2012/08/24
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カテゴリ: 古代史系の妄想
2009/3/6の自身の日記を読み返すと、

大津を脱走した天智天皇は鹿児島で余生を送ったという他のかたのブログを参照&共感していました。

あれから自身のどのような心情変化があったかというと、

1.天智天皇の「大津京」とは近江ではなく博多の「那大津」ではないか?
  (滋賀の人に怒られそうです)

2.天智=新羅武烈王の立派な陵が朝鮮半島にあるので、やはり新羅へ戻ったのか?
  日本書記を読み返しても、天智天皇おかくれになりました記述しかないのです。
  しかし、新羅本紀にも661年に「王薨ず」のひとことしかなくその死因も埋葬記録も
  つまびらかにされていません。ので、ここは鹿児島逃亡説有利か?


  仮の天智天皇の故郷を鹿児島としてやはり晩年は故郷へ帰りたかったのか?

4.話は飛躍しますが、現在の韓国ですが、第2次世界大戦や豊臣秀吉の朝鮮出兵については
  日本を侵略者として非難していますが、白村江に関しては全く触れません。
  百済を仲間とする認識もあったかと思いますが、日本書紀上は朝鮮半島に遠征して
  唐新羅連合軍に壊滅状態に追いやられるわけですから、「昔は新羅が日本に勝った」
  と誇示してもよさそうなものです。

  ですから、白村江の戦いは朝鮮半島のできごとではない?
  あの「韓国」が勝利誇示しないわけですから、戦自体なかった?

  では、なぜ日本書記はわざわざ、「倭国」が負けた事件を記録したのか?

  朝鮮半島にとっては、百済と新羅の内輪もめ感があるので、あえて韓国は言及しないのか?

  謎はまだまだ山積みです・・・・・




A.鹿児島はただの伝説?

B.朝鮮半島に戻る理由(唐との決戦?)

いずれにしろ山科ではなさそうです・・・・





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Last updated  2012/08/24 12:23:35 PM
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