ここ数日、過去の覚書を探していてやっと見つかりました。
なぜ苦戦していたかというと、1台のデスクトップPCに、64GBのSSDと2TBのHDDと3TBのHDDを押し込めていたので、放熱がおいつかず、3TBのHDDが認識していなっかたのです。
冷や汗をかきながら、もう一台のPCにセットし、認識。ほっと胸をなでおろし、見つかったのです。
自分なりの日本書紀人物分裂表。
そのエクセルファイルを改めてしげしげ見ると・・・・
げ、中臣鎌足=天武天皇になっている・・・・
そうか、中大兄&鎌足のけまりの逸話と金春秋&金ユ信の逸話から、
中大兄=金春秋はいいとして(よくないとおっしゃる方も多いでしょうが)、
金ユ信=鎌足=天武としていました。
昨日も言及しましたように、金春秋と金ユ信の婚姻関係と中大兄と鎌足の婚姻関係が全く一致しないので、当時は安易に鎌足=天武としていたのでしょう
う~ん。鎌足=天武説はかなりきびしいですが、そういう切り口もなくはないので、後日再考察します。
ところで、同じ覚書に「蘇我倉山田石川麻呂=古人大兄皇子」とありました。
ああ、そうか、古人皇子の母は法堤娘で、蘇我馬子の娘です。
石川麻呂も古人も大化改新後、中大兄皇子にナンクセつけられて自害(殺害?)させらてます。
大化の改新において、石川麻呂は蘇我入鹿を裏切ったことになってます。
かたや、古人皇子は天皇になるための強力な後ろ盾である入鹿を失い、
「韓人、鞍造臣を殺しつ、吾が心痛し」と嘆いて屋敷に引きこもってしまいます。
中大兄皇子(天智天皇)は古人皇子の娘。倭姫王を皇后にしています。
蘇我倉山田石川麻呂の娘もめとり、持統天皇たちが生まれています。
当時天皇になるには、両親とも皇族の必要がありました。
つまり、持統天皇の母親(おちのいらつめ)を蘇我氏の娘とするより、皇族である古人皇子の皇女としたほうが、現実的なのです。
いや、蘇我氏自体が皇族だったかもしれません。
蘇我蝦夷・入鹿親子を悪役とした日本書紀ですが、さすがに持統天皇の祖父まで悪役にはできませんでした。というオチでしょうか・・・
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