2012/08/28
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カテゴリ: 古代史系の妄想

昨日の続きです。

日本書紀というのは、第29代欽明天皇から書き始めたと序文にあるそうです。 

記録がはっきりしていたからでしょうか?

ということは、逆に28代宣化天皇以前の記録はどうした?

欽明天皇から突然「蘇我氏」が突然(不自然に)登場します。 

とりあえず 

卑弥呼を第1次倭国とすると、

倭の五王から武烈天皇までを第2次倭国、継体・安閑・宣化が微妙な役回りで、

欽明から推古(敏達除く)までを第3次倭国といえるかもしれません。

実は、30代敏達天皇は蘇我色が全くなく、宣化天皇の皇女が母親ということになっていますから、ひょとすると、欽明の実子は誤りで、一旦継体系の巻き返しがあったのではないか?と思います。

その後、系譜上は継体-宣化-敏達-押坂-舒明-皇極-孝徳-斉明を非蘇我系とします。

蘇我の血統でない大王が続きます。

ここで、私が常々主張する「日本書紀人物分裂説」が頭によぎります。

 欽明-天武-用明-推古・・・・蘇我系

舒明-敏達-孝徳-皇極・・・・非蘇我系

実は同一人物を蘇我からの系譜にしたのが上

蘇我でない系譜が下なんですけど、順番がなぜちがうのか?闇は深いです。

ですから、日本書紀の時間軸は乱れているので、遣隋使時推古天皇という結果になったわけです。

隋側の記録は「あめのたりひしこ」とずれているのが証拠です。

隋側の記録は小野妹子を「蘇因高(そんいこう)」としているので、ごろあわせで、「推古」と合わせたのではないでしょうか?

ちなみに小野妹子=そのいもこ=そのうまこ=蘇我馬子説もあります。

小野妹子=そいもこ=そいんこう=推古となると、推古=蘇我馬子になってします。

推古は女?男? 蘇我馬子=推古で女帝だと面白いのですが・・・

日本書記は様々な記録の寄せ集めなので、真面目に記録したらこうなったのだと思ってます。 






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Last updated  2012/08/29 02:47:23 PMコメント(0) | コメントを書く


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