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お久しぶりです。日本で就職して、早や6年目です。願わくば、マレーシアの生活に戻りたい!日本は時間に、どうしてこんなにもストイックなのか??時間ではなく、人間に合わせてほしい。そんなこんなでまた、書き始めます。よろしくです!!
2013年06月23日
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--- On Tue, 2013/2/19, > wrote:
2013年02月19日
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気づけば、最終更新から3ヶ月。早いものだ。今まで見たことも無い採用通知、これを受け取って、早3ヶ月。私はこれから何を、そして、何に備えをすればよいのだろう。今までの経験の整理だろうか。そこから得たものの再確認なのか。目に見えることで挙げれば、スーツ、腕時計、財布を新調した。外見ばかりの準備は、私にだって多少は分かる。内面の準備は、良く分からない。必要なのは、こころの休養だろうか。
2008年02月06日
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神も、仏も、この世界にはある。私は感謝する。そして、私は、約束する。私と出会うであろうすべての幼きものたち。私は、私の全力をもってあなたたちを導く。私はその機会を得た。迂回だったのか修行だったのか、これでようやく一人前になる出発点に立った。全速力で駆け抜けてやる。私が再び誰かに呼ばれ、召されるその時まで、私は、彼等のために全力を尽くす。私が生きるためではなく、あなたたちがよく生きることができるために私は、最大限の努力をしよう。強い日差しから守ってやる。そして、心地よい風をよび込もう。感謝されなくてもいい。私はそのためにここまで来たのだから。ただ、感謝申し上げる機会を与えられた。この機会は無駄にしない。
2007年10月03日
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久しぶりに帰りたいな。
2007年06月04日
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何のゆかりもない人たちからみると、とことん、無意味に見えて、非生産的で非効率であるように見えるけれど、それでいて、その方が最も効率的で、円滑であり、説明不要のルールが文化と言うのではないかと思った。
2007年03月06日
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早い話が、スキミング。多分、KLCCのどこかの店は危ない。だって、そこでしか使ってなかったから。その後、香港で野菜を買ってますよとカード会社から連絡があった。なんだか、ちょっとしょぼい。
2007年01月15日
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マレーシアでは、ビールに困らない。特にサラワクなんかでは、不思議と半島より安く手に入った。陸軍が横流ししているなんてうわさを聞いたが、イスラム軍隊も酒を飲むのだろうか。。。タイガービールなんて1本90円だったから毎日必ず買って帰宅していた。しかし、日本酒のような米から作られる酒は恋しくなる。自分はイバンの友人が多く居たので、密造酒は比較的簡単に手に入ったから正確には「日本酒」「焼酎」に飢えると言ったところか。海外へ出ると日本のモノがやたら貴重というか、大事と言うか、希少になる。金さえあれば何でも手に入るKLCCだが、ちょっと驚く価格になる。いいちこのブルーの瓶ちょっとだけグレードの高いもの。日本では千円程度。でもマレーシアではRM100を越えていた。日本円では3000円以上と言ったところだけれどいいちこに100リンギットはないよなぁとか。でも、ほしいから仕方が無い。クレジットで買った。いいちこにクレカ。これが後にえらいことになる。
2007年01月10日
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中国正月(日本の旧正月)にアンパオをもらったことがある。職場の上司から。紅の袋でアンパオ。日本のポチ袋と一緒だと思う。そこにRM40入っていた。ちょっと上司ともめている時期だったから真剣に悩んだ。上司は中国人だったからだ。中国人は4の字を嫌う。発音が死と同じだからだ。結局聞けずじまいになって帰国してしまったが。マレーシアには年に4回くらい正月がくる。それぞれの民族ごとにあるからだ。ムスリムもアンパオを真似た緑色の袋にお金を入れて配る。ただ、いわゆる新年とはかなりずれた断食明けの頃の話だけれど。同僚からアンパオをもらった。中をあけるとRM5緑の紙幣が入っていた。正直、たったの5リンギット!って感じたけれどニコニコしてもらっておいた。そして、その5リンギットは山盛りのpisan gorengに変わってその同僚のおなかの中に入っていった。
2007年01月09日
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買い物の車の中で何気なくラジオをつけると、女性が時代の流れがどうのこうのとしゃべってた。チャンネルを変えようとしたとき、話が「トムとジェリー」になった。どうやら、子供番組と言うことで喫煙シーンがカットされるという話題だった。もちろん葉巻もだめ、煙もだめで…しょうがないね、と思いながらトムとジェリー、昔よく見たなとか耽っているとそのラジオの女性は嫌味っぽくなくこう締めくくった。「タバコのシーンが問題になるなら、 動物虐待は問題にならないんでしょうかね」たしかに!っと思った。
2006年08月31日
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マレーシアのジャングルの奥にイバンの村があるのだが、そこに帰りたくなる。初めて行ったのは収穫祭のときだった。長屋が二つしかない村だったが(と言っても数百人住んでいる)生贄をささげたり、占いをしたりして将来の吉凶を見ている様は現代の格好のまま、古代に帰っていく趣もある。密造酒は日本酒と同じで、ふな寿司と全く同じものがありことばだけだが「ウマイ」という料理もあった。さすが首狩族の末裔体に刺青があるのだが、お花だったりとちょっとおちゃめな部分もあった。もう、数年行ってないから行っても歓迎されるだろうか…。それとも、やっぱりなんで今頃とばかり軒先につるされる運命になるのだろうか?どっちにして、もう一度くらいは戻りたいな。
2006年08月30日
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夏も終わろうとしているけれど、でも、心霊について書こうかな・・・。ある年の夏の終わりごろ、あるいは、秋の始まりのころと言ってもいいかもしれないちょうど今ぐらいの時期だろうか。私は、関東に近い東北のある場所にいた。そこで、あるプロジェクト参加のため3ヶ月ほどの研修を受けるためだ。その施設は、自然の広がる場所にあり、その施設から正面に見える建築物まで何キロも離れている、つまり人里からは一定の隔離がある場所だった。その施設で私は奇怪な体験をすることになる。ちなみに、後日分かったことだがその正面に見えていた建物では、料理人がそこで自殺をしていたらしく、私が研修をうけた場所では、それとは別件でお払いも行われていた。そういう場所なのかもしれない。そこでの研修はとても新鮮なものだった。大人になってから寝食を共にするようなことなど滅多にない。だからか、非常に楽しかったことを覚えている。しかし、それとは逆に時間にはとてもストイックなところだった。だから、腕時計はいつもしていた。研修にも慣れてきたある夜。私は、翌日に備えて12時過ぎだったか、ベッドに入った。(プログラムでは6時くらいから1日が始まるからそんなに夜更かしできない)部屋は個室。ベッドと机、本棚が備え付けであり、その横には出窓があった。その下にはヒーターがあってなかなか快適な場所だった。ベッドの足元にはすぐ扉があり廊下を挟んで広間がある。しかし、そんな時間に廊下はもちろん、その広間ですら人が居るわけもなく静かなものだった。時折、懐中電灯を持った警備の人が回ってはいたが、時間も定期的だったので入所してすぐ気にならなくなった。(部屋はたくさんあったが、私から先は空き部屋になっていたので私の部屋の前でいつも帰っていく。来たかどうかは扉の下の隙間から懐中電灯の光がうかがえることでわかる)扉の鍵を閉め、部屋の電気を消して、私は横になった。その日に限って、すべて消していた。窓から見える星が、空に幾分近いせいか、非常に明るく見えた。星をみて、なぜかよく見ておかなければと思った。そして目を閉じた。明日は何があったっけと思いながらそれは、いつの間にか無意識と意識の狭間になった。夢なのか、現実なのか。廊下を歩いてくる足音がした。そして、いつの間にか音が無くなる。多分、警備員さんだ。今日は何かチェックしているのだろうかずっといる。そして、何かしゃべっている。私の耳元で。ミミモト!?おじいさんのようなシワガレタコエで何か言っている!!目だけ開けて見ようと試みるが、目だけ開いて、首を動かすことができない!!金縛りだ!何かだと感じる重さだけが私の上にある。なにもできない。助けを呼ぼうにも声もでないのだ。どうしよう、、、どうにもできない。何か言っている。全くわからない。つぶやきのような、その声は何かを伝えたいのかとにかく一定の速度で一方的なのだ。関係ない、そう、あなたとは関係ないと誰だか分からない相手に念じて数分だろうか、聞き手が動いたことにより金縛りが解けたのが分かった。あわてて、起き上がる。扉の左側にあるスイッチを探す。わからない!手探りでドアノブの鍵を開ける。なかなか開けられない!ようやく開いて、誰も居ない広間に飛び込む。鈍く光るステンレスの流しを見ながら、誰かの忘れていったタバコを1本拝借する。ようやく落ち着きをとりもどす。もう部屋には戻りたくは無かった。今何時だろう。壁にかかった時計を見ると2時を15分ほど過ぎたところだった。私は、誰だったのだろうと思った。誰だか分かったならば、「明日は早いんだぞ、このやろう!」そう、言ってやろうと思った。
2006年08月25日
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今日分かった。3ヶ月になるらしい。気づかないものだなぁ。意外だったな。決めてから、こんなに早く結果がでるなんて。うれしいやら、すごいなぁと思うやら。人間の神秘だね。すごいよ。俺様の禁煙。
2006年08月22日
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半島ではない方に住んでいた時のこと。サラワクの多分2番目に大きな町にいた時、ポンダンによくもてた(苦笑)職場にもいて、よく冗談を言って「周り」を笑わしていた。たとえば、本当にポンダンなのか?と本人に聞いてみる。周りの人は、当たり前すぎる質問だけど、よく聞いたな!という顔で様子を伺っている。聞かれた方は、Betul!!(本当だよ!)と答える。そして、Cuba dulu lah!!(試してみたら!)と言って、ケツをこちらに向ける。ポンダンは、いわゆるおかま(ゲイ)のこと。でも、彼らは(彼女ら?)存在が既に罰則の対象になるようで、夜はこそこそとしていた。町の中央に公園があるのだが、そこが彼等の集合場所だった。多分、そこで客を引くのだろうけどその公園は交番の目と鼻の先にあった。なんでわざわざ捕まりやすいところで・・・とよく思ったものだ。そういえば、いつも親切に面倒を見てくれていた、チャイニーズとマレーのハーフのおっさんがいた。40を過ぎていると思われたが、独身だった。宗教はもちろんイスラムだが、時々、豚をつまみにビールを飲んだ。そんな彼が真っ先に教えてくれたマレー語がジラットだった。この単語の意味は(アイスクリームなどを)ぺろぺろとなめる、という意味。とっても勉強になったなぁなんて思っていたけれど、40を過ぎてもマレー系で独身はポンダンの可能性が大!と聞いたのはそれからちょっとしてからのこと。そして、職場が半島に移るとき彼が真正のポンダンであることをカミングアウトされた。もちろん、私は彼をジラットしてなんかいない。
2006年08月19日
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終戦記念日を靖国で迎えてから戦中の感覚は現代に置き換えるとどうなんだろうと考えている。たとえば、妻子あるサラリーマンが突然に「来月から、地方へ転勤だ」と辞令を受けたとする。子供は学校に在籍しており奥さんも仕事をもっているさらには、両親も健在だという環境にあって、そのサラリーマンは何という答えを出すだろうか。2006年現在の日本なら、当てはまらないケースもあるかもしれないが、10年くらい前なら、ほぼ間違いなくその辞令を受けたと思う。最悪で最善の「単身赴任」という形ででも。つまり、辞令を受けるのが当然で嫌なら会社を辞めるか、昇進を捨てるか、窓際族を覚悟するかとにかく、ペナルティを受けなければならなかったはずだ。それらのどれもいやだから、辞令を受けるという選択をしたと思う。また、サラリーマンとはかくなるものだという不文律もあったのではないかと想像したりする。兵隊さんとはこんなものではなかったのだろうか・・・。つまり、私的にはいろいろ考えはある。当然現在の生活を続けたい。家族とも一緒にいたい。両親の面倒もみなくてはいけない。だけど、公的には徴兵に従うのが「当然」という感覚。あるいは、納税と同じ程度の義務感ではなかったのだろうかと。兵隊に行かなければ「非国民」と言われたからとも、思えそうだがその感覚は理解できない。では、そんな兵隊さんになぜ感謝するのか。私は、あえてこのような言い方をするがこの日本国のために、一定の時間を捧げたことがある。自分の国の為に自分の時間を直接自分の為に使わずに公の為に使う。兵隊さんは、自分の命を自分の為に使うのではなく公の為に、つまりみんなのために使うことをした人たちなのだ。だから感謝し、ありがとうと思うのだと。ずいぶん、テーマとは離れてしまったが暑さのためだろうかとりとめのないこんなことが頭をめぐっている。
2006年08月17日
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終戦記念日である本日、8月15日念願であった靖国神社参拝をした。夜半からの雨機動隊警察官街宣車満車の駐車場金バッチトランシーバーヘリコプターインタビュー「靖国で会おうって死んでったんだよぉ。俺、入ってなくて恥ずかしいもん」というおじいさん誰が出てくるか分からないのに待つ人々黒い車「いいぞ、押さえた…撤収!」というカメラマン海軍珈琲お守り「一般の方ですか」と聞くだけの警察官父母肉親に宛てた最後の手紙最後の電報花嫁人形朽ちた飯盒参拝するひととそれを撮るひと安眠妨害
2006年08月15日
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ドライブ中に、ふと浮かんできた文字列。 「ぴぽざるに また逃げられし 夏のよる」
2006年08月02日
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よく平和都市宣言なる看板を見る。最近では、無防備都市なるものも耳にするようになった。これはどういうことなん?普通、日常生活では大事なものはそれなりの信用できる場所や機関に預けたりする。たとえば、金庫などの中にお金をしまう。さらには、運用などを考えなくても銀行に預けたりする。国は領域(国土など)や国民を守らなくてはいけない。地方公共団体も多分、それに準じた責務はあるだろう(きっと)で、無防備都市を宣言する??多分、これを唱えるひとはこう考えているってことでしょ?・無防備都市宣言をする ↓・戦時に攻撃しない(できない)場所になる ↓・守られる(だから安全)それでいて、仮に攻撃をされた場合、無防備都市なんだから、攻撃しちゃだめでしょ!って怒ることができるってこと?(この場合は、攻撃された!って世界にアピールすることが利益なのか?損害賠償みたいに金銭の補償を要求するのが目的なのか??)かっこの中はどっちでもいいんですけど…よく考えてみてほしい。ミサイルでもいいんですけど、街中にドン!と攻撃を受ける。1発ならまだいいだろけど壊滅的ダメージを受けた場合。「こらっ!攻撃しちゃだめでしょ!」って言うの?それは冗談にしても、「占領」された場合、そんなときでも「我々の街に攻撃して…もう!」なんて言えるとでも思っているのかなぁ?主権なんて、爆風と一緒に無くなっているのに。さっきのお金の例え、銀行が倒産しても一定の補償はされる。だけど、攻撃を受けたときに同じことが言えるんだろうか?というか、「言える」ということは主権がどうのこうの言う前に「生存」してなきゃいけない。このへんのことはどうなっているのか、ものずごく気になる。どうやったら生き残れるのか。
2006年07月24日
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もう我慢できないので、ここに独り言を書く。見ちゃった人はそっとしておいてほしい。もう日本はお終いなんじゃないかと本気で思う。国というものが存在できる定義が分かっているのかと非常に嘆かわしく思う。我々がここに存在できる理由は、主権と領域と国民が存在するからである。そのどれかがなくなっても、この現実、今の延長は存在しない。しかし、同僚は言う。「攻められても生きられれば別に文句は無い」と。もうねぇ、ほんとに末期症状ではないのか、平和ボケの。たとえて言うならカツアゲされたら家まで出しそうな勢いってことだ。しかも、生きられればいいって、しっかり主張してんぢゃねぇか!これができるのも、主権があるからなのに。ある上司は、先の大戦について日本は謝罪し続けなければいけないという。日本の戦争は悪で、他の国の戦争は聖戦とでも言うのか!経済的に言えば生きるか死ぬかの瀬戸際だったあのときに他国の意見と状況で「分かりました、こちらが我慢します」と言えばよかったというのか??これで得するのは、カルネアデスで同席した相手ぐらいなものだろう。日本は「いいですよ、その板使ってください」って言うことが約束されているのだから。あえて先の大戦が悪いと言うならば、せめて先の大戦での「戦い方」が悪いと言ってほしいものだ。でも、こういう上司に限って「オトコのメンツ」を気にするというものだ。それが備わっていると言うのになぜ理解できないのか。本当に嘆かわしい。
2006年06月21日
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本当に安くなったと思う。 今朝珍しく某スーパーマーケットに出かけた。そこで、とても懐かしい匂いに出会う。そう、かおりではなくて「におい」なのだ。くさいけど、あまい。独特なにおい。ドリアンがあった。タイ産のドリアンは手のひらよりも大きな立派なもの。ひとつひとつ手提げに入っていてマレーシアで見ていたものと見劣りしない。あまりの懐かしさに、ひとの目も気にせずに直ににおいを嗅いだりして楽しんだ。そして、さぞかし高級品扱いなのだろうと値段を見るとちょっとびっくり。 1980円 1つ 1980円なのだ。マレーシアでRM30程度で買っていたときもあったから値段的には2倍程度。非常にお手ごろ価格なのだ。 ひさしぶりに悩んだ。購入しようかどうしようかと。こんなに悩んだのはイセタンKL店で醤油を購入したときかJLN.Ampanにある中華系の店でUFO(やきそば)を購入したとき以来だ。(どちらも2時間迷った) そして、今回出した結論は・・・購入しない。だった。やっぱり、南国で食べたい。そう思ったから。ということで、今年の夏は是非遊びに行こうと思った。
2006年06月04日
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どうしよう。あせるばかりだ。だれかわたしにちからを。
2006年06月01日
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ネタバレになるんで適当にはぐらかしますが、そんなに必死になることなんかあるんかい?って・・・。正直どっちでもいいと思ってしまった。たとえて言うならば、そこにあると思うことが重要で、そこに本当にあるのかないのかは問わないと言った感じの観想をもってしまったというか・・・。それよりも衝撃だったのは、二ケーア公会議が出てきたこと。そんなに重要な会議ならもっと教科書で扱えよって。大きなテーマではあるが自分には関係ないなと思ってちょっと冷めた。
2006年05月28日
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切ないものとか、懐かしいものやなんかそんな感じのものが本棚の後ろとか、引き出しの隙間とかいろんなところから、ちょっとずつでてきた。 いつからだろう・・・・そんな思い出で大して遠くない過去を振り返れるようになってしまったのは。 今日出てきたそんなものの中に遠い遠い異国からの手紙があった。赤道が4万キロ?だから、その4分の1だとしても1万キロかぁとどうでもいいことを考えながら、どうでもよくない内容に何年振りかに目をとおす。 差出人のその状況を想像した、受け取った日に気持ちがかえる。 どうしようもなく、なんにもできなく 同じように悩んでいたそのときに、 気持ちが飛ぶ。 改めて、書かれていた質問を問い直す。 1、どうしてあなたはそこにいるの? この質問に、今だったらどう答えるだろうか。 わたしはどうしてここにいるのか?逆に聞きたい。どうしてわたしはここに居なくてはいけないの?そして、私はなぜここに居ることを選択しているのかと。 達筆で書かれたその青い紙のレターはひと時のシアワセと政情不安からくる緊急性と本人の心情を伝えていた。 多分私の気持ちは、この手紙を受け取った数年前から動いてはいない。でも、毎日は必ずやってくる。そして、精神的な時間と、現実の時間が乖離していく。離れたものが出会って、落ち着く。それが懐かしいということなのか? 数年分の空想は5分という時間に収まっていた。 できれば、差出人に会ってもう一度話がしたいと思った。かなわない。 仕方が無いので 掃除機のスイッチを入れた。
2006年05月23日
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今日は一日とても幸せだった。Hari ini, saya sangat bahagia. 本当に幸せ。sangat bahagia.夕方近く、その幸せは思い出になった。bila nak senja, kebahagiaan itu kena menjadi kenangan. 背後から後ろ向きにその思い出を見続ける。Saya teruskan tengok dia, daripada dalam kereta dengan cermin bilik. 不思議にもうめぐり会えないのではないかと感じた。saya terfikir kami tak boleh jumpa lagi. それが今一番怖い。 Saya nak jumpa dia, setiap hari.dan sekaran saya rasa jodoh.tapi sudah habis cerita.
2006年05月14日
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サラワクに居たときは自宅の庭にもあったランブータン。市場で買っても1kg(枝つき)で3~4リンギ。(だいたい100円くらいかな)お手ごろなフルーツで、ランサー(果物の一種)などと一緒によく買っていた。ジャングルのど真ん中でバスが故障して、4時間も修理を待ったときには、乗客が各自勝手にとってきて、振舞われたランブータン。赤と緑でふさふさのランブータン。割ると中から不透明の白い実の出るランブータン。おいしかったなぁ。 そんなランブータンを最近日本のあるショッピングセンターで見かけた。懐かしく想い、プラスチックケースに入れられた、そのランブータンを手に取ると大事そうに4つ並んで入っていた。たった4つで商品になるんだぁ・・・と思いながら値段に目をやると、「お買得!¥400」なんだよ、それぇ・・・1つ¥100って・・・。つまり1粒3.3リンギットってことだ。マレーっぽく書くとこんな感じかな?Jimat!! 1 biji RM 3何がジマットだ、このやろうって(あはは)そんなわけで、4粒入りランブータンパックを静かにショウケースに戻した。 (JIMAT…節約するなどの意味。セールのときよく見かける単語)
2006年05月09日
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あのひとは覚えているだろうか。dia boleh ingatkah...朝が来たら忘れてしまわないだろうか。bila pagi datang, dia masi ingatkah... 混濁した意識の中の約束。temu janji yg dalam niat dengan tak terang atau rumit 果たされる前に果てそうな約束。janji tak jelas それもまたitu juga人生の一里塚。 petunjuk kehidupan.
2006年05月07日
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雨が降っている。turun hujan. 雨が降っている。hari ini nak jumpa dia. あのひとはどこでなにをしているのか。tengok hujan, itu ingatkan muka dia. 雨がやまない。hari ini pun, saya harap tolong jangan dia buat air mata keluar.いつやむのか。hati dia tidak senang. hari-hari perlu makan ubat sakit. 予報はあくまでも予報。kadang-kadang dia nak mati, harap mati!! 繰り返し起こること。kehirangan dia dari dunia, buatkan hati saya tak stabil. ときどき起こる予測してないこと。 tolong beri tahu, kenapa kami boleh jumpakah di dunia ini?sebagai orang, sebagai kawan.ini adakah maksud?kalau ada Tuhan, apa anda kasi kecubaan susah kepada saya? apa saya perlu buat?apa saya perlu cari?
2006年05月07日
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今すぐお願いだから殺してほしい。Tolong bunuh saya segera. その人はそう言うなりDia kata itu, 電話を切った。 habiskan menelefon pada saat. 私にできるだろうか。Boleh kah saya buat? 今すぐその人のもとへと行きsaya pergi ke rumah dia dan 望むとおりにする。mencapaikan harapan dia. それが、その人がラクになるcara yang ini 唯一の方法ならばboleh dicapaikan harapan dia, そうしてあげるべきなのか。saya perlu buat ini kah. ただし、こちらのお願いも聞き届けてくれ。Kalau anda mahu kena bunuh benar daripada saya,tolong dengar harapan saya pun.Sebelum anda mati, saya harap peluk anda kuat.
2006年05月06日
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そのひとが言ったdia kata 「私は海を見るのがすき」"Saya suka pergi ke laut" だからjadi 私は海を見に行く。 saya pergi ke laut 隣にその人はいない。tidak ada dia di sebela saya だけどtetapi 私は海を見に行く。saya pergi ke laut そして selepas itu, その人を想う saya fikir dia.
2006年05月05日
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そのひとはなにも言わない。orang itu tidak cakap apa-apa pun. 反応すらみせない。tak kasi tengok kelakuan juga. 私は何をすればいい?apa saya boleh membuat? どうすればいい?macam manakah? こたえはあるの?mana ada jawapan? ただ、それは時刻をあらわすばかり。telefon bimbit saya menyatakan jam sahaja.tidak kena sampai karangan daripada dia. saya rindu dia.
2006年05月04日
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なんで起きてるの?kenapa anda sudah bangun? そのひとは、そう言った。dia berkata dengan suara perlahan. どうして起きれるの?kenapa anda boleh bangun?そのひとは、そうも言った。dia berkata itu pun. どうして起きれたのだろうか?kenapa saya boleh bangun? そのひとに、何も言えなかった。tidak boleh cakap apa-apa pun. 私は、どうして起きれたのだろう。kenapa saya boleh bangun... 起きるべきだったのか? saya perlukah bangun? 起きなくても良かったのではないか?saya mungkin tidak perlu bangun. そして、dan 起こしてあげるべきではなかったのではないか?lubi baik, saya tak kasi bangun dia. それは、そのひとのため。itu, untuk dia いやbukan 自分のため。untuk saya. 何かが終われば、何かの始まり。kalau habis sesatu, mula apa yang baru. 起こせば、その人に新しいものをあたえてしまう。 jika saya kasi bangun dia, dia terdapat apa yang baru. 私はいつまでも、その四角い白いものの中に居たかった。kalau saya boleh duduk, Saya nak ada di dalam katil dengan dia.sampai Tuhan nak habiskan kehidupan saya dan dia.
2006年05月03日
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あなたが思い出すと言ったから私はタバコの銘柄を変える。 少しきつい紫煙を燻らす。濃い香りが立ち上がる。 あなたは何をしているだろうか。 知らぬ間に、短くなる。誰がタバコを吸った。 そしてまた、火を点ける。
2006年04月30日
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アメリカでは・・・。ヨーロッパでは・・・。北欧では・・・。私はこのような形容が大嫌いだ。アメリカでは~だから(日本でもそうすべきじゃないか?)だったら、どうして日本人なのだから日本では~だから(独自の路線を歩んでもいいのではないか?)と言えないのか?? 基準はそれぞれの国とそれぞれの国民、社会の中にある。それは、長い長い歴史の中からなんとなく、でもしっかりと広がっている決まり、道徳。たとえば、アメリカを引き合いに出すならばせいぜい数百年の歴史しか持たない若い国。日本は神話の代から入れれば2千年を越える熟した国なのだ。遠慮することはない。でもショックなのは、昔勉強した「政経の教科書」政治の勉強を、あるいは主権の勉強をするのにどうして、イギリスやフランスからはじめる?世界的に見たら、確かにホッブズやルソーから勉強しなくてはいけないのだろうが、日本国民として、日本の伝統を受け継ぐものとして、日本流の価値観で世界に生きるために百姓たちの寄り合いの方法から勉強したっていいじゃないかと思う。しかも、人権の出処を探っていくとキリスト教がでてくる。この日本にいてキリスト教徒以外に誰が、人は神の前に平等である。などと思いながら生活を送る者がいようか?いても少数派であることは間違いないだろう。 日本では神の前に平等というよりお天道様が見ている世間様が黙っていない。こういうことばがあるはずなのだ。要するに、違う文化で物事をたとえるなよということ。 日本的方法というものがあるはずなのだ。だから、他の国では~なんて自分は使う気にもなれないのだ。
2006年04月25日
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タイトルの読める人にはショッキングかもしれない。申し訳なく思う。でも、タイトルのようにできたらどれくらい救われるだろうか。
2006年04月23日
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やっぱり、気の許せる人間と飲むのは楽しい。いいお酒と言うのは、お店ではなくて誰と飲むのか。これが大事なんだと。 この余韻はあとどれくらい続くのだろう。切れるころにまた飲めるといいなと思う。
2006年04月22日
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KLセントラルからタクシーは非常に安心できる(と思う)それは、チケット制だから。あとでもめることもないし、メーターを使えだの、それがいちいち正確なのか眺めている必要もない。でも、私は必ずもめていた。KLセントラルの荷物預けの対面にあるカウンターで行き先を告げる。 パソコンに行き先を打ち込みRM30と言われる。KLCCからなら、運転手の言い値だからまちまちでRM30くらいなら全然問題なし!と思いチケットをもらう。早速並んでいるタクシーにチケットを渡すと「ここはRM35だぞ!!」と言われてしまう。 こんなことが起こるのは決まって(カウンターの人が)若い女性のとき 。そのつど、運転手にそれ以上払うつもりはないので嫌ならおろしてくれと言う。何度か降りたこともある。でも、メーターのタクシーよりは安い。(普通RM50は要求される)どうなっているのか。タクシーの料金。
2006年04月16日
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パソコンから、音楽を聞けば思いだす。 2階の窓から、夜空がみえる。 鉄格子木枠の網戸 決して楽しかったとは言えないつらかったのだろうかと問えばつらくさせたのは自分 おじさん、それいくら?10リンギットだよ先週まで5リンギットだったじゃん?? 突然変わるもの習慣と値段 全然変わらないものいっこうに来ない路線バス 待っていても来ないものは文句を言っても始まらない。 仕方が無い今日もまた歩こうと思う。
2006年04月15日
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マレーシアについての予備知識はそこそこ持っていったつもりだった。イスラム教とか多言語だとかもちろん多民族で熱帯雨林気候なんか、そんな知識はたくさんあった。でも、なんだろう、これは・・・。さすがにKLでは、あまり見かけませんでしたが(kampong baru のちょっと入ったとこでは見た)kampongへ行くとたいてい、女性モノの下着が平気で、どっさり干してある。気にしないのだろうかと、こっちが気にした。(でも、慣れたけど)
2006年04月10日
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マレーシアに行くことが決まって真っ先に「これで日本食ともしばらくお別れだな」そんなことを思った私は、出国するまでの数日間、あらゆるところで寿司と好物のアジフライを食べまくった。新鮮な魚も無いかもしれない。そんな思いが頭にあった。 7時間超のフライトの末私は、KLへとやってきた。さすがに、暑い。しかも、12月だったので冬服を着てきた(苦笑)夜も早くない時間に着いたのでその日は、空港内のバーガーキングで済ませホテルへとむかった。 翌日、有名なKLCCへと向かう。異国の人で溢れるその大きなふたつの塔はとっても魅力的だった。さぁ、初めてのマレーシアでの昼食は何にしようかとわくわくどきどきでKLCCの上階を目指すとさすがに、南国っぽいというかインドっぽいというか、独特の香辛料の匂いが立ち込めていた。見たことも無かった、タミールの言葉。インド人が、チャイがどうたらこうたらと勧めてくる。ナシアヤムの店もあった。これが、ナシアヤムかぁなんて見ていると聞きなれた日本語が耳に入ってきた。「いらっさいませー」なんだろう、ちょっとこのなまった日本語は。その声の方へ行ってみるとショウケースには、寿司、玉子丼、カツ丼、焼き魚でしかも、定食!そんなものが並んでいる。 ・・・・・・・・・・・・・ その帰り、JLN Ampangを歩いているとアジのフライ定食まであった、日本テイストのラーメン屋に!! グローバリズムも味気ないなぁと思った。
2006年04月10日
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正確には今日から、新規のお客様に対応させていただくことになる。今度のクライアントは、どのような方々なのか・・・。非常に不安であり、楽しみでもある。とにかく、新規のお客様を大事にしたいと思う。けれど、途中でキャンセルされるお客様に対しては、いかようにもできない。そのあたりが、気にはかかるところではある。 お望みの商品を提供し、こちらが望む商品を気に入ってもらう説明をする。ぜひともすべての情報を買っていただきたいなぁと思うばかりである。
2006年04月09日
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200数十歳のワカゾウが約2700歳の先輩を弟にして大きくブレながら厚顔無恥で闊歩している。 いい老人なんだから「喝だ、喝ッ!!」それぐらい 言えてもいいんじゃねぇの?
2006年04月06日
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マレーシアで仕事をしていたときのこと。「今日から配属になりました、よろしく!」挨拶が終わると同時にプレゼントの山。粉ミルクパナドールなんかの薬お菓子(1斗缶のビスケット)バスタオルカステラ(ラマダン明けだった)バナナ(ピサンゴレン)マンゴーランブータン(そこでは1kgRM0.50)要するにお菓子か、フルーツか、薬。で、フルーツは、まぁ良しとしても(笑)お菓子(粉ミルク)とか薬は・・・。職場にあって便利なものはたくさんくれた。そうそう、文房具は完全に支給だった。今の日本だったら、間違いなく怒られるだろうな。そういえば、初めて泊まったホテルで勤務先を言ったとたん「薬くれよ!」ってねだられた。こういうことは普通だったのかなぁマレーシアでは。
2006年04月01日
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本当に。どうなるのか。多分、どうにもならない。ならないことに、責任を問う。じゃあ、どうだって言うんですか!!自分の責任。重い。はずせない。グラスだけが軽くなる。
2006年03月31日
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気づけば365日言わば1周年記念。1年って意外に早い。
2006年03月30日
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本当に申し訳ない。適するカテゴリがないので、これを借ります。気が向いたので、前回のつづき。なぜ、障害児が閉じ込められているのにそれに改善を申し立てないのか。それに対して、変えようとすることが尊大で、横暴だと思ったのか。一言で言えば、それはその人の自由であるから。私は日本人であり、卑しくも日本文化を背負っている。当然、考え方も自然とその影響を受けている。そして、少なくとも欧米文化の影響も受けている。さらには、何十年という生活のなかで受けた影響下にもある。その結果出した答えが(閉じ込められていて)『複雑な心境』なのである。マレー文化のことについて知ってもいないのに、イスラム宗教も知らないのに、障害児感がその国々で違いがあるのに、政策も違うのに、その家庭の様子も知らないのに、しつけの方法も違うのに、こんなに違うのに。はるか昔のある文明で障害児(者)は、神の領域にあるものとみなしたものがあった。多分、使者か預言者かそのように思われていたのだろう。少なくとも神がかり的な様子だと捉えていたところがある。それは違う、彼らはそんなものではない。と、なぜ思えるだろうか。その文明ではそう思われるのだから彼らは(我々とは違う意味で)特別なのである。看護婦の中で「立派な檻だったね」そう言った者がいたことを紹介したが、それも、ある文化のもとでは正しい答えの1つかもしれない。障害児教育と1つの視点に立ったとしても、その下には、文化、宗教などの違う視点に支えられていることがある。だから私は、比較しない意味で尊大で、自分の価値観だけだという横暴であるがゆえこの状況を改善しなければ!(改善といっても、どう善く改めるのか?何を善とするのか)とは思わなかったのである。
2006年03月25日
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マレーシアでの職務の中に「障害児の数の把握」というのがあった。ボルネオの中を大きくはないジープに医師や看護婦と共に7人!(1台だけしかない)乗り込んで、何時間もジャングルの中を移動して人数把握や、家庭環境の調査をしていた。あるとき、ムカかダラとかいう町にいった時のこと。高床式の家(数年前のことだから今あるかどうか)に訪問した。1階部分は鶏と鴨が放し飼いで、2階から生活空間だった。早速親父が自慢のものを見せたいと言うので2階の奥の部屋に行くと親父はうれしそうに一言「これにさえ入れておけば安心なんだよ!」なんだろう?家畜でも飼育しているのかな?そんなことを思いながら部屋へ行くと1つの木製の檻(おり)があった。中には・・・なんと5歳くらいの男の子がいた。多動症か何かは把握できなかったが閉じ込められていた。そのときは、訪問だけで指導などはできなかったがちょっとへこんだ。看護婦は、粉ミルクやピラミッド状のお菓子の山を渡していた。(マレーでは時々贈り物として見かけた)帰りしな、看護婦は立派な檻だったねと言う者や日本にはこんな状況ないだろ?と真剣に聞く者様々だった。複雑な心境になったがこの状況を改善しなければ!などという尊大で横暴な考えは持たなかった。(気が向けばつづく)
2006年03月22日
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現物をお見せできないのが非常に残念ではあるが、マレーシアのカステラは慣れるまで、極めて困難を要する。それは、もちろん味が濃い特にバターかココナツテイストなのは当然であるが、その見た目がなんとも…なのだ。普通、カステラといえば卵の黄身がよく効いたおいしそうな「黄色」こんな表現もできるかと思うがマレーシアンカステラは緑、茶、黄、赤、黒、青などなどの様々な色が時には規則的に、時にはマーブルにそして、花などがモザイクで表現された芸術的なものまである。素敵ではあるが、おいしそうではないのだ。ご飯も時々青にしてしまうくらいだからこれも文化の相違と言ったところか。それにしても青のカステラはいただけない。
2006年03月21日
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あまりに暇なので二日前、ジャガイモを植えた。唐突だけど仕方が無い。だって、何かを植えたかったのだから。土壌改良用の肥料と種芋1kgを買って早速畝を作った。実は農作業は初めてではなく、何度かやらされたことがある。初めては仕事で。そのときは耕運機の使い方などを教えながらスナックエンドウとかとうもろこし、なすなんかを植えた。2回目は忘れもしない。同時多発テロがあったその月。知らない保育園で、石灰と鶏糞を鍬で混ぜながら駐車場を畑に変えた。そんな経験もあって久しぶりに植えたくなったのだ。最近は、育てるというより剪定をしなくてはいけなかった反動かもしれない。しかし、さすがは素人。畝はできたものの、どれくらいの深さにどの間隔で植えていいのか分からない。困った挙句畝の上に種芋を等間隔で置いて上から土をまいて隠した。そしてその晩、突風が吹荒れ、雨も強く降った。朝、早くも芋が顔を出していた。先行き不安である。
2006年03月19日
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先日、接待でインドネシア人のいる飲み屋に行った。宗教を聞いてみるとイスラムだという。お祈りは1日2回しかしてないというので「あとで神様に怒られますよ」そう私は彼女に言うとなんと、真剣に困っている。見えないものに縛られる彼女。見えないものを見ようとしなくなった私。真剣に困るということに嫉妬した。
2006年03月18日
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会議に出席してみて分かったことは、大半の結論が既決されていたこと。そこで求められていることは、決裁者の同意が得られやすいようなあるいは、決裁者がそれなら仕方が無い、だからあなた方の意見を尊重しましょう。といった、意見を提示することだった。緊張して、いろいろ考えていった割には1時間で終わるというごく簡単な会議。しかし、これで人の一生の一部が決まるという恐ろしいもの。会議を終えて人間、結局のところ「姿」が重要だと思った。
2006年03月16日
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