殿上人日記

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2006年02月07日
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カテゴリ: ニュース、時事

開拓の碑

 長野県から馬籠と共に、1年前に岐阜県中津川市に
 越県合併をした、山口村山口地区は、木曽川を見下ろす
 山の斜面にある集落である。旦那が旧・村役場であった
 支所に用事があったので、私も久しぶりに出かけてみた

 旦那が用事を済ますのを、車の中で待っているうちに
 ふと、支所の玄関先にある大きな石碑に目がいった
 猫の額のように限られた農作地しかない、長野県の
 多くの山村では、長男に農地が相続をされ、次男や
 三男らは家族を連れて、恋しい故郷を離れ、海を渡り
 満州や、ブラジルに集団で開拓移民をする事が多かった

 昭和7年、現在の中国東北地区に、五族(大和民族・
 漢民族・満州民族・朝鮮民族・蒙古民族)の協和により
 王道楽土創建を目的とし、当時の重要国策として推進
 大規模な農業が始められたのが、満州開拓事業である

 現地住民を、立ち退かせて入植をするというやり方は
 現地人の反発を買い、ソ連軍による襲撃が絶えず
 病気による犠牲者も多く出した

 姑のおばもまた、夫に連れられ、幼い子と共に満州に渡り
 日本に帰ることはなかった。向こうで召集を受け、妻子と
 生き別れたおじは、帰国しても、故郷に住みつくことはなく
 北海道でその一生を終えたそうだ。もしかして、いとこは
 中国で生きているのかもしれない。中国残留孤児の写真が
 新聞などで紹介されると、姑は、その面影を探してしまう

夕日2.4


 NHK教育番組国際コンクールでの「グランプリ日本賞」の
 受賞を記念して、「大地の子を育てて 中日友好楼の日々」が
 再放映をされた

「大地の子を育てて 中日友好楼の日々」の作品紹介

 中国東北部の長春市に、戦争の末期に街に捨てられた
 日本人幼児らを「子供には何の罪もない」と、懸命に
 育てた年老いた養父母らが、日本の篤志家が建てた
 アパートで、暮らしているという

 豊かな日本への帰国をした残留孤児も、言葉の壁は厚く
 働き口もなく、6割もの人が生活保護で暮らしていると
 いい、養父母も招き寄せようという夢も打ち砕かれた

 日本人に腹をけられて、流産し子供を埋めなくなった
 女性は、日本人孤児の女の子を、実の子のように慈しみ
 育てたのだが、今は、海を隔てて暮らす日々だ

 母が病気だと聞いて、周りの人に借金をして、娘は母に
 会いに行く。これが最後の母との日々になるかもしれない
 戦争の傷跡は、今も消えることはない







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最終更新日  2006年02月07日 14時36分10秒
コメント(39) | コメントを書く


■コメント

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中国残留孤児  
ひなの。  さん
毎年10月頃に来日していた彼らも、ここ10年以上前からぱったりとニュースにもならなくなりました。

若い中国人の労働者も増加している日本ですが、戦前の傷跡はまだ癒えていないようですね。

日本の植民地支配をされていた韓国も同様に、年配者には「反日感情」が強いとききます。

映画や音楽の国際的な文化交流は盛んになってきましたから、それらを糸口にしてでも、これからいかにしてその溝を埋めていくのかが課題だと思います。 (2006年02月07日 17時02分35秒)

大地の子といえば・・  
kenkeng  さん
 ついつい、山崎豊子さんの著作を連想してしまい
ました。私の周りには、こういった経験をした方が
いらっしゃらないのですけど、どこに生まれようと
人間らしく生きることのできる社会になればいい、と
心から願います。 (2006年02月07日 17時25分27秒)

Re:大地の子(02/07)  
こんばんは。
満州やブラジルに集団で開拓移民をしたのですか?
現地で成功した人は ほんのわずかの人でしたね。
残留孤児も大変な生活をしたのですね。
育ての母に行くため 借金までしていくと テレビにでていましたが、可愛そうですね。
(2006年02月07日 20時35分59秒)

今日も見られた美しい夕焼け・・。  
海から近いおいらのところも、街中とあってなかなか美しい夕焼けにお目にかかるチャンスがありません。
こちらもすごく冷え込んでいます。寒いです・・。
でも写真の夕焼けは透明感があってすごくいいです。
今後も楽しみにしています。 (2006年02月07日 21時18分53秒)

Re:大地の子(02/07)  
山口村の役場のまえですね。私も仕事でよく行きます。ブラジルの碑は見ていたんですがそんな意味があったのは知りませんでした。中国残留孤児のことは聞くたびに胸が痛みます。大地の子は涙なしではみられませんでした。本当はもっともっと悲しいドラマがあったのではないでしょうか。 (2006年02月07日 22時28分29秒)

中国じゃないけれど  
とみやん33  さん
今はなき我が父は当時の樺太、現サハリンで生まれ育ちました。
戦争が終結に近づいたとき、父は青年と言われる年齢となっていた。
サハリンから引き上げるとき、年齢から行くと現地に残らなければならない。
でもそれは嫌だったので、年齢詐称して本土への船に隠れるように乗ったとか。

ゆっくり話を聞く前に死んじゃったので、本当によくわからんです。


かつて日本を離れて海外へ移り住んだ方々。
志半ばにして夢を断たれた方もいらっしゃることでしょう。
戦後60年を経過し、忘れ去られることが多くなったけれど、
忘れてはならないことばかりですね。 (2006年02月07日 23時13分54秒)

Re:大地の子(02/07)  
こんばんは★

いつまでたっても戦争の傷は癒えることありませんね。
本当の平和は、いつになったらくるのでしょうね。

(2006年02月07日 23時21分32秒)

中国といえば  
YOSHIYU機  さん
反日ばかり強調されますが
子供に罪はないと残留孤児を
育てた人もいるんですね。
有難い話です。

子供に罪はないなら
もう許してくれてもと思うのは
虫のよい考えですかね?
(2006年02月08日 00時26分38秒)

Re:大地の子(02/07)  
ヒゲ1940  さん
  どさくさにまぎれての遣り方、神風とか出たら目。今がましか、今も同じか。戦争などまともな人間の遣る事か。1年でも2年でも早く手あげていれば、死なずにすんだのに。 (2006年02月08日 00時33分56秒)

Re:大地の子(02/07)  
本当に戦争のつめ跡は何時までも何時までも・・・。
心痛め癒されることの無いものですね・!
表面的な平和でなく心からの平和を望んで止みません・! (2006年02月08日 09時53分36秒)

戦争の傷跡  
Юヽ(*・ω・*)ぉじゃまします♪

そうしたものは消えることはないでしょうし消えてはいけないものだと思います。
そして将来に渡って伝え残していくべき事柄だと思います。

戦争というものの悲惨さ・恐ろしさというものを知らない世代が多くなってきていますから。
戦争というものから生まれるものは悲しみ・憎しみくらいのものです。

平和というものの尊さ・人間の命の重さというものを考えさせられるきっかけにあると思います。

過去の歴史を直視しないところからは何も生まれてこないです。 (2006年02月08日 10時03分55秒)

Re:大地の子(02/07)  
高 爺  さん
満州開拓団の悲惨な生活はTVで拝見し当時の状況を、
かい間見ることが出来ました。

このような事はブラジル移民にもあり、
もう20数年前に本を読んだことがありますが、
当時の移民政策に踊らされた国民は大変な被害者ですね。

(2006年02月08日 11時05分35秒)

大恐慌で  
仕事がなくなって 長野の製糸会社が味噌を作り始めたと新聞にありました。
関東大震災と第二次世界大戦と 次々に悪い事が続いて仕事がなくなって 日本中から外地へ移住したわけですが
行ってしまえば後は知らん振り~というのは
昔も今も同じですね。

私の場合、父方は北朝鮮へ母方は礼文島へどちらも没落して逃げるように行ったわけですが 命があっただけでも もうけものだったのかもしれませんね。 (2006年02月08日 11時22分48秒)

Re:大地の子(02/07)  
ぽちこ さん
私も、その番組見ました。

中国の養母にも、親孝行できると思って、希望を持って日本に来たでしょうに、思うようにならず、
どんなにつらいでしょうね。

日本に行きたいと言っていたご一家が、うまく行くことを願っていますが、果たして・・・?



(2006年02月08日 12時08分14秒)

PS  
ぽちこ さん
いつもながら、お考えもしっかりしてるし、
文章力もすばらしいですね。
投稿でもなさっては? (2006年02月08日 12時43分03秒)

Re: ひなの。さん  
夢穂  さん
残留孤児の方も、70代を越え、高齢化をされて
いますしね。先の戦争を実際に体験した方もまた
お年を召され、このままでは風化してしまうような
気がします

やった事は忘れても、やられた事は忘れられないと
ききます。私も広島原爆や、長崎原爆、沖縄戦と
行ったことは、修学旅行もあったし、ドラマや
映画などで詳しく教わっても、アジア各国での事は
本人の興味でもなければ、なかなか知る事はないです (2006年02月08日 18時57分23秒)

Re: kenkengさん  
夢穂  さん
育ててくれた中国の父との、親子の関係は
まさに、実の子以上でしたね。日本人の子で
あることから、なにかと疑われたり、二つの
祖国のハザマで、戦ってこられたんだなぁ・・と
やっと探し当てた、妹さんの境遇が可哀そうで (2006年02月08日 19時00分40秒)

Re つれづれ草23さん  
夢穂  さん
主人とハワイにいったときに、ハワイ移民の
話を聞きましたが、かなり良い条件を日本で
聞いて、夢いっぱいに日本人が渡ったのだけど
実際は、過酷な労働で、泣いてばかりだった
そうですよ

中国残留孤児の皆さんも、同じように日本に
行けば、夢のような暮らしが出来ると思って
日本に帰国をされたんでしょうね (2006年02月08日 19時10分12秒)

Re T-サウルスさん  
夢穂  さん
なんだか、雲がもや~~~としてて
神秘的な感じでしたよ。ひとつとして
同じ夕焼けにならないから、面白いね

西に開けた高台だから、夕焼けには
ぴったしです (2006年02月08日 19時13分24秒)

【初めの項】  
下々の小四郎 さん
ウチでは父方のジイちゃん、バァちゃんが朝鮮からの引揚者。
詳しいことを聞いたことが無いから然程の苦労はしなかった。
と思うのはワシの推測。ホンマは苦労したかもね。

オヤジの末妹である叔母が向こうで女学校を卒業しました。
ただ、オヤジの末弟である叔父は引揚げ直後から宮崎の開拓地に入って
苦労しました。
後年、我が家の疎開先での暮らしがソコソコ目鼻が付いた頃、
オヤジが当の叔父一家を呼び寄せたくらいだから
生計も成り立たなかったと思われます。
ワシャ御幼少のみぎりであらせられたので詳しい事はナーンも知らん。(^^ゞ

ワシの同級生にも台湾生まれの引揚者がいます。
日本で生まれて韓国へ帰国した旧友もいます。
ブラジル移民で親に連れられ渡航しリターン組の友人もいます。
それぞれの親の苦労は並大抵のことでなかったと想像します。
戦争は個人の思惑を無視するようなことを平気で造り出します。

戦中戦後の貧しいドサクサ時代が普通の生活だと思って子供は育つんですな。
ワシャ、ボーイズ・ビー・安堵な道を選らんだつもりが、
えらく働かされたもんです。
オヤジが身体を壊すし、チーとも楽じゃなかったもん。

義妹がアメリカを目指したのも大国アメリカへの夢があったからこそです。
それも楽な生活に至るまでは単身渡米して書き尽くせんような苦労を
しています。
未亡人となっても戻らぬ『ニュー大地の子』とも言えるかな。(^^) (2006年02月08日 22時37分56秒)

【終わりの項】  
下々の小四郎 さん
戦後が片付くのは、いつになるんじゃろね。。。
ワシが学生時代に、渡航にはパスポートが必要だった沖縄は多々問題を
抱えながらも返還されました。

スターリンにしてやられた北方領土の問題は未解決のまま。
近くは1855年2月に日露間で締結された『日本国魯西亜国通好条約』。
第2条に、千島問題についてはとあり、
千島列島を2つに分け、得撫以北をロシア領、択捉島以南を日本領とする。
樺太は日露間で境界を決めずに両国の民が自由に活動できる所にする。

しかし、ロシアに依る樺太に住む日本人の弾圧が始まり、
1875年の『樺太・千島交換条約』で樺太はロシアに千島列島は
カムチャツカ半島の直ぐ南の占守島以南の千島列島全てが
日本に属すると決めたそうです。
世界の認知するところでは、
千島全島が日本の領土であった事が常識とされているらしい。

それが、返還交渉となると択捉、歯舞、色丹、国後だけになるとは???
疑問は多い。
領土問題一つを捉えても敗戦国は敗戦国のままで、平和条約なんて程遠いと
思うんだな~。
おしまい。。。 (2006年02月08日 22時39分06秒)

Re:大地の子(02/07)  
tomoy18  さん
複雑な事情が入り組み
絶望と希望との混沌とした時代に
生きた人たちの気持ちはとても理解
できるものではありませんが、もし
その場に今の自分たちが置かれて
いたなら、どのようにして生きていた
であろうかと、よく考えてしまいます。
刃を、銃身を突きつけられたら、どんな
人間であれ、同じになるのでしょう・・ (2006年02月08日 23時48分53秒)

Re:大地の子(02/07)  
吉祥天2260  さん
聞くだけでもつらい胸の痛くなる話です。
そういうことがほんとうにあったこと、それもたくさんあって、今だに苦しい悲しい思いをしている人が大勢いる・・・
高度成長時代に生まれ合わせて、だんだん豊かになってゆく社会とともに不自由なく育った自分はこんなとき、ただうなだれるしかないのです。 (2006年02月08日 23時56分16秒)

Re: あしやん8085さん  
夢穂  さん
なかにし礼さんが、赤い月で満州のことを
書かれていますね。引き揚げ時には、女子供と
年寄りばかりで、生死の境は、ほんの少しの
違いしかなかったかもしれません (2006年02月09日 09時00分42秒)

Re とみやん33さん  
夢穂  さん
朝鮮戦争の映画「ブラザーフッド」の中で
街中で突然に、年齢を聞いて、年齢に達した
青年たちを、いやようなく戦場に向かう列車に
押し込んで、出征させているシーンがありました

戦争を体験せず、私のように戦争の話も聞く
こともない若い人たちは、戦争を賛美するような
傾向にあります。国を守る、愛する人を守るなどと
かっこいい言葉ですが

実際には、兵士どころか、老人も、女も、子供も
巻き込まれ、理不尽に殺されてしまうのが戦争なのに (2006年02月09日 09時07分54秒)

Re ジュリア8078さん  
夢穂  さん
ヨーロッパの様に、経済的にも、国境を越えて
助け合おうといった、機運が高まればいいのですが
アジアは、体制も違う、思想も違うので、なかなか
隣人の国ですら、まとまることは難しいです

でも、平和遵守してほしいです
(2006年02月09日 09時11分01秒)

Re: YOSHIYU機さん  
夢穂  さん
一時は、パンダももらえるほど、うまくいくんじゃ
ないかという時期もありましたが、経済大国になり
宇宙開発まではじめ、経済フェアなどあると
日本のブースではなく、中国に人だかりが出来るほど
世界の工場、世界の市場として、インドともども
力をつけてきましたから、言いたいこともいえる
強いことも要求が出来るようになったんでしょう

この難局をうまく、日本の政治家は乗り切ってほしい
(2006年02月09日 09時16分13秒)

Re:大地の子(02/07)  
ss973061菅野  さん
あいかわらずきれいな写真に感動。。。
そして鋭い視点にも。。。
問題だらけのこの国を見限って、定年後は海外移住しようとする方も増えているとか。。。
官僚天国はいつまで続くのでしょうね(^^;
今回の年金改革見ると腹がたつことばかりです(爆) (2006年02月09日 21時30分12秒)

Re:大地の子(02/07)  
ヒゲ1940  さん
ドサクサにまぎれて政府の遣り方4つ足よりむごいです。長野県とか、寒い所の人多いのよね。ソ連がどうでなしに、、広島、長崎。落とされる前に手上げれば100万人から助かっていたわけ。靖国の問題でも、悪いことして、絞め殺された戦犯手合わせに行く気持ちわかりません。
(2006年02月10日 11時08分02秒)

Re エアロミーゴさん  
夢穂  さん
日本人は、戦後の高度成長や、バブルなど
懸命に立ち直ろうと突っ走り、社会としては
戦争は終わったものとしてきましたが、個人と
しては、たくさんの人が戦争の傷が時にはうずき
苦しめられもし、人生にも影響を与えました

その人が死ぬまで。戦争とはそんなものなのに
表面にでないところも、たくさん苦しんでいる (2006年02月10日 11時27分40秒)

Re: ジョン・クラークさん  
夢穂  さん
⊃`ノ二千ヮ...φ(´ー`*)

年末に見た「男たちの大和」は、実際の
生き残った兵士の方の証言を、基にした事柄が
多いそうですが、その言葉の重みについて
中日新聞の社説で取り上げられていました

「敗れる前に目覚めよ」

臼淵磐大尉の「進歩のない者は決して勝たない。負けて
目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを
軽んじすぎた。…本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、
それ以外に日本がどうして救われるか。今目覚めずして
いつ救われるか。俺(おれ)たちはその先導になるのだ。
まさに本望じゃないか」

しかし、のどもと過ぎればというのか、彼らが
死して、未来に伝えたかった教訓は、まったく
生かされていません

正しく社会を見つめて、自分たちが、どうしていけば
戦争などいうおろかな状況に陥らないのか。戦争どころか
自殺によって、若者も、家族を支えるお父さんも、お年よりも
命を奪われている日本。恥ずかしいです

http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20060205/col_____sha_____000.shtml (2006年02月10日 11時40分21秒)

Re 高 爺さん  
夢穂  さん
すべてが自己責任というものなんでしょうね
あなたがブラジルに移民をすることを選んだの
だから苦労をするのもあなたのせい

北朝鮮に渡った日本人妻の方たちも、自分の
意思からだからと、救いの手はさし伸ばされません

夢破れ、家族の命さえも奪われた人たちを
攻めることなど、私には出来ません。誰もが
幸せになろうと思ったのだろうに (2006年02月10日 11時46分50秒)

Re: じゅごん・まんぼうさん  
夢穂  さん
現在、全国各日本でホームレスをしている
人たちや、リストラされた人とかも、もしも
同じような移住計画があれたら、もろ手を挙げて
外地に夢をつないだかもしれないですね

日本よりも、外国のほうが、自分のしたい仕事がある
自分を評価してもらえると、優秀な人や、高学歴の女性が
海外に流出をしているようです (2006年02月10日 11時54分55秒)

Re ぽちこさん  
夢穂  さん
娘が日本に帰るから、手作りの餃子を
作ってあげたいと、台所で準備をしているとき
壁にもたれて、ベッドに座り込むお母さんの顔が
寂しそうで、目に焼きつきました

娘だって一緒にいてあげたいのに、どうしようも
ないんですよね

孫が日本へ行きたいからと、中国人のおばあさんが
日本についていくという家族、幸せに暮らしていると
いいですね

ほめてくださっても、何もでないですよ~~
あ、豚が木に登って・・・落ちた
(2006年02月10日 12時00分24秒)

Re: 下々の小四郎さん  
夢穂  さん
九州大分で生まれた、次兄の父母もまた
大陸で生まれ育ったそうですし、日本は
島国で人の出入りはないとかいいますが
戦前、かなりの民族移動があったようですね

うちのあたりは、半島からの労働者がたくさん
はいっていたようで、舅は、そういった家に
遊びにいって、キムチを食べてきたようで
「あの時食べたキムチは、辛かったけど
うまかった~」と今でも言います。そのまま
住みついた人もいるようです

恵那山トンネルの工事で、全国から来てた人で
そのまま住みついた人もいるみたいだし、人は
身一つからでも、知らぬ土地で生きていこうと
思えば生きていけるものだと、都会暮らしの
小四郎さんなら、
そんなもんじゃろと軽く答えると思うけど

うちの旦那のような、何代も前から、この家に
生まれて、墓を守り、先祖からの田畑を耕す
田舎の長男坊は、考えたこともないだろうな

私も、いてもいなくてもいいような末っ子だから
もう、どこに行こうが、どう生きようが、親からの
干渉もまったくないんで、京都も暮らしましたが

領土問題は難しいよ。うちの近所のじい様たちも
田んぼのあぜが、年に1センチ位ずつ道の方に
ずれてきてたり、いろいろあるからね~~
フォークランド戦争みたいな状況まではいかないけど
なんだか、あちこちでいざこざを聞きますもん

土地は、一番の財産ですから、経済水域の問題も
あるし、返してとって、おいそれ返してくれると
思えないもん。地元の猟師には死活問題なんだろね

(2006年02月10日 12時27分03秒)

Re tomoy18さん  
夢穂  さん
野坂昭如さんの自伝的小説「ほたるの墓」が
実写を昨年末に放映をされましたが、その中で
自分の子供たちを守るために、兄妹を家から
追い出したおばさんを、松嶋奈々子さんが演じて
いましたが、実際にそんな立場に立たされたら
キレイごとはいえないのかもしれない

戦場で戦友の肉を食べたとかいった話にしても
そうしなければ、生きることができなかったんだろう
戦争は、人が人として生きていくことが出来ない
修羅にならなければならない、生き地獄なんだろう

もすかして、子を殺せと命令されることすら無いとは
限らない。そんな事を想像が出来るだろうか
極論ではない。戦争はしてはいけないし、したくはない (2006年02月10日 12時36分32秒)

Re 吉祥天2260さん  
夢穂  さん
親の経済的な理由から、修学旅行にもいけず
授業料が払えず、学校を去っていく友達を
なんとかしたいと思った愛知県の高校生らが
主体になって、そういった生徒を援助する
募金活動をしています

自分たちがよければいい。そうゆう視点を
持った人が多い世の中で、他の人のことを思って
助けてあげたいという気持ちは、尊いです

人の立場になって考えることが出来たら、戦争など
おきはしないと思う (2006年02月10日 12時49分14秒)

Re ヒゲ1940さん  
夢穂  さん
>侵略戦争に駆り立てた責任者を、駆り立てられた人々と
>同列に祭っている靖国神社に参拝し、中国などからの批判に
>「罪を憎んで人を憎まず」と開き直った小泉純一郎首相に
>至っては目覚めてもいないと言わざるを得ません。

中日新聞社説(ジョン・クラークさんの返事の続き)

http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20060205/col_____sha_____000.shtml

総理自身が、罪を憎んで・・・って、当時の司令部の
落ち度を認めている訳で、もし当時の状況を的確に判断し
適切な指示が行われたら、失われなくてすんだ命も多いかも (2006年02月10日 13時04分41秒)

Re ss973061菅野さん  
夢穂  さん
貧しく生きるのは、いいんですが
他に生きがいなんて見つけるのは
結構できますから、ただ、治安が
悪くなる一方

人の心がすさんでいくのがね~~。親殺し
子殺し、はした金で人の命を簡単に奪う
そんな人が、うようよいると思うとね・・・ (2006年02月10日 13時10分52秒)

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