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「涅槃」(ねはん) 盛んに燃えている、煩悩の炎がふっと消えた状態、 人間の苦の根源たる、盲目的、衝動的でまた、理不尽な欲望(渇愛)を 断じ、智恵の完成をした悟りの境地を「涅槃」と言う。だそうです。 人間、「涅槃」の境地を悟ることは、不可能に近いことだと思います。 ただ、日夜の生活のなかで、自我との戦いというか、自制心を鍛える事ができれば 生き易いよということでしょう。 いろんな他人や家族との交わりのなで、穏やかな関係が保てる事が幸せの 一義のように思います。 そんな気持でいても、JTの中国からの仕入れた商品に、農薬が混入していたとは、 依然として、食の安全はなく、輸入食品は安心できないように思いました。 中国が日本のアウトソーシングとして、生産しているのですから、安全管理は 日本人の責任ではないのでしょうか。 今後もあることですが、生産コストの安い国に依存しているならば、総ての管理 体制も責任ある環境ずくりをしなければならないと思います。 これは、国外ばかりでなく、国内の管理体制にも言えることです。 世の中のことで、総てが完璧と言えるような事は、少ないと思います。 だからこそ、厳しい管理と、未然に防ぐ事の出きる検査を徹底しなければならない といえます。諺に「罪を憎んで人を憎まず」と言うのがありますが、罪の介在を 見逃さないことが大切で、それが、「涅槃に帰する」ことではないかと、こじ付けて 申します。
2008年01月31日
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「進歩」 この歳になると何をしても前に進めない。 人間進歩の足跡が見えないのは、悲しいことですね。 「書」をしても、全く「千年1日が如し」で、何の進歩も見られません。筆を持つことは 何の苦もありませんが、ただ、綺麗なだけの字を書いても此れだけか?と反省ばか りの、毎日です。 誰かさんの代わりに、オトナの学力 (ビジネスのコツ) という勉強を強いられ レポートの提出をせねばなりません。やっていると結構面白いのですが、頭の 持久力が伴いません。 しかし、思うに人の知識の優劣は、その興味の持続をすることが、豊富な知識を 得る事になるようですね。でも、人間日々の雑事に追われると、自分の興味どころ ではなくなります。だから、芸一筋の方や、経済的に裕福な人は知識も豊かになる のでしょうね。これは凡人の逃げ口上ですけど、努力している人は違います。 体力と気力があれば、道を求める事ができるのでしょうが、怠惰な気持では 何事も出来ません、分かっていても、つい一日伸ばしになりますね。 こんな時は、人生は永いのだから急ぐ事はないと、自分でじぶんを慰め許してしまう のです。平凡人は無理をしても、しなくとも凡人の域は出ません。と分かり 小さな幸せでよいのです、ささやかな暮らしができればそれでよいのです。 耄碌しない程度の頭の刺激があれば納得なのです。と開き直るのですね。
2008年01月30日
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「理」 ことわり、おさめる、(物事の筋道)のこと 最近、理解に苦しむようなことが多いように思います。 そのことを、良いと見るか、いやダメだとみるか、共に自分の立場が主な考えの 主軸になるようです。 よく言う公平な意見とは、多数決の事でしょうか、それでは納得できない立場もある と思います。 仮に、可愛い小鳥が、小枝に止まりえさをついばんでいて、糞をする、それも 一羽や二羽ならよいが、数十羽がきて、食べては糞をしたら、鳥インフルエンザの 菌を撒き散らすから、迷惑だと追い散らす事になります。 これは、小鳥に罪があるのしょうか、庭木に小鳥の来るのを期待していたのに、 その為に餌を撒いて呼んだのに、多くの小鳥がきて糞をしたら、今度は迷惑と言う のは「理=物事の筋道」 は通っているのですかね。 マンションのペットの禁止例も同様に感じます、ペットに罪はありませんが、生き物 ですから、糞もすれば、鳴きもします。勿論飼い主のマナーにもよるところですが、 人間同士の欺瞞や騙しとは、違う問題です。 このような善意の迷惑と言う事は以外に沢山あるように思います。 だから「理=物事の筋道」と割り切れない問題も、事をわけて正さなければなり ません。 今日のテレビでも、食品衛生法の管理と限界の話がありましたが、消費者には 厳しいルールで管理して欲しいが、生産者側では、自分たちの生存の正否にも 関わる重大問題となることもあるようです。私達消費者も流通形態の意見だけに 惑わされることのないように、正確な報道をするマスコミの見解も留意して判断 することが大切と感じました。
2008年01月29日
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「感動」 寒い日曜日の思わぬ感動に胸痛む 1月27日日曜日は、大阪国際女子マラソンで福士加代子選手がトップで 走っていたのに、体調不良からペースダウンして数度の転倒をしながら、遂に 19位でゴールしたのは奇跡と感じられ、涙の感動をしました。 大相撲初場所は、横綱の白鵬と朝勝龍が13勝1敗同士で、気迫の優勝 決定戦に臨み近年にない名勝負をしたことです。 大阪府知事選も史上3番目の若い知事が誕生したようです。 いずれも、昨年の暗いニュースから、今年は明るいニュースで初春が明けた ことは、おおいな喜びです。 本丸の政治の方は今ひとつ明るさがありませんが、これもこの後を期待して 待ちたいものです。 マラソンの勝敗は、その時の自分の体力と精神のバランスとコンディションに 時の運があるのでしょう、途中棄権も仕方のない状況でも、自分の体とは別の心が 最後まで諦めさせないのでしょうか。ある新聞は「神様が導いた」と評していました。 それを見る観衆は、優勝者よりそちらに感動の拍手をするのですね。 大相撲も国籍に関わらず、彼らの全力の戦いには此れも感動の拍手は惜しみ なかったようです。 本当に人生の快味を感じた1日でした。
2008年01月28日
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「語学」 今日イーデス、ハンソンさんの記事を読み、 「何のための外国語学習か」「流暢より心に響く話を」 の記事を見て 本当に言葉の大切さを、再確認しました。 現代は、多くの手段により語学の勉強もやりやすくなったと思いますが、やはり 言葉は難しいものですね、日曜会話ですら満足にできないのは、恥ずかしいこと です。 心を通じ合うと言うことよりも、ただ、今の意志を伝えたいのに、言葉が通じない ために、相手に不快感を思わせるのは、悲しいことです。 言葉なんて、ブロークンでよいのだと、手話で通じるよ、と言われても、相手が 話してる事が、チンプンカンではどうにもなりません。 何とかして、最低限の会話だけでも出来る様になりたいものです。 イーデス、ハンソンさんの言われる「言葉は貴重な資源」 は日本人同士が 話していても、普段から、物事の意味をわかり、内容を整理して、丁寧に伝える 意識や習慣がなくては、本来の対話は出来ないし、心の通じ合いも出来ない。と 強く訴えられています。 ここで言われる、普段の態度が、出来ているのでしょうか、彼女が信じられていた 日本人の謙虚で礼儀正しい姿が、言葉以上に見られないと感じられているように 思いました。 既に彼女は六十年になんなんと在住され、国籍とは別に、日本人以上の日本人 です。私どもは、本来の日本人たるべく日本を大切に愛さなければと思いました。 そうして、日本語と言う貴重な言葉の資源を認識せねばなりません。
2008年01月27日
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「人生」 「如夢幻泡影、如露亦如電」 夢や幻や、水面に 浮かぶ泡や影の如く、露の如く、電(稲妻)の如し。 人生は、所詮掴みどころのないもので、あれこれ考えてみても僅かな時の 流れのなかに一瞬の生命を腐心しているだけです。と言われます。 このように観ると、自分の人生を甘く、おろそかに考えるかも知れませんが、 それは大変な間違いです、生命の長短は「神から与えられたもの」です。 両親から貰ったものではありません。 「一切衆生悉有仏性」 総ての人間は悉く仏の性を持っている。と教えていま す。 また、仏教の道も知らぬ者が、門口説教を申し汗顔の至りです。 自分なりの人生を振り返ると、過ぎ去ったときは短く、苦しい時は長いように 感じました。まさに「百苦一喜」に思えます。 だからと言うて、何の自慢もありません、よくよく考えると、しまった!という反省 ばかりですかね、それでも今日までよく生きたと思います。 多分こんな事で、一瞬の人生を終えるのでしょう。以って銘ずべしですね。 仏教で 「三界」 即ち、「慾界、色界、無色界」を言う。 「欲界」 性欲、食欲など人間の見る世界のこと。 「色界」 性欲、食欲に動かされなくなった人間の見る世界、「殊妙精好」 であると言う、汚いと思っている世界を美しいと見ること。 「無色界」 総ての物欲がなくなり、精神性だけになった世界のこと。 「女三界に家なし」 と言うことがありますが、此れは菩薩と言う事ですかね。 人間と言う動物は、賢くもあり、また、愚かでもあると言うのでしょうか。
2008年01月26日
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「子が親を」 子供が親を躾ることがだいじ。 今まで、親が子供を躾る事の大切さを訴えてきたのですが、それ以上に 子供が親を躾ることのほうが、もっと大切ではないかと思います。 最近特に痛感するのは、親よりも子供のほうが世の常識を心得ているように 見えます。 子供は他所の家族の、行儀をみて自分の家族との比較をします、 それで、自分の親の行為が恥ずかしければ、子は親に注意しているようです。 された親が改まらなければ、親は失格ですね。 多分何処の家庭でも、子供に注意される親は多いと思います。 良き親であるなら、「背負った子に教えられ」 と言います。嬉しいことです。 特に父親などは、家族の中でも恥じかきの最たるものですからね。 また、歳を取るに従い其れは、一層強くなり、成人した子供から毛嫌いされるの も知りながら、改められないは、自分で恥じの上塗りをしているようなものです。 親が自らの悪例を躾るようでは、最低の親です。 こんな親を持つ子供は どうして、自分をコントロールするのでしょうね。 身近な悪い判例として、反省の鏡にしてくれると、立派な子供と言えますが。 時々電車の中で見るのですが、障害児の子をかばう親が、反対にその子に いさめ教えられている事があります。涙の出るような想いで眺めさせてもらいます。 人間同士は、本来助け合い、励ましあい、そうして、足らぬところを教えあうのが 万物の象徴と言われる所以です。 是非、恥ずかしくない親と言われたいものです。
2008年01月25日
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「初心」 人間幾たび初心に返れるか。 世阿弥の「花伝書」に 「ただかえすがえす初心忘るべからず」 と 初心を忘れるな、ということの内容は至って重い、それは常に倨傲になる 自分の危機と格闘せよということです。 だそうです。 そうですね、人間いつも、自分は世間並みか、それ以上である、と自負して おります。それが悪いと言う事ではなく、反省したり、初心に返ることは、誰で も苦手ですね。 自分の姿は鏡に映せても、気持は映りません、気持は自分自身に映す しか、誰にも見えないこです。 そのやり方が、初心に返るとか、自ら反省することになりますね。 でも、何の為にそのようなことをしなければならないのか。何ででしょう? 自分の今してることが、考えている事が正しいのか、方向を間違えてないか を早く気付くためにです。人生の道を間違えないようにするためです。 それとまた、「初心とは 老いの拒絶 である」 とも言われます。 心、気持がいつも、みずみずしくなるには、「初心」という故郷えの回帰が なければならない。とも教えています。 私ども年寄りには、耳の痛い言葉です。何時までも我執に囚われている 者には、自分はさておき人に教えたいのが先にでるのですから。 鷹羽狩行の句に 「年迎ふ山河それぞれ位置に就き」 「老松に高さを ゆずり老桜」 などは、家長や先輩の座る位置を決めた、先人を敬う姿勢 を指しています。こんな雰囲気なら謙虚になれるのにとは、申しません。
2008年01月24日
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「伊賀流忍者」 隠形に天地三十三法あります。 対する、「甲賀流」がありますが、その技の習得には、ともに厳しい修行の上で すが、剣法、体技のほかに、隠遁の術を身に付けて初めて忍者となります。 隠遁の術は、自然物を利用し、幻戯(めくらまし)があわせ用いられたそうです。 この幻戯の源流は中国の仙術とインドの婆羅門の幻術の併用したものだそうで す。 このような忍術がどうして現代の武術に正式に残らなかったのでしょう。 「水遁の術」「火遁、風遁、霧遁」等の技が出来たら、大変面白いでしょうね、 昨年の色んな偽装の犯人達は皆喜んで、「金遁か煙遁の術」で金と煙に巻いた ことでしょうね。 これらの忍術は、何故か関西地区の大和葛城山から大峰、高野、箕面、富士 などの山岳で修練したようです。 寛政十一年、時の天子、光格天皇から「神変大菩薩」の勅号 を受けた フジワラノチカタ と言う人が初代忍者だそうです。 これほどの、人物が居りながら後生に忍術が伝えられなかったのは、残念で すね。いや、ヒヨッとすると、近くに密かにいてはるかも知れませんね。 だって、「幻戯(めくらまし)」 を使うている人は仰山いてはりますから。 これらの、悪行を見破る、透視の術も知りたいものです。それの達人が居れば もっと、安心できるのですけどね。
2008年01月23日
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「教育勅語」 明治天皇があらわせられた、国民えの言葉。 明治二十三年(1890年)のことだそうです。 「朕惟ふに我が皇祖皇宗」に始まる、この勅語は、正に日本人の根幹に 教えられるものではないでしょうか。些か古い右よりの人間の意見かもしれませ んが、今でも天皇崇拝の精神が強い国民のよりどころように感じます。 若し、昭和33年6月にアメリカのGHQにより排除されなかったら、今どのように 扱われているかと、ことの善悪は別に思います。もう少し書きますと 「国を肇(はじ)むること宏遠に徳を樹つるこ深厚なり。我が臣民克く忠に、 克く孝に、億兆心を一にして世世その美を済(な)せるは、此れ我が国体 の精華にして、教育の淵源また実に此に存す。なんじ臣民、父母に孝に 兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じ恭倹己を持し、博愛衆に及ぼし、学を 修め業を習ひ、以って知能を啓発し徳器を成就し、進んで公益を広め 世務を開き、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以って天壌無窮の皇運を 扶翼すべし」とまだ後がありますが、国民にも、為政者にも説いておられます。 いろんな、美辞麗句はありますが、これほど簡潔にして、聞く者の心に響く 畏敬の言葉は他にありません。 この「教育勅語」は何処にも、好戦的なところも、侵略的なところもありません。 言葉は難しいですが、強圧でもありません。国を愛するには個々の教育と道徳 の大切さを教えておられるのです。古い人間のうわごとでしょうか。
2008年01月22日
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「土方 歳三」 私の大好きな新撰組副長です。 彼は、今の東京都日野市石田の生まれだそうです。多摩川の支流である 浅川です、彼の家は、その浅川の野生草で散薬を製造していたので、十四歳の ころから土用の1日は、村人を動員して、刈り取り、運搬、陰干し、薬研ひきなどの 作業の指揮をとり、組織作りの原点を身につけていたようです。 実にシャープな組織「新撰組」は、その機能を精妙、尖鋭なものにしました。 五人兄弟の末に生まれ、早くに両親を無くし、実兄の妻に育てられ、十二歳で 江戸上野広小路の伊藤松坂屋に奉公するが、一年もたず、三多摩の近藤周助 邦武の「天然理心流」三代目に剣を学び、養子の近藤勇と兄弟以上の交友を 結ぶのです。 免許皆伝になるべきが、喧嘩剣法のためか許されなかった。 しかし、彼の繊細な神経と緻密な計画に本来の度胸が、より以上の剣客に 育ったようです。それにあのクールさとニヒルさが、冷徹な掟を徹底したのです。 現代の企業組織においても、彼のような腹心がいれば、社の内外に対する 施策は間違いのないものになるでしょうね。 「新撰組」は時代の流れには、逆らえなかったのですが、彼らの熱血は、 世代わりの時代を赤く染めながら走り抜けたと思います。 歳三が近藤勇に言うた言葉に「近藤さん、葬礼などに関心するもんじゃねぇよ」 「志士は溝壑(コウガク)にあるを忘れず、勇士はその元(クジ)を喪うを忘れず」 という言葉がある。自分の死体を溝に捨てられ、首が敵手に渡るという運命も 忘れぬと言う事だ。俺もそう思う。」 と教えています。 今の時代にも、彼の言う武士の心意気は十分通用するでしょう。見習いたい ことです。
2008年01月21日
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「語彙力」 言葉の総量と定義されているそうです。 言葉は、使いこなせる量が多いほど、読んだり、考えたり、伝えたりするのに その豊かさが増すようです。これが「語彙力」だそうです。 これのテスト用テキストがあったので、やってみると、何と、30点にも成りません。 如何に、語学力が低劣かと悲しくなりました。 勉強しても、多分記憶する事は無理でしょうね。それとカタカナ語は全滅でした。 でも、読んでいると、最近の企業社会は、社会に対する姿勢に配慮し様としている かを知りました。例えば、 CSR とは Corporate Social Responsibility のことで、企業の社会的責任。企業は事業活動をおこなには、環境や社会に責任 を果たさねばならないという理念。 皆様は既にご存知の事でしょうが、こように多くの企業が自己企業の姿勢を求める ことは、実に頼もしいことです。 昨年の多くの偽装事件を顧みるに、このような基本理念の欠如がきたしたこです ね。それと、もうひとつ SCM = Supply Chain Management のことで、 調達ー生産ー流通ー販売ー消費 といった企業の枠をこえて一元的に管理する 方法。 などは企業間の高度なジョイントと言えますね。 今は世界の企業同士のグローバルゼネレイションが共有される時、地球規模の 発展が期待できるのでしょうね。嬉しい事です。
2008年01月20日
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「らしさ」 ・・・・らしさとは、教養ではないか。 女らしさ、とか男らしさは、そのように評価する人の感覚に左右されるが、 総じて、男が女性を見て、「臭うようなその行為の美しさ」と表現するのは、既に その人に気持が傾倒していることでしょうね。 でも、多くの男が同じ感情を持つときは、真にその女性(ひと)が美しいのですね。 それは、多分に「女らしさ」という教養を身につけておられる事だと思います。 特に日本女性の着物姿は、世界的にもその美しさと、たおやかさは定評がある ようです。 勿論、着こなしの出来た人が条件ですが、単に着こなしと言うても、これが 最近では大変難しいようです、男の服装も同様ですが、女性の着物は、着るための 小道具総てが、着る人の総てに調和しなければ、見る側の気持を陶然とすることは 出来ないように思います。 清楚で、無駄がなく、動きに緊張があっても優雅であり、それでいて衆目の関心 を意識している姿が要求されます。 ぜひ、拝見したいものですね。また夢を見ているようです。
2008年01月19日
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「修証一如」 (しゅうしょういちにょ) (道元禅師の言葉) 充実した人生を送るには、修行あるのみ、修行を重ねて行くことを、道環と 言いそれが悟りになる。 この言葉は、私の「座右の銘」としております。 しかし、それほどの修行は出来ていませんし、何の悟りもありません。 悟りとは、証、覚も悟りと読みます。みなそれぞれの、教えがあるようです。 仏の教えのとうりに「さとり」の道を行くことは出来なくとも、人は皆、修行に 順ずる行いはしております。 ただ、その道を極めることは出来ないのですから、悟りを開く事は無理ですね。 それで、充分ではないでしょうか、自分の目的に向かって日夜、悪戦苦闘しなが ら研鑚に励んでいるのですから。 「修証一如」を心にしていると、自然に謙虚な姿勢になります。未熟を分かっ ているからです。何事に対しても、臆することなくチャレンジも出来ます。 人の嫌がる、不浄なところの掃除も、過酷と言える仕事も、対処でき、不平、不満 を思うこともなく、自らも公徳に恥じる行いもしなくなります。 それが、少しでも人の道に準じておれば、生きてきた事にも僅かな満足を 許してもらえるように思います。 それでも、金銭欲、物欲からは離れる事は出来ません。貧しさを、よしとする 悟りができたらと痛感します。
2008年01月18日
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「選ぶ」 自分で選べないものもある。 人間としてこの世に生まれるときは、自分で生まれ先を選ぶ事は出来ません。 生まれてからも、自立できるまでは自分で人生を選べません。 ならば、自分で選ぶ事ができるようになれば、正しい選びができるのか。 これも、後悔のない選びは、・・・・あまり上手ではないでしょうね。 幼児から少年え、そうして青年になりますが、この時期でも、自分の将来に悔いない 道が選べるかと言えば普通の者は出来ないでしょうね。 ただ、親や周囲の心有る者からの、適切と言える助言があってこそ、それを信じて 努力した者だけが、希望をかなえることのできる、人生を選べるチャンスが与えられ るかもしれません。 進学、仕事、妻、を選ぶ事も、人生の難事です。物欲の選びも、楽しくても失敗が多 いのは、総てが、その時の衝動で決めているからでしょう。 そうなんです、熟慮した判断はなかなか出来ないものですね。決して無意識では ないのですが、後悔の多い結果が常ように思います。 今日も、道を歩いていて、犬の散歩をしている人々と出会うと、甚だ失礼ながら どうして折角高いお金で買うのに、こんな犬を、と思ったのですが、お許しください、 事情も知らずに、ただ、「選ぶ」と言う事に拘ったために、失礼しました。 近くある、大阪知事選にも、十分な判断をしないといけない「選び」をしなければ なりませんが、難しいですね。 なんだか、選ぶことが面倒になりますね。やはり、無駄使いが性にあっているの かもしれません。
2008年01月17日
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「敏にして学を好み、下問を恥じず」 分からなければ敏速に 調べ、身分も年齢が下でも、教えてもらう事を恥じない。 この歳になると、教えられるどころか、何となく叱られている感じです。 また、分からないことは日々山ほどありますが、敏速に調べても、すぐ忘れ、 調べる時間ばかりが長く掛かります。 このように、ブログにもっともらしく、稚拙な意見を書き並べておりますが、これとて 書き終わると忘れております。全く何をしているのかと、嘆かわしいことです。 でも、日夜このように、自分の知能力と競争するのも、長生きの元かも知れませ ん。 振り返って見ても、人間の学び記憶している事は、以外に少ないのではないかと、 思います。 よく言う 「日々これ新たなり」 ですね。 嬉しいこと、楽しいことよりも、辛い事、悲しいことの方が記憶にあり、だから 人生は苦しみばかりだ、と思うのでしょうね。 今では、何事も謙虚でありたい、と言うより些か卑屈になっているように自覚 します。勿論、自分を誇れる何もないのですから、当然ではありますが、時には 侘しく感じる事もあります。これが吾が人生かとね。 誰の詩だったか、 「病雁の夜さむに落ちて旅ね哉」 落伍した雁(病雁)の 旅の身は自分なのか。 と淋しい詩ですね。 チヨット、我が身につまされる思いです。
2008年01月16日
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「三愆」 (さんけん) 三つの過ち 1) 躁(ソウ) 「言未だこれに及ばずして言う、これを躁という」 まだ、その 話になってないのに、横から話をきりだすこと。 2) 隠 (いん)「言これに及びて言わざる、これを隠という」 その話になって いるのに黙っている、これを「隠」かくしだてという。 3) 瞽(こ) 「未だ顔色を見ずして言う、これを「瞽」という」 相手の表情も 察しないで、一方的にしゃべる、これを「瞽」といい視力がないという。 人には、無くて七癖といいますが、人格者でも、自分の自説があると、人の 発言を押しのけて、上記の悪癖を出すことが多いものです。 人間誰しも、人の意見を静かに聞けるようになると、口論は起こらないのですが、 どうしても、自分の意見を自画自賛したいようです。 時には、確たる自信もないままに、人の意見を否定して、周囲からブーイングを 受けたりするのも、よく観ることです。 対話の相手の、現在の雰囲気も観察せずに、自分のことばかり、しゃべるのも 迷惑なことです。これでは、友好な関係はできません。 最近のバライティー番組の出演者同士の過激な口論も見苦しい限りです。 いろんな、会議でも、自分の立場を充分に心して、適切なタイミングに妥当な 発言の出来ることが、自己の資質を高めることになります。
2008年01月15日
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「深根固抵」 (しんこんこてい) 基礎がしっかりしてゆるぎがない、 今日は成人式ですね。はにかみ王子こと、石川 遼君のような、淳化(素直に 教育する)された若人の多からんことを願いたいものです。 どうも大変説教がましいことばかり、甚だ厚顔の至りと思いますが、お許しください。 今の、日本は世界の国々から観れば、やはり平和で幸せな国であろうと思います。 だからと言うて、国民が満足しいるわけではないと、考えますが、其れは不満の限度 のなかにあるのではないでしょうか。 国政のあり方なのか、国民の生活安定のためか、世情の不正、不義の払拭なの か、等は安定路線の内と思います。地球温暖化の危機、災害の危機に対する予測 と対策なのでしょうか。 今以上の安定と発展のファンデイションは、これからの時代を背負う若い人たちの 国を想う気持と、彼らの資質の向上が大切ではないかと考えます。 若い人達が真に人間の精神の持ちようを深く理解して、「深根固抵」の気概を 身に付けて欲しいものです。押し付けでなく、自覚できるように指導することは出来な いものなのでしょうか。 家庭で親からの躾、学校での、体育など諸芸の中での教育などを、出来ないもの かと思います。勿論、教える指導者の基本的能力が問題ですが、何時までも堂々めぐ りでは話になりません。 自分に出来ない事を易いとして申しますのは、汗顔の思いですが、成人式に添える 一言と致します。
2008年01月14日
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「経過=シナリオ」 およそ物事にはその経過があります。 遂に船場吉兆は会社倒産しましたね。再建策をこうじているようですが、 今回のような、経過では客はついてこないと思います。 何れの場合も、騙しのシナリオでは、再起は不可能と見られます。世の中の厳しい 荒波にもまれて破綻するときは、債権者の同情もありますが、偽装や騙しでは救い の女神は現れません。 昨年の多くの破綻者は、何れも発覚するまでの過程とそのシナリオは許されるもの ではありません。 楽しいドラマのシナリオならば、何度でも見たいと思いますが、不快なものは 観たくもありません。 人の人生も、波乱万丈のシナリオがありますが、自慢できないまでも、己に恥じない 人の道を歩みたいものです。 もっか、娘が勤めながらの大学進学の道を苦労しながら歩んでいますが、その 情熱と努力に親として敬意を表したいと思います。この、苦しみの経過は必ず本人 の今後に大いに為するものと信じます。 人は安楽に目的を手にすることは、結果我が身のためならずと思います。 生きてゆく為の茨の経過は、学ぶべきものが多く、資質の向上には大切なことです。 小説のシナリオは初めに考えるのしょうが、人生のシナリオは予測できないのが 苦しみであり、楽しみでもあります。 残念ながら、私のシナリオはすでに、巻末に近くいかんともし難いようです。
2008年01月13日
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「転ばぬ先の杖」 生活の安全のための心得と言いますか。 「プリコーショナリー原理」といい、「事前警戒の原理」のことだそうです。 今、地球のあらゆる危機に対して、世界が何とかして、これから予測できる危険を 早めに回避できる対策を準備しなければならないと、考究しているそうです。 でも、本当に「転ばぬ先の杖」という魔法のステッキが手に入るのでしょうか。 今の時代ほど、広義にものを考え、人間世界としての協和を、認識させることが 可能でしょうか、結果行き着くところまで行かないと、解決しないのではないかと 感じるのです。 吉川英治の本からの抜粋ですが、「無数の人間は、譎詐(きっさ)、闘争、 貪欲の本能に踊るだけで、それは、太陽、月、星のごとき宇宙循環に約され た運命に動かされる宇宙の意志に従うのみしか、生きられないのではない か」と、戦国時代を見ていますが、この判断は現在でも変わらないように思いま す。 如何に「世代間倫理」が違うと言うても、その時代に万民が嘱望する、 安全と平和は変わらないことです。 政治を含む権威者は是非、「転ばぬ先の杖」を捜し求めて欲しいものです。korobanusakinotue
2008年01月12日
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「雛鳳」 (すうふぉう) 将来が有望な若人のこと 昨日のテレビで、石川 遼君のプロえの転進、記者会見を見て、近頃に無い 爽やかな青年と感じたのは、私だけでなく多くの視聴者もそうであったと思います。 彼だけでなく、お父さんもご立派な人格者であると感じました。 些か、情けない親子の対談を見ていたので、一層強く好印象を受けました。 沢山の優秀なスポーツマンも、感動する若人も居られますが、あのトークで十六歳の 少年とは思えません。成人してないのですから、少年ですよね。それでプロに挑戦し たのです。充分プロとしての人格は出来ていると見られます。 方や自殺したり、殺人を犯したりする少年がいるのですが、これほど立派な少年 も育っているのです。本当に心から感激しました。 ここでも、親をはじめ家庭の躾は、かくも立派に花咲くものかと痛感しました。 勿論、本人の資質によるところも多分にあるとは思いますが、その資質の形成も 親と家庭にあることも厳然と証明されたと思います。 彼も、これからは厳しい社会環境にもまれると思いますが、多くの支持者に助け られることでしょう。 「六徳」六つの美徳のことで、(礼、仁、信、義、勇、智)を言う。正にこの道理を 身に付けておられるようです。 あのお父さんは、我が家は普通の家庭で、決して「鳶が鷹を産んだのではない、 鳶が鳶を産んだだけです。」と言われたのも、そこになんの、おもねりも、主張も ありませんでした。鏡とするべき姿勢と感心しました。
2008年01月11日
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「不覚者」 悟れない、油断して失敗する、こと 不覚を取る、と言いますが、日常茶飯事のことです。 どうして、こんな事でとおもいますが、よくある事です。でも、其れが人間ですね。 近頃の政治を見ていると、それほど何でも「朝令暮改」の主張で、国民をもてあそぶ のかと、腹が立つより、情けない思いです。 新テロ法案は国民の意見などは関係ないのでしょう。それにしても、国会を延長して までも審議するにしては、お粗末過ぎないかと思うのです。 また、世界の情勢も、何となくきな臭い感じがしますが、どうなるのでしょう。 中国は、オリンピックを控えて、下はマナーの教育からと、国中がドタドタとし。 ロシアはエリツィンの独裁政権に向けて暴走の危機感を感じます。ということで、 世界を見ると、実に不安定な国際間のように見えます。 何処かの、大統領が「不覚」にもと、戦争のボタンを押さないとも限りません。 こんな、恐ろしい初夢は願い下げたいものです。 織田信長から秀吉の時代に変わる時、秀吉は 「先人の規矩にとらわれること なく、秀吉自らの資質である、戦法や施政をもって大道一貫を歩みたい」と 自らに心して臨んだと言います。これほどの自信と信念を持って、政局にのぞんで ほしいものです。 不覚にも、いまだ新年の屠蘇から夢さめず、「諸行無常」の心地です。
2008年01月10日
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「無碍自在」 (むげじざい) 心に何のとらわれる事も無く自在なこと 此れは仏教の言葉ですが、何かに挑戦する時、人は必ずいろんな迷いが、心に 生まれるものですが、その時自分の炭田に「気を入れ、無碍自在と念ずれば」 精神が統一されて落ち着き、自己の能力一杯の力を発揮できます。 勿論、日頃の訓練において、「無碍自在」の境地を我が身につけておかねば なりませんが、この「無碍」の真意を求める事は、至難のことです。 般若心経にもある、「心無圭碍、無圭碍故」(圭の字は、当て字です)と同じです が、人間「無碍」に生きられれば、これほど在り難い事はありません。 此れは、人の道の悟りです。ただ、かなわぬまでも、無心に没入できれば、それが 「無碍」の境地と言えるのでしょう。 人の世は、悩みや、苦しみのない暮らしのできることは、あり得ません。 「百苦一楽」が人生の常です。なればこそ、自分の心を鍛えねばなりません。 「一楽」を求めるのではありません、「無碍の境地」を自得することが生き易い、と 思います。 出きる、出来ないはどちらでも良いのです、スポーツでも、仕事でも、 愛でも我が身を没入する事が、「無碍」に近ずく手段ですね。 吉川英治著の太閤記に、前田利家が柴田勝家に言うた、敗者の慰めの言葉に 「勝敗は兵家の常、大きく宇宙の輪廻から観れば、勝つも奢れば亡ぶ日の一歩 敗るるも徹すれば勝つ日の一歩。 興亡の流転、一朝の悲喜である」と諭して おります。人生もこのように観ずれば、あまり肩をいからせることもないのではと 思います。
2008年01月09日
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「恐妻」 草柳 大蔵著 女性抄から 「恐妻」「協妻」「驕妻」など、少なくとも八種類の「妻」があるようです。 夫婦ともそれほど立派な人間ではないが、共に肉親となり、一時の感情で別れる ことなどは出来ない、善悪の絆があり、どちらが、先に逝くか分からない歳になっ て尚も、互いの詰まらない我を張り合うなど、情けないことばかりです。 この本の八種の恐妻もすべて、良き妻といえる(きょうさい)はありません。 何故でしょう、世の中の ご夫婦は等しく、妻は夫にとって「きょうさい」なのでしょう か、それならば、正に「結婚は人生の墓場」ですね。 ある人は、男と女は基本的に思考範囲が違い、問題の接点は交わらない。 だから、愛情という条件のあるうちは、どちらも合わせていたが、子供という共同 権利ができると、立場は同等化されるか、逆転するとも言われます。 互いの立場を認めて、順応同化することが出来れば、和やかな、麗しいい 夫婦になれるのでしょね。 こようなことは、親として、子供の範とはなりにくいことです。 ちょっぴり、恥ずかしい独り言です。
2008年01月08日
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「淑媛」 (しゅくえん) 教養があってしとやかな婦人=淑女 男の女性えの願望ですね。その前に自分が、女性から見て価値ある男であるべ きなのでしょうが。 ところが、男女間の求めあう気持は、実際はその刹那の条件反射みたいなもの で、それほど深く、相手の価値評価をしているとは思えません。 其れでよいのではないでしょうか、洞察眼のない者同士の出会いですから、強い 求める愛があれば、それで結ばれて良いと思います。 人間性は直らないとしても、その人柄は添った者同士で向上させる事はできる といえます。 ただ、世間の人たちに応援してもらえるような、純で可愛い、素直な人柄である べきと思います。そうでなくとも、そのように先ずは努力することが一歩です。 人はその育ちと言われます。あまり嬉しくない言葉ですが、でも、確かに親から 受け継いだ、人生教訓は身についておるのですから、それが人の道に叶うことが 多いほど、幸せであることは間違いのないことです。 それも、自ら身に付けることを勉学すれば、親の教え以上の人柄に向上するの も、間違いのないことです。 「淑媛」 の評価も人からされるものですから、自分では心がけの域をでませ ん。色んな習い事もしかりですが、日々の生活の中の、常識と節度、礼儀が最も 大切なことです。いや、「淑媛」のあるべき総てではないかと思います。
2008年01月08日
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「清潔」 自分なりの清潔感の矛盾 今は多くの人が、清潔を前提に生活をしているように見えますが、何となく 疑問を感じます。 自分だけが、「清潔」を叫んでも、その行動(アクション)がないと、「清潔」には ならないと思います。「清潔」にするのは自分なのです。他人ではありません。 よく、公共の場で、清掃をしている人に対して「もっときれいにして」と文句を言って いる人を見かけますが、その前に、自分の行いの反省をして欲しい方がおります。 自分の家庭での生活のあり方、それらの総てに「清潔」はついてまわります。 一歩外に出てから、家に帰るまでは、あらゆるところでの「清潔」な行為行動が あります。これらを自分に恥じない「清潔な行為、行動」が出来たでしょうか。 どんなに努力しても、100%は出来ないと思います。 でもその心がけが、本当の清潔に繋がると思います。 「清潔」とは相手に対する思いやりではないでしょうか。それが、清く美しい、 潔さになるようです。 自己中心のものの考え方では、はた迷惑になるのです。 人間としての基本的姿勢が清潔であれば、もっと素晴らしい生活ができる ように思います。 新春の初夢です。
2008年01月07日
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「新年明けましておめでとうございます」 今日六日12時の(のぞみ)で、息子は勇躍上京しました。内心やっと彼の部屋が あいた事を喜び、早速にパソコンに飛びついた次第です。彼に部屋とランケーブルを 占拠されていたので、( IT 関連の仕事なのです)何ともならず、我慢しておりました。 他ごとで、恐縮します。 久しぶりの家族の団欒は、たった、八日の休みかと思えるほど、短い時間でした。 何ら、これと言う事も無い正月で、親子の水入らずの集いですが、心和むもの ですね。親であっても今では対話の内容については、聞き役と言うか、教えられる 立場です。それが、頼もしく、うれしのですから、歳を感じます。 人生の流れは、自分独りのことではありませんね。身近なものとの生活のあり 様が、自分の人生であると知らされました。 今更何をと思われるでしょうが、総てを振り返ると、自我のあるところは無く、 家族をはじめ周りの人たちが、首座であるための自分ではないかと、何となく 理解できそうに思います。 ようは、自分の望むところは、周りの喜ぶことでその目標に向かっておれば 自然に我が身に戻るように思います。 「滅私奉公」したのは誰のためでもなく、周りの為だったのです。 こんな事が、私の初夢でした。どうぞ、今年も皆様のご支援をお願いします。
2008年01月06日
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