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「新・しゅらくの独り言」をこの楽天ブログで始めて、早くも4年弱になろうとしています。路面電車・鉄道、アニメ、競馬を主なテーマ(最近ではあまり取り上げていないものもありますが。)とし、徒然なるままに写真と駄文を掲載しましたが、遂に写真保管スペースがほぼ一杯となり、このままでは駄文はともかく、写真が掲載できなくなる事態が発生することになります。 そこで、舞台を楽天ブログからBloggerに移し、新たに「新・しゅらくの独り言(改)」としてブログを続けていくことにしました。誠に勝手ではございますが、新たな更新は「新・しゅらくの独り言(改)」で行うこととし、この「新・しゅらくの独り言」の更新はこの記事で終了させていただきます。 新たな「新・しゅらくの独り言(改)」のアドレスは下記の通りです。 http://shrike-monologue.blogspot.com/ ブックマークをされている方、またリンクをされている方がいらっしゃいましたら、変更の程よろしくお願いいたします。 今までご覧いただき、誠にありがとうございました。 (2009年12月4日追記) 「新・しゅらくの独り言(改)」移転後、約1ヶ月が経過しましたので、本ブログでのコメント・トラックバック及び掲示板の書き込みの受付を終了させていただきます。コメント等は「新・しゅらくの独り言(改)」でよろしくお願いいたします。
2009.11.06

札幌での目的も果たし、いよいよ今回の旅の最終目的である新日本海フェリー乗船を残すのみとなりました。札樽自動車道を軽快に抜け、青函フェリーの時とは異なり、余裕で小樽港フェリーターミナルに到着しました。 この小樽港フェリーターミナルはレストランや土産ショップ等の施設があるだけでなく、展望風呂も備えています。時間も余ったので、5階に向かい、展望風呂に入ります。フェリーの乗客には割引があるので、チケットの半券を持つようにしてください。 2時間弱ほどして、ようやく乗船することができました。フェリー内に車を駐めるのは九州縦断のときにも経験していたので、比較的落ち着いて行えました。この日の船は「あかしあ号」です。 小樽の街の灯を見ながら、北海道を後にします。 ここで船内の一部を案内しましょう。まず、エントランスロビーです。(用いた写真は時系列的には前後していますが、お許しください。)乗船したときには必ずここを通ります。乗客は4階、5階及び6階となります。私は2等客室なので、主にこの4階にいることになります。ちなみに、1等客室や特等客室は5階、6階にそれぞれあります。 ロビーの階段を上り、5階に上ります。5階には大浴場、レストラン、グリル、プロムナード、カフェ及びオープンデッキといった共有のスペースがあります。上の写真はプロムナードで、テーブルや椅子が設置され、自由に使うことができます。ここでパソコンを使用している人や読書をしている人をよく見かけました。ロビーの階段から船尾側の船体右側の位置にあります。 プロムナードから更に船尾側に進むと、カフェがあり、さらに進むと上の写真のオープンデッキに出ます。 レストランはプロムナードと反対側、つまりロビーの階段から船尾側の船体左側の位置にあります。このレストランからオープンデッキに出ることはできますが、オープンデッキからレストランには入ることはできません。ここで、朝食、昼食、夕食を取ることになります。なお、朝食はバイキング形式、昼食及び夕食はカフェテリア形式となります。また、プロムナード側にはグリルがあり、こちらは予約制のコース料理が用意されているようですが、庶民にはなかなか手を出しにくいですね。 23:30に小樽港を出港すると、すぐ寝てしまい、翌日は日の出前に目が覚めました。そのため、オープンデッキに出て、朝日を撮ることにしました。上の写真の島は大島で北海道松前半島の沖に浮かぶ島です。 フェリーの上では時間をもてあましてしまい、客室で寝ているか、レストランで食べているか、オープンデッキで景色を見ているかでした。しかも、見える景色は絶海の日本海を航行しているので、海しか見えません。(まあ、ここで不審船が現れても困るのですが、) そうしているうちに、日の入りの時間になりました。やはり、オープンデッキで夕日を撮影します。 暗くなると、景色もろくに見えなくなるので、客室で横になっていましたが、しばらくすると、陸地の灯りが見えてきました。舞鶴港はもうすぐです。 舞鶴港に到着したのが、21:00頃です。実はこの旅の最後の正念場が舞鶴港から西脇の自宅までの行程です。序章でも述べましたが、舞鶴若狭自動車道は途中まで対面2車線の上、カーブが多い道路です。しかも、夜なので、真っ暗です。また、行きとは異なり、途中から国道175号線を進みます。この国道175号線は明石市から舞鶴市を結んでいる一般国道で、関西地区西部の瀬戸内側と日本海側を結んでいるため、トラック街道となっています。道路自体は十分に整備されているので、走りやすいのですが、トラックが多く通るので、注意する必要があります。高速道路を降りた直後から、西脇市中心部手前の黒田庄まで、ずっとトラックの前を走る羽目になりました。 国道175号線を離れたため、トラックからようやく解放され、自宅近くのスーパーまで戻ってきました。このとき、23時頃になっていました。翌日は当然仕事なので、早く帰ってゆっくりと寝ることにしました。 お盆休みの九州縦断の時に比べると、距離は大幅に伸びたもの、それほど疲れは感じませんでした。ちょっとは運転に慣れたのかもしれません。結局、お盆休みとシルバーウイークで鹿児島から西脇経由で小樽まで自動車で走行してしまいました。 おかけで、旅気分は十分満喫することができました。ただし、鉄分が少なすぎるのが少し不満ですが、それは別の機会に補うことにします。
2009.11.05

有珠山、昭和新山エリアを発ち、伊達ICより再び道央自動車道に乗り、札幌に向かいます。有珠山を訪問する前の静狩PAや昭和新山の駐車場でもそうですが、見る車のほとんどが北海道ナンバーです。あっても東北各県です。すっかり、遠くに来た実感をもちながら、道央自動車道を進みます。 千歳ICを過ぎると、車が増え始め、あのときは大変だったなあと思いながら、札幌南ICまで進みます。 本州に比べ、1車線が広い道路にもかかわらず、通る車の量が多いため、なかなか走りにくい札幌の道路を走っていくうちに、すすきのに近づいてきました。この辺になると片道5車線ぐらいになり、西脇あたりでは考えられないほど広い道路になっています。さすが、北の大都市札幌ですね。 とにかく、すすきのからほぼ1周するように西4丁目まで「Tramway Killer号」の第10のターゲット、札幌市電の併用軌道を並走します。 札幌市電は枝分かれがありませんが、起終点がすすきのと西4丁目という繁華街となっているため、交通量が多く、起終点では走りにくくなっています。しかし、上の電車事業所前あたりでは交通量も少なくなるため、走りやすくなっています。 というわけで、西4丁目電停まで来ました。後はこの西4丁目からすすきのまで反対回りに再び進みました。 札幌市電並走が終わる頃には日没が近づき、北海道限定のサッポロビールクラシックを購入するためにアリオ札幌に来ました。隣のサッポロビール園でジンギスカンを食べるつもりでしたが、人がいっぱいで、このアリオで食事をすることにしました。それにしても、我が故郷、堺にあるアリオ鳳を差し置いて、初めて行ったアリオが札幌というのも、どうかと思います。とても複雑な気持ちです。 一通り、物品を買い終わった後、札樽自動車道に乗り、帰りのフェリーの待つ小樽へと向かいます。 (注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.11.04

予定通り、虻田洞爺湖ICで道央自動車道を降り、洞爺湖畔を進んだ後、昭和新山の近くまで来ました。 昭和新山から水蒸気が出ており、昭和新山が活火山であることに驚いたとともに、同じく火山である有珠山との谷間に観光施設があることにも驚きました。 ともあれ、ロープウェイに乗り、この山麓駅から有珠山に登ります。このロープウェイ乗り場にある説明文を読むと、有珠山は20世紀に4回噴火し、約30年周期で噴火していると書かれていました。(1910年、1944年~1945年、1977年~1978年、2000年) ちなみに、昭和新山は1944年~1945年の有珠山の火山活動で生まれたものであり、そうすると、谷間の観光施設の何処から噴火を起こしてもおかしくないことになります。まあ、2000年に噴火したばかりなので、2009年には噴火しないでしょう、きっと。 ロープウェイに乗り、山頂駅に到着し、有珠山に登りました。昭和新山を見下ろす絶好のロケーションです。 また、昭和新山ばかりではなく、北側の洞爺湖と中島が見えます。 ふと、山の上を見ると、あちこちから水蒸気が上がっています。ここで噴火したら、即あの世行きだなあと思いつつ、有珠火口原展望台まで散策します。 有珠火口原です。ここでも水蒸気が出ており、有珠山が紛れもない活火山であることを示しています。 この有珠火口原展望台からは南側に広がる内浦湾こと噴火湾を見ることができます。 有珠山を登っただけで、海、湖、火山と様々なものが見ることができ、非常に面白い体験をしました。 十分に自然を満喫したので、都市の乗り物である札幌市電の併用軌道を並走すべく、札幌市に向かいます。
2009.11.04

函館市電並走も終わり、いよいよ有珠山を経由し、札幌へ向かうことにしました。 函館と札幌の間は完全に高速道路でつながっているわけではなく、函館から八雲までは国道5号線で向かわなければなりません。しかし、この国道5号線は決して酷道ではないので、快適に運転することができました。 そうしているうちに、大沼公園の文字が見え始め、谷地頭温泉で話題にあがったこともあり、立ち寄ることにします。 大沼公園内に入ると、大沼湖及び小沼湖をモーターボートで回ることができるようなので、乗ります。 出発後、小さな島々が浮かぶ中、ゆっくりとモーターボートが進みます。自然豊かな環境で心が洗われます。 大沼湖の中央まで進むと、小さな島々は消え、広い湖面が見えるようになります。渡島富士とも呼ばれる成層火山である北海道駒ヶ岳も見ることができるのですが、私には運がないためか桜島同様、このときは見ることができませんでした。 大沼湖を一通り周遊した後、函館本線の橋梁の下をくぐり、小沼湖に入ります。 小沼湖は大沼湖と違い、水深が浅いため、周遊できる範囲が狭く、すぐに引き返しました。 こうして、駆け足で大沼湖、小沼湖を周遊した後、国道5号線と道央自動車道を通り、洞爺湖畔にある有珠山、昭和新山エリアに向かいます。
2009.11.03

一夜明け、早朝から定番のように函館朝市に向かいます。函館の朝食は毎回ここで食事を行い、更に土産物をここで購入します。今回はズワイガニ、イクラ等を購入し、準備したクーラーボックスに入れておきます。 朝市の後はこれまた定番のように谷地頭温泉に行きます。ここで体を洗うとともに、体の芯まで温めます。 この谷地頭温泉の駐車場に車を駐めたのですが、たまたま隣の車の人と話す機会がありました。彼は函館に親族がいるため、頻繁に函館へ来ているようで、「大沼公園」を始め、様々な観光スポットの話をしてくれました。いろいろと興味深い話もあったのですが、9/22中に様々な予定をこなした上で、小樽港まで到着しないと行けなかったので、いくつかは今回諦めることにしました。どうやら、私の車の「神戸」ナンバーが気になり、それで話しかけてくれたようです。でも、彼も「横浜」ナンバーだったのですが。 さて、谷地頭温泉の後は、「Tramway Killer号」の第9のターゲット、函館市電の並走です。谷地頭電停から十字街、末広町そして函館どつく前電停にまず向かいます。上の写真は末広町付近の相馬株式会社前の様子です。 函館どつく前電停からは函館市電5系統(函館どつく前~湯の川)と同じルートを通り、並走します。よく見ると、上の函館駅前電停までに新しい高規格電停が設置されていました。 函館駅前から更に進み、函館市街の新しい中心地でもある五稜郭公園前電停を通ります。五稜郭公園前電停を通過した後、湯の川まで進み、そこから再び函館市電2系統(湯の川~谷地頭)に並走しました。 函館市電の電車道ですが、1車線が異常に広く、他の路面電車の電車道の2車線分のところがあり、余裕をもって走ることができる場合もありますが、多くの場合、横に2台並んで走ることが多いので、いっそのこと2車線の方が良いと個人的には感じました。 函館市電並走が終わり、札幌に向かい出発します。 (注)上記の自動車内より撮影した写真はいずれもビデオで録画したものを後日、静止画としてキャプチャーしたものです。
2009.11.03

予定通り、14:35青森港発の青函フェリーに乗り込むことができました。フェリーが満車であることと割引特典を受けることの2つの理由から、あらかじめこの14:35発の便を予約していましたが、どうやら正解のようでした。フェリーの中はきれいにされており、他の客と一緒に雑魚寝するタイプの客室しかありませんが、普段からこの手のタイプの客室、いわゆる二等客室しか乗ったことのない私には十分なものです。 思えば、去年の年末に青函トンネルを通り、青森駅に到着したときには「上野発の夜行列車」でもある特急あけぼのを青森駅で見ながら、青森~函館間を船で渡ってみたいと考えていたものです。 季節は秋なので、「こごえそうな?」を見つめることはありませんが、陸奥湾を航行する青函フェリーの周りには?が多数飛んでいました。 青函フェリーはいよいよ陸奥湾を抜けようとしています。「ごらん、あれが竜飛岬、北の外れ」と見知らぬ人が指をさすこともなく、ひとりで感慨にふけりながら、いよいよ津軽海峡に入ります。 後方に下北半島(左)、津軽半島(右)が見えます。こうしてみると、この両者の間の平舘海峡(最も狭い場所で8km)は狭く感じます。 そうしているうち、日が暮れ始め、右前方に函館山が見えてきました。この函館山の裏側に古くからの市街地である末広町、十字街そして温泉のある谷地頭があります。 函館港に近づき、函館山から見るものとはひと味違う函館市街の夜景が広がります。「はるばるきたぜ 函館へ」という思いでいっぱいです。 函館港に入港し、いよいよ車に乗り、函館市に入ります。函館市では夕食を取った後、カプセルホテルで一泊し、十分に休養をとります。
2009.11.03

中尊寺の拝観も終了し、再び北上の旅を再開します。国道4号線に沿って進み、平泉前沢ICより東北自動車道に入ります。 東北自動車道が通る北上盆地は南北に長く、北は盛岡市から、南は一関市まで、約180km続いています。そのため、道は比較的まっすぐで、しかもトンネルもなく、快適に運転することできます。 盛岡市を抜け、岩手山SAで休憩しました。文字通り、ここから岩手山を見ることができます。岩手山は複式の成層火山であり、この岩手山SAからの岩手山はきれいな円錐形ではなく、片方が削れたような山容をしていることから南部片富士と呼ばれています。 北上盆地を抜けると、山間部を通ることとなり、道もくねくねと曲がり、アップダウンも大きくなります。時間があまりないので、弘前市には寄らず、津軽SAで休むだけにしました。 津軽SAは平川市にあり、ここから岩木山を望むことができます。上の写真ではわかりにくいですが、手前の住宅地と岩木山の間に小さく弘前市街が見えます。この岩木山も成層火山であり、そのきれいな円錐形の山容から津軽富士と呼ばれています。 東北自動車道を更に北に進むと、シルバーウイークにもかかわらず、前後及び反対車線に車がほとんど見えなくなることも多くなりました。東北自動車道から青森自動車道に入り、その青森中央ICから青森市街を経て、青森港フェリーターミナルに到着しました。どうやら、予約していたフェリーには間に合いました。ここから青函フェリーに乗り、函館へ向かいます。
2009.11.03

一関市に宿泊し、寒い朝を迎え、いよいよ青森に向かい、北上していくのですが、その前に平泉町にある中尊寺に寄ることにします。 8時前に一関を出発し、30分足らずで平泉に到着します。とりあえず、平泉町営中尊寺第2駐車場に駐め、国道4号線を横断した後、中尊寺の参道入口に向かいます。 中尊寺は山の上にあり、月見坂と呼ばれる参道をひたすら登ることになります。運動不足は私にはちょっときつい坂でした。 途中、門のような場所があります。上の写真もそうですが、参道には立派な杉の木が植えられています。この中尊寺は伊達歴代藩主により厚く保護されていたとのことで、樹齢350年のこれらの木々は伊達藩により植樹されたものです。 八幡堂、弁慶堂、地蔵堂、薬師堂等を回った後、本堂にたどり着きました。この中尊寺は天台宗の高僧である慈覚大師円仁により850年開かれたとされており、本尊は阿弥陀如来です。 峯薬師堂、不動堂、大日堂、梵鐘、阿弥陀堂、弁財天堂を回った後、中尊寺の宝物館でもある讃衡蔵に着きました。ここで、拝観料800円を支払い、宝物を見た後、金色堂に行きます。この讃衡蔵は奥州藤原氏三代(清衡・基衡・秀衡)を讃える宝蔵という意味とのことです。ちなみに、この中尊寺の開山は慈覚大師円仁と申しましたが、実質上の開祖は藤原清衡です。 貴重な宝物を見学した後、いよいよ本日のメインイベントである金色堂へと参ります。なお、金色堂は環境管理が行われている覆堂の中にあり、写真にはその覆堂が写っています。なお、金色堂は写真撮影不可なので、写真はありませんが、建物全体が金で覆われており、見事な装飾がなされていました。その金色堂には奥州藤原氏3代の遺体と泰衡の首級が納められています。 金色堂を見学した後、経蔵に立ち寄りました。この経蔵にはかつて経典が収められていました。現在は讃衡堂に保管されています。 続いて、旧覆堂に行きます。この旧覆堂は室町時代中期(16世紀)に建設され、1963年(昭和38年)の新覆堂建設まで金色堂を風雪から守っていました。 松尾芭蕉が「五月雨の降り残してや光堂」と詠んだときには、この旧覆堂の中の金色堂を見たものと思われます。 旧覆堂の内部は上の写真のようになっています。 旧覆堂を離れ、中尊寺内による白山神社には立派な能舞台があります。この能舞台、近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとのことです。 釈迦堂の横を通り過ぎ、来た道を逆に進み、戻ることにしました。途中の東物見から景色を見ると、随分と高いところに登ったものと思い知らされます。 当然、月見坂を今度は下ることになるのですが、急勾配のため、慎重に降ります。 参道入口の近くには武蔵坊弁慶のものと伝えられる墓があります。 とにかく、中尊寺でも金色堂は一度見たかったので、駆け足でしたが、十分満足しました。 では、中尊寺を後にし、青森港へ向け、北に進みます。
2009.11.01
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