2012/07/19
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カテゴリ: 古代史系の妄想
奈良時代における皇族・貴族の年齢に対する疑問2

7月10日の日記で、奈良時代における皇族・貴族の年齢は我々の常識である1年1歳でなく、1年2歳だったのではないだろうか?という仮説をたてました。

昨日、白壁王はなぜ光仁天皇になれたかについて言及しましたが、その要因のひとつにお妃が聖武天皇の皇女であることがあげられる・・・と書きました。

すると、古代史にありがちな曖昧事実がわかったので、ここに記述します。

井上内親王(いのえないしんのう/いがみないしんのう、養老元年(717年) - 宝亀6年4月27日(775年5月30日))は第45代聖武天皇の第1皇女。
母は夫人県犬養広刀自。
伊勢斎王、のち第49代光仁天皇の皇后。
別名井上廃后、吉野皇后、井上大皇后。

養老5年(721年)9月11日に5歳で伊勢神宮の斎王に卜定され、6年後の神亀4年(727年)、伊勢に下向する。


帰京後、白壁王(光仁天皇)の妃になる。
同19年(747年)、無品から二品に叙される。
天平勝宝6年(754年)、37歳という当時としては高齢出産で酒人内親王を産む。
その後、天平宝字5年(761年)、45歳で他戸親王を産む。
他戸親王出産に関してはあまりにも高齢であるため、他戸親王の年齢を記載した『水鏡』の記事、「宝亀三(772年)十二(歳)になる」を「二十二(歳)」の間違いとして他戸親王出生を天平勝宝3年(751年)、つまり井上内親王は34歳で他戸親王を出産したとする説がある。
しかしながら酒人内親王を37歳の時の子であることを考えた場合、45歳という当時でも極めて稀な高齢出産があった可能性も排除出来ない。


称徳天皇(孝謙天皇)が718年生まれなので、姉ということになっていますが、あまりの高齢出産記録がおおいので、実はもっと若かった(妹だ)とする説や、他戸親王を養子とする説など諸々あります。

水鏡の10歳記述間違い説ってどうなんでしょう?

邪馬台国の魏志倭人伝でも、南は東の間違いだとか、せっかくの資料を間違い呼ばわりしたらそこで検証は終了だとおもいますが・・・いかなる角度から照合しても間違いであるという確証があればべつですが。

ここで、私の説で、半分にしたら23歳でバッチリなんですけど (^^;





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Last updated  2012/07/19 12:39:05 PM
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