2009/06/19
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カテゴリ: 古代史系の妄想

こんにちは

だいぶ怠けていました古代史妄想くんです

今回も古代最後の女性天皇=称徳天皇の話題です

称徳(孝謙)天皇についておさらい妄想しますと

1.奈良の大仏建立した聖武天皇の娘とされるが、実は皇后である

2.実の母親は元正天皇。

でした。

追加すると、2.の父親ですが、私は聖武天皇の1代前の男性天皇だと妄想しています。

つまり42代文武天皇(683~707)です。

719年生まれの称徳天皇の父親であるはずがないのですが、かねてより言及しているとおり、記紀や三国史記の年代は不安定であり、どちらかというと、古いほうへもっていくクセがあるからです。

文武天皇が新羅王=文武王(神文王?かも)であることは、だいぶ前に妄想しました。

壬申乱で敗れた大友皇子は一旦新羅へ逃げ、その子神文王が体制を立て直して、日本へ戻ります。

藤原不比等を中心とする旧百済倭国(ホ・セイ・ワ・ラ)勢力を取り込んだ神文王は日本で天皇位に返り咲き父の名乗りを継ぎ文武天皇となります

文武天皇はいとこにあたる元正天皇の婿になります

日本書紀は大友皇子=文武天皇(実は息子の神文王)であると示唆し、両者の享年を25歳としました

結局、聖武天皇も文武天皇の皇子(母親は藤原宮子)ですから、称徳天皇とは異母兄弟になります。

聖武天皇の死後、藤原仲麻呂(恵美押勝)は日本書紀責任者である舎人親王の皇子大炊王を擁立(淳仁天皇)。

称徳天皇はここで、大炊王を婿(男性天皇)とすることを拒否。

弓削道鏡を婿(男性天皇)とすべく画策しました。

このことが、倭国伝統の女帝上位の伝統に終止符をうつ暴挙となったわけです。

おそらく暗殺された称徳天皇の後継者は、はじめから白壁王(光仁天皇)だったと思います。

臣籍降下していた、文屋浄三・大市兄弟を皇位争いのデキレースに参加させたのは、吉備真備を更迭するためのワナだったとしか思えません。

光仁天皇即位は、あたかも天武系天皇から天智系天皇への移行と位置づけられていますが、事実はめんめんと天智系女帝が仕切っていたのです。

つまり天武系から天智系という移行でなく、天智系女帝から天智系男帝オンリーへの移行であったと思います。






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Last updated  2012/02/16 02:27:14 PMコメント(0) | コメントを書く


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