昨日の続きです。
日本書紀というのは、第29代欽明天皇から書き始めたと序文にあるそうです。
記録がはっきりしていたからでしょうか?
ということは、逆に28代宣化天皇以前の記録はどうした?
欽明天皇から突然「蘇我氏」が突然(不自然に)登場します。
とりあえず
卑弥呼を第1次倭国とすると、
倭の五王から武烈天皇までを第2次倭国、継体・安閑・宣化が微妙な役回りで、
欽明から推古(敏達除く)までを第3次倭国といえるかもしれません。
実は、30代敏達天皇は蘇我色が全くなく、宣化天皇の皇女が母親ということになっていますから、ひょとすると、欽明の実子は誤りで、一旦継体系の巻き返しがあったのではないか?と思います。
その後、系譜上は継体-宣化-敏達-押坂-舒明-皇極-孝徳-斉明を非蘇我系とします。
蘇我の血統でない大王が続きます。
ここで、私が常々主張する「日本書紀人物分裂説」が頭によぎります。
欽明-天武-用明-推古・・・・蘇我系
舒明-敏達-孝徳-皇極・・・・非蘇我系
実は同一人物を蘇我からの系譜にしたのが上
蘇我でない系譜が下なんですけど、順番がなぜちがうのか?闇は深いです。
ですから、日本書紀の時間軸は乱れているので、遣隋使時推古天皇という結果になったわけです。
隋側の記録は「あめのたりひしこ」とずれているのが証拠です。
隋側の記録は小野妹子を「蘇因高(そんいこう)」としているので、ごろあわせで、「推古」と合わせたのではないでしょうか?
ちなみに小野妹子=そのいもこ=そのうまこ=蘇我馬子説もあります。
小野妹子=そいもこ=そいんこう=推古となると、推古=蘇我馬子になってします。
推古は女?男? 蘇我馬子=推古で女帝だと面白いのですが・・・
日本書記は様々な記録の寄せ集めなので、真面目に記録したらこうなったのだと思ってます。
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