2012/09/23
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カテゴリ: 古代史系の妄想
昨日、斉明天皇(皇極)はもう少し若かっただろうと言及しました。

その理由
1.37歳で舒明天皇と再婚し、天智・天武・間人皇女を生んだとされる。
  7世紀でこれはきついのでは?

2.高句麗王の宝蔵王と同一人物とすると(斉明天皇は宝皇女)、682年没になる。

そして、極めつけは

3.664年に嶋皇祖母命(斉明天皇の母親。天智天皇の祖母のためこういった呼称か?)が、亡くなったことです。
  享年68歳とされる斉明天皇の母親っていくつで亡くなったの?ということになります。

  山科誠氏の著書によると、斉明天皇と嶋皇祖母命は同一人物で、中大兄皇子が百済に行きたくないので、斉明天皇は死んだとウソをついた、その4年後の本当に死んだので、母に間違うように誘導した。とあります。



日本書紀はあくまで日本目線で書いてあるので、日本から行方不明になったらイコール死んだという苦しい言い訳になってしまいました・・・・






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Last updated  2012/09/23 10:10:32 PM
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