2013/01/18
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前回は舎人親王の血統についてこだわり言及しました。

血統の点から(父&祖父母が3人天皇&子が天皇、つまり1親等内に天皇が5人いる)
どうみても天皇にならなかったのはおかしい。と言いました。

息子が天皇になった時点で天皇と同等のおくりなをされています。

しかし、舎人親王自身は藤原氏の血統でないのに妙に藤原氏に味方したり謎の行動も多いのです。

確かに、日本書紀の編集方針には藤原不比等の意向が大きく働いていたことでしょう。

もともと帝紀と旧辞の編集(日本書紀の原型)を命じたのは川島皇子と忍壁皇子です。
これは681年のことですから舎人親王6歳ということになり、到底日本書紀総責任者にはなれません。

日本書紀の編集に思いのほか時間がかかり天武天皇の皇子(川島皇子は天智天皇の息子ですが)がつぎつぎ薨去し、皇族の長老たる舎人親王に名誉職が回ってきたと考えるのが大多数の意見です。



しかも「血統・血統」としつこく言うのも果たして正解なのだろうか?という疑問は常に抱いています。

なぜそのようなことを言うかといえば、舎人親王の血統(系図)は正しいのでしょうか?

本来は、親族に天皇はいなかったのではないでしょうか?

舎人親王は死後「天皇」と「太政大臣」を贈られています。

天皇は息子の大炊王が淳仁天皇になったので死後贈られました。

死後すぐに太政大臣が贈られました。
太政大臣とは臣下最高位ですが、けして天皇にはなれない人物の最高位でした。

大友皇子や高市皇子が太政大臣でした。
彼らは母親が皇族でなかったために天皇になれませんでしたが、能力があったので臣下として最高位の太政大臣だったわけです。

つまり舎人親王はなんらかの功績で「天武」の皇子になれたのではないでしょうか?

舎人親王の夫人は「当麻氏」以外の夫人の出自は不明です。


しかし藤原氏の血縁ではなかった舎人親王。

仮に舎人親王が藤原氏の血縁だったとしたらなぜ天皇の親族に改ざんされたのか?
(そりゃ藤原氏血縁より天皇血縁のほうがいいにきまってますが)

舎人親王の子孫は清原氏として貴族として栄えました。
天武天皇の皇子は孫の代にほとんど臣籍降下しています。







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Last updated  2013/01/18 11:15:03 PM
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