2012/09/24
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カテゴリ: 古代史系の妄想
敏達天皇の皇后は「広姫」で、息長真手王の娘です。
息長真手王の出自は不明で、応神天皇の孫の息長沙禰王の子であるとの文献もあります。

 wikiによると

 娘の一人が「継体天皇」に嫁ぎ、もう一人の娘が「敏達天皇」の皇后・広姫であるというが、記紀などによって「継体」の生年は西暦450年、一方「敏達」の生年は西暦538年であり、娘が二人の大王に輿入れしたとは到底考えられない。伝承が混乱しているのか、或は記紀の編集者が意図的に系図に手を加えた可能性が強い。

ということは・・・・私の妄想癖に火がつきました。

私は

1.日本書紀の記述は正しい(はぐらかしはある)

2.年代は60年サイクル等でぼかしてある。

と思っているので、

継体天皇の存在時期を繰り下げるか、

敏達天皇の存在時期を繰り上げるか、です。

私は、さらに

欽明-敏達-用明-崇峻-推古の記事は

舒明-天武-孝徳-武烈(武烈王=天智)-皇極(斉明)の焼き直しではないか?

とかんぐっているので、敏達天皇の治世はもっと後になります。

そこに継体天皇が参加すると、さらに大変なことになります。 
このころは「任那」をめぐって百済・新羅が争奪戦を行っていた時期です。
諸説ありますが、
私説は
1.ピュアな倭国王の流れをくむ「継体天皇」
2.高句麗から倭国に侵入した「蘇我氏」 
3.百済から仏教とともに降臨してきた「欽明=舒明天皇」
4.新羅王族の金春秋「天智」
5.任那王族の末裔、金庾信「天武」 
がほぼ同時期に入り乱れてしのぎを削ったのではないか?
日本書紀の編者はその散逸した文献の年代を、作為的(偶発的?)に古く見せるため、過去へ過去へとタテに並べたと思います。
もしかすると、
卑弥呼の活躍3世紀
倭の五王の活躍5世紀
で、
神武天皇をそのあとの6世紀くらいの人とすると、1代4~5年のサイクルで天皇(当時の呼び方は大王)が入れ替わり、妥当性のある即位期間になります。 
旧唐書には「日本はもと小国なり、大国倭国を併せたり」とあります。
本当かもしれません。
神武から武烈まで日本国王でほそぼそやってきたのかもしれません。
継体から斉明までが混沌時代で、一旦天智・天武で日本統一ときますが、
持統~称徳までがまた移行期。
光仁以降桓武でやっと男王制安定になります。 





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Last updated  2012/09/25 01:08:02 AMコメント(0) | コメントを書く


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