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「我慢」ことの良し悪しに関わらず辛抱だ。 辛抱や我慢することは、苦しいことです。 でも、それを乗り越えてこそ・・・・と言うのですが、 随分と我慢もしたが、何の目も出ないのはどうして、 もう、ここまで辛抱したのだから、我慢も限界です、と 人にもいわれ、自分でも考え、努力したが、・・・・・・・ どうして世の中はこれほど不公平なのか、幸せと言う 札が自分に来ないのだ。 このように考えていると、必然的にネガティブになります。 「我慢と辛抱」は、トイレに行きたいのを、こらえているの と同じ事です、開放した瞬間にホッとするだけです。 だから、生きている限り何度でも、繰り返し起こる事です。 幸不幸も繰り返し起こる事です。 誰でもが、毎日のように味合う食事の如きものと、考え るのが人生なのでしょう。 これほど、気楽な考えにはなりにくいかも知りませんが、 人間歳を取ると、前立腺肥大になり、小便の我慢が 出来なくなります。辛い事です。 同じく歳を取ると、「辛抱も我慢」出来ないのです。 老害の始まりです。最近は若い人でも多いようですが、 やはり、余り薬にもならないような年寄りは、はた迷惑 ですから、適当に終わるべきかも?
2008年02月29日
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「妖怪」 物の怪など 司馬遼太郎の「妖怪」を読んでいます。此れは余りにも 現実感がないので、少しのたのたして読んでいます。 でも、室町時代という昔は、世の中の総てが不思議なこと ばかりでしたでしょうね。 少し才能のある人の言動は、大衆は皆信じて聞いたこと でしょう、文盲であるのは独自の判断が本能以外に出来 ないのですから。 神仏を崇め、占いや行者の言葉を盲信したことは、仕方 ないことです。 だから、妖怪も現れます。暗くなれば、何も見えないのです 月明かりしかない時代は、何でもお化けに見えるでしょうね。 ところが、これほど煌煌とした明るい現代でも、「妖怪」は 跋扈しているのです。 情報網が行き渡り、自由な行動も出来るのに、居るのです。 「妖怪」ですから、どんな姿かは分かりませんが、皆さんの すぐ横にも居りませんか? うっかりすると、身ぐるみ剥がされ、食い殺されるかも、また 貴方の食べ物に毒を入れるかも、恐ろしいことです。 そうですね、宇宙の不思議から観れば、地球上の科学文明 などは、まだ原始時代かもしれませんね。 当然、不可思議な理解できない事があるのは当たり前ですね。 やはり、神仏なしでは生きれません。
2008年02月28日
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「素人力」 片山さんと言う熱血社長の言 企業を蘇生させる若き経営者の姿をみての感動を伝えます。 地域の閉塞した、会社を何とかして、もう一度生き返らせたい と、技術者でない社長が苦心の末に成功に導いたのですが、 最も感心したのは、その人の人柄です。 素人だから、専門家と違う発想がある。 素人だから、無駄とか出来ないと言う、経験値がない。 素人だから、色んなジャンルの専門家を訪ね協力を頼める。 素人だから、熱心で謙虚な姿勢で誰とでも仕事が出来る。 素人だから、行き詰まりや挫折がない。何処で、何でとなる。 まだあるように思いますが、何時もが崖っ淵の体制で仕事を している、と話していました。 大方の成功をしたのに、何の奢りもなく、何のてらいも見れません。 総ての協力者が、開発に行き詰まり自社の損失を続けることの 出来ない理由から、この仕事で継続は社内的に無理と言う時も、 彼は決して強引な説得はせず、その継続できない行き詰まりの 打開策を共に考える姿勢で話を詰めてゆきます。 その熱心さの為に再チャレンジすることに同意してます。 経営者でなくても、人間的に感服してしまう人柄です。 この人の仕事のターゲットは「安い人件費で日本の生産業を席捲 した中国に勝てる、抵コスト製造機の開発」でした。 所詮、仕事は独りでは出来ないと、達観して協力者の心を掴む ことが、成功の道と確信できる人だと感じました。
2008年02月27日
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「自給自足」懐かしいが好きな言葉ではない 子供の頃よく耳にした言葉です。 貧しいから、金で買う事が出来ないので、自分の家で作ったもの で間に合わした。そのことを「自給自足」と言うたと思います。 少し古い時代は、稼ぎがなくても、そのようにして生活が出来た のです。 その代わり、生活は苦しく、不便で、不潔でしたが、周りがほぼ 同じ環境なので、それほど恥ずかしくもありませんでした。 しかし、そんな生活から早く抜け出た者が、皆から祝福され 誉めそやされました、それで有頂天でした。 でも、陰では嫉妬、妬みが次第に多くなり、心の許せる人がすく なくなりました。 そうして、世の中は華美、享楽、と経済力の競争が激しくなり、 人々の姿は「枯れた大木」のように、空っぽの人間が多くなり ました。 その結果が、今日の泡とあくたの渦巻く、汚れた大河になったの ですね。 だからと言うて、「アーミッシュ文化」に賛同するわではありません。 色んな問題はあるにしても、大自然は静かに美しく生命の輪廻を 果たしております。 自然破壊にならない、慎ましやかな、文化と科学の発展を行い、 人類の穏やかな交流と感情を育成できる環境ができれば、 正に地球万歳ですね。
2008年02月26日
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「ほんもの」 相田みつをさんの書を読みました。 「トマトがねえ、トマトのままでいれば、ほんものなんだな。トマトをメロンに みせようとするから、にせものになるんだな。みんな、それぞれに ほんもの なのに、骨を折って、にせものになりたがる」 と書いておられます。 人の我欲と言うか、つまらない見栄に自分の姿を見失うことは、哀れなことです。 「自己顕示欲」 経済力、知識力、権力、武力、等などをひけらかすことが、 自分にとってどれほどの有利な効果があると考えるのでしょうか。 そのようなメッキはすぐに剥がれるのにと、人は見ているのに、本人の得意顔が 周りの失笑をかいますね。 「学歴詐称」「経歴詐称」 も恥ずかしい行為です。 北条時宗えの祖元の教えの一つに「心の見る物量を広大にせよ、心の視界 が狭小だと、胆量もまた自然に少量になるから、心で思うことを広大にせよ」 と教えています。自分の容量も、人の度量もこのように見ることが大切ですね。 だからと言うて、「暴逆無人」 こんな熟語がありましたかね、人に逆らい自分 だけの世界を作る人、とでもいいますか、こんな迷惑な人間も困ります。 多少「バカ正直」でも、自分の全部を見せられるのも悪くはないかもしれません。 ただ、余りにも「軽薄」過ぎるのもこまります。 ようは、余り飾り過ぎないことが良いと言うことになりますか。
2008年02月25日
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「不条理」 世の中理屈に合わない事が多すぎる。 今更でも有りませんが、「不条理」があるから、正論が成り立つのかと思えます。 国際貢献、社会貢献と快い言葉が氾濫していますが、これらの貢献は誠の内容 で行なわれているのでしょうか。 勿論、多少の利害関係は含まれているにしても、貢献と言える、役立ちができて いるのですかね。 日本は世界各国の色んな条件においての貢献はするべきと考えますが、それに 見合う国内の、色んなほつれを修復するべき費用は、効果的配分をした上での 事ではないでしょうか。 テロや国際的食品安全管理、温暖化対策、少子高齢化、青少年育成など、どれ をとっても国民の安全と環境をこれ以上低下させない施政が優先されるべきです。 国だけではなく、企業も家庭も、その立場においての順位は、互いに「不条理」を 感じながらも、協調しなければなりませんが、 「不条理」の妥協は後にしこりを残します。 誰でも、物事の規範は、先ず自分の持ちうる判断から意見します。 意見の相違は、その実績といえる日頃の行動の結果が示す事を正しいと判定 することになります。若し、それが権威という立場で否定されるならば、それは 「不条理」と言う事になります。 権威があるなしではなく、ただ反対だけをする、意味も理解せずにむやみに 否定するのも、「不条理」です。 此れは、親子や夫婦の間のやり取りでよく見る不条理です。家庭不和の最大 原因ですね。少し相手をおもんばかれば、感謝の気持も生まれるのに、 直情的に言葉にする愚を繰り返すのは悲しいことです。
2008年02月24日
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「欲望の渇き」 美しい自然の中に居れば、欲望の渇きは 癒されるか。 これは、あくまでも私の仮説的想像なのですが、人間の「欲望」は満たされた からというて、癒される事はないようにおもいます。 それならば、気持の良い自然界に身をおけば、つまらぬ「欲望」は癒されるので しょうか? 「欲望」と言う、際限のない思いは、どうしてもなくする事はできないのかもしれま せん。 私どものように、高齢者と言う歳になれば、達観できるのか、やはり無理 ですね。 でも、「欲望」の限界は各自それなりに有るのではないでしょうか。 その「限界もしくは限度」の尺度を自分で測れるならば、天も衆目も「その程度の 欲望ならば」と許してもらえるのではないでしょうか。 そうだ!程ほどの「欲望」ならば、ある方が人生の励みにもなると、喜び納得したが、 それが叶うと、また次の「欲望」が首をもたげる?! それが「ダメ」なのだ!・・・・やっぱり「欲望」は限りない欲望になるのか。 賢人になるには、「食欲、物欲、金銭欲、性欲」と本能欲ばかりに囚われている からいけないのだ、もっと「勉学欲、研究欲、社会奉仕欲、そうして、労働欲」を 希求すれば、これは立派な「欲望」であると言えます。 なんーだ!そんな事か、ヤメタ!となるでしょうね。
2008年02月23日
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「善意えの反感」 善意の言葉や態度に反感する。 そもそもが、「好意、善意」の態度や言葉はその扱いは難しいものです。 うわべだけでは、使わないほうがよいでしょう、使うほうの人も、うわべだけ ではない、ホンとの気持ですと言うて、その事で討論する事も出来ません。 また、懸命に良かれと作業しているのに、横から、今は邪魔になるから、それを 止めてくれ。と言われると、素直に「はいそうですか」と済ますことは出来ない。 など、そのために、苦しい、辛い行為をしている時に、温情や感謝の言葉の前に 否定されるほど不愉快なことはありません。否定した人は、最もな善意の理由が あったとしても、これは善意と善意の比重差で許されることではありません。 目的のある行為は、その段取りと準備が要ります、その為に周りえの配慮も計算 した上での作業と思います。 このような、お互いが、思いやりの欠如した立場の侭では、すれ違いの程度では 済まないほど根深い反感となり、修復不可能な人間関係になります。 これでは、何処に善意があるのか、何の為の善意だったのか、反感から悪意を 捻出した事だけになります。 目の前の人えの善意。第三者えの善意。衆人えの善意と、善意の向け先はある のでしょうが、これらの何れにも、善意と見える施しは善意ではなく、無形、無心 の心の尽くしでないと真の善意とはいえないと思います。 また、そんな気持を受け取る立場も、「真摯」な態度が大切ですね。 「感激、感謝」を忘れた気持は自分になにも戻るものはありません。 とこれも、我が身に感じた事です。
2008年02月22日
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「矩を踰えず」(のりをこえず) 七十にして矩を踰えず。 孔子の言葉です。人間七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。 と教えています。 私も既にその歳を過ぎて、未だ欲する侭には生きられていませんし、人生を 悟った境地にも達しておりません。いわんや、「規矩準縄」(標準、法則、道徳 的な基準)が備わったことを「矩」と言うなら、これも未熟です。 ただ、「従心」従う心はあるとおもいます。 「踰」は、踏み越える、またいで越える、と言うことですが、これも無理です。 勿論、孔子ほどの、賢人との比較ではありませんが、教えの道に順ずる 気持はおおいにあります。 それでも、同じような年代の人が、挨拶をしないような態度をすると、自分も 同じように、無言のままで頭を下げないのは、やはり己の恥ずかしさに滅入り ます。人は、悪行するほうが、善行するより、容易いのが情けないですね。 毎日が、接する人が自分に対して、好意的な態度を示す時だけ、好意ある姿勢をする のが既に、自分の気持を前提にしていることですから、人間としては半人前ですね。 だから、善行に対するに善行だけでは、当然の範囲という事です。 凡人には、それ以上のことは、気持も勇気もありません。だから精進も此れまでの 人間だと知るべしなのでしょう。
2008年02月21日
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「復活」 吾が人生には復活はない。 今住んでいるマンションを購入してから二十数年になりますが、如何に自分なり に手入れをしていても、住居に付属する、風呂や給湯器、洗面所、トイレの ウオシュレット等はその部品が劣化して不正常になります。 修理を依頼すると、年数が古すぎて補給部品がありません、と言われ、挙句に こんど故障したら、新品と入れ替えするしか仕方ないですね、・・・・仮に給湯器 だけでも、最低30万円ほど掛かります、とのことです。 年金でも、ローンは出来ますよ、と言われ情けなくなりました。 願わくば、機械よ何とか、機能を復活してくれ!と祈りましたら・・・・動き出したの です。感激です、でも何時まで動くかは分かりません。 人間の体力や能力が劣化した時、其れを復活できる可能性はあるのでしょうか。 倒産企業も企業再生計画という魔法の杖がありますが、年数をかけて使用した ものには、再生という復活は期待できませんね。 リサイクル法も、その物を分解仕分けして、素材化したものだけの再利用になり 形ある物の再生は出来ないことになります。 当然のことですね。だから、元もとの基本性能を始めから、寿命の長い丈夫な ものにしなければならないのです。人間も同じ事です。
2008年02月20日
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「少子高齢化時代」 何となく淋しい言葉ですね。 叱られるかもしれませんが、戦時中は「産めよふやせよ」と、戦場に駆り出された 男達の穴埋めに、子供を沢山産んでください、ということでしたが、これも今考えると おかしなことですね、主人が戦場に行き不在なのに奥さんだけで、産め言うても? 不思議なアピールではないでしょうか。まあー、昔のことは仕方ないとして、 現在の「少子」子供が少ないのは、どうしてでしょう?これも国の指導に由るところ ではないでしょうか。このように政府はその時どきで、結果論議ばかりです。 どうして、来るべき将来を見とうした施策が出来ないのですかね。 高齢化もそうですが、何となく「高齢者」は今や五人に一人と言われ、生きてる事が 申し訳ないように思います。 当然働いているべき若者が、ニートという無為欲な生活をするのは、なにが原因 なのか、どうしてそんな、社会環境になったのかを探求して欲しいものです。 今現役の若い人たちを、完全就業させて、意欲的で楽しい結婚生活をしてもらえば 自然に子供は増えて、健全な社会が実現できるのではないでしょうか。 高齢者も安心して、向後を託くせるならば、自然な生命の循環になるように思いま す。問題になっている、官僚の腐敗は、総てが為政者の、自分だけの権政を求めた 我執の結果ではないでしょうか。情けないことです。 本当に、国ため、国民のために、自分の身を呈して政治をしてもらいたいもの です。
2008年02月19日
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「寿命」 物の寿命は短いものです。 人間の寿命は、病気や事故がない限り、自分の心がけ次第で長くもなりますが、 色んな物の寿命は、何処のパーツがダメになっても、既に使い物にはなりません。 その、部品(パーツ)のメーカー在庫が、販売店に言わせると、二十年も置いてない とのことです。 勿論、品物により違うのでしょうが、これほどエコ活動を提唱している割りには、 依然として「ビルド、アンド、スクラップ」が当然のようです。 余裕さえあれば、誰でも新品の高性能な商品にしたいと思いますが、残念ながら 「寿命」切れるのは、何もかも、ほぼ同時になるようです。 丁度、団塊世代の定年と同じように、総てが一時になります。 その上、アナログから地上デジタルテレビに変えらるのですから、貧乏な年金 生活者はとても耐えられません。 だから、お前も、もう「寿命」だから早く廃棄せねばと言われているようです。 家電、空調、厨房、そうして自動車などの商品は日常生活の必需品です、 現在使用している限りは、なしには出来ません。 食の安全も不可欠な事ですが、生活商品も使用上の安全は大切なことです。 もっと、安全に長く使えるように、国もメーカーも配慮して欲しいものです。
2008年02月17日
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「妄想、雑念」 「莫妄想」という仏の教えがあります。 妄想するなかれ。と言うことですが、人間妄想とか雑念は日々付いて周ります。 ただ、妄想や雑念に囚われては、自分の人生を誤るから、程ほどに忘れてしまえ、 ということのようです。 人間の三欲に「食欲、物欲、性欲」があり、この妄想に没入する事が多いのが、 こまります。 「莫煩悩」とも言われますが、普通の生活の中で、小さい希望を持つことは、当然 であり、そんな気持を否定しては生きることも出来ません。 人との付き合いにしても、好意が愛情になり、それが結びつきになるのですもの、 その心の流れが、妄想であり、煩悩であるのですから、このような前向きな気持 があるから、人生が楽しく、面白いのですよね。 私の考えが間違っているかも知れません。「莫煩悩、莫妄想」とは「よこしまな」が 前につくのでしょうね。それなら、「雑念」とも違いますね。 自分の考えに、よこしまな雑念があったのですね。申し訳ありません。 人間同士の交わりのなかで、気持と言うか、心と言うか、接点の繋がりにくいこと は悲しいことですが、本当に多いですね。 それは、それぞれの気持にあまりな「妄想や雑念」があり過ぎる為でしょうか。 「気持のそぐわない」ことが多すぎませんか。
2008年02月17日
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「すがた」 姿、姿勢ともに、見える形です。 姿が良い、姿勢が良いなどと他人に言われると、嬉しいものです。 でも、大変失礼ですが、背筋の伸びた、顎を引いた、綺麗な姿はなかなかお眼に 掛かりません。 特に女性の立ち居振舞いの美しい姿は、洋服であっても同じと思いますが、見る 事が少ないように思います。 批判はしたくないのですが、テレビで見る出演者と演出者ですか、それらの人は そこに出ている人の姿を、視聴者の目で見ているのでしょうか、無関心のように 感じます。ミニスカートの可愛い女性の、映された足はひどいオー脚で、自分が 恥ずかしくないのかと思います。 男性の裸体の出演者も最近多いようですが、自分の演技の時だけ裸で見せるの は仕方ないにしても、バライテー番組中裸でいる必要はないのでは、これほど 不快な見世物はありません。演技が終われば、簡単なものでも羽織るべきです。 同席の出演者にも失礼ではないでしょうか、それとも皆さんも無関心なのでしょう か。 フィギュヤー女子選手達の完成された肢体とは言わないまでも、同じメディア で活躍するなら、男女共に自分の姿を、視聴者に自信を持って見せて欲しいと 思います。 自分の姿にも、美と礼節のある形を心がけるのも、映えある幸せではないで しょうか。
2008年02月16日
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「スピンアウト」一部を分離すること。 企業で使われる用語の一つですが、発展する企業の中で特に成長度の高い 事業部門を分離経営することを、「スピンアウト」すると言うそうです。 企業は生き物だとよく言われますが、経営の統合や、分離独立など、離合集散は 日常のように行なわれます。 人間個人の環境においても、同様なことが繰り返されています。 人間同士での、「スピンアウト」は、つまはじきされた人のことを言いますね。 これは、時には社内のルールにおいて人権問題にもなり兼ねません。 しかし、世の中には甚だ常識はずれの人間もおり、その対応に苦慮する事が あります、このような人間は本当に「スピンアウト」したいと思いますね。 また、人生から落伍する事も「スピンアウト」と言うのですかね。 企業の「スピンアウト」は発展する事なので、喜ばしい事ですが、人間個々の場合 は、悲しい境遇を見るようです。 今、格差の問題や、いじめの問題など、人間関係の不公平を論議されますが、 これは修正できない事ではないかと思います。 元来、人は格差を望み、不公平を好みます。内心では、人の不幸を喜ぶ、悲しい 性を持っているのですから、だから、優位な立場で人に恵むことを、悦びと思うの ですね。 神はこのような理不尽な心も人に植え付けたのです。出来ることなら、こんな 気持こそ「スピンアウト」したいものです。
2008年02月15日
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「火事」最近は火災事故で多くの焼死者があります。 ほぼ毎日くらい、各地で火災事故があり、焼死者が多いように思います。 事件絡みもあるのでしょうが、家族の何人かが一緒に亡くなるのは、耐え難い ことです。 家の構造が、密閉されていて、脱出が出来ないのですかね。 ニュースでもその辺の詳しいことは報じられませんので分かりませんが、 よく消防署の火災発生原因や、消火訓練などを見ますが、これらの効果の程は どんなものなのでしょうか、逃げ遅れるにしても死亡率が高いように思います。 殺人放火の場合はどうしょうもありませんが、失火の時は、気ずきが遅くても 助かる方法はあるように思いますが、これは無知な考えでしょうか。 現在は、防炎、防煙などの、建材があるのに、それでも火の周りは速いので しょうか。 交通事故も減っている言うても、火災事故での死亡率以上と思いますが、 このような、不慮の事故で大切な人命を失うことは、何としても防がないといけ ないと考えます。 日本列島は災害列島なのですから、人為的な不幸な災害は極力防がねば ならないことですね。 あまり費用の掛からない、防火、防犯設備を、特に弱者を前提に、援助する 対策を国は考えて欲しいと思います。
2008年02月14日
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「習慣」 習ったことになれる。 人の行動には、幼児期から教えられた事に少しづつ慣れながら、自分の 能力と知識にして行きます。 「習慣は自然のごとし」 習慣化することで、生まれつきの性格さえ変える ことが出来る。と教えています。 自意識の中にある、習慣をどのように、磨き、鍛え、向上させるかは、自身の 意欲のほかはありません。 悪い習慣は、自分で打開することです。 しかし、どうしても身につかない習慣。「勉強や奉仕、礼儀、」などは良いことだと 分かっていても、それを習慣化することは難しいことです。 反対に、「怠惰な気持、我儘なこと、自分本位で身勝手」のような習慣は容易に 習慣化します。 特に、「性欲、物欲、食欲」の三大悪の習慣は、自制し自分を律することは、如何 ともしがたいほどです。 勿論、これらの欲望はすべてが動物の生存に欠かせない自然の摂理でもあります。 本来の動物達は、正に自然の摂理以上の欲望は求めず、死生の循環と子孫の 継承に順じているように思います。 人間だけが、神の理念に逆らう知識を与えられて、生存の格差を自ら招いている ように感じます。 最近、人間だけが、延命できる魔法の杖を求め得た様に見えます。 平均寿命が長くなり、人類の科学と文明の成功の如く言われますが、果たして そうでしょうか、少子高齢化時代は、バブル文明の落とし穴のように思うのは 間違いでしょうか。 温暖化問題も化学文明の発展という人類の奢りのように見えます。 世界中が偽りの平和論に偽装されているのではと、薄ら寒く感じるのは私だけで しょうか。
2008年02月13日
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「稼ぐに追いつく貧乏なし」 稼ぎに専念すれば貧乏に負けない。 此れだけでは、教えの諺にはならないと思います。 確かに、わき目もふらずに働けば、無駄な金は使わないし、遊ぶ閑もない。 と言うことですが、それは昔のことです。 最近は、数多の情報が誘惑をするので、働いてもそれ以上の出費に泣かされ ます。 カード地獄もあり、よほどの石部金吉でないと、「あー此れは仕方がない」 「こんなに安いものは、今買っておかないと損をする」などと、自分ではセーブ している積りが、請求書を見て真っ青なんてことが侭ありませんか。 これでは、貧乏はすぐに追いついて来ます。 テレビショッピング、ダイレクトメール、インターネットオークションと限りない 浪費の誘惑が押し寄せています。 カード会社も審査が厳しいと言いながら、次から次えとカード会員を募集して 現金で買うより、このカードで買い物するほうが、安く、ポイントも溜まり、大変 得ですよと誘います。キャッシングも低金利で融資しますので、どんどんと、 計画的に利用してください。・・・・総てが気持の弱い民衆を、借金地獄に誘い 込んでいる様に見えるのです。??? 今の社会現象は、どれほど多くの情報を知っているかによりその人の実力が あるのかと、評価されるほどです。 正に洪水のごとき情報を、どのように取捨選択するのか、どれが信用の出来る 内容なのかと、混乱のなかで判断出来るほどスキルがあるのでしょうか。 失言しましたが、とても私には無理ですし、経済力もありません。 確かに、何事も飛躍的に安全で便利になりました。交通機関に限らずあらゆる ところで、キャッシュレス時代になったのですから、それでも、自分の懐も当座は、 厳然として、空っぽなのですけどね。
2008年02月12日
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「思いやり」 少し押し付けですが、優しい言葉です。 色んな良い言葉がありますが、どんな言葉も、其れを口にされると、一瞬何故か 素直になれず、気持が引いてしまうのは、どうしてなのでしょう。 人の反射神経は、常に反発することによって、頭の回転が起動するのですかね。 自分の思考する流れも、先ずは、「エ!、何で!、でも!、しかし、そうかなー?、 わからへん?」 と疑問か、否定かの思考から入るように思います。 だから、突然、「もっと思いやりのある態度で」と言われても、即動することは 出来ないし、反発的思考から、納得できる思考にまでは、随分時間が掛かります。 そもそもが、相手を慮る言葉は、「優しく、親切に、丁寧に、」など抽象的表現が 多く、それを言われた方は、「どないしたら、ええんや!」となります。 従って、これらの言葉は、相手に注意するような言い方ではなく、日頃の態度の なかに、そのような気持を埋め込んでおく事が大切ですよ、と教えることですね。 この言いようも、押し付けになりますか。 「親の、先輩の、先生の、学者の、坊様の、政治家の」教えになる、また、 指導的言葉は、どれも素直には受け取りにくいようですね。 だからと言うて、指導や教育をしない事はもっといけないことです。 それらの人たちの善導には、思いやりのある気持で、素直に聞くことが大切 なのです。と思います。
2008年02月11日
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「人の命」 今ある命は大変希少な価値です。 9日の「オーラの泉」を見て江原さんと、美輪さんに教えられました。 人は生まれてから、自分で予期しない多くのリスクに見舞われます。病気、怪我、 事故、災害など数限りない危険と戦いながら、生きのびて居ります。 私も古希です が、即ち「古来稀なる年齢まで生きた」ということです。 このことは心から感謝しなければなりません。それも健康であることは、大いなる 幸せです。 その感謝の気持を、せめて身近な人々にでも、精一杯に尽くす事が出来ればと 思います。 自分の今ある環境に対して、不平不満を言う事は自ら、生きている喜びを放棄 することです。仮に肉体に不遇を負っていても、命あることには替えられない喜び と、せねばなりません。 新太閤記(吉川英治著)のなかに「自分のいのちが、過去、現在、未来えと 想いめぐらせば、人生のおもしろさ、いのちの息吹きの楽しさは、山頂では なく、逆境の山の中腹にあると言える。谷あり、絶壁あり、渓流あり、断崖あり 雪崩ありと、険路にぶっかって、もう駄目かと思い、いっそ死んだ方がましだ、 と、思い、いやそうではない、と目の前の艱難と戦い、それに克って、我生きた りと生命の歓びを感じてこそ、人の一生ではないか」 と秀吉の言葉です。 自分だけでなく、周りの人の命も大切にしたいものです。
2008年02月10日
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「知識力」 此れの欠如に嘆く。 知識は努力すれば、出来るものと思いますが、知識の力による、問題の解決 には、その追求してゆく能力が、どうしても付いてこないのです。 提議された問題を、どのように解決するのかと言う、仮に、小学生程度の算数でも、 既にその答えは分かっているのに、応用とスキルが分からない。 パソコンの次えのステップをどうするのかの、スキルができない。 すぐにギブアップしてしまう。そのスキルを探す事が出来ない。 考えてみると、自分には元から探求心が乏しいように思います。 それに、頭の対応力が弱くなれば、仕方のないことです。 「5W1H」 とか 「起承転結」 とかの作文能力と等しい、疑問の発生が少ない、 何故、と考えない、思いつかないことが、事の進展を停止しているように感じます。 それならば、誰かに聞けばよいのではと、ところが、疑問の焦点がぼやけている ので、これも侭成らないのです。どうも自己弁護に終始しているようですね。 子供達から、親父(おやじ)は、頑固な上に自己弁護が多いと、言われまた、 そうではないと、自己弁護をする始末です。これも、基本的判断力の欠如の致す とこかもしれません。 ただ、残念に思うのは、パソコンでもその手順は(参考書などではなく、事の発生 時点での説明)を多少幼稚なくらいに、説明が欲しいと思います。 人間は忘れる動物なのですから、忘れながら覚える、スキルがあれば最高です。
2008年02月09日
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「狂喜」 乱舞すると言いますね。 最近そんなに喜んだこがありませんが、ここ連日ロト6で4億円長者が三人も 出ています。この人たちは正に「狂喜乱舞」しておられることでしょうね。 それほどのことでなくても、「狂喜」することはありませんね。 満面に喜びを表すような事も、思い出せません。 どうして、喜び合うようなことが、ないのでしょうね、少々の事では、喜べないのです かね、無関心に成っているのですかね、隣、近所でも、笑い声が聞こえません。 だから、お笑いのバライティーがテレビで多いのですかね、 マンションも防音が良いのか、他の騒音は聞こえても、笑い声はありません。 対話による、笑い、「狂喜」するような声は、耳にしたことが、トンとありません。 それほど、世の中は暗いのでしょうか、それほどには感じません。 ならば、人の心が無機質な感情になっているのでしょうか。 もっと、明るい人間同士の会話が欲しいと思いませんか。 確かに世間の風聞は、暗いことばかりのようですが、せめて家族や友人同士では もっと、明るく声をあげて笑いあう雰囲気がほしいものです。 「笑う門には、福が来る」 と言います。腹のそこから笑いたいものです。
2008年02月08日
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「迷路」 人生には道に迷う事がある。 人は人生で色んな岐路に迷う事が、侭あります。 自分の信念に筋を通して生きている人は迷いが少ないかも知れないが、時の 情勢では左右を決めかねることもあります。 「義に流されるか、情に流されるか」 決断に迷います。 親子の間でも、「心を鬼にする」ような苦しい時もあり、夫婦でも一つの形になる とは限りません。 また、決めた後でもそれの良し悪しに悩まねばならないこともあります。 ましてや、会社や公の場では、決断することに、自分の人生をかけねばならない し、勇気のいる事も多いようです。 「義に竿させば角がたつ、情に棹差せば流される」 とも言われ、人生の 迷路は限りありません。 「人間社会では、色いろの相の坩堝があると言う。時の創造に参画すれば、 その時に屠むられ、過去、現在、未来の三道の辻に、咲いては散り、 散っては去り、儚い盛衰を繰り返す」 と言います。 でも、人生の迷路を克服できることは、自分の大きな成長ともいえます。 私どもは、日夜経済的な苦しみに迷い、人の道が霞むこともあります。 貧しくとも、胸の張れる、迷いのない人生を過ごしたいものです。
2008年02月07日
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「反感と反抗」人間の負の要素。 「反抗や反感」を持つことは、人生のマイナス要素であります。 これから生まれるプラス要素は殆どないでしょう。だが、悲しいかな人にはこの 負の感覚が以外に多いのです。 何事にも、必ず反対の意見や感情をだしたり、言葉にすることがあります。 対話においても、強圧的態度、見下した態度、冷淡な態度に対する気持は、誰でも 「反抗的、反感」をいだきます。 此れは、如何に上司といえども許される態度ではなく、「反抗、反感」を持つのは 当然ですね。 反対に、何時も「反抗、反感」の態度をする部下も、許されないことです。 人は、自分の経験や現環境から、対人の言葉や意見に対して、比較的理論で 心に「反対、反抗、反感」などの感情を持ちます。 これが言葉に出ると、相手も同様に反体制になります。そうして口論となり、 つまらぬ争いに発展するようです。 「協調、同調」のできる人は、日頃から人の意見をよく聴く姿勢があり、内容の 違いには善意の「協調や同調」の心で接します。 だから、周囲の人から尊敬され、好感度の高い人になります。 人生、当然「協調、同調」性の高い、好感度のあるようになりたいと思いながら、 何故か反抗的姿勢になるのはどうしてかと思いますが、悲しい性なのですかね。 よく言う、「自分は」の主体を己で高めないことですね。所詮大したものではないの ですから。 「己れを知る者は人を怨まず」(自分自身を知れば、自分の欠点を他人のせいには しない) といえますね。
2008年02月06日
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「性は相近し、習いは相遠し」 論語、 人は生まれたときは、それほど違いはないが、生まれてからの、行動や 考え方の習慣により、それぞれの人生は大きく変わる。 此れは生まれた環境に、プラスされる人生ですね。 人は生まれた時からの基本的資質にある程度の違いは、遺伝子によるところも あるのでは。自分の両親をはじめとして、先祖からの受け継いできた、「血という 遺伝」 があります。 それに幼児期までの、教育と環境は自分の意識外の精神性になると思います。 それでも、その正悪の性格は人間としての、正しいと言える思考に立ち戻るべく 軌道修正のできる、自己判断が青少年期に芽生えれば、 其れは素晴らしい人間形成になると考えます。 これは、「雛鳳」(すうほう) (将来の有望な鳳の子供) となるでしょう。 だから、表題の諺も間違いではありませんが、かく、喝破するほどではないと 言えます。 個々の遺伝子は、受けた子孫自身の持つ資質により、変革の可能性があ る。 と言えるのではないでしょうか。 人の原点は 「神のみぞ知る」 ことではないでしょうか。 人の一生も、人格も生まれてから作られるものでしょうから、自分で研鑚のほか ないように思います。
2008年02月05日
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「規律」 きまり、順序、秩序などのこと。 職場という所から離れて既に数年になりますが、どうも性格的に落ち着かない 人間で、仕事をしている時より、毎日が忙しく、自分で決めた「規律」の通りに時間 が流れないと、面白くないのです。 朝の6時から夜の10時まで16時間は、日によっ少しは変わるが、大方は同じ スケジュールです。ですから退屈する事は滅多にありません。 朝は、洗顔後、ストレッチとトレイニングに約30分、これは四季を通じて、ランニング とパンツのみで、部屋の中ですが、空調無しです、その後冷水摩擦を済ますと、一日 が始まります。極度の体調不良と入院以外は、十数年続けております。 年齢と共に苦痛な日もありますが、止める怖さが励みにもなっています。 不思議なもので、自分の毎日のコンディションが朝一番に何となく分かります。 家事手伝いの他は、家族の団欒か、旅行になりますが、それの他は総て自分の 時間で、パソコン、書道、読書に明け暮れています。テレビは大河ドラマと時代劇 を自分の好みとして、以外は家族の共感できるものです。 すみません、聞かれもしない吾がことを、自慢げに申し上げ汗顔です。 「規律」と言う縛りに自分を置いて生活すると案外に、有意義に思う時間を持つこと ができるように思います。 だからと言うて、日々の生活が満たされているわけではありません。 貧しい生活をどれほど、気持だけでも豊かにと念じております。
2008年02月04日
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「語彙力」 漢字の読み、書き、用法、慣用句などの知識力。 ほんとに、今まで何を勉強してきたのか、と思うほど、日本人である事が恥ずかし い限りです。 毎日、新聞を読み、小説を読んでいるのに、記憶力が乏しい為か、読めても 書く事は辞書無しでは出来ません。それも簡単な字ほど忘れています。 だから、辞書を引く時は、関連する字句も一緒にメモすることにしています。 記憶術とか、速読法とか、色んな頭の良くなる本を見ても、基本的能力のない 者が習得できようがありません。 英語にしてもそうです、会話の出来ないことは、通用しない勉強です。 特に弱いと感じるのは、算数です。鶴亀算、仕事算、旅人算、過不足算など 殆ど忘れています、いわんやな、暗算など駄目ですね。 歳をとっても、昔取った杵柄の方も多いと思いますが、私は駄目です。 そのように振り返ると、社会学にしても、当時に即応しただけの知識しか身に 付いておらず、儲ける事が、会社だと考えていたのでは、最近の多々ある不祥事 をした経営者と何ら変わらない失敗をしていたかもしれません。 もっとも、その前に自分の人間性が問題ですけどね、背骨に一本筋を通うした 心意気であれば、立派ですけどね。 いずれにしても、もっと「語彙力」を高めなければと、痛感します。
2008年02月03日
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「神授」(しんじゅ) 神の授けもの、天の与え物。 「奇瑞」(きずい) 不思議な目出度いこと。共に誰にも、何事にも頼ることの 出来ない、状態になると、自分の心に念じることは、つい神頼みになります。 まさか、命の土壇場で思う未練はないでしょうが、人生の行き詰まりの時は、たぶん 「神授」 に預りたいと願うものではないかと、考えます。 でも、神様も冷たいもので、殆ど助けてはくれません。それは助けない事が、その 人の心の強さをつくる為の助けかも知れません。 「奇瑞」 は自分の予期しないときに起こる、目出度いことです。 宝くじに当たるとか、大きな遺産が転げこむとか、これもありえないことの方が多い ですね。 とすると、「神授」も「奇瑞」も願うことの無駄であるかを、知るべしとなります。 それでも、人は、もう駄目だと失望と落胆に打ちひさがれる事は侭あるものです。 その時に、助けてくれる、時の神は、あるものです。 それには、日頃の自分の行いに、精一杯の善行を心掛けないとだめですが、 善行も何がそうなのか、判らずにいる人もあります、それはそれでも良いのです、 仮に悪行の限りを尽くしていても、改心する心のある人は、神は見捨てないと 思います。 また、抹香臭くなりましたね。お許しください。 昨日のロト6では、4億円長者が2人もでましたね、此れは、大奇瑞と言えますね。 他人事ながら、当選者はどんな人生を送るのかと気になりました。 世の中に、このような、果報者が出ることを知らされると、欲深い者は、ついその 気にさせられますね。 見たらあかん、聞いたらあかん、真面目に日々を勤める事が大切やと、・・・・・ 念じるけど、・・・・ですね。 これも夢、あれも夢なのですが、ささやかな人生を求めていても、楽にはなりません。
2008年02月02日
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「動機」 事の起こるきっかけ、原因となる心の動き。 人が何かの事で、行動を起こす「動機」は、そのことが良いことにしろ、悪いこと にしろ、原因となるべき心の動きがあるはずです。 しかし、その「動機」は犯罪用語のように悪い事に使われるのが多いように思い ます。勿論、事業を起こすとか、俳優になるとか、結婚するとか、ありますが 「動機」を強く感じるのは、犯罪のように思います。 テレビのサスペンスの見すぎですかね、「動機」の裏ずけがある、などと言われます ね、 でも「動機」ほど不確定なものはないように思います。 そのことを起こした本人でも、突き詰めて問われると、画然と「動機」と言えないこと も多いようです。 「裁判員制度」などが始まると、証拠に次ぐ「動機」は判定し難いことです。 人の心の暴走は、動機なくしては起こらない筈ですが、暴走するような心の持ち主は また、甚だ不安定な心情であると言えます。現(うつつ)か幻かも判断できない時の 行動ですから、動機と言えないかも知れません。 幼児殺人事件の畠山静香などは、その犯罪行為の目的が、何を自分の利としての ことかを、本人自身も分からない動機ではないかと感じられます。 なんとなく、現世の生き方の難しさを感じるような、「動機」を思いました。
2008年02月01日
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