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なにが なんだか わからないまま、どうにも 調子が悪くて、しばらく 鬱鬱と 潜っていました。文章を書く気にもなれなかったのだから、相当なもんです。でも、正確に言うと、「調子が悪い」というのとも、ちょっと 違うんだ。ちゅぅちゃんが いなくなってからというもの、生きる意欲全般が薄くなっているのは 確かだけれども、一時は上向いていたカーブも、急下降。あらゆることに対する意欲というものが、全然 湧きおこらなくなっていて。なんにも、したくない。なんにも、できない。いまは 極力 自分自身に なにかを強いらないようにしているので、これを機に、この状態を放置していたら 意欲は 湧いてくるものなのか?という実験。・・・なんていうふうに考える意欲さえもなくて。小さな波が、繰り返し 不規則に やってくる中、なにが 気持ち悪いのか、ずっと わからなかった。いまの自分=「調子が悪い」というラベルが まぁ なんとか いちばん近いのだけれども、なんか 違うんだ。ああ、そうか。わたしは、自分に ラベルを貼れないでいること=いまの自分の状態を把握できずにいることを、気持ち悪く思っていたのかー。ということは、わたし、いつも 無意識のうちに自分で 自分にラベルを貼って生きていたんだなー。大きなラベルも。小さなラベルも。小さなラベルが 何重にも 貼り重ねられた結果、大きなラベルになったものも あるかもしれない。外から貼られたラベルを 保つために自分で 内側からも 補強していた。そんなラベルも あったかもしれない。これは 単なる一例なのだけれども、時折やってくる ほんの小さな気づきに つかまりながらなんとか 息継ぎをして、波の狭間を 漂っていました。気づいては 沈み、気づいては 沈み・・・わたしは これまで「待つ」ということが 苦手だったから。部屋のお片付けは苦手なくせに、内面の問題に関しては、すぐさま整理整頓せずには いられなかったから。図らずも この状態は、「思いっきり 待ってみる」という練習になっていたのかもしれない。結局、もとから予定していた いくつかの‘外圧’によってふたたび 活動を起こさざるを得なくなったのですが。それによっても、また、ふだん 自分が いかに外からの働きかけによって 動いているのか? ということに気づいて、ちょっとヘコむ。内側からの衝動に従うなんていうのが可能なのは 瞑想の中だけなのか?とか。でも、自分の内側に向かいたくない、触れたくないときだって あるんだから、もう しかたがない。やりたくないことは、やらない。外側からの刺激(「人間関係」とも言う)から 自分を切り離すことで、他者からの影響が薄らぐ分、自分自身が ダイレクトに見えるようになる。自分自身を守る必要がなくなる分、どんどん 自分が むき出しになっていく。ちょっとしたことにおける ちょっとした自分自身の反応にも敏感になっていく。それは、わたしの望んでいた生き方でもある一方で、しんどいことでも、ある。でも、それを きっかけに、ちょっとだけ なにかを 掴む。・・・覚書でした。ありがとうございます。
2021.03.30
洗濯ものを干すために ベランダへ出たら、近所の公園で桜が咲いているのが 見えました。ほんの2、3日前には そんな気配もなかったのに。今年も、咲いてくれて、ありがとう。植物は、強いなあ。ありがとうございます。
2021.03.22

子どもの頃、母が つくってくれた、味噌にぎり。おにぎりに お味噌を塗りたくっただけのものですが、おやつ代わりに よく 食べていました。お母さんの握ってくれる おにぎりって、すっごく 美味しいんですよね。先日「カビが!!」と騒いでいた、あの、お味噌ね、あれ以来、反省して、2~3日に1回は 混ぜています。そのたびに 手についた味噌を ぺろぺろ舐めて味見しているんですけど、仕込んでから 1ヶ月少々なのに、もうすでにイイ感じ。なんかね、少し甘めで、ものすごく 私好みのお味噌に育っているんですよ。魔法のバケツを使っているから 発酵が早いのですが、今回は 麹多めだったから、というのもあるかもしれません。まだ 早いには 早いけれど、食べられなくもなさそうだなー。ということで、待ちきれずに、自家製味噌で、味噌にぎり。手前味噌にぎりにしてみたのでした。まだ 若いお味噌なので、色が白いですね。初々しくて、いいな。これから 時間が経てば経つほど、黒っぽくなっていきます。さて、待望の味噌にぎりを 食べてみると、美味しいは 美味しいものの「まだ少し 早かった」感は、否めませんでした。そりゃそうよね、まだ1ヶ月だもの。ただ舐めてみるだけ、と、実際に ナニカに使うのとでは味の印象も 変わってきますし、ね。そういえば、ムカシ、シェフが、「カレーを味見するときは 必ず ごはんと一緒に!」って 言っていたな。きっと、こういうことなんだろうな。このお味噌は このお味噌単独で 育てていくけれど、いま使っている去年のお味噌と 少し混ぜて 使うのもいいかもしれません。私が子供の頃は、そして ウチの母は 特に衛生観念が緩かったから、菌だのナンだのと 気にすることなく、ごはんを 直接手に取って 握っていましたし、私たちも もちろん 平気で食べていました。私は、手が ベタベタになるのがイヤで 型を使いますが、母のおにぎりが 美味しかったのは、手で握っていたから、というのも あるのでしょうね。いまでは 立場が逆転して、私の方が 母のために おにぎりをつくるようになりました。朝、食欲がなくて グズっているときでも、曲げわっぱに入れた おにぎりを 見せれば、「美味しそう♪」と 飛び起きます(笑)今度、味噌にぎりにしてみようかな。ありがとうございます。
2021.03.20
おととい、お気に入りのピアスを なくしました。12月に購入して以来、基本的には 毎日 コレをつけている、というくらい お気に入りの、また いまの私の‘守り神’的な、ペリドットのピアス。ごっつい原石を 磨かずに そのままピアスにしたもので、私にしては 大きめサイズ、ぶら下がるタイプでもないから、なくすとは 思っていなかっただけに、ショックは大きくて。着替えた後には 必ず 耳を触って ピアスがあるかどうか 確認する習慣がついているので、部屋の中で 失くした、ということは、ないでしょう。おとといは 買い物がてら 遠回りをしながら、お散歩した日。歩いたことのない道を選んで かなりランダムに歩き回ったので、道路で落としたとしたら、もう どうしようもありません。でも、最後に寄ったスーパーで 落としたのなら、もしかしたら、サービスカウンターに 届いているかも?見本として使うため、左耳に残っていたカタワレを 袋に入れて、バッグに しまいました。数日以内に、もう一度 あのスーパーへ 行ってみよう、と。 あああああああ。お気に入りだったのに。そして、ちょっと高かったんだ、あれ。一点モノだから、そっくり同じのは無理だけれど、お願いしておけば、原石が また入荷したときに片方だけ つくってもらえるかもしれないけれど・・・私は、ほぼ、あきらめていました。ところが、どっこい。ついさきほどのこと。洗面所を掃除していたら、出てきたんです、失くした、ピアス。まさか 洗面所で落としたとは 思ってもみなかったので驚きました。だって、紛失した日、出掛ける前に 着替えたのは、洗面所ではなくて リビングだったんだもん。なぜ、ここに?もしかしたら、帰宅するまでは ピアスは 無事で、帰ってきて手を洗ったときに、落ちちゃったのかな。もう なんでもいいけど、見つかって、よかった!実は、ふだん、基本的にはこのペリドットにしているものの、この頃、やけに ブルージルコンに惹かれていて、ここ数日は そちらのピアスに手が伸びることが 多かったんです。だから、ペリドットさん、イジけて 飛び出しちゃったのかしらね。私も、ペリドットの扱い方が 少し邪険になっていたかも。ごめんなさいね。私は、見つかったピアスを 消毒し、バッグから出したカタワレと ともに 喜びを わかちあいながら、もう夕方ではあったけれど 感謝の気持ちをこめて耳に つけました。付属のキャッチが シリコンだから、使い続けているうちに 穴が緩んで 落ちたのかも・・・と、これを機に キャッチを 新しいのに替えて。そして そのとき、私は、このピアス紛失事件が、アレを象徴していることに 気づき、「やっぱり、そういうことだったか~」と妙に納得したのでした。日々の生活の中で、もしくは 人生において大きな波や小さな波が 繰り返し やってくるけれど、その波の狭間で 息苦しさや ‘もやもや’ を感じるのは、よくあること。ここ1週間ほど、私は得体のしれない もやもやとしたものを 抱え、重苦しい気分で 過ごしているところでした。けれども、その波は いまの私が必要としているものなのだ、ということを、今日、理解したのです。常に 波が高かったら、波が低いときにだけ あらわれるものが見えないから。常に フラットだったら、波があるときに感じられるものを、見落としてしまうから。いろいろな状態を味わう必要が、ある。波があるからこそ、気づけることが、ある。だからこその、‘波’なんだ。変化があるからこそ、気づきがあるんだ。いまの私は、フラットな、変化のない状態では、必要な気づきを得ることができないんだ。そして その波は、いつか 私が 波を必要としなくなったとき、あらわれなくなる・・・いや、波があったとしても それに煩わされることがなくなるのだろう。そんなことに、つい数十分前に、気づいたばかりだったから。「お気に入りのピアスを 失わなければ、自分が 丁寧さに欠けていたことに、気づけなかった」(認められなかった、と言うべきかも)→「そのことを認めるために、ピアスを紛失する必要があった」この流れが、先ほどの気づきのダメ押しをしているかのように感じられて、「ああ、やっぱりね」と、ひとり 納得した、というわけでございます。うーん。なんか、こう長々とした文章になると、こじつけがましい、というか、いまいち 伝わらない、というか、我ながら うさんくささ満載な感じはあるんですけど。自分の中では 数秒の間のことでしたし、自分が納得したのなら、それで もう よろしいんですのよ。おほほほほ。実は この流れ、「私が いま 取り組んでいる OSの入れ替えの中で起こるべき状態を 象徴しているような、出来事」でも あったんですけどね。説明するのが めんどくさいから、それは、もう いいや。ピアス、出てきて、よかった♪ ← しつこい。ありがとうございます。
2021.03.19

5~6年前までは、ちゅぅちゃんの寝場所で 春の訪れを感じていました。ちゅぅちゃんが 朝、私の寝室で ひなたぼっこをするようになると、もう春なんだ、と。あと、毛。ちゅぅちゃんの抜け毛の量で 季節の変わり目を 感じていたな。♪季節の変わり目を♪あなたの抜け毛で知るなんて・・と 歌いながら、ブラッシングしていたよね。ここ1週間くらいでしょうか。ベランダに干した洗濯ものを 取り込む時間が 早くなりました。外は まだまだ明るいんだけどね。明るいうちに、取り込める。冬の間は なんとなく すっきり 乾かなくて、取り込んでからも さらに 室内に干しておくことが多かったもの。もう 本当に、春なんだ。これからは こういう方法で 春の訪れを知るようになるんだな。ありがとうございます。
2021.03.17
「日日是好日」を、ようやく見ました。半年くらい前に TV放映されたのを、録画しておいたもの。もともと映画を観ること自体が さほど好きではないから滅多に見ないんだけど、これは なんとなく気になって 録画しておいたんです。出演者の中に樹木希林さんのお名前があったからかな。観終わった後、まるで 瞑想をした後であるかのような感じの中にいました。透明。白い空間。静寂。なにもない中に、浮かんでいる。いま、観れて、よかった。なんであるにしろ、その作品に触れるベストなタイミングって、あると思うんです。今日、いま、でなければ、この感覚は 味わえなかったと思う。ここまで しみこまなかったと思う。もっと手前で ブロックしていただろう。流していただろう。逆に言えば、他の日であったなら また 別の感触にであうことができていたのかもしれない。そして、それを逃した、とも 言えるのかもしれない。そうだとしても、これを観たのが今日であって、よかった。大きな波の中の、小さな波と波の狭間の、今日のこの時間で、よかった。ありがとうございます。
2021.03.16
そんなことがあっても、いいじゃない♪ただ、それを許すだけ。そう言われてもな・・・と 思っていたけれど、思いもよらぬところから「そんなこと」は、やってきた。あ、そんなことって、あるんだ?と、びっくりした。そして、素直に喜んでみた(笑)「それを体験してみたい」とは思っていたけれど、そのための準備に取り掛かる前に、勝手に、それは、やってきた。しかも、私が それを意識するずっと前に私の手の届かないところで すでに それは 起こっていたのだから、きつねにつままれたような、ひねられたような・・・?こういう体験を積み重ねていくのが、楽しくなるんだね、きっと。これから。私が、それを、楽しみたいのなら。ありがとうございます。
2021.03.11
今朝方もまた、ちゅぅちゃんが夢に出てきてくれました。冷凍してあった お刺身を出したけど、コチコチ。「これは夢だ」ってわかっているから、早くあげないとちゅぅちゃん、すぐに どっか行っちゃう。あわててカリカリを出したけど、ちゅぅちゃん、どうしたんだっけかな。食べてくれたかな。今日のちゅぅちゃんは、ふわふわ というよりもつるつるの毛並みでした。で、ちゅぅちゃんが いなくなったら、とつぜん、「とっちにいちゃん」「うんにいちゃん」という言葉が出てきました。とっちにいちゃん、うんにいちゃん、というのは、私がまだ記憶もないくらい小さかった頃よく遊んでもらっていたらしき、お兄ちゃんたちです。たぶん、同じアパート、ワカヤナギ荘に住んでいたんじゃなかったかな。どこかに、写真も残っているはず。母が、私を産む前に、うんにいちゃんで、おむつを替える練習をさせてもらっていた・・・とか?そんな話を聴いた覚えがあります。で、あれから、うん十年。今朝の夢の中で、私は あることに とらわれていました。とっちにいちゃんは、たぶん、「トシ」がつくお名前だろう。トシオ、とか、トシヒコ、とか。だけど、うんにいちゃんは、なぜ「うん」だったんだろう?いったい どんなお名前だったんだろう?たしかね、当時の ロクにしゃべれない私がうんにいちゃんのお名前を呼ぼうとしていたけれど大人の耳には「うんにいちゃん」としか 聞こえなかった、というような由来での「うんにいちゃん」だったかと思うんですけど。いまになって、気になる。うんにいちゃんの本名は、いったい なんだったのか?彼らは男兄弟だったので、女の子が珍しくて、私のこと、ずいぶん かわいがってくれたそうなんです。全然 記憶にないけど。私の、とっちにいちゃんと うんにいちゃんに関する記憶は、すべて、母から聞いたことと昔の写真からつくりあげたもの。うーん、うんにいちゃんのお名前、どうしても、気になるな。今度 母に会ったら。聞いてみよう。ムカシのことは よく覚えている母だから、とっちにいちゃん、うんにいちゃんのことはすぐに 思い出すでしょう。けど、本名までは、どうかな。下手したら、もともと知らなかった可能性も?↑うちの母なら、あり得る話。偶然なんですけど、いま私が住んでいるところは、当時 私たちが住んでいたところの、隣の市。駅で言うと、隣の隣。3年前、父の遺品を整理していたときに父の若かりし頃の履歴書?が出てきましてね、そこに、当時の自宅の住所の地図が 書いてあるのを、見つけたんです。当然、ワカヤナギ荘は もうないでしょうけど、「今度、行ってみようかな」と 思ったまま、いままで 忘れていました。そのうち、ほんとに 行ってみようかな。ありがとうございます。
2021.03.09

私の住む地域では、金属(空き缶など)ゴミは月に2回の回収です。ほかの資源ごみを整理している中、「ああ、もう数ヶ月、金属ゴミを出していないな」ということに 気づきました。ちゅぅちゃんが いなくなって、猫缶の空き缶が出なくなったたから。私は 缶詰は ほとんど食べないしときどき出る金属のカケラくらいしかないから、金属ゴミ用の小さなゴミ箱が、いつまでたってもいっぱいにならないのです。まあ、ほんの少しだって、出してもいいんだけど、めんどくさがりの このワタクシが、こんなわずかな量のゴミを、わざわざ 2週間に1回 袋の口をしばって出すなんてこと、するわけがない。金属ゴミとはいえね、おもしろいんだけど、(壊れた)アロマディフューザーとか、電源コードとかも金属ゴミに分類されるんです、この地域は。だから、この頃は、そういうオオモノ(大きくはないけど)が出たときについでにまとめて 出す程度になりました。お魚も お肉も、買う頻度が ぐっと減ったから、プラゴミも 毎週出さなくてもいいくらいになったな。あとね、台所の食器を洗うスポンジの消費量が減ったことに、きのう、気づきました。うちのシンク、小さいから、場所を取らないように100均の、色違い5個で100円、みたいなスポンジをさらに 1/3に切って! 色違いで2個、置いていたんです。ちゅぅちゃんの食器用と、自分の食器用。いまは1個でいいから、スポンジも なかなか減らない。各部屋のドアを少しだけ開けておく習慣とか、空き箱が まだまだ捨てられない、とか。そんなふうに、なかなか 変わらない(変えられない)ことも たくさんあるし、一方で、ゴミを出す頻度とか、スポンジの消費量とかのように変わったことも、ある。なにかに気づくたびに、私は メソメソする。長年一緒に暮らしていた存在が いなくなるってこういうことでもあるんだなって。調べてみたら、これが、ちゅぅちゃん ブログ初登場のときの写真みたいです。お布団に潜るの、大好きだったからね。ブログテーマ「猫のいる生活」から 「猫のいた生活」になっちゃったけど、メソメソしながらも 私は元気に 生きています。ありがとうございます。
2021.03.07
見えない糸に、縛られている。・・・とまでは 言わないけれど、囲われている、くらいの感覚だろうか。なにをするにしろ、思うにしろ。なにかを怖れ、なにかの逆鱗に触れないように・・・あるいは、なにかに媚び、なにかの機嫌を損ねないように、自分の行動や思考を制限している。それに気づくたびに、「わたしは、なにを(怖れている)? なにに(媚びている)?」と 軽く驚きながら、思い直す。自分の好きにしていいんだ、と。でも、いいんだ。長い長い間、その見えない糸の内側は、私の安全領域だったのだから。そのおかげで、いままで 安全に 生きてこられたのだから。ただ、いまは もうそこにいなくても 大丈夫だ、と思えるようになっただけなのだから。ありがとうございます。
2021.03.06
久しぶりに 外に出て歩いてみたら、道路脇で、桜が咲いていました。うわ。いつのまに?桜が、咲いてる。梅も、咲いてる。いい季節だな。・・・これで、アレが飛んでこなければ、最高なんだけど。いやいや、花粉は、悪くないんだ。反応するわたしの方が、おかしいのさ。ありがとうございます。
2021.03.05
お味噌づくりに 魔法のバケツを使っているものですからね、基本的には、当面の間、毎日~数日に1回、混ぜることになっているんですけど。先月仕込んだお味噌、最初の1週間は混ぜていましたが、どうやら 「1ヶ月 混ぜないでおく」方法もあるらしいということを知ったので、今回は、それを試してみました。混ぜなくて済むなら、その方がいいもんね。それでも、毎日、蓋を開けて様子を見ていたんですよ。ついでに 香りも嗅いで。だって、すごく良い香りがするんだもん。このまま混ぜずに1ヶ月置いておいても、大丈夫かも、と思っていたところ、今日、突然、表面にカビが生えているのを 発見しました。うわー。ショック!きのう、点検しなかったっけ?最近 ちょっと忙しいから、忘れちゃっていたかな。幸い、カビはまだ少しだけでしたので、表面のあたりを取り除き、残りを 混ぜ混ぜしておきました。これで大丈夫かしら。大丈夫かどうかは、数ヶ月後、完成したものを食べてみないことには わかりませんが、どうせ 食べるのは 私だけ。まあ、大丈夫でしょ。 ← ホントか?だってさ、手に付いたのを舐めてみたら、今回のお味噌、結構な甘口っぽくって、私好みだったんですもの。できることなら、完成させて、食べたいじゃん?今年の夏以降、いや、去年仕込んだお味噌が まだ だいぶ残っているから、もっと先になるかな。突然 ブログの更新が長い間 止まったら、「ああ、たばちゃん♪、自分のつくったお味噌で・・・」と思って、冥福を祈ってくださいませ。やっぱり 数日に1回は混ぜないと、ダメね。お味噌も、成長期間は 手をかけてあげないと、スネるのね。とりあえず 今月いっぱいくらいまではときどき 混ぜることにいたしましょう。ありがとうございます。
2021.03.04
今日は雨、という天気予報だったので、きのうのうちに 洗濯を済ませておきました。が、今朝、起きてカーテンを開けると、快晴。あら、この分だと、雨は明日に順延かしら?と考え、それならば・・・と洗濯機を回し始めたら急に曇りだして、あっというまに 雨空に。あらら。お空に騙された。ま、いいわ。こういう日も、あるわ。昨年の梅雨時に購入した除湿器を 引っ張り出してきて、リビングに洗濯ものを干しました。・・・と 思ったら、晴れてきたよ。これなら、外に干せるかな。でも もう そう簡単には 騙されないわよ。天気予報をチェックしてみれば、今日は夕方まで雨の予報。ほらね、と、そのまま 室内干しにしておきましたら、また曇ってきました。今日は 一日、こんな感じなのかな。午後からは セッションルームの窓際に場所を移し、ちょっと、いやかなり面倒なお仕事に 取り組んでいます。まあ、比較的 好きな作業ではあるんだけどね。没頭しすぎて、精度を求め(られ)すぎて、ついつい 右手に力が入り、手首が痛い。腱鞘炎になんてならないように、ラベンダー精油を塗布しながら、やっています。幸いなことに、いま 3~4種類の業務を 並行して進めているので、手首が痛くなったら 別の作業、あっちの仕事の回答待ちの間には こっちを・・と。たまに 綱渡り的な場面も 出てきて 迷うけれど、「やりたい」「やりたくない」で 決めてみる。だんだん楽しくなってきたぞ。ありがとうございます。
2021.03.02
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