虎に翼を付けて放てり
という言葉を聞いたことがありますか?
晩年、病の床に付いた天智天皇は、大津京に大海人皇子(後の天武天皇)を呼び出し、皇位を譲ろうとします。もし申し出をを受けたら謀反の疑いありとその場で、大海人皇子は殺されていたのではないか?というのが通説です。
その際に大海人皇子は、
「私は病弱にて激務に耐えません。皇后の倭姫王に皇位をお譲りになり、大友皇子を皇太子に立てたらよろしいかと思います。私は出家して天皇の健康をお祈り申し上げます。」
と言い残し、吉野に隠遁します。
人々はそれを
「虎に翼を付けて放てり」誰が言ったでもなく噂というのが、微妙なニュアンスです。
ところが、私の妄想は全然ちがうのです。
ここは、小芝居的に、天智・大海人の会話で妄想してみます。
「義兄上(あにうえ)、本当に新羅に帰るおつもりですか?」
「うむ。半島情勢は文武ひとりに任せておくには唐は手ごわすぎる。それでな大海人、折り入って頼みがある。」
「なんでしょう?」
「わしの跡をついで日本国天皇になってくれぬか?ぬしは、わしの義娘・うののさららの婿だから倭国や百済国の遺臣も納得するだろう。」
「いえ、私は義兄上の姫をいただいてはおりますが、もともとが亡国の出身ゆえ難しいのではないかと。それならば」
「それならば?」
「倭姫皇后を天皇におたてになり、大友皇子を皇太子におたてになられたらいかがでしょう?」
「その手も考えた。せっかく錦江にて勝利をおさめ日本国が倭国にとってかわったというのに、倭姫や大友を皇位につけたら、元の倭国に逆戻りではないか?大友は倭姫の連れ子にすぎん。本当の父親は 天万豊日(孝徳) だ。」
「おっしゃりたいことはわかります。しかし、蘇我も物部も勢力が衰えたといえまだまだ油断できません。一番油断ならないのは藤原ですが・・・」
「内臣(鎌足)か。しかしやつのこのままでは百済国に未来はないという言葉は、嘘とは思えないのだが・・・」
「確かに、内臣は百済王族ですが、唐につくではなく新羅と共同戦線を張ることを推進しておりますが」
「百済倭国(ホ・ゼ・ワ・ラ)国民を皆殺しにしてしまっては、この列島はおしまいだ。なんとか旧勢力も懐柔して唐に立ち向かわなければならぬ。」
「わかりました。私も義兄上とともに新羅に戻ります。大友がこの国の天皇としての資質を見極めた後に」
天智は背筋が凍るのを覚えた。
「大友の妃はぬしの息女、十市ではないか・・・・」
「その時になれば、十市は助けます。高市も大津も。」
こうして大海人は一旦「九州吉野(現在の大牟田市)」に隠遁します。
この話の舞台は九州那大津の京。
その後、倭姫皇后は急逝し、大友皇子の飛鳥藤原京での称制、壬申の乱へと突入していきます。
すみません。解説は次回。
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