インド&パキスタン冷戦しかり、聖地エルサレムを取り巻く抗争は私ごときが言うに及ばず、終戦という言葉はここにはないのかもと思うほどです。
日本における宗教戦争といえば、江戸幕府のキリシタン弾圧に由来する天草四郎の乱などが有名ですが、その直前には逆に織田信長が仏教弾圧のため比叡山焼き討ち等行いました。
その後、明治政府による神仏習合令など宗教に対する政府の介入はありましたが、特に大きな戦争レベルの紛争はありません。
となると、古代の崇仏・廃仏における蘇我vs物部のような抗争は歴史上特筆ものかもしれません。
昨日仏教伝来は612年ではないか?と疑いをかけましたが、年代のずれはちょっと保留し、このときの宗教戦争について考えてみたいと思います。
なぜこんなことを言うかといえば、29代欽明以降、仏教信仰の天皇と仏教否定派の天皇がかなりの頻度で入れ替わることに疑問を持ったからです。
たとえば我々は、歴史教育で、「聖徳太子は仏教を手厚く保護した」とさらっと教わります。
これに対し、物部守屋や中臣勝海は猛反発します。
仏像を海に捨てたりしましたが、とうとう蘇我馬子・聖徳太子軍に守屋や勝海は負けます。
ここで、私の考えですが、一国の王たる者が、友好国のお勧めだからといってころころと宗教変えていいのでしょうか?
たまたま日本の神道・仏教はいずれも殺生を禁ずる主旨がありますから、大事には至ってないと思いますが、それでも物部守屋や中臣勝海は落命しています。
となると、天皇が宗教に目移りしたと考えるより、仏教を崇拝する王家と神道を崇拝する王家との権力闘争といった図式のほうが、自然です。
日本書紀は万世一系を強調したいがために天皇系譜を親子兄弟関係でつなぎましたが、
(実際には入り婿といかたちで戸籍上は本物の親戚です)
元来、倭国は女帝や尼さんを認める仏教国家であったと思います。
それが、「日本」は古来から神道国であったと強調したいがために、仏教は6世紀に百済から来ましたと、とってつけたような記述をするのです。
もしかすると、百済からきたのは仏教だけでなく、仏教を崇拝する王家ともども(蘇我氏)倭国に乗り込んできた可能性が高いと思います。
突然、蘇我氏が大王家の外戚として権威をふるい、同じタイミングで仏教(寺院や仏像崇拝に注力する新しい仏教)がはいってきたのではないか?といことです。
なぜ卑弥呼が仏教系なのか?勿論3世紀の寺院遺跡があるわけではありません。
ただ、他の宗教が男尊女卑傾向が強い中(キリスト除く)、女王が君臨できる宗教は当時仏教以外存在しなかったからです。
新羅女帝時代は儒教系でなく、仏教を重んじたので、善徳や真徳などの女王が王位につけたのです。
祭祀を司る女王が軍事を司る男王をシビリアンコントロールする完成された国家だったといえます。
蘇我氏時代、女帝が多いのは、シビリアンコントロール国家の復活を願ったのでしょうか?(われよみがえり=我蘇)
その後、世界の国家から女帝は減りましたが、イギリスが近代国家のリーダーたる自負や自信はこのへんからきたと思います。
現在世界も女性の首相がかなりふえてますから、日本もそのうち期待してます。
ただ、それはキリスト教国・仏教国についてのみいえることで、イスラム圏は厳しいでしょうが・・・・
古代史妄想 総括 2018/04/17
三田誠広氏の小説「白村江の戦い」を読み… 2017/09/07
2016年1月5日のつづき 天智天皇暗… 2017/03/17 コメント(1)