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昨日は、爆弾低気圧のなか新潟県新発田市でした
江戸時代、米沢と越後(新発田)を結ぶ
旧街道を通り新発田市に入りました

この道は越後からみれば、「米沢に行く米沢街道」ですが
逆に「米沢から新発田」に行くときは、越後街道と呼ばれていました

新発田城です
新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ
初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が
慶長3年(1598年)に築城し
3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました

新発田城は、一般に多くある山城とちがって
政治・経済の中心として交通の便利さを考え
平地につくった平城なのです
石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる
「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ
北国の城特有の海鼠壁は全国的にも珍しいものです

新発田城はかつて本丸、二の丸、三の丸からなり
堀や石垣に囲まれ、新発田川の水を巡らせた平城で
中でも、天守閣の代わりを果たしていたのが三階櫓でした
平成16年には
この三階櫓、辰巳櫓が復元され、多くの観光客に
新発田の歴史と繁栄を伝えています
さて、昨日の新発田行きの本題は、これです

これは早稲田大学キャンパスの裏手にある公園に
建てられている堀部安兵衞の顕彰碑です
ご存じですよね 、堀部安兵衞!
ほら、高田馬場の決闘や
赤穂浪士で有名な堀部安兵衞ですよ

どうして、越後新発田城と早稲田キャンパス裏手が
関係しているかですって?!
安兵衛の父中山弥次右衛門は、
越後新発田藩五万石溝口信濃守の家来でした
しかしながら、次世代の溝口家の主人とは折り合わず
ついには失脚の罠に落ち自害してしまうのです
その後、お家は取り潰しとなり、息子中山安兵衛は
江戸や京都に流れて波乱な人生を送ります
これは新潟県新発田城の大手門前にある安兵衞像です

25歳の時、江戸高田馬場での決闘で
一躍人気を博した中山安兵衛は
赤穂藩の堀部弥兵衛の目に止まり
くどかれて堀部家の養子となりました
「堀部安兵衛」の誕生でした

安兵衞の最期は、皆さんご存知のとおり
赤穂の仲間達と死装束を身にまとい、切腹の座につきました
35歳でした
こちらは地下鉄東西線早稲田駅脇にあるKOKURAYAです

安兵衞は高田馬場の決闘場に駆けつける途中に
この「こくらや」でいっぱいひっかけ決闘場に駆けつけたのでした
次はこのKOKURAYAから始めますね
じゃ、そういうことでね~~~