2009/03/11
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カテゴリ: 古代史系の妄想
こんにちは
古代史妄想へようこそ
昨日は、高句麗の宰相、淵蓋蘇文が日本書紀で「いりかすみ」と呼ばれていたので、蘇我入鹿ではないか?
と記述しました。
この妄想の欠点は、淵蓋蘇文の死亡が665年だということです。
大化の改新は645年です。
すると大化の改新で殺されたのは誰?

作家の関裕二氏は、その著書「聖徳太子は蘇我入鹿である」で
文字通り、大化の改新で中大兄皇子に討たれたのは、入鹿=太子としました。


いずれにしろ、日本書紀は記録した文書の方言差からか、1人の人物が分裂しているような記述が目立ちます。

逆にこのことは「ウソ」をついているのではなくそのままを記録した証拠でもあると思います。
「うそ」をつくなら全然結びつかないような名前に変えればいいのですから。

よく考えてみれば、このころ世界中に物語や小説はなく、300年くらいあとの竹取物語や源氏物語を待たねばならないわけですから、創作という概念はなかったと考えるのが自然です。






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Last updated  2009/03/12 12:00:44 AM
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