2009/03/09
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カテゴリ: 古代史系の妄想

こんにちは

古代史妄想へようこそ

今日は、推古天皇の皇子・皇女の人数についてです

WIKIでは 

菟道貝蛸皇女 聖徳太子 妃)、 竹田皇子 小墾田皇女 押坂彦人大兄皇子 妃)、 尾張皇子 (聖徳太子の妃 橘大郎女 の父)、 田眼皇女 田村皇子 (後の 舒明天皇 )妃)ら二男五女をもうけた。

葛城王(かずらきのみこ、古事記のみ)

とあります。

わが国初の女性天皇でありながら、7人(ないし8人)の子供をもうけるとは、古代とは、少子化とは無縁の時代だったのですね・・・

って、ちょと待ってください。

推古天皇は、敏達天皇の前の皇后が薨去されたのち、皇后に昇格しますが、敏達天皇は2人の皇后のほかに2人夫人がおり、それなりの皇子皇女がいます。

本当に、全員血のつながった皇子皇女なのでしょうか?なんか母親不詳につき適当にって感じがします。

または、後世、それらの皇子皇女の子孫を称する貴族たちが少しでも自分の先祖にハクをつけようと

「おれの先祖のXX皇子の母君は推古天皇だ!」

「こっちだってXX皇女の母君は推古天皇だ!」

と収集がつかずに7~8人になってしまったのではないでしょうか?

しかし

遺令によって女帝の亡骸は息子・竹田皇子が眠る墓に合葬された。

とありますから、竹田皇子は少なくとも実の息子だったのだと思います。 

余談ですが推古天皇の母親の

蘇我堅塩媛  (そが の きたしひめ、生没年不詳)

は、欽明天皇との間に

磐隈皇女(伊勢斎宮)、額田部皇女( 推古天皇 用明天皇 )、臘嘴鳥皇子、椀子皇子、石上部皇子、山背皇子、桜井皇子

これだけの皇子皇女がいます。

多すぎませんか?

蘇我氏も実は、ハクをつけるにふさわしい豪族(ひょっとして皇族)だった? 






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Last updated  2009/03/09 05:59:19 PMコメント(0) | コメントを書く


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