2013/01/17
XML
カテゴリ: 古代史系の妄想
久々の更新です。

昨年末に宣言しましたように、今年は日本書紀の編集総責任者である舎人親王について、掘り下げてみたいと思います。

舎人親王の父は天武天皇(壬申の乱の勝者=大海人皇子)
母は、天智天皇(中大兄皇子)の娘、新田部皇女。

つまり父が天皇、母方の祖父が天皇です。
さらに天武天皇の父は舒明天皇、母は皇極(重祚して斉明)天皇ですから、
父方の祖父母ともに天皇というすごい血統です。

さらに舎人親王の死後、七男の大炊王が淳仁天皇になっています。
崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうてい)とおくりなされました。


血統的には聖徳太子より舎人親王の方が上です。

ちなみに聖徳太子は父親が用明天皇、祖父が欽明天皇ですが、母方は蘇我氏で皇族ではありません。
子孫にも天皇になった皇子はなく、どうみても舎人親王の方が血統は上なのです。

しかし、舎人親王はお札になっていないので、昭和を生きた年代の人の1万円(5千円)札といえば聖徳太子ですから認知度は聖徳太子の方が、はるかに上です。

単純に聖徳太子と比較されては舎人親王もいい迷惑でしょうが、調べれば調べるほど舎人親王が天皇になれなかったことは不思議極まりないのです。

聖徳太子の場合は、その偉人伝説に加え推古天皇長寿による影響で天皇になれなかったという悲劇的(判官びいき)状況もあり、ヤマトタケルや源義経のように日本人の心情にマッチするのでしょう。

ところで、平城京に遷都した元明天皇は孫の首皇子(のちの聖武天皇)を皇位につけるために、未婚である娘の氷高皇女(のちの元正天皇)に皇位を譲ります。

氷高皇女は母は、元明天皇で祖父は天智天皇になりますが、父が皇太子のまま早世した草壁皇子(天武の息子)ですから血統的には舎人親王の方が上です。

さらに舎人親王のほうが年長、しかも男だったわけです。

これには、藤原氏の意向もあったことは無視できません。

首皇子(聖武天皇)は藤原不比等の娘(宮子)の子ですから、のちの藤原外戚政治の先鞭となるわけです。



さらに謎なのは、舎人親王は皇族を敵に回しても藤原氏に味方しました。
舎人親王自身、藤原氏の血は引いていないのにです。

藤原血縁でないのに藤原氏よりで、皇位につけてもらえなかった。

とても謎です。
もっと違った真実が隠れている気がしてなりません。


掘り下げてみようと思います。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013/01/18 09:01:38 AM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: