2012/07/23
XML
カテゴリ: 古代史系の妄想
昨日、天武孫の長屋王のほうが、天武の皇子の舎人親王より妃の数が多い&地位も高かったというお話をしました。

長屋王も舎人親王も母親は天智の娘なので、血統的にはどう見ても舎人親王のほうがよいのです。

しかし現実は違った。

ところで、

奈良時代の天皇は
元明・元正・聖武・孝謙・淳仁・称徳・光仁。

元明の父は天智。
元正の父は草壁(天武&持統の皇子)母は元明。
聖武の父は文武(草壁の子)、母は藤原宮子

淳仁の父は舎人(天武の皇子で天智の孫)、母は当麻山背
光仁の父は施基親王(天智の皇子)、母は紀橡姫(きのとちひめ)

天智天武双方の血をひく天皇4代3名
天武のみ0名
天智のみ2名

この後平安時代は天智のみの血統となります。
つまり光仁を平安時代への過渡期としても、
天智天武両方の血をひいていないと天皇になれなかった。

元明にいたっては、天智の娘でしかなく、草壁妃でかろうじて天武ファミリーであった。

私は、淳仁は天智の血を引いているのか疑っていました。
父親の血統からは淳仁のみ浮いているからです。










お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2012/09/06 02:33:32 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: