2012/07/22
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カテゴリ: 古代史系の妄想
最近、親王クラスのお妃の人数を調査しています。

長屋王は、壬申の乱で功のあった高市皇子の子です。


木簡の出土により長屋親王疑惑?でも有名な長屋王です。

長屋王は藤原不比等の娘も妃にしており、不比等存命時は藤原氏との関係は良好でしたが、不比等死後、誣告され自害させられます。

あの日本書紀の舎人親王も藤原氏に味方し、長屋王誣告に加担しています。

それは冤罪だったという記録も多いです。

ところで、先日舎人親王の妃は2人と言いました。

天皇(天武)の皇子である舎人の妃が2人。
天武の孫である長屋王の妃は5人。


それもあったかもしれませんが、ここで長屋王と舎人親王を比較すると、天武を基準に血統を追えば、舎人親王のほうが近いです。

しかし、社会的地位は長屋王のほうが高かったのでしょうか?

長屋王の母は天智皇女の御名部皇女です。
そうです!!!!
長屋王は天智の孫なのです。

舎人親王も天智孫です。

なのにこの差?

ということは、やはり舎人親王が天皇になれなかった理由・長屋王より低い扱いだった理由は、天智孫という系譜が詐称なのではないでしょうか?





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Last updated  2012/08/10 08:38:34 PM
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