2009/03/06
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カテゴリ: 古代史系の妄想

こんにちは

今日は天智天皇と枚聞(ひらきき)神社についてです 

http://www.ten-f.com/hirakiki.htm

http://www.minc.ne.jp/~hotei/kaimonkanme.html

 こちらの上記ブログを読みますと、大津から脱走した天智天皇が薩摩の国でひっそりと一生を終えたという伝説があるそうです。

井沢元彦氏は扶桑略記の文面から、天智天皇は天武天皇に暗殺された説を唱えています。

遺体がみつからない、埋葬記録がない、落ちていた沓(くつ)の場所を墓とした・・・・

天智皇太子であった大友皇子もおちのび伝説がありますから、あながち全く根拠のない作り話ということだけではなさそうです。

ましてこちらのブログを読むと

http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/archive/2007/3/5

天智天皇の出身地が朝鮮半島でなく、鹿児島だったという証拠は、 九州本土最南端の美しい山「開聞岳」と、その付近一帯の地域に特に濃厚に残っている。 この山はカイモンダケと発音されているが、その北の山麓にある 「枚聞(ヒラキキ)神社」と比較すると、「開聞」は「ヒラギキ」と読まねばならない。 「開聞」はふた通りに読めるが、枚聞はどんなにしても「カイモン」とは読めないからである。 この神社は927年(延喜五)に完成した儀式制度の『延喜式』に、 「薩摩国二座。穎娃(えい)郡一座。枚聞神社」と記録されている、  いまは薩摩半島南半に一社だけある非常に古い神社である。 主祭神は「枚聞の神」で、天照大神だとか、 海神(わだつみ)とかいろんな説があるが正体は不明だった。 しかしその祭礼には「本当の祭神」が姿を現わす。 男神に扮した人は、白足袋を片一方だけはいていて「天智天皇」。 女神は天皇の妻「木花開耶姫(コノハナサクヤひめ)」である。 この姫は『記・紀』ではニニギのミコトの夫人だし、天智天皇は滋賀の大津朝廷の天皇だから、 何もかも無茶苦茶だと過去の学者は嘲笑し、祭神は正体不明だとされていたのである。

中略・・・

(中略天皇っていたらおもしろいすね。また妄想)

天智天皇を祭る神社は『延喜式』にもなく、現代も近江神宮は官幣社にも国幣社にも入れない。 天皇家ははっきり区別をつけている。 しかし彼の故郷・鹿児島県の枚聞神社は彼を祭り、 祭礼には彼が木(コ)の花開(サク)耶(ヤ)姫と登場する。 しかし『延喜式』は薩摩国の枚聞神社を小社のうちに加え、明治4年に国幣小社に加えたが、 神社自身も、公式には祭神は天照大神か海神か不明の神だとして、天智天皇を削っている。

 神話世界のこのはなさくやひめと天智天皇の婚礼模様・・・・

片方だけの白足袋、山科に落ちていた沓。

斉明天皇の供養のために天智天皇が建立したと伝えられる、福岡県太宰府市の 観世音寺

確かに百済救援戦争の日本前線基地は福岡だったわけですから、天智天皇と九州は浅からぬ縁があるわけですが、飛鳥で生まれ、次の次の天皇が飛鳥に都した中大兄皇子の一生としては、九州に登場しすぎのような気がします。 

関裕二氏は、舒明天皇と天智天皇を九州王朝の王とし、聖徳太子=蘇我入鹿を出雲王朝の王としました。(関氏は更に蘇我入鹿=高向王とし、その子漢皇子=天武天皇・・・出雲王朝の王)と位置づけています。

これはこれで、通説を覆し、蓋然性を追求された結果だと思います。

はたして天智天皇はどこで崩御されたのでしょう? 






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Last updated  2009/03/12 02:18:25 PMコメント(0) | コメントを書く


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