2012/08/23
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カテゴリ: 古代史系の妄想
先月、舎人親王ネタばかりでした。
飽きたわけではないのですが、自分で自分が制御できなかった部分もあるかもしれません。

ところで、舎人親王が即位できなかった理由を先月は

1.天武の皇子で母親は天智の皇女ではない(日本書紀上は天智の皇女、新田部皇女)
2.子の大炊王が天皇になれたのは、母親の当麻山背が天智系ではないか?

としました。

天武の皇子で天智の孫にしては、扱いが臣下なみだったからです(名前も舎人だし)

お妃の数でも、天武孫&天智孫の長屋王に負けてるし、
年齢でも血統でも、元正天皇(氷高皇女)に勝っていたのに負けた。



しかし、先日の妄想で、舎人親王の父は藤原不比等ではないか?と大暴走(大妄想)しましたので、天武の皇子を翻論しなければならなくなりました。

しかし、いかに実力者と皇女の子でも男系では家臣にすぎなかったとすれば、舎人というネーミングにも納得できます。

私見では、藤原(百済倭国)は百済倭国王の血統ですから、王族扱いをうけても無理ではないかと思いました。

一方、孝徳天皇の血筋を「倭国、倭国」と表現してきましたが、やはりここは「百済倭国」と表現すべきかと思いなおしました。

以前、「百済町」という地名は近畿地方に多いと言及しました。

ですから、百済と倭国は双子のようなもので、朝鮮半島から「名字2文字漢字組」が駆逐されて、百済だの倭国だのの痕跡は消滅したのであろう、古代近畿地区は百済倭国連合の本拠地だったのではないか?

しかし、古事記においては「倭国」という記述しかありませんから、斉明以前は倭国王だったのでしょうか?

すると、フジワラの称号は百済と倭国の合併版ですから、一段格上なのかと・・・・

鎌足の出自、中臣氏が事実とすれば、中臣氏は日本国の神官から、一挙に倭国王を凌駕する地位に上ったことになります。

やはり中臣の系譜は養子なのでしょうか?

舎人親王も「イチバン」になるより、2番以降でおいしくいきたかったのかもしれません。





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Last updated  2012/08/23 10:04:32 PM
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