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確かに売れているようです。違いがわかる男さんのお話を覗ったとき、思い出しました。'060130ブログを参照して差し上げてください。本ですが、自分らしさを求めるのは下流であるというのが、重要な立論になっています。なぜそうなるのか。自分らしさや自己実現を求めるものは、仕事においても自分らしく働こうとする。それで高収入を得ることは難しいので、低収入となる。そういう悪いスパイラルにはまっているのではと推測している。うがっているのはこれからでして、団塊世代の上が若いときから発し続けてきた自分が好きなことをすればいいのさというメッセージが、次第に社会的風潮として広がっていった。この風潮が後続世代の下にまで浸透したと考えたほうが自然と断言します。これからが真骨頂です、そうした価値観の浸透が、好きなことだけしたいとか、嫌いな仕事はしたくないという若者を下において増加させた。結果、低所得の若者の増加を助長したと考えることができる、とあります。筆者のいいたいことは、まさにこれであるとおもいます。不安定で不満の多い選択が自分らしさと引き換えになされているとしたら、過去30年にわたって日本社会の主流的な価値観となった自分らしさ。まるで青い鳥のような観念。これをいったいどのように取り扱うべきか。すでに青い鳥の虜になった団塊ジュニア世代以降の若者にどう対処すべきか。問題を突きつけられている、と「われわれ」が思っているそうです。われわれとは、団塊世代と団塊世代ジュニア世代にはさまれた新人類世代です。つまり香山リカさんと同じ世代です。彼女は「貧乏クジ世代」で同じく団塊世代ジュニアを切りとったのでした。誰に何をどのように。最近の出版界のターゲットが浮かびあがってきます。60歳前後と35歳前後の年齢層です。確かに人口が多いのです。
2006.01.31
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交渉相手は時価○兆円弱の株式会社。確かに、手ごわい相手であります。コーポレートが出てきます。法務・財務・知財・環境結論で押してくるし、論旨が明快。仕事がはやい。緻密。裏をとっているし、オピニオン満載。個々には好きだけど、全体として嫌い。利益相反の典型です。公取対応だけは利益一致。しかし、そろそろ辟易してきているのが見えます。こっちもがんばれているのかな。くじけそう。
2006.01.30
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要介護と要支援の間に隔たる待遇の差は小さくないのでした。何かといいますと、週末再度帰省して、ヘルパーさんにいくつか質問してみました。しかし、次の患者さんがまっていて、長く引き止められないから限界はあります。さらに勘違いや固有名詞の聞き間違いがあれば、後日訂正させていただきます。居宅介護の対価は、今回のケースでは通常地域内ですので移動時間も度外視であるため、本当に安いと思いました。患者本人負担は、それの更に1割と激安です。介護ビジネスの収益の源泉は、介護保険制度と密接な関係があります。個々の患者の認定等級により、月間保険使用上限額が定められています。父親は最軽度ですが要介護認定ですので負担の面で助かります。これが、要支援認定に留まっていたとしたら、月間支払額の半分部分が10倍負担になります。認定過程の情実混入や、患者以外のサービスただ乗りが横行すれば、保険制度が持ちませんので、介護機関は定期的な監査を受けるようです。制度の収支尻が長期的にもあっているのか自分には良くわかりませんが、現在非常に助かっているのは事実です。自分たちの世代まで恩恵がめぐって来るのかに関しては、考えても仕方ないですね。無理だと思います。
2006.01.30
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お袋は突然脳外科病棟に入院しました。今日は、実家に老父母を残した親不孝な子供の失敗談義です。介護認定患者である親父を、お袋はきながに、けなげに介護していた。お上に介護させるなんて、お父さんは私が見おくるのだと聴かない。内容はいいにくいが、老老介護そのものであった。親戚は皆高齢化しているか、既に知己世代が他界して疎遠になっているかのどちらか。関係の維持や修復をおこなっていない自分が悪いのであります。兄弟も同罪であることは否めないのです。嫁は行くといってくれてるが、最後の最後にとっておかねば。長期戦ですから。近所も同様です。近所の方が不自由な体を押して、病院へ連れて行き連絡を戴いたのでした。お袋の急速な片麻痺の進行に、本当に好判断をしていただいたと思います。お礼の言葉もなかった。取るものもとりあえず帰省した。涙してくれたのは麻痺が深まる母親と近所の方でした。親父も玄関まで出て来てくれていた。みなそろって実家にいてくれました。脳性の入院は介護を要します。今回はありがたいことに手術がうまくいき、このまま何事もなければ2週間で退院のはこびです。それまでの洗濯、買物、話相手などが必要とされる介護の中身となります。洗濯と買物は表裏の関係にありますが、買えば洗濯しなくて済むわけではないですね。ネルのパジャマにしても、アンダーにしても一度は洗濯して干したものを着せてあげたい。着心地が違いますから。親父の介護ニーズは行き届かない在宅だけに、病院の比ではありません。考えるに、お袋の果たしていた機能はすごいものであります。なかでも食事、掃除、洗濯、入浴、買物、話相手は不可欠なものではないでしょうか。親父の実家とお袋の脳外科病棟は市町村を異にします。縄張りが違うのです。自治体を跨る組織化された有機的一体としての介護サービスを欲する標的顧客が、小生そのものでありました。この顧客機能を満足させるサービスは、当然すぐには入手できませんでした。「ゆとりある生活の創造」までゆかなくとも、「遠隔介護支援」のサービスニーズは、都市に暮らすカントリー元ボーイ元ガールには大きいと実感しました。23日までの5日間で、気がつけば車を600km走らせているのでした。自治体ごとに分権化された福祉協議会を繋ぎ、円滑化、総合化、補完化して実現してもらいました。結果的には、親父には朝ひる夕の毎日3回各1時間づつの在宅総合ケアと週2回の入浴介助を、お袋にはご近所顔見知りボランティアさんの訪問総合ケアと 入院長期化等に備え、病院所在自治体福祉協議会の訪問総合ケアを、一部有料、一部介護保険負担で実現する運びになりました。してもらわないと親が持たないとの悲痛な願いが、かなえてくださったものと思っております。決して交渉力ではないのです、ふる里に生まれ、はぐくんで貰ったものとしての情実であります。まして論理ではなかったのです。「国家の品格」以降、藤原正彦にいまは傾倒しております。「世にも美しい日本語入門」筑摩書房も欧米知性主義へのアンチテーゼをはっています。紹介されている日本の古典をしっかりと読み、「かわいい」論にリトライを誓います。
2006.01.25
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お袋の入院。親父は病床に伏せています。心配です。兄弟姉妹が海外にいるため帰れません。運転手として帰ります。寒いので心配だ。
2006.01.19
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「かわいい」論、うわっつら続編、なおかけません。営業譲渡スキームが採択されたためトランザクションの整理をします。対価は未払金。諸資産+営業権の記帳。同日中に、貸方第三者割当増資、借方未収金。経過勘定相殺。差額がNew Money。払込資本準備金の半分は法により資本金。商法特例法上の大企業になってしまう。譲渡制限株発行は株総の特別決議が必要。機関設計はフルスペックになってしまう。3人以上の監査役会。半数以上の社外。話が違うじゃないの。コンサル、弁護士、会計士と年明けごりごりやってきました。相手もコンサル契約している。今回のはかなり複雑です。でもそれより「かわいい」論がもっと難解です。ちっともかわいくなくなってきたのです。にげたいくらいです。
2006.01.18
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四方田犬彦「かわいい」論 筑摩書房2006ずいぶん哲学していると思いました。ひさしぶりです。「かわいい」ということばがもつ魔術的な牽引力に魅惑されながらも、同時にそれに反発や嫌悪をも感じている。「かわいい」ものに取り囲まれている日常を送りながらも、このことばが意味もなく万事において濫用されていることに不快感を感じている。という立論からきています。 何を小難しいというのは簡単ですが、難しくて、もう一度読んでまたきます。
2006.01.16
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香山リカ「貧乏クジ世代」PHP研2006 精神科女医のかっこ悪さを散々言った上なので、読み手としてはかまえずに済み、安心して読み進めます。 1970年代生まれの団塊の世代ジュニアのことを、いろいろ分析しています。本書を読み終えたとしても、貧乏クジを”あたりクジ”に変える錬金術はないようです。当然ですが地道にやるだけのようです。小生正月は末吉を引いただけに、余計身に沁みるこのごろです。 世代として、子供っぽい生き方、暮らし方が特徴のようです。筆者はコドモと表記しています。 バブル崩壊で日本社会は、コドモのまま、自分の身だけを守るという選択肢をとったからと見なしています。ソフトな語り口ですが、厳しい見方です。筆者のたちいちを明確にしていただければ、一層良かったでしょうか。 勝つも負けるも自己責任、とはっきりした価値観を示せるIT長者もこの世代にくくっちゃっています。それでも大人ではない、といいきっています。 小生は、これからの日本を担うのも、この世代であることに疑問の余地はないと考えます。親にあたる団塊の世代が人口の多さゆえに、マーケティングを引き連れてきたのも事実です。筆者関連文献「就職がこわい」講談社2004「結婚がこわい」講談社2005今後つんどくを片付けないと三浦展「下流社会」光文社2005四方田犬彦「かわいい論」筑摩書房2006
2006.01.16
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約800mの成田さん表参道に鰻屋が50件以上並びます。成田山表参道に軒を連ねる飲食店のほとんどが『うなぎ』を出しています。和食のお店の看板には、うなぎの文字が見受けられます。 『うなぎ』と成田を直接結びつける文献は、今のところないといわれるが、うなぎを扱う店の多さの理由は次のことが考えられます。 まず、(1)利根川と印旗沼に挟まれている土地であること。昭和初期の漁業暦には、一年を通してうなぎが獲れたと記してあります。 さらに、(2)江戸時代の成田の発展と(3)うなぎを食べる習慣の広がりも挙げられるでしょう。 (2)については、成田山新勝寺が1703年(元禄16年)に初めて江戸深川に出開帳を行いました。初代市川団十郎が、成田の出身なので、出開帳に参詣しました。庶民に絶大なる人気を博していた俳優でした。一躍、成田の名が江戸中に広がりました。時代は絢爛豪華な元禄年間でした。庶民の生活も落ち着きを見せていたため、江戸から3~4日の適当な行楽地にある成田山新勝寺への参詣客が増えていったのです。 (3)については、うなぎを食べる習慣が江戸庶民に広がり始めたのもこの頃からのようです。「土用の丑の日にはうなぎを食べると夏バテをしない」。金毘羅さんのある讃岐出身の平賀源内の有名な言葉が残っています。 しかし、うなぎはもともと天ぷらと並んで高級な食べ物でした。今日のように手軽には食べられるものではなかったのです。成田の旅館は、お客の多い正月・五月・九月のお詣り月は、料理を工夫し、競って特徴を出しました。正月には「鶏鍋」、五月には「天ぷら」、九月には「うなぎ」を出すと決めていた旅館が多かったようです。 当時は、店先に置かれた生簀(いけす)の中から、生きたうなぎをお客自身が選びました。目の前で料理人が割いて、蒸したり焼いたりして料理していたようです。お客は鯉などを肴に一杯やってうなぎが出てくるのを待つのが常でした。現在の表参道の店先でうなぎを割いているのは、この名残りかと思われます。 参考文献:「成田市史(民族編)」 成田市史編さん委員会 編集 「成田 寺とまちの歴史」 小倉博 著 「新修 成田山史」 神崎照恵 編纂兼発行者 「FEEL成田」より、大意転載しました。疑問氷解です。初代市川団十郎が成田出身とは知りませんでした。息子さんの市川新之助が成田参拝ポスターに起用されている理由が判明しました。 別の情報です。来る2008年の成田山開基1070周年を記念して、現在進められている「総門建立」をご存知でしょうか?。地鎮のため横綱 朝青龍関による手数入り(でずいり)が執り行われます。手数入りとは、大相撲の横綱土俵入りのことをいいます。日時:2月19日(日) 11:00場所:成田山新勝寺 正面入口成田さん、金毘羅さん、お伊勢さんに興味が尽きません。どこもまちなみの復興が進んでいます。うまくやっている。日本に生まれてよかったと感じるのは歳のせいでしょうか?。
2006.01.15
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友引なので成田山に行ってきました。今年一年のお守りを頂きました。南無不動明王。これを毎日繰り返すことで健康に恵まれるのです。正式な名称はなんというのかわかりませんが、靴を脱いで護摩祈祷の仲に入りました。大勢の方がいました。表参道はうなぎやが並んでいるのです。理由をご存知の方教えてください。川豊本店に入りました。間口は狭いが、奥行きがある。開放度、透視度が高くはいりやすいですね。店頭閑地には職人さんの活うなぎのみごとな捌き演戯が、人だかりをつくります。パラペットは古和風、ファサードはうなぎの蒲焼実演があるし統一感があります。店奥が明るく、はまりやすくなっております。実際はまりました。ここも満員でした。景気がよろしいのでしょうか。持続することを祈ります。南無不動明王。
2006.01.14
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師匠から初めて戴いてしまった。しかも元旦にでした。元旦は家を空けていたが、元旦に来たはがきのたばにありました。「仕事も大事じゃが、写真取りにも研鑽を積め」とありがたすぎるお言葉でありました。このはるには長旅に出るようだ。けがの心配有難うともありました。いっぱい書いてくれていました。元旦の朝には到着していた越後湯沢から戻り、返事をお書きしました。まさかいただけるとは思っていなかった。緊張して、ろくに話もできないから。なぜお出ししなかったのかと悔やんでも遅いのです。しばらくショックで打ちひしがれていました。今もしんどいです。
2006.01.12
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家で見ていると、真剣に話しかけているのに、外野がうるさいのです。むかつく言い方だねとか、抑揚がないからお父さん寝てるのも無理ないわねなどと失礼なことをいう。…アレ寝ていたの。おみくじによれば、怠らなければ叶うのだ。子供が後期試験に突入したから。お父さんのがんばる姿を見せなければと、久しぶりに早起きしたのに。…また怠っていたのか。
2006.01.12
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それは深い雪であった。川端康成の雪国の出だしそのものの風景であった。ゲレンデに立てたのは2日間だけだった。3日目は気温も下がり強風のため、新雪が露出部分にぶつかり痛い。300m滑るのに10分はかかった。われわれ3人以外は誰もいないゲレンデだった。遭難の危機すら感じました。3日目駒子の湯、4日目ニューオータニの湯でゆったりしたのです。魚沼産米がおいしくて、八海山が旨くて、太り気味であります。初詣はいつもの近所で済ませたが、くじは末吉を引くはめに。怠らなければ望みかなうとは、妙に浸透能力の高い表現であったのです。誰がどう数えるか承知せぬが、初詣人員で関東2位に躍り出た成田山へ、お守りをお炊き上げに持参しました。新たにもらうため、良き日再訪を決意しました。
2006.01.12
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先方がついに席を立って帰った。不屈の意思表示を行った結果である。はやり言葉で言えば、退席も想定の範囲内ということになる。超過収益部分は暖簾として営業譲渡資産に付加されるため、カントリーリスクを加味してゼロ評価とした。再会予定は交さなかったのに、今週何事もなかった様に突如来訪をうけた。長時間、最上級の応接室を用意して、ただ待たせた。会わずに帰した。大詰めである。ニューマネーを入れてもらわねばならない。判断ツリーを固めなくては。
2006.01.12
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