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生まれてこの方34年、誰と一緒に過ごした時間が長いかと言いますと、それはもう、ダントツで母であります。姉は結婚が早く、兄は仕事で大阪住まい、父は2年半前に亡くなり・・・と、家族が一人一人、順に家から出る中で、母と私は変わらず一緒におりますこと現在進行形です。もうしばらくは、未来進行形でもありそう・・・ぷぷぷ(謎)ただ長いだけでなく、俗に言う一卵性母娘というタイプでもあります。あ、逆ですか・・・一卵性だから長く一緒にいられるのでしょうね。 ま、どちらでも良いのですが。長い上に、密度の濃い母娘関係だと思って下されば結構なのです、ハイ。時々は派手な喧嘩もしますが、まずまず以上に上手くいっている二人です。呼吸や基本の発想が似ていることもありまして、お互いの頭の中身は、いちいち説明しなくても解り合っている・・・はずだったのですが!いやはや、一卵性母娘と言いましても、やはり違う人間なのですよねぇ。お互いについて、「何を今更(@@」 と目を丸くするネタは、まだまだ残っておりました。こちらが当然だと思っていたことに驚かれますと、こちらは3倍驚いてしまいます。今日は、かな~り久々に発生したネタを御紹介しましょう。例によって前置きが長いのですが、どうか御辛抱下さいませ(ぺこ)母は、もうずっと昔から、自分の娘に ある小さな違和感を感じていました。口に出して尋ねるほどのことではないので黙っていましたが、ヘンだなぁ、とは常々思っていたのです。そして娘も・・・母ほどではないにせよ、どうしてだろう と思うことが、時々ありました。こちらは、別に黙っていたわけではなく、思った端から忘れていただけなのですが。なまじ普段からツーカーで通じ合う場面の多い母娘だけに、声に出して確認するという点が疎かになっていたのは否めません。しかし、一番大きな原因は、いちいち確かめるほど重大な話でもないから、という点に尽きるでしょう(爆)何かと言えば、お天気の話です。母は、娘の告げる天気予報を、昔からかなり信頼していました。サンサンと晴れた午前中に洗濯物を干そうとしていると、散歩からフラリと帰ってきた娘が、「今日は、お昼には取り込む方が良さそう」などと言います。まさか、こんな上天気なのに・・・と思っている内に、俄か一点かき曇り、大雨が降り出したなどということがありました。明日は雪だと聞いて覚悟していたら、学校から帰ってきた娘は、「雪は、降っても少し。 むしろ、風の方が心配」と言い、母が用意していたスノーシューズを靴箱に戻しました。翌日の朝、娘は強風に小柄な身体をキリキリ舞いさせて、ヨチヨチと登校して行きました。こんなことが、娘の子供の頃から何度もありました。TVの天気予報、特に全国版では市どころか県名すら挙がらない田舎のこと、母にとっては大助かりなのでした。どうして解るのか? という事は二の次で、当たってくれればそれで良い・・・という呑気な姿勢は、奇しくも娘に丸ごと受け継がれたのでした。・・・増幅されたかも知れませんが。 ぼそ。ともあれ、それだけでしたら、母は助かり娘は喜ばれというシアワセな関係が続いたはずなのでした。しかし、母は・・・時々、「???」 と思うことがありました。たまに、「今日のお天気はどうですやろな?」と尋ねますと、熱心に本を読みふけっている娘は、「さあ、知りませんのやけど」と、いかにも面倒そうな口調で言い、本から顔も上げない始末です。読書を中断されることを非常に嫌う娘なのは知っていますが、なんと横着な態度・・・と、ちとムッとする母。またある日は、二人で大阪に出て、買い物や用事をしていました。「今頃は、(家の方では雨が)降ってますやろかな」と娘に言いますと、「え、天気予報で言うてましたん?」と、キョトンとした顔で応える娘です。出る前に、娘が洗濯物を取り込んでいたのを見た母は、てっきり降るのだろうと思っていたのです。「いやぁ、別に他意はおへんやったのよ。 今日は一日出てるから、一応入れておこうと思っただけで」と、ヘラリと応える娘。天気のことより、洗濯物を干しっぱなしにして、空き巣に目をつけられては剣呑、と案じただけだったのでした。はたまた、大阪ならぬ、住んでいる市内の県庁に用事で出向いていた娘が、雨に濡れて帰ってきました。「急に降り出すんやもん、参りましたわぁ」とブーブー言う娘に、母は不審を抱きました。「降るって解らへなんだん?」濡れた服を苦労して脱いでいる娘は不機嫌に、「ウチ、今日は京都からチョクで(県庁に)回りましたんやもん」と、母には繋がりの解らない理由で答えて風呂場へ飛び込んで行きました。当たる時はズバズバと当たるけれど、外れることも多い娘の天気予報。いえ、外すと言いますより、最初から解らない、予想自体をしていないこともあるらしい・・・?母は、時々、不審に思っていました。そしてまた、口には出さないながら、娘も同様に、おかしい母だなぁ、と思っていたのでした。母は 時々不意に、天気はどうなるかと尋ねてくる・・・世間話ノリではなく、本気で知りたそうに。風邪で寝込んでいて、昨日から家を一歩も出ていない私が見たはずがないではないか。大阪にいながら、住まいの方の天気なぞ見通せたら却ってコワおすがな。昨夜は、京都の友達の部屋に泊めてもらっていたのに、どうして見ることが出来ようか。市内でも、県庁の辺りからは建物が邪魔で眺められませんてば。今、丁度いい所を読んでいるのに、わざわざ外に出て見て来いとは御無体な・・・。お気付きでしょうか、「眺め~」 または 「見て~」 というフレーズに。そうなのです、私は、お天気の変化を、比叡山を見て占っているのです。占っているなどとは御大層な言い方で、見れば大体のところは解るのです。 それだけです。これは何も、私だけに授かった特殊な観察眼でも何でもありません。地元、特に比叡山(私達は、「お山」 と言いますが)の麓近辺で育った土地っ子ならば、誰でもやっているコトなのです。TVの天気予報よりも、よほど確かに、お山は天気を教えてくれます。何となくお山が近くに見える今日は、一日中晴れだな、とか。晴れているけれど、奥のあの辺りに雲が掛かっているから降るね、とか。夜であっても、稜線の映え具合で明日のことは大体ですが解るものです。逆に言いますと、(私にとっては)当然のことながら、お山を見ないことには予想も何もないワケなのであります。外に出ていて、しかも眺められる位置にいてこそ解るという、極めて局地的な天気予報です。学齢前のわずか数年を除いては、ずっとこの地元・・・琵琶湖と比叡山の真ん中で育った私にとっては、それこそわざわざ口に出すなど考えもしない、ごくごく当たり前のことなのです。当然と思うヒトがいれば、当然ではないヒトもいる・・・人間の数だけ、各々の当然があるものだなぁ、と。・・・いうコトを、付き合って34年目の昨日、母娘はお互いに再認識し、呑気モンなりに驚き入ったワケです(爆)母は、和歌山育ちです。そうです・・・極めて親密な母娘と言えど、育った環境が大きく違うのです。母は海を横目に眺めて暮らしたヒト、片や娘は湖と山しか知らないヒト。言うなれば、海幸彦と山幸彦の関係なのです。京都で父と結婚してこの地に移り住んだ年数が、和歌山で過ごした年数を越した母ではありますが、「お山」 で天気を判断するという感覚は、とうとうと言いますか、そもそもと言いますか、根付かなかったようです。海のない県に住む以上、TVの予報か 娘の「お告げ」か どちらかで天気の推移が解ればいいワ、と太平楽に考えていたとのこと。「やぁっと解ったわぁ、たりちゃん! まあまあ、自分が育てた娘でも、まだまだ知らへんコトはあるもんやわねぇ♪」などと、大笑いしながら手を打ち合わせて興がる昨夜の母でした。・・・そのお言葉、主術語を入れ替えて、そっくりそのままお返し申しますゼよ、ママン。貴女にとって、お山は西日の蓋か何かでしかありませんのかいなと言いたい、いえ、言いましたけれどね、更にウケ倒すこと限りなし(爆)あああ、疲れるおヒトでありまする~。明日、姉に電話する用事がありますので、ついでにグチってやろっと・・・ブチブチ。グチりましても、姉はどうせ、ワハハと笑うだけでありましょうけれどねっ。 んで、「まあまあ、たりサン、宜しゅう おもりしてあげてぇな☆」などと、ヘラヘラするのデス。 聞かずとも解る・・・むぅ。行き場のない私のモヤモヤは、こうして、御訪問下さる方々に向くのでした(笑)さてさて、お茶を点てましょうか・・・って、あっ、逃げないでえええ(^^;
2004年01月29日
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母が、お裾分けにいただいて参りました 「おかき」 の美味にクラクラでありんす~。さすが、お米処の新潟です。歯ごたえも風味も、この辺りで手に入る品とは一線も二線も画したモノですよぉ。新潟の 三幸製菓(HPアリ)のお菓子、おススメです☆
2004年01月27日
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「枕頭の書」 という言葉があります。字面だけ見れば、「枕元の本」。そのまんまです、ザッツオール。しかし、わざわざ小難しく言うからには その意味合いはもう少し深く、「常に身近に置く愛読書」 であり、「座右の銘の源」 とでも理解するのが一般的でありましょう。少し古い文筆家の随筆集など読みますと、この言葉は、我が母の小言と大差ない頻度で実によく登場します。作者自身の枕頭の書を紹介するのは勿論のこと、その書を書いた人の枕頭の書は何であったか、更にその書を書いた人の・・・と延々と続くのも、ごくフツー。これぞイモ蔓式、入れ子構造の見本ここにあり、の世界です。マトリョーシカかキャベツか、ってなモノです。母親族の小言の構造も、まさしくこの形式・・・いや、この話は置きましょう(ゴホゴホッ)こうした、眉間のシワの数と深さを競う文筆家面々の枕頭の書となりますと、話は俄然、真面目になって参ります。「枕頭の~」 とはレトリックで、おそらく諸氏は、布団にゴロンと寝転がって読んだりはしなかったのではないでしょうか。枕を肘当てにくらいは、したかも知れませんが・・・。つまり、恐ろしく深刻な面持ちと気持ちで、各々の「枕頭の書」に対峙したであろう、と推察するワケなのです。「対峙」 ですね、まさしく。 ただ「読」んで、あぁ面白かった~、ではなくて。ともすれば、文筆で身を立てる(立てようとする)己の自我や自負を叩き伏せ、食い破りかねない 「危険物」 としての側面もあったのではないかと思います。文学者にとっての 「枕頭の書」 とは、書物に姿を借りた抜身の白刃ではなかったでしょうか。こんな言葉があります。実は、昨夜の日記で申しました 「ちょっとした調べ物」 とは、ここを確かめるためでした。フランスの哲学者ギットン先生曰く、「枕頭の書としては、君に対してもっとも手きびしい、もっとも理屈っぽい反対者の書いたものを当てるがよい。パスカルがモンテーニュを、モンテーニュがセネカを枕頭の書としたように。」(J・ギットン著・安井源治訳 『読書・思索・文章』 中央出版社)かなりの含蓄のある言葉だと思い、記憶の端っこに留めておりました。ギットン先生は、何もマゾっ気(爆)から仰ったのではなくて。(要約→)優れた筆者の思想に一度は完全に入り込み、追体験のように同化し深く理解することで、自ずから自分の思想も明らかに確かになる・・・という意味合いのことを仰っておいでです。上記で私は、「抜身の白刃」 という言葉を使いました。見当違いを承知で、敢えてもう少し広げてみます。抜身の白刃は、ただ我が肌に当てたり他者に向けたりすると危険な代物でしかありませんが、刀剣製作者の精進や魂の籠もった神聖な作業ぶりをよく知れば、自ずと正しい使い方も解ろうし、心の支えにもなろう・・・と、こういうことなのでしょうか。生齧りの知識の断片を都合良く繋ぎ合せて得々と申しまして、皆様には噴飯の至りであられましょうけれど、この場を借りて文章にしてみました。いい加減恥ずかしくなって参りましたので、この辺で(赤面ポッポ)。ここまで書きますと、私の枕頭の書を紹介せずには話のオチがつきませんね。えっ、別にいいヨと仰る???お待ち下さい、お茶をもう一服点てますから。ホントは、ここからを書きたかったのですよ(笑)コホン、気を取り直して・・・「枕頭の書」 を、敢えて素直に字面通りに捉えますとですね。 「自分にとって最も手厳しく理屈っぽい」 書物なんぞ、今から寝ましょうという時に読みたいと思われますか???哲学者まで持ち出して滔々と話したくせに何だ、とお叱りを受けましょうけれど、私は言います。「しんきくさ~い」 と。お鼻にソラ豆を詰めておられるが如き発音が、邦訳文の行間からフガついて聴こえそうな気がする・・・とまでは申しませんけれどネ、ふふふのフ(謎)引っ張りまして、失礼いたしました。私の、最近の枕頭の書は、『ハムスターの研究レポート』、略して 『ハム研』(大雪師走・偕成社) であります。小学生時代からハムスターを飼育・観察する著者が、「可愛さ余って愛しさブッちぎり」 の世界を展開しておられます。かと言ってベタベタした内容とはほど遠く、4コマ~12コマで上手に起承転結をつける絵柄とコメントは、むしろ殺風景でもあります。なのに、なんでどうして、こんなに面白いんだろお~♪現行7巻を文字通り枕元に常備して、眠る前に数頁を眺めております。何巻の何頁なりと適当に開いて、クスクス笑いながら読む内に、いつしか本を支える手の力が抜けて、トロロ~ンと眠りに就く・・・。まさに至福でありまする。入り組んだムズカシイ本も眠気を誘いますが(おいおい^^;)、こちらは、起きた時に 「ちゃんと読まなかった・・・」 と、せっかくの熟睡をマイナスにするような自己嫌悪に繋がる恐れがあります。同じく熟睡しますのならば、その導入部はホンワカ・うふふふ・・・で宜しいのではないでしょうか☆
2004年01月26日
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今日、とても恥ずかしい思いをしました。2列目の、真ん中寄りの席で授業を聞いていた際に、何の気なく・・・ホントに無意味に、右手首を曲げたのですよ。そしたら、ものすごく大きな音で関節が鳴ってしまいました。自分でもギョッとしたのですが、周りも同様だったらしく、一気に注目が。 うひゃー。板書していらした先生までが、思わずお手を止めて振り返られたくらいですから、いかに大きい音だったか解ろうというものですな(^^;普段は手首なんて鳴らないのに、間の悪いことがあるものです。あーっ、恥ずかしかった!後で隣席の友達に、「折れてへんか?」 と笑われた始末です、 うぅ・・・。さてさて、話はコロッと変わりまして、帰宅後です。バイト先の同輩に、『エースをねらえ!』 のコミックスを貸す約束がありまして、漫画棚の地層を発掘しました。これが、なかなか時間と手間を取る作業でありまして。数が多い上に、漫画家も作品もバラバラに詰めているものですから、目当ての本がスッと出てくる方が珍しいのです。しかも、漫画棚はここだけではない・・・ははは(^^;不便と言えば不便なのですが、私、この発掘作業が必ずしもキライではないのですよ。せっせと積み下ろしをする私を、母はケーベツの目で眺めていました。昔は、作者と作品でまとめなさいと再々言われたものですが、ここ数年は、そのお小言すらなくなり、どうやら完全に見放されたようです。なぁに、お小言のネタは他にいくらでもありますから、一つくらい捨てても、母としては惜しくないのでしょう(爆)閑話休題。今回の 『エースをねらえ!』文庫版全14巻の発掘作業は、珍しく順調に進みました。わりと浅い地層に、数冊ずつまとまって埋まっていたのです。9巻と13巻を除いて、30分強で揃いました。 快挙です。更に奥へ進んで、9巻をゲット。さて、最後に13巻は・・・と、棚を浚いましたが、どうやらないようです。巻が生き別れになっていることは珍しくありません、私は別室の棚へと発掘の範囲を広げました。更に1時間ほどが経過しましたが、見つかりません。既に積み下ろした分も再度見ましたが、見落としてはいなかった様子です。1冊だけ、それも途中の巻を人に貸しているはずもなく・・・ようやく私は、少し困り始めました。貸すのならば、きちんと全巻を揃えてから渡したいものです。この場合の 「~たい」 は、私の場合、「~ねばならぬ」 と同義であります。半分だけでも先に渡して、ということが、どうにも気持ち悪くて嫌なのですよ。整理して片付けておくという大前提を無視して、貸す時は一分の隙もなくと拘る辺りが、私という人間のトンチンカンな処です、ハイ。着ていた丹前も脱ぎ捨てて、たりぞう本気の大捜索をすること更に1時間。ブツは見つかりました、やれやれ。本棚にあったのは間違いないのですが、これが漫画や文庫本の棚ではないのが御愛嬌。ハードカバー専用の棚で、なおかつ、兄と私が大学時代に使った本をまとめてあるコーナーに紛れ込んでいたのです。探している時は、テンから相手にしていなかった場所ですし、13巻だけが目的でしたら見なかったでしょう。何故開いたかと言いますとですね。本気で捜索モードだったくせに雑念の多い私のこと、今日帰ったら確かめておこうと思っていた事があったのを思い出したのです。大学時代のテキストに書いてあったのを覚えていましたし、丁度、その本がある部屋にいましたし・・・というコトで、探し物の対象を一時切り替え(笑)背表紙を目で追っていましたら、本の天と棚板の隙間に、この本棚では見るはずのないサイズの本が。もしやとは思いませんでしたが、出してみますと・・・おおお、何でこんなトコにの13巻ではあーりませんか(@@何故ここに紛れることになったのか理由は見当もつきませんが、まあ、めでたいことです。全巻揃ったのを確認し、袋に詰め、肩をコキコキ。積み下ろした各部屋の本の山を地層に戻して、長かった発掘作業は終わりました。 はぁ、疲れたっ(^^;ちなみに、調べ物は忘れてしまいまして、先ほど、ネットで確かめました(笑)何だか、今夜はお蝶夫人が夢に出てきそうな気がします。「よくって、たりぞう!」 とか言われるのでしょうか。言われても困るのですけれど、とりあえず、「はいっ、お蝶夫人!」 と答えておくことにします・・・(どーいうオチや^^;)
2004年01月25日
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テストを兼ねて、少し書いてみます。ちと思うことあって、楽天にページを持たせてもらうことに決めました。先輩の皆様方、どうぞ宜しくお願いいたします。少し体裁を整えてからリンクをお願いしようと思い、コマコマと触っておりまする。設定その他に使うのは、日に1時間コッキリと決めて始めたのですが、進まないこと甚だしい。いやぁ、なかなか難しいものですねぇ・・・「見栄え良く仕上がってからお披露目したいな♪」 なんてゼータクを言っていましたら、いつまで経っても皆さんとコミュニケイト出来なさそう。まっきーちゃんが いち早く見つけて駆けつけてくれたことですし、もうカッコつけてないでデビューしちゃおうかなぁ、ぷぷぷ(^o^)さてさて、この文章は無事にアップされますかな?
2004年01月24日
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