こんにちは
古代史妄想くんです。
めんめんと女性天皇について妄想しまくりだったので、ちょいと目先を変えて、
日本書紀の編集総責任者である、舎人親王について妄想したいと思います。
以下参考urlです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%8E%E4%BA%BA%E8%A6%AA%E7%8E%8B
父親を天武天皇にもち母親は天智天皇娘の新田部皇女です。
血統的には文句なく天皇候補なのですが、通説では持統天皇が自分の血統からのみ天皇を出そうとしたので、舎人親王は天皇になれなかったとされます。
舎人というネーミングも皇族らしからぬものです
舎人
よく聖徳太子はなぜ天皇になれなかったは取りざたされます
日本初の勅撰歴史書の編集長がなぜ天皇になれなかったことは、なぜ取りざたされないのでしょう?
私の知己である神谷さんはその研究ブログにおいて以下のように言及しています
http://www7a.biglobe.ne.jp/~kamiya1/mypage461.htm
のちの光仁天皇(白壁王)がアル中のふりをして、皇位に執着がないように装い、称徳天皇の粛清を逃れていたというエピソードは古代史ファンであれば有名ですが、それより早く舎人親王は天皇の位(権力)よりも、存命の道を選んだのではないのでしょうか?
それは反藤原氏の急先鋒で、粛清されてしまった長屋王(長屋親王?)とは対照的です。
それどころか、舎人親王は長屋王糾弾に連座しているわけです。
文武天皇崩御後、元明天皇は老齢を理由に即位を固辞したとされます。
そのときは舎人親王即位のチャンスだったわけです。
しかしなれませんでした。
ここで、聖徳太子の例を思い出すと、聖徳太子が天皇になれなかったのは、推古天皇が長生きだったからだとされます。
真偽のほどはさておき、その例が舎人親王にも当てはまるのではないかと思うのです。
つまり男性天皇がいたのです。
ごく単純な話で、天皇が生きていれば天皇になれないのは当たり前です。
私は以前のブログで文武天皇の在位時期はずれていると言及しました。
文武天皇の在位時期は日本書紀の記述より遅く、孝謙天皇は文武天皇と元正天皇の娘であるとしました。
つまり、天武(皇后=持統)・草壁(妃=元明)・文武(皇后=元正)・聖武(皇后=孝謙)・淳仁(皇后=称徳)と切れ目なく続いたために舎人親王の出番はなかったのです。
一時期、私も舎人親王の血統はあまりよくなく、日本書紀編纂のほうびとして天武皇子の地位を捏造できたのだと思っていました。
ただそうすると、舎人の子・大炊王(淳仁天皇)即位の理由づけが苦しくなりますが、新田部皇女が舎人の母で間違いなければ、淳仁天皇は天智女系曾孫になるので、かろうじて資格を保有します。
すると?
舎人親王が即位できなかった理由は
1.天武実子ではない
2.男の天皇が切れ目なくいた
3.権力争いから離脱し、長命たらんとした
1.は、父親が藤原氏だと仮定すると、極端な親藤原的行動に説明がつきます。
2.は、奈良女帝は天智系という妄想が根拠です
3.は、のちの白壁王に受け継がれます。ただ皮肉にも白壁王は光仁天皇になります。
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