。 鹿児島と熊本の距離は意外とあり、結構な時間がかかりました。しかも、高速道路はトンネルが多く、しかもかなりカーブが多いため、運転がしにくいものとなっています。それにもめげず、とにかく熊本を目指していたのですが、遂に八代付近で日没となり、「夜の高速道路教習」が始まりました。 慣れない夜の高速道路運転だったため、益城熊本空港ICの手前、緑川PAでしばしの休憩をとることにしました。しかし、益城熊本空港ICに降りた後に第5課「都市内複数車線夜間走行教習with熊本市電」が待っていました。熊本市内は車が多く走っている上に、なんとなく車線の幅が狭く感じ、しかも途中から熊本市電が並走するようになり、これにはさすがに参りました。最後に熊本市の繁華街である銀座通りを通り、立体駐車場に車を駐車させ、ようやく1日が終わりました。ホテルに入ると速攻で眠りにつきました。 しかし、まだまだ強制自動車教習は続きます。 本章その3に続きます。
2009.09.09

桜島フェリーに乗り込むことができ、桜島を後にします。フェリー上で少し休憩することにしました。桜島上空もようやく晴れ始め、御岳が見ることができるようになりました。 次の写真は22年前の1987年(昭和62年)3月の高校の修学旅行時の桜島の写真です。桜島はあまり変化していないように見えます。 桜島フェリーも鹿児島港に到着し、再び車に乗ることになりました。いよいよ「Tramway Killer号」の最初のターゲット、鹿児島市電の全併用軌道並走を始めました。そして、強制(?)自動車教習第3課「併用軌道走行教習」が始まりました。 鹿児島駅前よりスタートし、高見馬場、鹿児島中央駅前、郡元、涙橋と進むことにしました。基本的に軌道敷のすぐ左側の車線を走っていましたが、そのとき感じたことは路面電車がとにかく威圧感があることです。歩行者や乗客として路面電車を見たときはそう感じませんでした。おそらく、それは車を運転しているとき、目線が低くなっているからかもしれません。 特に、上の写真のように、天文館通付近で左の大型路線バス、右の路面電車に挟まれているときは生きた心地がしませんでした。 その後も鹿児島市電の併用軌道部分の隣を順調に並走しました。車もたくさん走っていましたが、幸いなことに前日の大阪市内走行の免疫があったため、ある程度は落ち着いて運転することができました。 しかし、郡元電停交差点で右折するときに、軌道敷に入らないように慎重に待機していると、鹿児島駅前行きと谷山行きの電車が目の前ですれ違ったため、さすがに緊張しました。 無事に鹿児島市電の全併用軌道走行は完了し、市役所前より城山に向かいました。鹿児島市には何度か来ていますが、城山に行くのは今回が初めてです。上の写真はその城山の展望スペースから桜島と手前の鹿児島市街を撮影したものです。 自分で選んだこととはいえ、この鹿児島市中心部では併用軌道のある道路走行教習となりました。城山でしばらく休憩した後、次の熊本市へ九州自動車道で向かいました。しかし、私の強制自動車教習はまだまだ続きます。 断章その1に続きます。(注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.09.08

ようやく、長い船旅も終え、九州に上陸しました。早速、カーナビで桜島にある「さくらじま白浜温泉センター」を目的地とし、案内させました。私の予想とは異なり、どうやら鹿屋経由の国道220号線のルートではないようです。カーナビは県道513号線を勧めてきます。 よせばいいのに、私は今回もカーナビに従って桜島を目指すことにしました。 道を進んでいくとみるみるうちに、人家が少なくなり、明らかに山の方に進んでいます。どうやら、このカーナビ、8/12の第1課「大都市中心部走行教習」の次に、第2課「山道走行教習」を私にさせたいようです。 くねくね曲がった細い山道を登っていき、風力発電塔がいくつもある場所にやってきました。まだまだ、鹿児島湾までたどり着けません。 さらにヘアピンカーブをいくつも曲がり、ただでさえ細い道が工事中で余計に細くなっている道を通り過ぎた後、ようやく鹿児島湾と桜島が見えてきました。 鹿児島湾海岸沿いの国道220号線を南西方向に進み、いよいよ桜島に入ります。桜島の北側を進み。途中、大正時代の噴火で埋没した黒神埋没鳥居の脇を通過し、さくらじま白浜温泉センターに到着しました。 ここでは函館の谷地頭温泉同様、銭湯並みの価格で温泉に入ることができるのが良いです。 折角、桜島に来たので、桜島の4合目にある湯之平展望所に向かいました。桜島の南岳を見るつもりでしたが、あいにくの曇り空ではっきりとは見えませんでした。 湯之平展望所から今度は桜島の南側へ進み、大正時代の大噴火により、溶岩に飲み込まれた烏島埋没跡に向かいました。上の写真のとおり、ごつごつとした岩が辺り一面にあり、いかに大正時代の大噴火が凄まじいものかがうかがい知れます。 その烏島埋没跡の展望台から溶岩道路をみると、ごつごつした溶岩とそこから生えている植物により、日本ではない南国風の特殊な風景となっています。ちなみに、遠くには対岸の鹿児島市中心部が見えています。 ついに、鹿児島市中心部に向かう桜島フェリーの乗り場付近まで来ることができました。この桜島フェリーは鹿児島市船舶部が運営しており、24時間営業です。 桜島フェリーに乗り込み、いよいよ鹿児島市中心部に入ります。 本章その2に続きます。
2009.09.06

「いよいよ選挙です。」でも述べたとおり、兵庫県西脇市に転居した私が、諸般の都合で、注目の選挙区である堺市堺区で総選挙の投票をすることとなりました。 福島の病院通院、堺のどりあん邸でのPC-9801時代のファイルサルベージ、難波での中学時代からの友人のO田氏との飲み会及びカラオケ、難波でのカプセルホテル宿泊を経て、再び堺へ選挙するために向かいました。 投票のため、久しぶりに少林寺小学校へやってきました。前回はちなみに大阪府知事選挙でした。(「大阪府知事選挙に行ってきました。」参照)今回も朝一番に行こうと思いましたが、前夜のカラオケ2時間が効き、それはできませんでした。 少林寺小学校の校門を見ると、テレビ局(8ch)記者と思しき2人が立っており、出口調査をしていたようです。 無事に投票を終え、その後、堺駅でUZRさんと合流し、南海電車の撮影に出かけ、黒門市場で昼食をともにしました。その後、阪急梅田駅から西脇への帰途につきました。 無事に帰宅し、テレビで選挙速報を見てびっくり!民主党がすごい勢いで議席を獲得している様子が放送されていました。実際に自民・公明連立政権から民主党系の(おそらく)連立政権への政権交代を目の当たりにし、1票の重みを今回の総選挙ほど感じたことはありませんでした。さて、これからどう変わるのでしょうか。
2009.09.01

さて、今年のお盆休みも旅に出ることにしました。今回はこの私が自動車を手に入れた後のお盆休みと言うことで、自動車で九州縦断を行うことにしました。 今回の旅の目的は主に2つです。一つ目は桜島、阿蘇山という火山を巡り、撮影すること。二つ目は鹿児島、熊本及び長崎の路面電車の併用軌道を走行し、車窓ビデオで撮影することです。どちらも「Tramway Killer号」あっての旅となります。 さて、ルートとしては、次の通りとなります。 自宅(兵庫県西脇市) ↓ 堺事業所(大阪府堺市) ↓ 大阪南港(大阪府大阪市) ↓ サンフラワー・1泊 志布志港(鹿児島県志布志市) ↓ 桜島(鹿児島県鹿児島市) ↓ 桜島フェリー 鹿児島市内(鹿児島県鹿児島市) ↓ 熊本市内(熊本県熊本市)・1泊 ↓ 阿蘇山(熊本県阿蘇市) ↓ 長崎市内(長崎県長崎市)・1泊 ↓ 関門橋(福岡県北九州市・山口県下関市) ↓ 広島市内(広島県広島市)・1泊 ↓ 自宅(兵庫県西脇市) まずは、自宅から堺の事業所へ向かい、必要な仕事をすることにしました。順調に中国自動車道から阪神高速道路に入り、環状線までやってきました。前回、堺の事業所に行ったときは堺線を利用したのですが、カーナビは前回同様、湾岸線経路を勧めてきました。今回はカーナビに従おうという気になり、中央大通りの高架ジャンクションで右折しようと思ったところ、誤って本町出口に出てしまいました。 「安土町、ほんまに本町や……。orz。」 思わず溜息が出てしまいました。大阪市内の走行は避けようとしていたのに、よりにもよって本町!!大阪市内のど真ん中に入ってしまいました。まだ業務を行っていた会社もある8/12、しかも昼過ぎだったので、人や車が多いこと多いこと。強制自動車教習第1課「大都市中心部走行教習」が始まりました。 「と、とりあえず、御堂筋に出て国道26号線で行こう。」 多少、気を取り直して堺に向かいましたが、その後も渋滞に巻き込まれるなどして、ようやく堺の事業所に着いた頃には精神的に疲れていました。どうやら、我が愛車のカーナビはこの旅であたかもあらゆるケースの運転を経験させようとしているかのようでした。 堺の事業所での仕事を終え、大阪南港・かもめ埠頭に向かいました。 かもめ埠頭にはさんふらわあ・さつま号が待っていました。カーフェリーを自動車で乗るのは初めてなので、どうするのだろうと思っていると、所定の駐車場所(写真下部の車が止まっている場所)に導かれ、駐車させられました。そこで、自動車を降り、フェリーターミナルで車検証や乗船名簿を提出し、乗船の手続きを行いました。手続き後、再び自動車に戻り、乗船するのを待ちました。 乗船はフェリーの4階部分から入り、3階、4階、5階と振り分けられます。私は3階へと案内され、そこで駐車しました。降車後、荷物を持ち、6階の客室へと向かいました。 実はこのさんふらわあは初めてではなく、3回目の乗船となります。1、2回目は1987年(昭和62年)の初春で、高校の修学旅行の往復に乗りました。実に22年ぶりとなります。 22年前にはなかったWTCを見ながら、大阪を離れていきます。 折角なので、船内のレストランでバイキングを食べることにしました。その後は船内の風呂に入り、翌日以降のことを考え、さっさと寝ることにしました。 前日、早く就寝したため、夜明け前に目覚めました。船は太平洋上にあり、大きな波で船は結構揺れており、甲板の外に出ると、強風が吹いていました。その中、太平洋上から登る日の出をじっくりと甲板から眺めました。いつ見ても、船から見る朝日は良いものです。周りを見ても陸地は一向に見えず、絶海を行く旅路です。 時間が経過し、朝食を再びレストランで食べることにしました。今回はデザートにストロベリーのフルーチェがあったので、少し多めに食べておきました。 いよいよ、九州が近づき、都井岬が見えてきました。船旅も終盤になります。 都井岬を過ぎると、志布志湾に入るため、波は穏やかになりました。そうしているうちに、志布志港に船が入りました。いよいよ、九州上陸となります。このときはその後の旅が予想以上に過酷なものになることを想像できませんでした。 本章その1に続きます。
2009.08.25

いよいよ、後編です。ちなみに前回までの記事は下記の通りです。「旧鍛冶屋線跡を辿る」「続・旧鍛冶屋線跡を辿る・前編」 グリーンプラザのある曽我井駅跡から先は西方向から次第に北方向に鍛冶屋線跡は向かいます。 車道に沿って進み、多可町の中心部に入ってくると、あかね坂公園が見えてきます。そこが中村駅跡となります。ちなみに、ここの駅名票はイミテーションです。 やはり、この中村駅跡のあかね坂公園にも元鉄道駅跡であることを示すデザインのタイルがありました。 ベルディーホールの横を通り過ぎ、中町中学校までたどり着くと、車道は丁字路になっており、鍛冶屋線跡である直進方向には遊歩道が設置されています。その入口にあるモニュメントとして、山田錦つまり米粒を模したものがありました。 遊歩道をしばらく歩くと、橋があります。この橋をよく見ると、鉄橋を改装したものであることがわかります。 橋を渡り、鍛冶屋駅跡に近づくと、信号機用のリレーボックスが遊歩道脇に残されています。なお、リレーボックスは2つ設置されています。 遊歩道を抜けると、鍛冶屋駅跡に到着します。鍛冶屋駅跡には改装した駅舎が残されており、鍛冶屋線の資料館となっています。 中にはいると、資料室がありますが、鍵がかけられているため、中にはいることはできません。 また、駅舎横にはキハ30系気動車が静態保存されています。 これで鍛冶屋線跡を西脇市駅から鍛冶屋駅まで辿りましたが、総じて言えることは鍛冶屋線の各駅跡にはきちんと鍛冶屋線があったことを示すものが残されており(特に市原駅跡、鍛冶屋駅跡には資料館があり)、また、廃線跡は遊歩道もしくは車道として整備され、現在もしっかり利用できるようになっている点が好感をもてます。おそらく、利用客がそれなりにおり(特に西脇~野村駅(現西脇市駅)は乗客がたくさんあったようです。)、鍛冶屋線は惜しまれつつ廃線になったことが要因かもしれません。
2009.08.24

前回の「旧鍛冶屋線跡を辿る」では市原駅跡から南下し、加古川線との合流駅である現在の西脇市駅(旧野村駅)まで向かいましたが、今回は逆に鍛冶屋方面に向かうことにしました。 まず、市原東交差点から北へ向かう遊歩道です。ここから鍛冶屋へ向かいます。 遊歩道を北上して、しばらくすると、羽安駅跡が見えてきます。 遊歩道は県道296号線と交差するところで終わり、鍛冶屋線跡は車道に変わり、北から西へと向かう方角を変えます。 ちなみに、この鍛冶屋線跡を利用した車道の家々をよく見ると、道路側に玄関のない家をたくさん見ます。これは廃線跡を利用した道路に面する家によく見られるものです。(つまり、通常、線路側には玄関は設けないので、鉄道から転換した道路に面する側には玄関がないことが多いわけです。) 上記の車道にはこのような電車(鍛冶屋線は非電化路線でしたが、)の絵が描かれており、鉄道があったことを示しています。この絵が出てくると、まもなく曽我井駅跡になります。 車道の右側にグリーンプラザが見えてくると、その手前が曽我井駅跡です。その場所には曽我井駅の駅名票があります。なお、上記写真と下の2枚の写真は8月23日に撮影したものです。 思い出の曽我井駅という内容の説明が駅名票の近くにあります。 国鉄時代の鍛冶屋線乗車キャンペーンのものが曽我井駅跡には残っていました。これはもう20年以上前のものなので、かなり色あせています。 この曽我井駅跡の近くには贈答品には喜ばれるクワムラ食品株式会社があります。 では、自転車に乗り、鍛冶屋線跡をさらに辿っていきます。後編に続く!!
2009.08.23
衆議院が解散され、ようやく総選挙の公示を迎えました。公示日に一日前に堺市から選挙の案内がきました。まだ、転居して3ヶ月以内のため、私は堺市堺区の選挙区の投票をすることになりました。たまたま、8/29に福島の病院に通院するので、8/30に堺で投票します!!!
2009.08.20

西脇市大木町には天目一箇神(あめのまひとつのかみ)を祭った天目一神社(あめのまひとつじんじゃ)があります。この天目一箇神は鍛冶の神として知られ、奈良時代に編纂された「播磨国風土記」の託賀郡(多可郡)の条に天目一命(あめのまひとつのみこと)として登場します。このため、播磨国多可郡(現在の西脇市、多可町及び神河町の一部)の地が古代から鍛冶に関する高度な技術を持っていた可能性もあるとのことです。そういえば、西脇市と多可町を通っていたJRの廃線の名称も鍛冶屋線といいますね。(ちなみに、この天目一神社はJR鍛冶屋線廃線跡のすぐ近くです。)平安時代に編纂された「延喜式」には多可六座の一つにこの天目一神社が含まれており、全国でも重要な神社の一つだったようです。現在の天目一神社は大正時代に再興されたものです。 立派な鳥居をくぐり、しばらく歩いていくと、狛犬と拝殿が見えてきます。周囲は田園風景ですが、神社内は高い木々が植えられており、神社としての雰囲気を感じます。 拝殿の奥には本殿があり、これも神社らしい立派な建物があります。 普段は人がいませんが、毎年12月の第一日曜日には「ふいご祭り」が行われ、播磨地区ばかりでなく、丹波、但馬、美作及び和泉からも参詣者があったそうで、現在は参詣者は少なくなったそうですが、「ふいご祭り」は盛大に行っているそうです。 和泉から参詣者というのはもしかすると堺からかもしれません。堺は包丁の町ですから。美作国は岡山県北部ですが、この岡山県津山市にも中山神社というのがあり、金山彦命(=天目一箇神)が祭られているので、この関係でここまで参詣していたのかもしれません。(ちなみに、天目一箇神を知ったのは灼眼のシャナの「天目一個」をググり、中山神社にヒットしたときです。) ふいご祭りは一度見たいと思います。
2009.08.19

正確には西脇市ではなく、南隣の加東市の話題です。丹波市から播磨灘に流れる兵庫県最大である加古川には闘竜灘という名勝があります。この闘竜灘は幕末の詩人梁川星巖の七言絶句によりその激しい水の流れが巨龍の躍動に似ていることから、名付けられました。 上流である西脇市で加古川、杉原川及び野間川が合流し、川幅が最大で約100mまで広がった後に、闘竜灘で突如現れる巨大な岩場により、川幅が一気に約15mまで狭まるため、激しい水の流れになります。 また、日本一早い鮎漁解禁がされる場所でもあり、飛び鮎の名所としても知られています。 闘竜灘上流にある橋からの写真です。右が闘竜灘、左が1872年(明治5年)に開削された堀割水路です。江戸時代までは上流で伐採された松、杉及び檜を筏で下流へと運んでいたものをこの闘竜灘上流側で解体し、1本ずつ滝落としにかけ、下流側で再び筏として組み直していました。その手間を省くため、造られたのが堀割水路であり、これにより組み直すことがなくなり、堀割水路を通り、下流へ直通することができました。 闘竜灘のすぐ横にある滝寺荘では鮎づくしの定食があります。内容はご飯、味噌汁、漬け物に加え、鮎の塩焼き、フライ、甘露煮及び南蛮漬けとなっており、最後にリンゴのシャーベットが出てきます。非常に美味しかったです。
2009.08.18
お盆休み(8/12~16)は九州に行ってきました。大阪南港から自動車とともにフェリーに乗り、鹿児島県・志布志港より桜島、鹿児島市、熊本市、阿蘇山、長崎市、広島市を経由し、自宅まで自動車で帰ってきました。今回は九州の2つの火山と九州の路面電車の併用軌道を走行するのが目的でした。これらについては、後日アップします。しかし、自動車の運転がメインになってしまったような気がします。走行距離は約1500km、直線距離にすると、西脇から中国・洛陽までの距離となります。しかも、人ばかり歩いている大都市中心部の道路、山間の細い道路でのヘアピンカーブ、大型路線バスと路面電車による挟撃、夜の市街地や高速道路、渋滞の一般道・高速道路等、いろんなシチュエーションでの走行を余儀なくされました。おかげで西脇だけ走っていては得られない経験をしました。まさに今回の旅はドライビング訓練でした。とにかく、しんどかったです。
2009.08.17

大阪-西脇紀行(第3回)の後編です。 暑い中、三宮センター街を抜け、元町商店街の脇を通り、神戸南京町に到着しました。 「羊肉?个(yang・rou・liang・ge);羊肉両個」と発注したりと、暑い中、熱くてしかも辛いものを食べていたので、雪花冰(xue・hua・bing);雪花氷が欲しかったのですが、なかったので、冷たくて甘いマンゴーのかき氷を南京東路・長安門そばのRed☆Star(1F)で食べました。氷に練乳とマンゴーの果肉及びソースがかかっており、甘くて、しかもマンゴーの酸味が絶妙に効いており、これは推奨品です。ここの濃厚な杏仁豆腐も美味しいので、ぜひご賞味ください。ちなみに、2Fはチャイナドレスの店、紅星(こうせい)です。 暑い中、JR三ノ宮駅高架下に来ました。ポートライナーが急カーブをする場所のすぐそばに神姫バスが発着するバスターミナルがあります。 乗車時間が来たので、バスに乗り込むことにします。この行き先案内板の急行が気になります。 神姫バスは東に向かい、反対車線の三宮に向かう阪神バスを横目で見ながら、左折し、新神戸駅を上に見、新神戸トンネルで北上します。このトンネルがとにかく長く(7.9km)、15分くらいトンネルの中を走っていました。 その後、くねくねと曲がる道を進み、ダム湖であるつくはら湖まで来ました。見上げると、明石海峡大橋に向かう山陽自動車道があり、短い期間にこのつくはら湖の上と下の道路を通ることになるとは思いませんでした。なお、40分近く道路を走っていますが、まだ一度もバス停に止まっていません。 バスに乗車してから40分以上経過して、三木市に入り、ようやくバス停に止まり始めましたが、やはり急行という名は伊達ではなく、いくつかのバス停ははじめから通過していました。 その後、小野市、加東市を通り、中国自動車道・滝野社インターチェンジまで戻ってきました。西脇まであともう少しです。 急行バスもさすがに西脇営業所管轄内に入ると、全バス停に停車するようになるようですが、大半の乗客は小野市を過ぎた段階で降りており、わずかな乗客だけが西脇に向かっているようです。 ようやく、旅の終点であるアピカ西脇に戻ってきました。(往路はここから高速バスで大阪へ向かっています。)南京町滞在時間を除いたバス乗車時間は約4時間となり、すっかり疲れてしまいました。バスは西脇市の中心街を通り、カナート西脇傍の西脇営業所へ向かいました。 次回は疲れを癒すため、天然温泉でも浸かって、西脇に帰りたいと考えています。
2009.08.08

「大阪-西脇紀行」の第3回目です。おや、今回も阪神電鉄で帰ると思ったあなた、甘いです。よく見てください、普通車のジェットカーです。特急・急行ではありません。 今回は、旧阪神国道線の跡を巡り、神戸の南京町で中華料理が食べたかったのと神戸・三宮-西脇を結ぶ路線バスに乗りたかったため、思い切って野田阪神前から西脇まで路線バスで帰ることにしました。利用する交通機関は次の通りです。 梅田 ↓ 阪神電鉄・阪神本線 野田(野田阪神前) ↓ 阪神バス(野田阪神前~尼崎・浜田車庫前) 浜田車庫前 ↓ 阪神バス(阪神尼崎~阪神芦屋) 夙川 ↓ 阪神バス(阪神西宮~神戸税関前) 三宮駅前 ↓ 徒歩 三ノ宮駅(JR高架下) ↓ 神姫バス(三ノ宮駅~西脇営業所) アピカ西脇(旧鍛冶屋線西脇駅跡) では、阪神野田駅・北側からバスに乗ることにしたのですが、このバス、休日は1日7本、2時間に1本しか走っておりません。また、ここから中津・天神橋筋六丁目方面にもバスがあるのですが、休日はほぼ40分に1本で、しかも昼間は中津で折り返しとなっています。 実は、この阪神バスが止まっている場所は1975年(昭和50年)まで路面電車である阪神国道線と北大阪線のターミナル電停があった場所です。私が乗ろうとしているバスが国道線の代替、天神橋筋六丁目方面のバスが北大阪線の代替路線です。ちなみに、阪神野田駅・南側には大阪市電のターミナル電停がありました。この電停名が野田阪神電車前であり、この名称が省略され、地下鉄千日前線の駅名にもなっている「野田阪神」がこのあたりの通名になっています。 阪神バスは国道2号線いわゆる阪神国道をひたすらに神戸方面に向かい、進んでいきます。淀川を渡る前に明らかに電柱とは異なる架線柱が2本あります(上記写真では道路右側の2本の柱)。これが阪神国道線の架線柱です。 なお、車内から撮影した写真はぶれまくっていたので、1年半前の2008年1月6日に撮影した写真を使用しました。(故に、柱の影が長くなっています。) なんやかんやで、春先にしょっちゅう来ていた阪神尼崎駅を横目で見ながら、浜田車庫前に到着しました。 この浜田車庫に隣接する阪神タイガース・浜田球場はかつての国道線の車庫跡となります。 先ほどのバスを降り、しばらくすると阪神芦屋行きのバスが来ました。このあたりではバスが頻繁に来るので、便利です。 武庫川を渡り、西宮市に入りました。甲子園付近を過ぎ、しばらくすると阪急今津(南)線の阪神国道駅が現れます。ふと気づいたのですが、バス停名がいつの間にか阪神国道駅前になっていました。かつては違う名前だったと思いますが、これも阪急阪神経営統合の影響でしょうか? これまた、阪急甲陽線訪問の行き帰りでしょっちゅう見ていた阪神西宮駅を横目で見ながら、夙川バス停で降車しました。 しばらくすると、3台目の阪神バスである神戸税関前行きバスが来ました。このあたりもバスが頻繁にやってきます。 桜の季節にはよく訪れていた夙川公園です。ここを通過し、ひたすら神戸方面にバスは向かいます。 芦屋市を過ぎ、いよいよ神戸市に入りました。東灘区の区役所前では六甲ライナーと立体交差しています。 灘区に入り、国道2号線は南に曲がり、阪神本線と立体交差します。その西灘駅を過ぎると、国道43号線と合流し、再び西に向かいます。 阪神国道線の終点があった脇浜、かつて日本一狭いホームがあった春日野道駅の上を通過し、梅田から約2時間かけ、神戸三宮に到着しました。電車なら30分足らずで到着していたでしょう。 では、次の目的である元町の中華街まで徒歩で行くことにします。後編に続きます。
2009.08.08

8/1は毎度お馴染みの大阪市・福島への通院です。朝から雨は降っていましたが、豪雨ではありませんでした。高速バスに乗るため、アピカ西脇に向かう途中、杉原川が尋常ではない水量で流れているのに気づきました。川の水は茶色であり、木くず、草やゴミが勢いよく流されており、どうやら上流では豪雨が降っているようです。(このときの北播地方は大雨洪水警報か注意報が出されていたようです。) 少し心配しながら、中国ハイウエイバスに乗り込み、大阪へ向かいました。 通院も終わり、残りの時間は久しぶりに私鉄電車に乗ることにしました。今回は行く機会がなかった京阪交野線です。私の盲腸線の定義に合致しなかったので、盲腸線の旅では紹介することがなかったのですが、一応全駅の撮影を行いました。 そうしているうちにとっぷりと日が暮れ、8/1は難波のカプセルホテルでゆっくりと宿泊しました。やはり、湯船が広いのはいいですね。サウナも気持ちよかったです。 さて、翌日は久しぶりに阪神なんば線に乗車しました。一度撮影したかった伝法駅と福駅の間にある淀川に架かる橋梁を中心に撮影を行いました。 やはり、鉄道はいいですね。(西脇では使う機会がほとんどないので、思いっきりPiTaPaを使用してしまいました。)
2009.08.06
涼宮ハルヒの憂鬱のエンドレスエイトがまだ終わっていません。感想等はエンドレスエイトが終わってから述べたいと思いますが、早くエンドレスなループから脱出して、話の結末を迎えてほしいと願っている今日この頃です。 ちなみに、100件目の記事は「『涼宮ハルヒの憂鬱』の第2期っていつやるんだろ?」でした。第2期(相当)はやってるんだけどね~。早くエンドレスエイト終わってほしいな~~。 200件目の記事は「レイヤーさんに話しかけられた。」でした。灼眼のシャナのOVAが出るみたいですね~~。 100件の記事を書くのに、今回は1年強かかりました。ただ……、これらのネタ(100件目、200件目、300件目)をやってるから、どりあんに「いとうのいぢ」好きと思われるんやろなあ~~~。
2009.08.06

前回の記事である「どろ焼」を食べた後、近くの日本へそ公園に行くことにしました。公園内にはにしわき経緯度地球館テラ・ドームがあります。 それにしても、ユニークな建物です。 先ほどから日本へそ公園、にしわき経緯度地球館と述べているように、西脇市には日本の中心経緯線である北緯35度、東経135度が交差しており、上の写真の場所がちょうどその場所に当たります。 テラ・ドームの中には理科の科目の中では地学に関することが主に展示されており、日本で15、6番目に大きい(らしい)反射望遠鏡もあります。実際に反射望遠鏡を見たのは初めてで、雲がなければ昼間でも恒星の観測ができるとのことでした。 テラ・ドームでは貸切状態でプラネタリウムをほぼ30年ぶりに見たりと久々に宇宙のことに思いをはせた1日でした。
2009.08.04

正確には西脇でなく、姫路の食べ物の話題です。先週の土曜日、学振型摩擦堅牢度試験機(仕事に用いる機械)の引きねじを探すため、ホームセンターへ来たついでに昼食を食べることにしました。お好み焼きを食べるため、喃風(なんぷう)という店に入り、メニューを見ると、どろ焼という見慣れないものがそのトップにあったので、ついつい注文することにしました。メニュー曰く、お好み焼きでもなく、もんじゃ焼きでもない、とのこと。 広島(広島風お好み焼き)、大阪(関西風お好み焼き)、東京(もんじゃ焼き)とお好み焼き三大聖地に居住したものとしてはどんなものがでるか、わくわくしながら待っていました。どうやらもんじゃ焼きほどではないが、柔らかいものが出てくるみたいですが。 しばらくすると、いかにも柔らかそうなどろ焼、出汁、ネギ、出汁ソース、器とスプーン、そしてこてと皿が出てきました。 どろ焼はこてで切り、出汁(好みで出汁ソースとねぎを加える。)の入った器に小さく切ったどろ焼を入れ、スプーンで食べます。つまり、大阪のたこ焼きのようにソースで食べるのではなく、明石焼きのように出汁につけて食べるわけですね。 実際に外側はぱりっとしているのですが、中身はどろっと柔らかくなっています。このどろ焼にも味は付いているのですが、出汁につけて食べることにより、味はしっかりあるものの、上品な味付けとなり、三大お好み焼きとはまた違った、美味しい食べ物です。また、このどろっとした感じがふわふわの明石焼きのようで、このどろ焼のアイデンティティを感じ、確かにお好み焼きでももんじゃ焼きでもありません。 この喃風は姫路を中心とした兵庫県に主にありますが、他の関西地区ばかりでなく、関東、東海地区にもあります。折角ですので、喃風のホームページアドレスも掲載します。http://www.nanpuu.co.jp/index.php また、永谷園からどろ焼の素も販売されており、家庭でどろ焼が造ることができるようです。下記にそのホームページアドレスを記載します。http://www.nagatanien.co.jp/topics/doroyaki/index.html 私(わたし)的には新たに駅そば、生姜醤油をつける姫路おでんにどろ焼が姫路名物に加わりました。 また、食べに行こうっと。
2009.07.28

7月18日~20日は海の日の絡んだ三連休です。7月18日にOさんの写真展を見た後、7月19日にETC(カードと機械の両方)が設置され、いよいよ私の先代のメインPCのメンテナンスと両親へのレクチャーを兼ね、西脇から徳島へ行くことになりました。 荷物もたくさんあるため、小野から山陽自動車道、神戸淡路鳴門自動車道を通り、徳島まで行くことにしました。 というわけで、明石海峡大橋を渡り、淡路SAで一休みです。 明石海峡大橋は様々な角度(舞子側、橋の下の海、橋上空、神戸空港等)から撮影しましたが、今回の場所は自動車があって初めて撮影できた場所です。 同じく、淡路SAより須磨の山と神戸市街です。神戸市街が霞んでいます。 淡路SAを後にし、大鳴門橋を越え、鳴門、徳島へと向かいました。徳島の道を改めてみると、道幅が広く、車線が多いことに改めて気づき、やはり県庁所在地は違うなと感じました。(今までは大阪や堺が比較対象だったから、あまりかんじなかったのかもしれません。) 家に到着すると、親父が早速、「おおっ!電気屋行って、プリンターと掃除機を買うから、(車に)乗せてくれ。」 「もしかして、はじめから私の車待ちだったのか?」と思いつつ、近くの電気屋に向かい、プリンターと掃除機の購入を手伝いました。 自動車を親戚の駐車場に泊め、早速パソコンとプリンターのセットアップを行い、無事に5月以来の仕事を終え、両親宅もインターネット環境が整いました。 翌日、再び自動車に乗り、西脇へと帰りました。 ただ、まっすぐに帰るのでは面白くなかったので、淡路島南PAで大鳴門橋を撮影しました。 ちなみに、明石海峡大橋及び大鳴門橋の車載動画も撮影したのですが、現在編集作業中です。 次は広島かな?
2009.07.22
以前から誘っていただいていた「こみせん比也野」でのOさんの写真展にK本さんと行ってきました。 こみせん比也野の一部屋を使い、7月の常設展として開かれていました。いくつか写真があったのですが、その中で、夕日をバックにした明石海峡大橋、兵庫県の日本海側での海岸(背景が崖、手前が波)、霧がかかった朝のゴルフ場の写真が私の良いと思った写真でした。 そうしているうちに、Aさんや大阪事業所のFさんも来て、いつの間にやら会社の人たちが集まってきました。いつかこういう写真展が開けたらいいなと思ったしゅらくでした。 写真展の記事なのに写真がないのはついついしゃべりすぎたため、写真を撮るのを忘れてしまったからです。申し訳ありません。 こみせん比也野の写真展については下記のアドレスへどうぞ。 http://www3.atword.jp/hiyanosato/2009/07/07/7%E6%9C%88%E5%B8%B8%E8%A8%AD%E5%B1%95/
2009.07.22

西脇に転勤したという事情もありますが、よもやこの私が自動車を買うことになろうとは3ヶ月前には想像もしませんでした。私はトヨタのVitzを購入してしまいました。納車は7/11でした。 元々自動車に全く興味がなかったので、自分の目的と無難な線で選んでしまいました。とは言え、ETCを付け、Bluetooth対応のカーナビを付け、ハンズフリーでの会話ができるようにしました。相変わらず情報系の機器には弱いことが判明したしゅらくでした。 いくら興味がなかったとはいえ、自分が選んで購入した愛車には違いありません。そこで、この愛車に名称をつけることにします。 その名は「Tramway Killer(路面電車殺し)」です。とりあえず、日本全国の全併用軌道を路面電車とともに併走できればと考えています。 で、愛車納車から2日目、仕事によるものとはいえ、9年ぶりに車の運転をした私が向かった先は、恐ろしいことに、 我が故郷、堺です。中国自動車道を走り、渋滞の阪神高速道路を抜け、堺市内に入り、堺駅前まで走りました。プラットプラットの駐車場に止めたりするなど、運転のリハビリをする間もなく、いろいろなことを経験しました。その後、ホームセンターに行くため、堺浜シーサイドステージに向かいました。とにかく、堺は暑いこと、暑いこと。明らかに西脇より暑いです。 折角、堺浜に行ったので、ちょっと高級な回転寿司を昼食として食べ、隣のゲームセンターに入り、クレーンゲームをしました。そうすると、500円で初音ミクのフィギュアをゲットしてしまいました。 その後、大和川を渡り、予定外だった大阪市内の運転もやってしまいました。歩行者、自転車、バイク等が非常に多く、神経がとても疲れてしまいました。再び、渋滞の阪神高速道路、中国自動車道を通り、仕事場へ行き、(西脇の事業所にとっての)新しいシステムの準備を行い、自宅に戻ったときには日が沈む直前でした。 というわけで、路面電車及び鉄道がメインとなっているこのブログにも「自動車の話題」のカテゴリーが加わってしまいました。おそらく、あらゆるところにドライブをすると思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
2009.07.15

「大阪-西脇紀行」の第2回目です。どうしても西脇→大阪については中国ハイウエイバスに乗車することが多いので、今回も含め、次回以降大阪→西脇の復路について様々な経路を試すこととします。 今回は、ちょっとこじゃれた甲陽園のツマガリの洋菓子を食べたかったのと金曜日に職場からK本さんと一緒に大阪に行ったため、自転車を職場においていったことから、甲陽園に立ち寄った後、職場の最寄り駅である比延駅で降りることにしました。 利用する交通機関は次の通りです。 梅田 ↓ 阪急電鉄・神戸本線 夙川 ↓ 阪急電鉄・甲陽線 甲陽園 ↓ 阪急電鉄・甲陽線 夙川 ↓ 阪急電鉄・神戸本線 三宮 ↓ 神戸高速鉄道・東西線 新開地 ↓ 神戸高速鉄道・南北線 湊川 ↓ 神戸電鉄・有馬線及び三田線 (神鉄)三田 ↓ 徒歩 (JR)三田 ↓ JR西日本・福知山線 谷川 ↓ JR西日本・加古川線 比延 まずは阪急梅田駅で特急・新開地行に乗車します。十三、西宮北口と順調に飛ばし、夙川で一旦降車します。 夙川駅の地下通路を通り、甲陽線に乗り換えます。乗車する電車は私のyoutubeのページでもお馴染みの6023-6557-6123編成です。 早朝、甲陽園に来たため、まだツマガリが開店していなかったので、水道路踏切で阪急甲陽線と阪神バスとのツーショット写真などを撮影しました。また、男三人組が阪急甲陽線が水道路踏切を通過するときの写真を撮影していました。どうやら、彼らは涼宮ハルヒの憂鬱の聖地巡礼の一団のようです。 そうして時間をつぶしているうちにツマガリが開店し、無事に甲陽の風プリンとケーキ(名前はツマガリ)を購入しました。 再び、甲陽園駅で甲陽線に乗り、夙川駅に向かいます。 夙川駅に戻り、再び神戸本線・特急新開地行に乗り換えます。サクサクっと岡本、三宮と進み、神戸高速鉄道に乗り入れ、地下へ入ります。 新開地駅で阪急特急を降車し、準急三田行きに乗り換えます。ここから、しばらくは山岳鉄道コースとなります。終点の三田まで乗り続けました。 三田駅で神戸電鉄からJRに乗り換え、223系の丹波路快速で篠山口駅まで乗車します。実は福知山線の今回乗車する区間は初めてなので、少し緊張しています。 丹波路快速から見る車窓は長閑な田園風景が広がっており、大阪から離れていることを実感できます。 丹波路快速の終点である篠山口駅では普通福知山行が待っており、急いで乗り換えますが、車内に入ってびっくり、なんとワンマンカーでした。谷川駅までは三駅で到着します。 谷川駅に到着しましたが、なんとも長閑な場所でした。福知山線ホームに隣接して加古川線のホームがありました。先ほどの普通福知山行は2両編成でしたが、加古川線は1両です。これもワンマンカーです。 加古川線電車である125系に乗ると、さすが新しい車両だけあって、とてもきれいで、快適な座席でした。前回利用した加古川駅~西脇市駅間よりも良いです。 のんびりと加古川をときどき眺めながら、ようやく目的地の比延駅に到着しました。ここより徒歩で職場に向かい、自転車で自宅へ戻りました。 今回は摂津から隣接する播磨へ向かうのにわざわざ丹波を経由するお馬鹿な経路で帰ってきたため、時間がかかりました。とにかく疲れました。次回は比較的まともな帰り方を選択します。
2009.07.14

前回(せっかくなので、阪急三複線をじっくり観察した。(6/6))はいまいちなものしか撮れなかったので、再び淀川の橋梁まで来ました。天気も良く、三脚まで用意し、完璧です。 さて、ビデオを三脚に設置し、三複線の特急及び急行電車が同時に淀川の橋梁を並んで走っている様子を再び撮ろうとすると、早速一発目から同時に並んで走っている様子が撮れました。なんと、ラッキーな日でしょう。 ちなみに、その動画のアドレスは下記の通りです。 http://www.youtube.com/watch?v=E7zzO8msd9o
2009.07.14

さて、 大阪市内にある病院に行くため、金曜日は堺市内で宿泊し、その翌日、西脇の嘱託の人たちに約束した浜寺創菓庵・美乃やのスィートポテトを購入するため、諏訪ノ森駅にやってきました。 と、かつて年季の入った駅前のジャスコが新しくなっていてびっくり。そういえば、しばらく諏訪ノ森にはきてなかったなあ~~。 スィートポテトを購入後、阪堺線の終点である浜寺駅前電停に向かい、恵美須町に行こうと考えていたら、到着したのは天王寺駅前行だったので、さらにびっくり。 「こ、これは夢じゃないよな。」駅構内にある説明を読んでみると、7月4日より阪堺電車のダイヤ改正が行われ、天王寺駅前~浜寺駅前の系統が復活することになり、恵美須町へは我孫子道で恵美須町~我孫子道の系統に乗り換えるとのこと。予定を変更し、天王寺駅前に向かうこととしました。 阪堺電車に乗り、堺市内を走行します。 住吉では、阪堺線から上町線に転線します。 上町線の車窓を見ながら、天王寺駅前電停に到着し、現実に天王寺駅前~浜寺駅前の系統が復活したことを確認しました。 (私は転居等でダイヤ改正のことは知らなかったので、)偶然といえ、絶妙なタイミングで来阪し、よく阪堺電車に乗ろうと思いついたなと私自身驚いています。 天王寺駅前周辺はというと、すっかり再開発工事のため、上町線の西側は更地になっていました。「アベノ橋魔法商店街」の舞台のモデルとなったグリルマルヨシも阿倍野の別の場所で営業しているようです。同作品中で触れられた再開発が現実に起きているのを目の当たりにした日でもあります。
2009.07.13

西脇市にはカナート西脇というイズミヤ系列の大型店舗があります。カナート西脇にはファーストフードの3店舗(マクドナルド、ケンタッキーフライドチキン、ミスタードーナッツ)が出店しており、共有のスペースであるフードコートで食事をする形態をとっています。 ということは、それぞれ3店舗のカウンターで発注し、それらを合わせて食事をすることも可能なわけです。上の写真はビックマックセット(ビックマック、マックフライポテト、ジュース)、フライドチキン2ピース、及びフレンチクルーラー他をセットにしたカナート西脇スペシャルです。とりあえず、今日(6/27)はこれを夕食とすることにします。 あっ、K谷さんに見つかってしまった。「こ、これはネ、ネタですからね。い、いつもこんな食事はしていませんよ。」 追伸、 堺駅のプラットプラット及び駅ビルには上記3店舗はありますが、それぞれ独立したスペースで店舗を展開しているので、こんなまねはできません。う~む、西脇恐るべし。
2009.07.13

翌日の日曜日、すっかり山代温泉で本物の温泉を満喫した後、予定通り白川郷を経由して帰ることになりました。やや曇り気味ですが、それでも良い天気なので、幸運でした。 白川郷へ行くために、白山連峰を抜けるスーパー林道を通ることになりました。料金所を通過すると、山間をくねくねと蛇行する道路が続き、よくもまあこんな道路を造ったのと感心しました。 標高が高くなると道路の片側が崖になっており、景色はよいのですが、少々怖い風景になっていきます。 結構な時間を使い、ようやく峠に着きました。峠にはお手洗いがあり、簡単な休憩がとれるようになっていました。ちなみに残雪がまだかなり残っていました。 上の写真のように峠からの景色を撮影する人が結構いました。 バスでまたしばらく乗り、山を下っていくと、白川郷に到着します。白川郷の合掌造りの集落が一望できる場所があり、上の写真はその場所から撮影しました。 さすがに世界遺産に登録されたこともあり、こんな山間部なのに、日本人ばかりでなく、欧米人もしばしば見ることができました。 上の写真は白川郷の合掌造りのうち、最大のものである岐阜県の重要文化財に指定されている明善寺庫裏です。ちょうど屋根を修理しているところでしたが、今回見学することにしました。 まずは高い階層部分から見学することにしましたが、様々な道具が展示されていましたが、今回は播州織物検査懇話会の旅行ですから、(綿とは関係ありませんが、)絹の原料である蚕の繭をアップしておきます。 色々と見学した後、最後に囲炉裏のある部屋を見ることになりました。合掌造りの家屋の囲炉裏には特徴があり、上写真の囲炉裏の上にあるチャコール色をした物体が必ずあるそうで、これは囲炉裏から発生する火の粉を屋根に移るのを防ぐものです。 白川郷の集落の見学も終え、バスに戻ろうとすると、加越能バスの文字が見え、びっくりしました。加越能バスは富山県・高岡市に本社があり、かつては高岡市の路面電車である万葉線を運営していた会社です。どうやら、高岡駅からはるばる路線バスが白川郷まで来ているみたいです。 白川郷を発つと、疲れのため岐阜県美濃市あたりから眠くなり始めました。そこから約3時間程度経過し、日が沈む直前にようやく中国自動車道・滝野社ICが近づきました。 それにしても、行く機会がないと思っていた白川郷へ行け、いつもとは違う旅だったので、有意義な旅行でした。
2009.07.13
ほとんど業務連絡なのですが、この「新・しゅらくの独り言」とは別ブログである「しゅらくの日本全国路面電車の旅」での広島電鉄の1号線(広島駅~八丁堀~紙屋町東~広電本社前~皆実町六丁目~広島港(宇品))の全電停アップが完了しました。 これから、紙屋町西から広電西広島(己斐)を経由し、広電宮島口までの2号線をアップしていきます。 今後ともよろしくお願いいたします。
2009.07.01

まだ、私が堺にいた頃、「しゅらく君(実際は本名ですよ)、播州織物検査懇話会で6/13に山代温泉へ行くから、準備しておいて。」とT見さんより連絡がありました。 「山代温泉って、確か北陸の方だったよな。兵庫県にはなかったよな。」ググるとやはり山代温泉は石川県にあることを示していました。 この半年で、北陸地方に3回も、しかも、転勤した週末の休日に行くことになろうとは。 ということで、土曜日に事業所へ向かい、駐車場に止まっていた観光バスに乗り込みました。播州織の産元の方も乗り込み、バスの後ろの方でカチカチと音を立てながらゲームを始めていました。 中国自動車道を東に進むと、1週間もたたないうちに再び大阪の風景を見ることになりました。今回の旅は鉄分が少ないと予想されるので、大阪モノレールの写真をアップしておきます。 滋賀県長浜市に到着し、ここで昼食として美味しい近江牛をいただきました。その食後の空いた時間に長浜大手門通りをうろうろしていると、ケンシロウの人形が立っている建物を見つけました。 この長浜には海洋堂フィギュアミュージアムがあり、フィギュア作品の展示がされています。有料スペースの2階に上がる階段の横には三女神が出迎えてくれています。ああっ女神様。 2階に上がるとあらゆるフィギュアが展示されていました。折角なので、涼宮ハルヒを中心に撮影しておきます。 海洋堂といえば、この恐竜のフィギュアを外せないので、掲載しておきます。恐竜でないのもいますが。 アニメ分ばかり吸収するわけにはいかないので、数少ない鉄分をここで補給しましょう。現存する最古の駅舎である旧長浜駅舎がこの長浜にはあります。内部見学も可能ですが、時間がなかったので、外観のみです。折角なので、223系も撮影しておきます。 長浜ではすっかり趣味に走りまくり、ほとんど最後の方にバスに戻りました。再び高速道路で山代温泉を目指します。 山代温泉に到着する前に自動車博物館を見学することになりました。 博物館は凄まじい数の貴重な自動車が展示されていました。のは解るのですが、私自身が興味がないため、淡々と見学するだけとなりました。そればかりか、まるで駐車場みたいと場を読まない発言までする始末です。 その中で、少し時間をかけて見た車がこのFIAT500(2代目)です。この車は「ルパン三世カリオストロの城」でルパンたちが乗っていた車です。って、結局アニメ分かい。 と、色々ありましたが、ようやく山代温泉のホテルに到着しました。本物の温泉につかり、1週間の疲れをここで癒すことになりました。 次回は復路編となります。
2009.06.28

西脇は坂が多い町で、自宅と西脇の事業所の間には山があり、近道をすると、毎朝、強制山登りサイクリングを強いられます。遠回りをすれば、比較的平坦なコースとなるのですが、やはり近道を通りたいと思うので、よほどことがない限り、このコースを通ります。しかし、平坦な堺、広島を自転車で走行していた私としてはこの坂道はきついです。 しかし、この山をこえれば、あとは下り坂になり、恐ろしいくらいに自転車の速度が上がります。そのときの風がとてもいいのですけど。ただ、最近、この坂道コースを毎朝通っているためか、最初のうちは坂の頂上に達したときは息が切れ切れの状態だったが、最近では平気になってきました。もしかしたら、筋肉がついたのかな。でも、早く自動車が来てほしいな。
2009.06.27
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