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今、ほしいもの。「どこでもドア」。そして、本を買うお金・・・当たり前のことだけれど、学ぶにはお金がかかるぅぅぅぅ・・・私より年下の妹や弟のほうがすでに稼いで、両親におこづかいをあげているよ・・・妹よ、弟よ、すまぬ・・・私は今あなた達に、フィリピンのドライマンゴーをお土産に持っていくことくらいしか出来ないよ。親に本代を頼むのも肩身が狭い・・・申し訳なさ過ぎて・・・あぁ、でも、心はこせこせしないように、生きよう!いつか別の場面で、みんなを助けられるように、今ここにいる意義を、精一杯、生き抜くしかない。
2008.09.16
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今朝、Tarsha's mama よりメールがきた。:おはよう、Tarsha.(^O^):おはようございますポ!:とても咲かせるのが難しい品種がとうとう咲きました! とても嬉しい♪ので写真を送ります。わたくし、「空色の上」でございます。:わぁ~おぅ!! すごい!! 空色の朝顔なんて初めて見たよ!mama 様が丹精こめて育てて下さいました。:mama は本当に植物を育てるのが上手だよねえ!一粒の小さな種から・・・まるでトトロだよ。よく見ると、下のほうにもピンクの朝顔が群れ咲いている・・・ってことは、ここ2階? 2階まで登ってきたんだね?:植え時が遅かったのですが、Tarsha をはな咲かせて迎えたいという mama の心が通じたのでしょう。でも、3月だから、来年また植えるけど…フフ。また、楽しみが増えるね:にゃっ・・・すみません。:もうすぐ、ハリーちゃんの戦いだから、真剣に daimoku 送るね mama 花が咲かせてみせる「青色」は、とても神秘的だ・・・言葉に表せないという意味で。ターシャのとても好きな色。本当に、空の色が流れ込んだような青さだね。:mama も空色の上も、美しいまごころをありがとう。Halim は今日は残念だった。明日もまた取組がある。負けたときは、「負けるが勝ち」でいけばいい。:ドンドンガバチョ、ドンガバチョ!大変な世界で戦っている弟にふさわしいお姉ちゃんでありたい。決意も願いも・・・言葉であれこれ言うのはもう疲れた。ただ進むのみ。結果を出すまで。
2008.09.15
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明日はいよいよ Halim の初日。今夜は月がとても高く昇っていた。やさしい虹色のまるい笠をかぶって、煌々と輝いていた。:あぁ、ああいう色を「金色」というのだ。 うさぎさんも見えた。月の光に照らされて、東の空に連なった巨大な入道雲たちは驚くほど立体的で、まるで雪の山脈のようだった。 群青色の夜空にそびえた―平らな形の寮は、そのふもとに光を灯した小さな家のようだった。背伸びをしながら、Tarsha's family と友達の名前を心のなかでとなえた。:みんなもこの月を見ているかなぁ・・・寮の駐車場でぐるぐる走り回るターシャ。 ・・・・ゼェ、ゼェ・・・:明日が初日一番一番絶対に勝って来るからね毎度のことだけど、15日間、応援よろしくねよっしゃー!!まかせろ!!! 「絶対に勝つ」と信じて祈りましょう。 Halim と共に、私も私の道を。:ゆっくり急げ。
2008.09.14
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人がああだこうだと気にして、だから自分はこうでこうだとぼやいていたら、時間がもったいない。全部、自分で決まる。こんなに大事で、シンプルなこと。なんですぐに思い出さなかったんだろう。人生を劇にたとえれば、自分こそが、自分の人生という劇の「脚本家」であり、「主人公」なのである。神とか、偶然とかの、他の何ものかが、脚本を書いてくれるのではない。自分が書いて、自分が名優として演ずる。だれのせいでもない。全部、自分がつくるのである。:名優として演じるのか・・・悠々としていたい。空に両腕を広げた、大きな木のように。たとえちょっと不愉快なことがあっても。そうじゃなきゃ、そのたびに心にしわが寄って、自分も生活も狭苦しくなってしまうよ。イライラして、眉間にしわ寄せて、心の中でトグロを巻いて―他人の動きに、いちいち鎌首もたげてる。それでは、どこにいても不愉快だろう。自分の中に、神経質な蛇を飼っているんだから。心ひとつでもっと良く生きることもできるのに、それでは愚かなんだな。賢いとはどういうこと?うまく自分をコントロールして、他者との間に調和を生み出すこと。自分中心―つまり心を師としているかぎり、悩みは尽きない。そうではなく、心の師となって、自分の一念を、明るいほうへ、楽しくなるほうへと向け、周囲もその方向に向けていくことです。生き方には、人生の解釈には、2通りあるんだな。悲観的か、楽観的か。悪く考えるか、良く考えるか。たぶん、この2つのうちのいずれかに収束していくんだな。朗らかに生きたほうがいい。けれどそれは案外、難しかったりするのだと、最近は実感している。感情に振り回される自分に勝たないと、人に笑顔で接することもできない。そしてその不愉快な感情は、なかなか自分の思うようにならない強さを持っている。よく生きるには、努力がいるのだ。自分を律していく努力が。ただ従うだけの「惰性」でもなく、反発だけの「わがまま」でもない。釣り合いを取って、調和を図っていく。やりづらいなかで苦労してこそ、そのような聡明な考え方ができるようになっていく。たぶん、今の自分が経験していることも、これと同じなのかな。人間関係の葛藤を上から悠々と見下ろして、自分の大道を歩んでいきたい。楽しく。周囲に感謝しながら。:「聡明さ」とは、思うにまかせぬこの複雑な「生」と自分自身との関係に、価値を生み出していくための努力であり、創造的な知恵なのかな。春、種をまく。三日で育てといっても無理である。やはり、実りは秋を待つしかない。これが道理である。人生の秋は四十代、五十代、六十代である。四十代以降に、花が咲けばよい。実がなればよい。それまでは全部、修行である。全部、忍耐である。むしろ若いときこそ、苦労していく環境が必要なのである。:そうか・・・道理・・全部、修行・・・納得です。
2008.09.13
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:みんな、色々なものを抱えながら、生きているのだなあと・・・今、宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」を聴いている。外はもう真っ暗だ・・・犬の遠吠えもやんだ。Halim の戦いがあと少しで始まる。明日は Halim のために、もちろんほかの願いもいれて、できれば10時間、chanting をするつもり・・・(体力が続けば)今日、ターシャがお世話になっている先輩・・・そうですね、Mr. Butman としましょう・・・Mr. Butman からメールをいただいた。件名は、Perseverance brings success.いつもの「Tarsha姫」ではじまっていた。数行の短い激励文だった。有難かった。Mr. Butman に近況をお知らせする返信メールを送った。しばらくの間、前に進めなくて論文執筆から離れていたこと。でもやっと、前に進めそうなこと。人間は、心も体も知性も健康であることが大事だと分かったこと。毎日、キャンパス内をジョギングしていること。あと、あまり考えすぎないようにしていること。Halim の戦いがもうすぐ始まること。なんだか、この歌、宮沢賢治の「よだかの星」のモチーフに似ている部分があるな。・・・自分の幸せ願うこと わがままではないでしょ誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよみんなの願いは同時には叶わない・・・:エトセトラ・・・でも、なかなか詩的な歌詞だと思う・・はて・・・詩的って、なんだろう?「リンジュウ只今」というのは、誰のリンジュウなのかということを、一昨日、知った。衝撃的だった・・・「『リンジュウ只今にあり』というが、このリンジュウは、どなたのリンジュウかわかるかね。ホトケ様のリンジュウだよ。ホトケ様がいらっしゃらなくなったとしたら、どんなに心細いだろう。どんなにか悲しいことだろう。ホトケ様に今、お別れしなければならないのだと思って、シンジンすることだよ」。この言葉を漫然と聞いていた人は・・・先生が生きておられるうちに、ああすればよかった、もっと戦って喜んでいただきたかったと後悔したのです。一瞬、自分の未来像が脳裏に浮かんだ・・・気がした・・・:こ、後悔はしたくなーい!!!先日、papa が「祈りかた」を教えてくれた。それは、「結果だけを祈る」ことだった。自分がなりたい結果、ほしい結果だけを。理想だけを。そして「よろしく」でいいのだと。:なんと!この2段階だけでいいんですね? 当然、現実において、自分ができる努力をしていくことが大事だ。でも祈りに関しては、「方法論」をあれこれ祈るんじゃない。そうだよね・・・自分の小さな境涯じゃ、見えないこと、決められないこと、分からないこと「だらけ」だものね。自分自身も、未来も、方法も、決めつけちゃいけないんだね。なんてシンプルなんだ。でも私はシンプルが好きだ。分かりやすくて歓喜!である。・・・喜んでいただきたい。そういう人たちが、たくさんいる。
2008.09.12
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今日、久々にジープニーに乗ってデパートへ。今月末、フィリピンで大変お世話になった同窓の先輩 Ms.Library が帰国されるため、来週にでも、フィリピンにいらっしゃるご主人もご一緒に3人でお食事することになっている。そこで、Ms. Library への贈り物を買うのが、今回の目的だった。(ついでにいつもの野菜も)また日本の大学の博士課程に戻られる Ms. Library。フィリピンへはリサーチのため、休学されて来られていた。Ms.Library への贈り物は、フィリピンの淡水真珠がいっぱい飾られたブローチがいいかな、それとも、フィリピン特産のスカーフがいいかな、色々考えたけれど、しばらくの間は、まだフィリピンに残られるご主人と離れ離れの日々を送られる・・・ 久しぶりに戻られる忙しい日本の生活で、疲労を癒せるものを・・・と思い、BODY SHOP で「アロマ炊きセット」を購入した。アロマオイルには様々な種類があった。小瓶を手にとっては、犬のようにクンクンかぎまくり、最終的に、グリーンティー、ラベンダー、シトラスの3つのアロマオイルを選んだ。 どれもターシャが気に入ったもの。それに加えて、キャンドルとオイルを炊く素敵な陶器。:ターシャも欲しいかも・・・一学生が贈るギフトとしては決して安くはなかったけれど、値は関係ない。Ms. Library に対する感謝の気持ち・・・学問においても、ソシキにおいても、人間関係においても、どんなに助けられ、励まされ、心癒されたことか・・・そして、何度、胃も癒されたことか・・・時たまお会いすることがあると、レストランで食事やケーキやコーヒーをご馳走して下さった。また、何かの用事でターシャの生息する寮に寄られることがあると、手作りのおにぎりとインスタント味噌汁を持ってきて下さることもあった。そのおにぎりにはふりかけが混ぜてあって、中には日本の昆布や梅干が入っていた。本当に、本当においしかった・・・ :もしかして・・・食の記憶って、案外忘れないもの・・・?Ms. Library が行ってしまわれるのは本当に寂しい・・・ 「常識」がどんなに大切で、「常識」を持った人が、人間をどんなに安心させ癒すものかを教えて下さったのも、この先輩だった。Ms. Library との出会いに、心から感謝している。帰りはデパート内のスーパーで野菜を買った。玉ねぎ、キャベツ、人参、トマト、さやえんどう、それからインスタントコーヒー。あと、たった1つ、ちょっと贅沢を・・・外国食品の売り場で、韓国の「辛」というラーメンを買った。以前、友達がおいしいと言っていたもの。:なんか、食ばっか・・・?自分へのご褒美です。今日、論文についてやっと1つの道筋が見えたので。今晩の夕食は、この「辛」に野菜をたっぷりいれて食した。おいしぃぃ~!また買おう。(←即決):だって、食がおいしくないと、人生、悲惨だよね?きっとこう思うのは・・・ どんなに多忙でもお金がなくても、食に対して決して手抜きをしなかったmama、そして結婚後、子ども達のために料理を覚えた papa に育てられたおかげだ。2人とも、とっても料理が上手なのです。なんだか、今宵は「食」の話になってしまった・・・ えへへ。おいしい夕食を食べたからだろうか。
2008.09.11
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人はどこかで、意識するにせよしないにせよ、自分のしていることは正しいと信じて、行動する。そこで、自分と違う意見を持つ人と相対したときに、自分が自分自身に対して抱いている「正当性」が崩されそうになると、その途端、ものすごく不愉快になる。相手が「自分が正しい」と信じ込んで、「お前の考えは間違っている」とぐいぐい押してくるのが分かると、よけいそうだ。おまけに、自分の意見の正当化に、さりげなく、mentor の名前を差し込んでくる。こんな相手に接すると、「あなたのほうが間違っているのだ」と、なんとしても押し通したくなる。「対話」って難しい。自分の意思を通すだけなら、相手は存在しないものとして、自分との間の回路をシャットダウンしたり、あるいは無理に力に訴えたほうが、ずっと簡単なのだ。対話には、一致点を焦らぬ忍耐も、見晴らしの良い知性も、包容力も、必要だ。自分と相手の立ち位置を、よくよく知ることも。そして、意見は違っていても、相手の人格を否定しないことが、最低の生命線・・・こんなことをつくづく思ったのは、昨日、月に1度の大きな meeting の合間のランチタイムに、ある問題で先輩と議論したからだった。その先輩とターシャは1歳しか違わず、これまでもよく話してきた仲の良い先輩だった。そういう人を相手にしても、いざ意見が食い違うと、こんなに相手を受け入れがたくなるのかと感じたのだった。一つ嫌だったことは、ランチも済んで議論も済んで、みんなと会場に戻る道すがら、その先輩から、「Tarsha Curie はひどい女だと思ったよ」と言われたことだった。もちろん、その問題を先輩が知った時に、そう感じたということである。真剣に取り合う必要などないと言うように、先輩の口からさらりと流れた言葉。けれど一瞬、その場から浮き立っているような異様感を感じた。相手に対するとげを、「これまでの短くない付き合い」でくるみ込んでいる感じ。一種の違和感に気づきながらも、そのうわべに流されて、私も流した。外は晴れ渡って白い入道雲が青い空に浮かんでいたし、日は燦々と降り注いで、風もちょうど良くふいていた。道を渡ったときには、もうそんな言葉は忘れていた。けれど、はて、後からこの言葉だけ、記憶から浮かび上がってきた。:・・・・・・その時すかさず、「『私も、先輩は甘っちょろいなと思いましたよ』と切りかえしてやれば良かった」と、自分の機転のなさを悔しく思ったりもした。最後にポロッと出た言葉―結局、先輩は、私を、そして同じ意見を持つほかの先輩方を、断罪したままなのだ。自分より年上の先輩に対して、自分の思うところをいくら言えるとしても、まさか「あなたはひどい人間だ」とまでは言えないから、私にそう言うんだろう。「正しさ」に目隠しされて、「自分にも見えない部分はある」ということを、知らないんだ。その「正しさ」は絶対的な mentor の存在に裏打ちされているから、1ミリも動かすことができない。そういう姿勢が良くないのは―結局、先輩のようにやれない人、やらない人、違う意見を持っている人を「断罪」するからだ。でもその実、先輩自身が、一面からのみ人を決めつけ、切り捨てる「断罪」を非難していたのだった。文学の分析でよく見かけるロジックがここにある。―相手の論理を崩そうとして、無意識のうちに自分も同じ論理の中に組み込まれている、という。自分とは異質で多様な「他者」との<対話>―これが、ターシャの、今後最大のテーマになると思う。
2008.09.08
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スカイプによる Pagasa との英語練習も、明日で最後。暗記を必要とする語学学習を敬遠し、苦手意識を持っていたPagasa は、かなりの間、英語から離れていた。そんなPagasa が、自分の人生岐路にたって真剣な英語学習に取り組んだのは、ここ1,2ヶ月のこと。先日、papaが電話で、Pagasa にこう言ったそうだ。「自分の境涯で決め付けるな」と。:今、お前が断崖絶壁に立っているとするだろ。下には荒れ狂う川がゴーゴー流れている。お前は向こう岸に渡りたい。でも、橋は架かっていない。橋は探すな。橋を探すというのは、方法論だ。お前の境涯で橋を探しても、橋はないんだ。合格させて下さいと、ただそれだけ祈れ。・・・そうすれば、予想だにしなかった方法で、gohonzon-sama が橋を架けてくれる。そう信じて祈れ。:おぉ・・・ さすがpapa!papa はすごいと、改めて思った瞬間であった。:それでね、あともう一つ、「:Halim のように、根拠のない自信をもて」って。:・・・ hahaha! 確かに!そうだね、自信は大事だよ。そんなこと言いながら、過去に自分は、英検準1級の面接を受ける前に恐怖で泣いたこと、また、1級の面接を受けた後は撃沈して泣いたことを思い出した・・・ 高い目標に挑むとき、自信なんて、少しもなかったな。でも、だからこそ「根拠のない」自信と言うのかな。そんなとき、私の合言葉はいつも「当たって砕けろ」だった・・・(笑) なんてシンプルなんでしょ。精一杯やってきたのだから、それで砕けるなら、砕けてもいいという思いだった。そうやって自分を解放して、やっとすがすがしく、挑戦の壁に立ち向かっていくことができた。Pagasa は何度も、ため息をついていた。空をどんよりと覆う、重い、重い、雨をいっぱい含んだ雲のような。言葉にできないよね。だから、「祈る」という最後の手段をもてた私たちは、幸せなんだ。Pagasa が明日するべき英語トレーニングの内容と、明日スカイプ上で会う時間を決めて、&:See you tomorrow
2008.09.04
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