2012/09/19
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カテゴリ: 古代史系の妄想

現在放送中のNHK大河ドラマ「平清盛」は、清盛が平家棟梁平忠盛の実子ではなく、

白河法皇のご落胤説を採用しています。

時代が下ると一休さんとか有名人や成功人は落胤説がつきまとうのでしょう。

ところで、タイトルの藤原不比等の母の詳細が不明です。

鏡王女説、車持与志古説です。

不比等は竹取物語の5公のひとり車持皇子のモデルとされるので、平安時代は不比等の母親は車持与志古で、父親は天智天皇との認識があったようです。

車持与志古は最初天智の側室で、後に中臣鎌足と再婚しますが、再婚前に不比等が胎内にいたという説が有力です。

一方、鏡王女も最初「中大兄皇子」 の妃とあり、「尊卑文脈」では、不比等の母親は鏡王女とします。

いずれにしろ、不比等は鎌足にとって変則的な連れ子(胎内連れ子?)だった説が最有力ということになります。

ただ、ここも微妙な時間軸で、不比等659年生まれとすれば、白村江以前のことであり、実の父親は「中大兄」ということになります。

ただ、私の説では天智=新羅武烈王、鎌足=新羅将軍金庾信ですから、不比等を新羅生まれとすれば、武烈王の実子ということになります。

確かに、出世があまりにも遅い点、持統天皇の時代になってはじめて日の目を見ることから、倭国皇子の末裔がゆえにということも考えられます。

あまりにも不比等は外交政策などが、ニュートラルで、唐より新羅よりのそぶりが伺えません。

通説では、天智の娘、持統天皇と天智の忠臣鎌足の息子という関係になりますが、

私の説は、持統天皇は孝徳天皇の娘で倭国の姫。

不比等の父を「中大兄」 とすれば、倭国皇子の子で、倭国つながり。

不比等の父を天智=新羅武烈王とし、養父を金庾信=天武とすれば持統天皇にとって不比等は義理の息子になります。

ところで話が飛びますが、聖徳太子の母親は用明天皇死後、聖徳太子の兄と再婚します。

義理の息子と再婚するのです。

持統天皇と藤原不比等にも男女の噂はあります。

ということは「中大兄」説より、「天智帝」説のほうが妥当性があるのかもしれません。 






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Last updated  2012/09/19 07:46:46 PM コメント(2) | コメントを書く


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