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うちの家の斜め前に止めてあった車が、どうやら車上あらしに、あったらしい。 うちの家の前は、マンションがふたつぐらい建ってしまうような、広い広い貸し駐車場で、その一角での出来事だった。 さっき、パトカーが来ていた。助手席側の扉が、壊されてゆがんでいた。 うちから、わずか五メートルくらいの場所での出来事だ。 そんな近くで犯行が・・・。ちょっと身震い。 「うちの車には、何にも入ってないので、壊さないでね」と、張り紙でもしておきたい気分。(笑) 本当に、何も入っていないんだもんね。子供達が何処かのスーパーでもらってきた、変なチラシがいっぱい入っているくらいで。シールを集めて応募する用紙とかさ、料理のレシピとかさ、そんなのがごろごろ。 ^ ^;とるものなんて何もないんだよー。なのに壊されたら、たまらないし・・・。 なんとも、怖い世の中だねぇ・・。
December 31, 2005
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ダンナが急に、かに鍋をしようといってきた。かには、ダンナがご馳走してくれるらしい。おおっと、太っ腹じゃーんっ! ! (笑)ご馳走してくれるならいいよとばかりに、夜は、かに鍋に即決定。 かに鍋なんて、何年ぶり ?多分、子供の時以来。・・・二十年はもしかしたら、食べていないかも! ? !(いや、それ以上かも・・・ ^ ^;) 小学生の時は、よく食べた記憶がある。ダンナも、そう言っている。昔は、かにが安かったのかのかな・・・! ? 長男は、自分でかにが食べられたが、次男は、まだうまく食べられない。私が、殻を取ってやる。 ・・・・・・・。 ・・・思い出した。子供だった私に、父がかにの殻を、取ってくれていたんだったっけ。母も取ってくれていたかもしれないが、父のほうが世話好きだった。焼肉をしても、私の皿に、次々と焼けた肉を入れてくれる。自分が食べるよりも、私や兄のお皿にいっぱい入れてくれるのだ。・・・忘れていたけど、そんなことをふと、思い出した。 あの父は、もういない・・・。 今、ダンナや子供達、私の愛する家族と、楽しく食卓を囲んでいても、ふと父を思い出すと、無性に寂しくなる。幸せな時間を過ごしているのに・・・同時に寂しさも抱えている。 父が逝ってしまってからは、ずっとそんな毎日・・・。
December 30, 2005
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晩御飯の支度をしていたら、次男が突然、私のところにやってきて、キティちゃんの腕時計を見せた。 これ、おじいちゃんからもらったの。 ・・・あ、そうだったっけ。すっかり忘れてたけど、そうだったっけ。 正確には、キティちゃんの腕時計の壊れたもの。腕時計の機能も壊れているが、バンドも取れてしまってない。文字盤の部分だけなのだ。 死んだ父が何年か前に、散歩中に、何処かで拾ってきたものだった。 父は、何でも拾ってくることで、母にはずいぶん、嫌がられていた。その大抵のものは、使えないものだからだ。使えるものでも、汚いからイヤだと。母は潔癖症だしね。(笑) 父は、貧乏な家庭に生まれた。昭和十年の生まれだし、時代的なものもあったと思う。 貧しくて、とても高校には行かせてはもらえないところを、無理して行かせてもらったという。そして、親の反対を押し切って、大学へも行った。一回就職したにもかかわらず、大学に進学しなおした。 ・・・詳しい話は聞いたことがなかったが、金銭的に、いろいろ苦労してきたのではないのだろうか。貧しい家庭で、親が、授業料を払ってくれたとは思えない。反対を押し切って、行ったのだし。 自分で後で働いては、払っていたのではないのだろうか。父の拾い癖は、その苦労からきているのではないかと、私は思うのだが・・・。 長男も、何かを持ってやってきた。 これも、おじいちゃんからもらったんだ。 手のひらにはふたつ。これまた壊れかけの腕時計と、黒い小さな小銭いれ。 こっちの壊れかけの時計は、一応動いて、その機能は果たしている。ただ、バンドが片一方しかないのだ。やっぱりこれも、父が拾ってきたもの。 小銭入れは・・・もしかしたら父が昔、使っていたものかもしれない。なんとなく見覚えがあるのだ。 子供達は、大事そうに、それらのものを持っていた。とても大事そうに・・・。 ・・・大事にしようね。 もし壊れてしまっても、 机の引き出しにでも、しまっておこうね。 キミ達のことがかわいくて、 それをくれたんだから。 子供達は、真剣な顔をしてうなづいた。 ガラクタなんだけど・・・それらはおじいちゃんが、キミ達のおもちゃになればと、くれたもの。新品のはやりのおもちゃと比べたら、本当に、ただのガラクタなんだけど・・・。 けれども、それらには、おじいちゃんの、孫に対する愛情がこもっているのだと、彼らにも、分かるのかもしれない。
December 29, 2005
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用事があって、子供連れで市役所の支所に行った。 職員さんが、事務手続きをしてくださる間、いすに座って待っていた時だった。 次男が急に、私に語りかけてきた。 死んだ人は、お空に、燃えて上がっていくんだよね。 それで骨が残るんだよね。 ・・・・・・・。 先日の、私の父のことを思い出して、言っているのだろう。なぜ急にここで、そんなことを思い出したのかは、分からないけれど。 あの時次男は、父のお骨をとても怖がっていた。怖がって、どうしてもお骨が拾えなかった。同い年の姪っ子は、堂々と拾っていたのだけれど。 怖がっていたけど・・・ちゃんといろいろ分かっていたのかと、死について、5歳の幼子なりの理解を深めていたのかと、ちょっと驚いた。 ・・・分かっていたから、死がどういうものなのか、よく分かったから、怖かったのかもしれない。 もしかしたら。 次男は、最初に父の死に顔を見た時、とてもシッョクを受けていた。ショックを受けて、そのあと泣いた。 長男は、父・・・祖父の死をちゃんと理解したうえで、大泣きしていたのだが、それと比べると、次男の涙は、死んだ人をはじめて見た衝撃で、泣いているように見えた。一時的な涙に見えたのだ。事実、長男は家に帰ってからも泣いていたらしいが、次男はけろっとしていたという。年齢からしても、そんなものだろうと思っていた。 ・・・それはそうだったのかもしれないけど、でもそれだけじゃあ、なかったのかもしれない。私が思うより、ずっとずっと彼はオトナなのかもしれない。おじいちゃんの死を、彼なりに、しっかり受け止めたのかもしれない。死というものがどういうことなのか、悟ったのかもしれない。 そういえば彼は父の、おじいちゃんのまねをしなくなったっけ。お風呂上りに、腰にタオルを巻きつける、おじいちゃんのまね。最近までよくしていたのに・・・。 おじいちゃんが死んじゃったら、しなくなっちゃったね・・・。出来ないんだよね。悲しくて、できないんだよね、きっと。 おじいちゃんは、白い骨になっちゃったけど、 でもね、Kちゃん(次男)の心の中にいるんだよ。 思い出せるでしょう? おじいちゃんを。 ・・・うん。 とても真剣な顔をして、次男がうなづいた。5歳の次男の、死に対する理解は、また一段と深まったかもしれない・・・。
December 28, 2005
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長男が友達宛に、年賀状を書いた。 私とダンナは、もちろん喪中なので書かないが、(大急ぎで、喪中はがきを作ったので、とんでもなく大変だった・・・ - -;)子供はこれもひとつの楽しみだし、別に関係なく、書けばいいと思った。同居のおじいちゃんとかなら、まずいかもしれないけど、そうじゃないしね。 長男は、字がおそろしく汚い。はっきり言って、解読しないと読めやしない。 保護者会では、毎回毎回、字のことが話題になる。先生が変わっても、話題は同じ。字が汚すぎる・・・と。 - -# そんな長男が、今年は、自分で宛名も書くといってきた。去年までは、私が書いてやっていたんだけれど・・・。 ・・・届かなくても知らんぞ~。 いや、まじで心配。「ゆうメイトの皆さん、ごめんなさい」の世界である。(笑) まぁ、書くいってきかないし、とりあえず書かせはしたけど、あんまりにもひどい字は、ゆうメイトさんにも読めるように、こっそり添削しようと、書きあがった年賀状を見てみた。 あけましておめれとう ・・・おめ゛れ゛とう ? ? ? こぉら、長男っ ! !日本語が間違ってるじゃんか、おいおいっっ ! ! ! 彼はどうやら本気で、おめれとうだと思っていたらしい。(溜息)これは、字が汚い以前の大問題である。 ・・・・・しっかり国語の勉強、しようね。 - -;
December 27, 2005
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ベランダで、洗濯物を干していたんだけど、寒くて、思わずくしゃみが出た。まだ左わき腹が痛むので、わき腹に響かないよう、手でわき腹を固定しながら、用意周到にくしゃみした。 ・・・ピキン。 なになに、今のはっ ! ?例の左わき腹で、変な音とわずかな衝撃を感じた・・・。 また、二年前のように肋骨を折ったんじゃあなかろうかと、一瞬ひやひやしたけど、骨を折った時って、目から星が飛び散るかの如く、痛いのよ。 もう、とんでもないのよ。 ・・・そんなんじゃあ、なかったしなぁ。多分、違うと思うけど。 あれ・・・っ。 よくよく気がついたら、左わき腹の痛みが、すっきり取れていた。どう動かそうが、自由自在。 全然、痛くもかゆくもない。 治ったじゃーんっ。 ^ ^ 何で治ったんだか、全然よくわかんないんだけど、寝そべると痛くて痛くて、涙が出る程だったので、もう、万々歳 ! ! ブラボーッ! ! ! ・・・筋がちがっていたのかな ?わき腹の筋って、なんだそりゃだけど。寝ている間におかしくなったってことは、寝違い ?わき腹の寝違い・・・なんてあり ? ?そしてあの、くしゃみのピキンってーのは、なに ! ? わかんないことだらけ。・・・ま、いっか。終わりよければすべてよし、だもんね。
December 26, 2005
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ダンナが、今日も優しい。 朝、掃除機をかけてくれた。頼んだわけではない。自分からすすんで、やってくれたのだ。 昼ごはんも作ってくれたし、買い物に連れて行ってと頼んだら、ふたつ返事で、O.K.。 ・・・いつもは、ひとりで行けばいいじゃん、俺は行きたくないって、悪態(?)をつくひとなのに。 私が風邪薬が効きすぎて、ふらふらして眠いとかなんとか、つぶやいていたせいかもしれないけれどね。車の運転はまずいでしょ? でも普段、口が悪くて天邪鬼で、どちらかといえばいじめられてきた(のか?)私としては、あんまりにも優しくされると、なんだか逆に気味が悪いような・・・。(爆) いやいやいや・・・。(笑) 素直に、嬉しいよ。・・・ありがとうね、ダンナさん。(珍しくさんづけ・・・笑)
December 25, 2005
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朝、激痛で目が覚めた。 左わき腹が、とても痛い。痛くて痛くて、寝返りもうてなければ、当然、起き上がることも出来ない。これっぽっちも動けないのだ。少しでも動こうとすれば、激痛が走る。 呼吸をしても、刺激されて痛い。とにかく、痛い・痛い・痛いっっ ! ! ! 涙目で、ダンナが起きるのを待っていた。声をかけて起こしても、よかったのかもしれないが、そうしたら、子供達も起きてしまう。子供達まで起こすのは、かわいそうな気がした。 しばらくしてダンナより、私と一緒に寝ていた次男が、早く起きた。次男はニコニコ、私にじゃれつく。 いたたたたた・・・かあさん、痛いのっ。(顔、真っ青) 次男が、ダンナを起こした。 ねぇ、痛いの、痛いのっ、助け起こしてっっ! ! ! 寝起きのダンナは、ちょっとピンと来ない表情。でも私が、本気で泣きながら訴えているのを見て、なんだか分からないけれど、なんだか大変なことになっていることに、気がついたようだった。 ダンナに抱えられて、助け起こしてもらった。寝ているより起きている方が、あまり痛まない。 起き上がって、痛みが減り、ちょっとほっとした。でも呼吸を深くすると、やっぱり痛い・・・。それになんだかまだ、熱がある・・・? おそらく多分。 医者に行くことにした。もともと近所の内科に行くつもりで、今日は予約がしてあった。でも熱のほかに、この激痛となると・・・・内科では、だめなんじゃあないのか! ? ダンナがすべて、手配してくれた。近所の総合病院に、連れて行ってくれたし、先の内科の、予約の取り消しもしてくれた。いつもは、もたもたのそのそ、行動する人なのに、ささっとやってくれた。 ・・・別人みたい。 やっぱり、心配してくれているのかな・・・。あの離婚発言が、相当聞いたかな ? (苦笑)父の亡くなった直後でさえ、こんなに優しくはなかったもんなぁ。 左わき腹は、二年ぐらい前に、せきのひどい風邪を引いて、肋骨を三本折った場所と同じだった。せきのしすぎで、骨に負担がかかり、折ってしまったのだと思われる。 医者に、また骨を折ったのではないかと尋ねてみた。寝る前は全然平気で、朝方、突然痛くなっていた今回は、多分違うとも思ったが、念のため、聞いてみた。 医者は、肋骨と肋骨の間を指で押した。 痛いですか? 痛くないです・・・。 痛くなければ、折れていないのだと、医師は言った。・・・そういえばあの時は、痛かったっけか・・・。 せきをすると、胸膜とか、なんだったっけかな、まぁいろいろとこすれて負担がかかるんだそうで、そういった関係で、一時的に痛いんではないかと、医者が言う。 ・・・分かったような、分からんような。 まずは風邪をしっかり治しましょうと、そう言われた。 医者に行っている間に、熱が下がってきた。熱がなくなっただけでも、気分がいい。体がスムーズに動くのだ。 うんうん。 今日はクリスマス・イブ。子供達に、ご馳走を作って上げなければ。 ・・・本当は、気分的には、全然楽しくなんかなくって、クリスマスなんてどうでもいいのだけれど、子供達にとっては、ひとつのイベントだから・・・。だからちゃんとやってあげる。悲しい気持ちは、ちょっと心の奥にしまっておいて。 買い物に、家族で行った。帰ってきて車から降りた時、いつもは荷物なんて、めったに出してくれたりしないダンナが、自分から進んで出してくれた。 ・・・やっぱり別人みたい。(笑) いつまで続くのかなぁ、この優しさは。ずっとだといいのになぁ。 ・・・なーんて、無理だよね。(苦笑)
December 24, 2005
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朝、起きた時から、体がだるい。午前中は洗濯物も干さずに、ホットカーペットの上で、毛布にくるまり寝ていた。 ダンナの母は、今朝、帰っていった。私はずっと怒っていたので、ろくにお礼も言わなかった。 ・・・本当は、子供達の面倒を見てもらって、感謝しているんだよ。でも・・・やっぱりあの人は、私に対してひどいことを言ったと思う。心が狭いかな、どうしても許せなかった。 ダンナの母では、分からないことが多かったんだろう。なんとか子供達を食べさせてくれただけで、あとは家の中がぐちゃぐちゃ・・・。まぁ、仕方がないけどね。 私とダンナの喪服も、散らかっているし、子供達が終業式に持ち帰った、いろいろなお道具類も・・・。 やらなきゃいけないことだらけなのに、体が動かない。ものすごく体がだるい。・・・おかしいよね、これって。 体温計を手に取る。 ・・・・・37.5℃。 発熱してるんじゃん ! ! ・・・そうか、風邪が治りきっていないまま、父の元へと飛んでいったんだった。父が死んで食欲もなく、あまり眠れず、何日過ごしただろうか。 風邪はこじれていた。せきが止まらなくなっていた。兄も心配してくれていた。 ・・・昨日は雪がふぶく中、電車のホームで、四十分待ったんだったっけ。冷蔵庫の中にいるみたいに、思ったんだよなぁ・・・。 ・・・熱が出ても、おかしくないか。 昼ごはんが作れないので、近所のラーメンさんで、子供達と食べた。これが精一杯。 すぐにダンナに電話した。 夕食を何か、買ってきてもらおうと思ったのだった。でも帰りが、9時・10時だったらやばいな・・・。そんなことを考えていたら、電話の向こうで、ダンナがとても慌てているのがわかった。 いますぐには、ちょっと無理だよ ? 定時(5時ごろ)しか無理だよ ? 大丈夫か ! ? ・・・いや私は、別に7時くらいでもいいんだけどね。(笑) ダンナがこんなに私を気遣ってくれたことって、結婚してからあったっけ ?結婚前は、それなりに優しかったけど、結婚してからは、釣った魚にえさはやらない状態だったよなぁ。優しいのは、自分の母親と妹にだけ。マザコンでシスコンなのだ。 離婚してやるっっ・・・て、電話で叫んだからかなぁ ? (苦笑) この一週間は、とても悲しい一週間だったけど、思いがけないダンナの優しさに触れて、ちょっと嬉しかった。 ・・・ダンナに免じて、義母のことも少し許す・・・。少しだけど。(苦笑)
December 23, 2005
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今日、実家に母をひとり残し、隣県の自宅へと帰る。 別れ際に、母がぽつりと言った。 家族は一緒に、住まないかん・・・。 (住まないといけない) ・・・返す言葉がない。ごめんね、遠くに嫁に行って。 降り出した雪で、電車は遅れ、ホームで四十分待った。乗ったら乗ったで、いつもよりも速度を落とした安全運転。おまけに踏み切りで、非常ボタンが押されたという、アクシデント。電車はしばらくストップした。 たくさんたくさん時間をかけて、家へとたどり着く。降りた駅から自宅への道のりも、5センチくらい積雪していた。雪が積もることなんて、まずありえない暖かいところだというのに、ビックリだ。 ここが5センチならば、実家の方は、30センチは軽く積もっていることだろう。女手しかないというのに、母は明日、ひとりで雪かきをするのだろうか・・・。 雪かきは、いつも父がしていたっけ・・・。 次男が私に飛びついてきた。離れていて寂しかったよと、飛びついてきた。 ・・・・私は、あんなに子供と、離れられないと思っていたというのに、父が死んだとたん、子供のことが脳裏から消えていた。 子供のことより、父を思った。 母親であることが、わずらわしかった。 ただの子供に戻りたかった。父と母の、ただの子供に戻りたかったのだ。 次男が、私にとても甘えてくる。・・・ちょっぴり罪悪感。ごめんね。 ここの家には、父がいない。 実家では、あちこちに父の幻影を見た。それはとてもつらくて、悲しいのだけれど、父の姿が幻でもいい、脳裏に浮かぶだけで、ある意味幸せだった。 ここの家には、父がいない。 ここの家には、父がいない。 ここの家には、かわいいかわいい、息子達がいるというのに、私は今、寂しくて仕方がない。 ・・・おとうさん。
December 22, 2005
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私は父の葬儀後も、ずっと実家に残っていたが、子供達は学校や幼稚園があるので、ダンナの母に、一緒に家の方へついて行ってもらって、世話をしてもらっていた。 (ちなみに、ダンナと私は同郷) ありがたいことだと思っていた。・・・夕方、電話で、あんなことを言われるまでは。 明日帰る予定ではいるんですけど、 雪も降るといってますし、何時になるか分からないので、 子供達のことで、お母さんにやってもらいたいことが、 あるんですけど・・・。 義母は、明らかに困った声を出した。 ・・・M子(ダンナの妹)が、困るって言っていたのよ・・・。 その日は、仕事で遅くなるから、 夜はお母さんがいないと困るって・・・。 ダンナの妹は、子供を義母に預けて働いている。昼は保育園に行っているからいいけど、夜遅いときは、義母が絶対必要なんだろう。 だけど、普通こんなことを言うか ? 一瞬、聞き間違いかと思った。それでは自分の娘が困ると、嫁に対して、ストレートに言う姑が、まさかこの世にいるとは、信じられなかったのだ。 ・・・でも言うんだよな、このひとは。 悪意はないのだ。ただ、分からないだけなのだ。それが言ってはいけないことだという、ごく当たり前のことが、なぜだか不思議と分からない、天然ボケな、のんきなばあさんなのだ。このひとは。 今までにも何回か、そういった類の爆弾発言(?)はされてきた。 粉ミルクで、いい子に育つの? 長男を出産してまもなく、母乳が足りなくて、粉ミルクを足して飲ませていたら、いきなり義母にそう言われた。 ・・・心臓にナイフを突き立てられたような、ものすごい衝撃を覚えた。 意地悪で言っているわけではないのだ、このひとの場合は。自分があり余るくらいに母乳が出たため、粉ミルクに対して無知なだけなのだ。それゆえの偏見。 ・・・でも普通は、口に出さないよな。それも、お嫁さんに対してだなんて。出したらえらいことになるって、普通の人は分かるんだよ。 それが全然分からないという、天然ボケなひと、それが義母。 他にもいろいろあるんだけれど、ここ数年は、あんまりなかった。私がダンナにキイキイ怒るのが、伝わったのかどうか知らないが、ボケばあさんなりに、ボケをかまさないよう、努力していたのではないかと思う。 ・・・でもやってくれたよ、久々に。久しぶりに、本気で義母を憎いと思った。 こんな時だから・・・父が死んだこんな時だから・・・よけいに腹が立ったのだ。 M子もM子。義姉の一番悲しい時に、母親に堂々と甘えるとは、なんたる無神経さ。こういうときは、義姉のほうが優先ではないのか ?自分は、自分のダンナやダンナの親をつかって、なんとかしのぐべき。・・・親子して、そういう常識がわかっていないのが、腹だたしい。 あとでダンナに電話した。ダンナはマザコンだ。私の主張が正しいと分かっていても、決して私の味方はしない。私の怒りが間違っているかとたずねたならば、ぼそぼそと小さな声で一言。 ・・・わからん・・・。 そういうだろうと分かってはいたけど、父が死んで一番悲しい時に、その態度はないだろうと、いつもにまして腹が立って、私は受話器に向かって叫んでいた。 ああそう、わからんのやったら、 アンタとは離婚したるわっっ。 ・・・・怖い嫁 ? (苦笑) でも本当に腹が立ったのだ。きっと私の叫び声は、そばにいたであろう義母に、もれ聞こえたに違いない。 ・・・聞こえるように言ったのだけどね。(やっぱり怖い嫁?) 明日はゆっくり帰ることに、勝手に決めた。義母もM子も困ればいい。ひとの一番悲しい時に、思いやりも何もない人たちなんて、大嫌いだ。 ・・・・私は、母をひとり残して帰るのだ。兄一家は今日、東京に戻った。私が帰れば、母はひとりきり。 義母よ、M子よ。私がどんな気持ちで、母を残して帰ろうとしているのか、それがわかるか ! !
December 21, 2005
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私は、物に思い入れをするタチなのだが、どうやら母は違うらしい。あんなに何回も、とっておいてねと言っておいたのに、知らない間に、捨てられていた。 お父さんの最後に着ていた、ジャンパーとシャツとコート ! ! 捨てるか ? 普通 、捨てるか ! ? (怒髪天 - -;) 兄は大笑いしていたけどね・・・。 女は強いねぇ。 こりゃ、心配しなくても大丈夫かな? ・・・だってさ。 (笑い事じゃないっ! !) でも気がついたのが早くて、まだゴミ袋の中だったので、なんとか事なきを得た。私は母に怒りながら、ゴミ袋の中から、父の服を取り戻した。 お母さんだけのお父さんじゃないんだから、 勝手に捨てるなっっ ! ! ! ! 母が思い切りよく捨てたのには、実はわけがある。母は、かなりの潔癖症なのだ。 病院は汚い。 母はそう思っている。病原菌がうようよしている、恐ろしいところだと。それは全くの間違いではないが、母はちょっとその思いが極端で、強すぎる人なのだ。多分、他の人はついていけないと思う。(私もついていけないのだが・・・) だから、父の服を捨てたのだ。病院で着ていた服は、下着もパジャマも全部捨てた。葬式が終わった直後から、せっせと捨てるのに励んでいた。その姿に、母の潔癖症になれていない兄嫁さんは、目を白黒させていた。(笑) だけど上着などは、捨てて欲しくなかった。父が最後に着ていた服なのだ。それは父自身だ。・・・物に思い入れをするタチの私には、そうとしか思えない。洗濯すれば、残しておいてもいいでしょ ? と、ちゃんと、母の許可を得たはずだったのに・・・ なんで捨てるかなぁ、もおっっ。 - -; ジャンバーなんてさ、父の死んだその晩、それを着て、私はひとりで号泣したんだぞーっっ。おとうさん、おとうさんってさ、何度も何度も気が狂ったように、泣き叫んだんだぞーっっっ。おかあさんのばかたれーっっっ。 ・・・いくら潔癖症とはいえ・・・信じられないわ。 (あきれたかも・・) それまでは、父の遺品は、母に聞いてからもらおうと思っていた。でもやめた。もう勝手にもらっておくことにした。(笑)汚い云々抜かしても、どうやら母は、あまり父の遺品には興味がないらしい。物に思い入れをしないタチなのだ。 私とは正反対。 私は、多分父に似ているのだと思う。父の机からは、いろんなガラクタが(母いわく)出てきて面白い。いろいろとっておくタチだったようだ。私もどちらかといえばそう。 父は勉強家というか、雑学好きというか、天皇家の全系図が載っていた新聞の切抜きとか、ニートの略称でない正式なスペルの写し書きとか(ニートが略称だなんて知らなかったので、びっくり)、なんだかそういったものが、父の机からは、どんどん見つかるのだ。 そういったものは、私がみんなもらっておいた。父が興味を持ったものは、父自身。私もどちらかというと、そういった雑学は好きだし。(ただ進んでは、勉強しないだけ・・・笑) 父は、日記もつけていた。初めて知った。 日記といっても、手帳に、その日の出来事を、淡々と記してあるだけのもの。でも時刻まで記してあったりして、とても細かい。二十年分くらい、あったかと思う。 私が大学に合格した日も、結婚した日も、長男や次男を産んだ日も、手帳にはそのことが記されている。長男がまだ赤ちゃんの頃、隣県に住んでいるというのに、それでも私がちょくちょく里帰りをしたことも、逐一、手帳には記されていた。 どんな小さな出来事も、父の手帳には書き残されている。読んでいると、過去の思い出がよみがえる。まるで昨日のことのように・・・。 実は私も、長男が生まれるまで、毎日日記をつけていた。十数年・・・かな。育児に終われてやめてしまったけど、私はやっぱりお父さんの子だね。似ているんだね。 ・・・ふと思った。父の遺品は、私の中にもある。それは、父のDNA。 父が興味を持った本や、ビデオや、新聞記事。そのたいていは、私も好きだ。日記を書くのも、私もやっぱり好きだった。・・・これは私の中の、父からもらったDNAのなせるわざ、だよね ? 父は死んでしまったけれど、私の中で生き続けている・・・ふとそう思った。
December 20, 2005
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父の死以来、母から少しずつ、闘病中の父の様子を聞いた。 父は最後まで、生きるつもりでいたらしい。死ぬつもりなんて全然なかったと、母は語る。 人工呼吸器をつけたのは、12/11。その前日まで父は元気で、ひとりでご飯も食べたし、トイレにも行けたという。 抗がん剤が効かなくて、その弱った体で肺炎を併発したのが、人工呼吸器をつけた12/11のこと。医師に、自ら尋ねたという。 いつまでこれ(人工呼吸器)をつけるのですか?医師が、一週間くらい、と答えると、 じゃあ、それまでの我慢ですね。 と言ったという。 ハアハア言いながら、その時、虫の息だったという父。でも意識はしっかりしていた。自分の病状を、はっきり理解しようとしていた。生きようとしていたのだ。 人工呼吸器を取り付けてからは、体力温存の為、軽い睡眠薬で眠らされていた父は、結局そのまま、意識を失い、5日目に帰らぬ人となった。 多分父は、三途の川を見て、びっくりしているのではないだろうか。俺は一体、どうしてこんなところにいるのだと、びっくりしているのではないだろうか。・・・そう、母が言っている。 なにもわからないまま、気がついたら死んでいた・・・多分おそらく、父の死はそんなふうだった。 生きたかったのに、生きるつもりだったのに、かわいそうな気もするけれど、ある意味、とても楽な死に方だったのかもしれない。父は、まったく苦しまずに、眠るように逝ったのだから・・・。 癌ということで、私は、父が痛い思いをしているのではないのかと、いつも気にしていた。シリウスに父のことを願う時、父の命を助けてくださいと願うのと同時に、父が痛い思いをしませんようにとも、いつも願っていた。 シリウスは、ひとつだけ願いをかなえてくれた。父はまったく、痛まなかったという。痛むほどには、まだ癌は大きくなっていなかったそうだ。そのことだけは、よかったと思う。 抗がん剤の治療をしなかったら、まだ父は生きていたのかもしれないと、母がぽつりと言う。そのかわり、癌は大きくなっていったかもしれないけれど、あと半年・・・それくらいは生きられたであろうと。 私は思う。癌で苦しんで、痛い思いの中で、やせ細って死んでいくよりは、これでよかったのではないのかと・・・。父は元気な頃と、なんら変わりのない姿でなくなった。肺炎を併発するまで、直前まで、元気だったのだから。 早く死んでいいはずがない。もっともっと生きていてほしかった。でも・・・。父が苦しむのもつらい。だから・・・。 なんにせよ、これが天命。 父の天命。 父は、自分で車を運転して入院をした。たまに外出許可を得て、自宅にも戻っていたらしい。その時も、自分で運転していた。父が死んで、病院の駐車場に、父の車がぽつんと残された。主をなくした車・・・。 父が最後に家に戻ったのは、11/14。まさかそれが最後だなんて思わなかったよね、お父さん。車に乗るのもそれが最後だなんて、思いもしなかったに違いない。生きるつもりだったのだ。まだまだ、生きるつもりだったのだ。 父は、年賀状を書くつもりでいた。人工呼吸器をつける直前まで、母に、年賀状を持ってくるように、言っていたらしい。そのメモ書きが残っている。・・・字が乱れている。息苦しかったのか・・・。 死後、父のかばんの中から、年賀状の下書きを見つけた。 謹んで新年の御祝詞を申し上げます。 私は一昨年来の胸部疾患の治療に専念しています。 皆様方のご発展とご多幸をお祈りいたします。 平成十八年元旦 ・・・見つけた時には、涙がこぼれた。 父は、生きるつもりでいた。死ぬつもりだなんてなかった。生きたかったのだ。 来年も。 きっとそのあとも。 お父さん・・・。 その下書きを手でさすりながら、父の名を呼び続けて泣いた。これは、父の絶筆。父の生へのこだわり。これは父、そのもの・・・。 父は、ビデオ鑑賞が好きだった。テレビでやっている洋画や、NHK特集などを録画しては、好きな時間に楽しむ。 入院中は、母に頼んで録画してもらっていたらしい。結局見ないまま、逝ってしまったビデオが、数本残された。これもまた、父の化身のような気がする。 私には。少しずつ、私が見ようと思う。父の代わりに。いや、父と一緒に・・・。 生きたくても、生きられずに逝ってしまう命がこの世にはある。だから、懸命に生きなくては。生きられる人は幸せなのだ。命をいとおしんで、大事に大事に生きていこう。 ・・・そう、父の死が、教えてくれた。
December 19, 2005
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朝起きると、外は一面の銀世界。夜のうちに、積雪したらしい。十センチくらい・・・だったろうか。一旦、日差しが出たので、これで天気もよくなるかと思いきや、また雪がふぶいてきた。午後一時からの葬儀は、ふぶく雪の中で、執り行われた。 これで最後。今日これから、父の遺体を火葬する。 覚悟はしていたけれど・・・父の肉体が、灰になる。その現実が悲しい。 葬儀の間、私はずっと泣いていた。次男が自分のハンカチを取り出して、そんな私の涙をぬぐってくれた。まだたった5歳の息子の優しさに、胸が熱くなる。 お父さん、私、いい子、産んだでしょう? こんないい子がいるから、これからもちゃんと生きていける。 お父さんがいなくても、ちゃんと生きていく・・・。 弔電が読み上げられた。なかに、総務大臣からの弔電があった。兄が総務省のお役人なので、大臣からの弔電が来たのだ。 今の総務大臣って、知らなかったけど、竹中平蔵氏だったんだね。父にとって、兄は自慢の息子だった。兄はいわゆるエリートで、その肩書きを父はとても誇りに思っていた。 十年位前、母方の祖父の葬儀で、参列できなかった兄の弔電が、読み上げられたことがあった。その兄の肩書きを、父は誇らしげに聞いていたことを憶えている。 竹中氏からの弔電だなんて、 お父さんはとても嬉しいでしょう? そう思っていたら、兄嫁さんも同じことを考えていたらしく、弔電を聞きながら、涙ぐんでいた。祖父の時だけでなく、その後の祖母の葬儀の時など、いつも仕事で参列できなかった兄。その兄からの弔電を直接うっていたのは、兄嫁さんだったらしく、父が兄の肩書きを自慢にしていたことを、よく知っていたらしい。 肩書きがどうの、政治家がどうの、興味のない人もいるだろうが、それがひとつの価値観だった父にとっては、竹中氏の弔電は、たとえお義理の形式的なものであったとしても、私は何よりもの、供養であった気がする・・・。 出棺前、棺を花で飾った。長男が真剣な顔をして、たくさんの花を父に供えてくれていた。彼なりの思いがあるのだろう。私は花を供えつつ、父の額をなでて、父に語りかけた。 産んでくれてありがとう。 育ててくれてありがとう。 お父さん、大好き。 生きている時に、一度も言ったことのない言葉。一度くらい、言えばよかった。嫁に行くときにでも、言っておくんだった。 父の額はとても冷たい。そして、もはや石のように硬くなってしまった。 ・・・・死。 受け止めえざるしかない現実。 出棺。霊柩車が出発した。悲しいクラクションの音。テレビとかで、著名人の葬儀の時に、この音をよく聞いたものだけど、こんなに悲しく胸に響いたことってなかった。 今まで。 火葬場に到着。本当にこれで最後。父の肉体は・・・・肉体は・・・・・。 一時間後。父は白い骨になった。それはとても太くて、丈夫な・・・。まだ熱気が漂うお骨。 ・・・熱かったよね、お父さん。 あんたたちを、抱っこした腕だよ。 お骨を見て、母が言った。・・・涙があふれた。 もうこの世に、父の肉体はない。父は本当に、死んでしまったのだ・・・本当に。 外は相変わらずの雪。父の肉体は、煙となって、白い雪の中、空へと上っていった。
December 18, 2005
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夕方六時半から、父の通夜が営まれた。 相変わらず、忙しい。兄は、明日の葬儀のことで、あれこれ頭を悩ませている。焼香の順番を決めて、おとき(食事)の数も数えて注文して、いろいろ・・・。 私は、昼に東京からやってきた、兄嫁さんと姪っ子甥っ子の世話をした。二歳半になった甥っ子は、夏にあった時とは、別人のように成長していた。あの時はまだ、強い人見知り君だったのだ。今は、自分からよってきてくれる。 父に見せたかった ! ! 強く強く、そう思った。人見知り君の甥っ子を、父は一度しか抱いたことがないからだ。生まれたばかりの時に、一度だけ・・・。今なら抱けるのに ! ! 通夜までに、父の遺影が出来上がっていた。八年前の、兄の結婚式の時の写真から作った。いい顔をしている。とても嬉しそうな。・・・ちょっと若いから、なんだかもっと前に亡くなったみたいで、切ないけどね。 父に死に顔を見て、私の息子達は、初めておじいちゃんの死を、理解したようだった。長男はむせび泣いた。 あとで聞いた話では、夜寝る前に、感極まって、大泣きしたそうだ。ダンナの実家に預かってもらっていたので、これはダンナの母から聞いた話。 おじいちゃんに、一番かわいがってもらったのは、初孫だった長男だった。お風呂もよくいれてもらったよね。憶えているかとたずねたら、憶えていると答えた長男。顔が真剣だった。・・・忘れないでね。愛してもらった記憶を。 今夜は雪が降るという。積もるという。明日の葬儀は、きっと雪の中・・・。
December 17, 2005
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母と兄は、一晩、父のそばで過ごすことになった。線香と蝋燭の火を、絶やしてはいけなくて、その役目のために、父のそばで過ごすことになった。 私は風邪が治りきっていなかったので、実家でちゃんと寝なさいと、母に言われた。父とは離れがたかったけれど、そうした。 ひとりで実家に帰った。8/31以来の帰省。あの時、父はとても元気だった。酸素ボンベを携帯しながらだったけど、車を運転できたのだから。そしてあの日、私と子供達を、自宅に帰るための電車の駅まで、車で送ってくれたのだった。・・・あれが最後になった。 家の中に、父の幻影が見える。台所で、皿洗いをしていてる父。いすに座って、ご飯を食べている父。コーヒーを入れている父。 父の部屋をのぞいた。体を悪くしてから・・・ここ二年くらいは、たいていベットで横になっていた父。でももう、ベットに父はいない。 おとうさーんっっ。 絶叫した。何度も何度も。 泣きながら。 その晩は、ほとんど眠れなかった。せっかく母と兄に、家に帰してもらったのだけれど。 朝、部屋の電気見た。私は、常夜灯をともして眠る。父は、一番に起きて、いつも私の部屋の常夜灯を消すのが習慣だった。電気代がもったいないってことらしい。 ・・・常夜灯は消えていない。 父は死んだのだ。父の死を再び実感した。つらい、つらい、つらい・・・。この家には、父があちこちにいて、とてもつらい。 幽霊でもいい、この常夜灯を消しにきてよ、お父さん・・・。
December 16, 2005
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・・・父が死んで初めて知った現実。 ひとが死ぬと、そのあとがとんでもなく大変だという、容赦のない現実。 泣く暇は、たったの三十分。 病院側のくれた時間だ。以後は、父の遺体を何処に運ぶか、その手はずを整えるよう、私たち遺族に指示してきた。 ・・・そうか、病院は、生きている人のいるところで、死んだ者のいるところではないのだ。 あらためて、父の死を実感した。 遺族は忙しい。悲しいのに泣く暇がない。葬儀会社の人と、連絡を取る。死亡診断書をもらい、死亡届を書く。退院の手続きと会計をする。・・・まだまだこの忙しさは続く。 父は、葬儀場の一室に、安置された。その亡き父の前で、通夜と葬儀について、葬儀会社の人と、話し合いが続く。香典返しの品選びに、祭壇選び、次々と決めていかねばならない。金銭的なことについても、話し合う。・・・なんて現実的なの。 純粋に泣けたのは、父の死の直後の三十分だけ。あとは本当に忙しい。特に喪主となった兄は、傍目から見ても、疲労困憊していた。 ・・・なんでもっとシンプルではないんだろうね。葬式代もとてもかかるものなのだと、初めて知った。 葬式代を残して死なないと、子供に迷惑がかかるなぁ、これは。父は、それなりにお金を残していたから問題はないのだけれど、自分もそうしておかなければと思ったり・・・。 もっと泣いていたかったのに、泣く暇のない現実。でも考えてみれば、泣き崩れてよれよれにならずにすんで、よかったのかもしれない。しゃんとしなければ、やっていけない現実で、よかったのかもしれない。
December 16, 2005
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朝七時、電話が鳴った。嫌な予感がした。・・・予感は当たった。 母からの電話。 今すぐ、病院に来なさい ! ! 正確には、母がなんて言ったのか、よく憶えていない。でもこの事態が、いわゆる、 チチ キトク スグ カエレ と、言うことなんだとは、分かった。 頭が飽和状態。今すぐ、何も持たずに飛び出したかった。 でも子供がいる。小学校と幼稚園に行かせないと・・・。私も着替えも持たずに、行くわけにもいかない。朝ごはんも食べていないし、子供にも食べさせないと・・・。ああ、洗濯機も回っている。 ・・・なにからしたらいいの ! ? ! まだ寝ていたダンナを起こして、とりあえず子供のことはすべて頼んだ。ダンナがご飯を食べさせて、小学校と幼稚園に送り出す。私は回してしまった洗濯機の洗濯物だけ干したら、実家にとんでいくことにした。 荷物をかばんにつめた。子供の服も、分かるところに出しておかないと、ダンナにはわからないので、そうした。忙しい。 今すぐに、飛んで行きたいのに ! ! ! 家を出たのは、九時半過ぎだったろうか。あとはもう、時計を見ていないので、その後の時間経過は分からない。 電車の駅までの1キロの道のりを、ひたすら走った。小ぶりの旅行かばんを肩にかけて、ひたすら走った。はたから見たら、ちょっと変なオバサンだったろう。でも、一分一秒でも早く、父の元に行きたかった。 1時間弱電車に乗って、故郷にたどり着くと、そこは雪景色。自宅の方には、雪なんてこれっぽっちもなかったのに、それはまるで別世界だった。 父はこんな寒さの中、逝こうとしているのか・・・。 胸が苦しくなった。今現在、父が生きているのかどうかも、分からない。 私が行くまで生きていて! ! ! 人目も構わず泣きながら、タクシーに飛び乗った。タクシーが病院へ向かう道のりは、父が里帰りした私や子供達を、駅まで車で迎えに来てくれた時の、実家へ向かう道のりと重なっていた。思い出が、私を苦しめる。 胸が苦しい。 ただただ、苦しい。 病院に着いた。迷いながら病室に向かう。廊下にいる母が、目に飛び込んできた。 お母さん ! ! お母さんっ! ! ! お母さんっっ ! ! ! ! 母は私に気がつくと、泣き崩れた。 お父さん、もう死んじゃう・・・。 廊下にいる母を見たとき、父がもう死んでしまったのかと思ったので、変なものだが、逆に一瞬安心した。 母は、小さな子供のようだった。私は母を、全身で包み込むように抱きしめた。 私がいるから。 兄ちゃんもいるから。 抱きしめて、頭をなぜた。こんなに弱々しい姿の母を、初めて見た。 父は、人工呼吸器をつけてからは、体力温存の為、軽い睡眠薬で眠らされていたらしく、ずっと朦朧としていたらしい。それでも一応、意識はあったのだ。 でも私が病室に入った時は、血圧が20。脈拍は測れない状態。当然、意識はこれっぽっちもない。 左手を握った。父の手を握るだなんて、子供の時以来だ。 おとうさぁん、来たよー。 R子(私)が来たでねー。 遅くなってごめんねー。 風邪引いて来れんかって、ごめんねー。 おとうさぁん、おとうさぁん・・・。 父の手はとても冷たい。死がそこに迫っているのを、嫌でも感じざるをえなかった。・・・なんて悲しい現実。 私が病院に来てから約三十分後、東京から兄が駆けつけた。そして兄が来て十分もしないうちに、父は静かに静かに、逝った。とても静かな静かな、最期だった。 平成十七年十二月十六日 午後零時十一分 父、逝く。 享年七十才。 産んでくれてありがとう。 育ててくれてありがとう。 おとうさん、だぁいすき ! ! ! さっきより冷たくなった父の額をなぜながら、何度も何度も叫ぶ。でももう聞こえない、父には聞こえない・・・。 父は、もうこの世にはいない。 母が、泣きながら父の顔をさする。 なぁんで、こんな頼りないお母さんを置いて、 逝ってしまったの。 たんちん(ばか)やねぇ。 ・・・言葉にならない悲しみとは、こういうことなのだと、生まれて初めて知った。 命はとてもはかない。はかなくて、とてもいとおしい。今、私が生きているということは、とてもすごいことなのだと、一日一日を大切にしなくてはいけないのだと、思った。 父は、前の晩から容態が急変したという。それまでは、そんなに悪くはなかったらしい。母も、まさかこんなに早く逝ってしまうとは、思っていなかったという。 父は、遠くに住む、私と兄を待っていたのではないのか。息絶え絶えの体で、必死に頑張っていたのではないのか。私と兄が父の元に着いてすぐ、息を引き取った父。これを偶然のことだとは、私は決して思わない。 待っていたのだ。絶対に待っていたのだ。 父は、一見怒りっぽくて、とても怖い人だったけど、本当は、とてもとても心根の優しい人だった。思いやりにあふれた人だった。子煩悩な人だった。私も兄も、とても父には愛してもらった。 ・・・待っていてくれたんだよね。 母は、自分の両親の死に目にあったことがないという。誰でも必ず、親の死に目にあえるわけではないのだと、母が言った。 悲しいけれど・・・父の死に目にあえたことだけはよかったと、そう思っている。
December 16, 2005
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・・・朝から、体が思うように動かない。気力が湧いてこないのだ。 どうしても。自分でもどうすることも出来なくて、困った。 長男と次男を、それぞれ送り出すのが精一杯。朝食の茶碗が洗えない、洗濯物が干せない、お風呂掃除も・・・。でもやらないと困るから、思い体を引きずって、なんとかやった。すごくつらかった。いつもはなんでもないことなのに・・・。なんなの、この無気力状態は・・・ ! ? ・・・疲れているんだろうなぁ。 要するに。体も疲れているけど、心の方がより強烈に、疲れているのかも。 昨日は、いろいろ愚痴愚痴しちゃったけど、長男の吐き戻し再び・・・で、大ショックだったけど、それでもなんとか浮上しよう、頑張ろうって、マジで思っていた。前向きな気持ちが、確かにあった。 でも一晩寝たら、うそのように消えちゃった・・・。なんで ?自分でもよくわからないよ、この状態は。 やることを何とか済ませたあとは、ずっと毛布をかぶって、ホットカーペットの上で寝ていた。座っているのもいやだった。 CDを聞いた。中島みゆきの「転生」。もう二十数年も、みゆきさんが好き。結婚してからは、実はそんなには聞いていないんだけれども、子供が大きくなって、少し時間が出来た最近は、たまに聞くようになった。 みゆきさんの歌声は、強くて雄雄しくて・・・女性だけど。(笑)とても励まされる。落ち込んでいる時にはいい。・・・そんなこと思うの、私だけかな?暗いと言えば、暗い歌だしね。 ^^; これは「サーモン・ダンス」という歌。 生きて泳げ 涙は後ろへ流せ このフレーズが、何度も何度も繰り返し出てくる。心にずしんと来た。 今の私には、とても。 お昼の一時くらいになって、長男の担任の先生から電話がかかってきた。熱はないので、学校には行かせたけど、調子が悪くなったのかと思って、びっくりした。でも話はもっと、びっくりする内容だった。 長男が、図工に使う為、お友達が持ってきていたビー玉を、黙って持って帰ったというのだ。はっきりいって、ドロボーであり、盗みである。 ・・・・・ショック。 まだ精神的に未熟な子供であるから、こういうことが、たまに起こることはあるんだろう。実際、私が子供の時、友達に自作のぬいぐるみを、黙って持ち帰られてしまったことがあった。そんなにおおごとに、とらえていないのだ、本人は。でもおおごとに、とらえてもらわないと・・・。 あとで帰ってきた長男とは、じっくり話をした。自分の罪と向き合わせた・・・つもり。単純に、盗ることは悪いこと、なのではなく、盗られることによって、お友達が傷ついた、その罪を認識させた・・・つもり。キミは、お友達から信用を失ったんだよ、ということも語った。失った信用は、取り戻すことが難しいのだということも。・・・わかってくれただろうか ? ・・・ドッとまた疲れた。やっぱり、子供と長くは離れてはいけないと思った。母は激怒するにちがいないが・・・。 今日一日、ほとんどごろごろしてすごした。今頃大変な思いをしているだろう、実家の母に申し訳ないくらいに・・・。でもごろごろしたおかげで、で何とか少しずつ、動けるようになってきた感じがする。心と体の休養が、必要だったのかもしれない。 明日こそは浮上しよう、頑張ろう。
December 15, 2005
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朝、大きな寝言を言って目が覚めた。 ドロボーッ ! ! ! アレは、絶叫に近かったかもしれない。子供達を起こしてしまったようで、くすくす笑っている。 いつも、私一人、先に起きるんだけれども、子供達を起こしてしまわないように、細心の注意を払っている。目覚ましを速攻で止め、そーっと部屋を出る。ドアの開け閉めの音なんて、これっぽっちもたてやしない・・・のに。なにやってんだー、私。(落ち込み・・・) 実は、よく眠れずにいたのだ。夜中に、何度も何度も目が覚めた。絶叫した時は、夢を見ていたのだ。多分ご想像のとおり、泥棒に入られた夢。 四人の泥棒が、私と長男を襲おうとした。(なぜか次男とダンナは不在)ナイフが光っている。真剣に怖かった。長男を抱きしめ、私は叫んだ。 ドロボーッ ! ! ! ナイフを握っていたのは、女の泥棒だった。あとの三人は男。・・・なぜ女だったんだろう。 あの女泥棒は、母なのではないのか。なんてことをいうんだ・・・って思われるかもしれないけど、責められ続けて、私の心の中には、母に対する恐怖心のようなものが、芽生えているのは事実。嫌いなのではない、怖いのだ。怖いけれど、母に対する愛情がなくなったわけではない。・・・親子というのは、難しい。 母に対する恐怖心のようなものが、あの女泥棒になって、現れたのではないのかなぁ・・・。長男を守ろうとした私は、子供のことを考えてはいけないという、母への抵抗なのかも ? ・・・相当、きちゃってるよなぁ、私。(溜息)
December 15, 2005
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元気を出すんだ頑張るぞっと、さっき決意したばっかりだっつーのに、なんてこった、治ったと思っていた長男が思いっきり吐き戻した。食べた夕食をぜーんぶっ。 熱は一日で下がり、食欲も戻りつつあった・・・のに。なんで ? なんで ? ? ねぇ、なんでっっ ? ? ? ・・・八方塞り気分。 父のところへいく日が、また遠のいていく・・・。私の気も遠くなる・・・・あーーーーーーーーーあ。(特大溜息) 再び、先が見えなくなった。 ただ救いは、このことを母にさっき電話した時、母が優しい声で、分かったといってくれたことだ。本当は、土曜日には父のところへ行くつもりだった。それまでには、私の風邪も治ると思ったし。でもダメかもしれないと伝えた。母は分かったと、とても優しい声だった。長男を、孫を、心配してくれたのだろう。 優しい声を聞けて、ほっとした。先は全然見えないけれど・・・頭もくらくらするけど・・・ほっとした。
December 14, 2005
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母から電話があった。携帯を兄に買ってもらったのだという。連絡をいつでも取れるようにしたのだろう。その電話番号を、知らせてきたのだった。 父の容態はよくない。意識が朦朧としているという。そんなことを聞くと、今すぐ父のところに飛んでいきたくなる。・・・でもまだ風邪は治りきらない・・・ダメだ。 母は、看病を私に代われという。そりゃ当然代わるけど、母はやっぱり、常時、私が実家にいることを望んでいる。 行ったり来たりじゃないと・・・。 もう(電話を)切るよっ。 母はいつもそんな感じだ。怒ると、切るだの、もう聞きたくないだの、言い捨てて、本当に切ってしまう。もっと冷静に話を聞いて欲しいんだけど・・・。話にならないじゃん? 母は、ダンナの母に子供達の世話を任せれば、なんとでもなると思っている。 でも、うちはダンナの帰りが遅い。ダンナのお母さんが、子供達をお風呂に入れるってワケ! ?ご飯を作って食べさせて、片づけをして、お風呂。・・・できるのか ?64歳の体力気力で、そこまでやれるのか ! ?一日、二日はやれたとしても、ずっと連日続けられるとは思わない。今度は、お母さんが倒れないか? ・・・ダンナはマザコンだから、早く帰ってくるかもしれないけど。私が寝込んでいても、帰ってきやしないけどね。でも毎日は無理だろう、いくらなんでも。 せめて行ったりきたりならば・・・、ダンナの母の体力気力だって、なんとかもつのではないのか?ダンナの実家だって、ずっと主婦不在で、どうなるというのだ?私だって数日おきには、子供の顔見ないと・・・子供だって絶対不安なはずだ。極端な話、一日おきの通いだっていいのだ。私のうちを、まったくほったらかしにだけは出来ないのだ。母の望むように、まったくほったらかしに出来るのは、子供がもっと大きい場合だろう。中学生や高校生ならば・・・私は母の言うとおりにする。ずっと実家に帰りっぱなしにする。父のそばに毎日いてあげたい。 ・・・ここまで書いたら、急に泣けてきた。 母は、私を冷たい女だとののしったことがある。父が最初に倒れたのは、一年以上前、子供達が揃って入園入学した春だった。あの時はまだ癌ではなかったけど、肺に穴が開いて、大騒ぎとなっていた。入園と入学がふたつ重なり、大忙しで、私は疲労困憊。とても実家には帰れないと母に言った時、そうののしられた。命に別状がないと聞いていたので、今回は帰省を勘弁してもらおうと思ったのだった。父の顔はのぞきに行くが、常時滞在は・・・。普通なら、実家の母親に甘えて、手伝ってもらいたいところを、ダンナに無理やり仕事を休んでもらって、切り抜けていたのだ。そんなこちらの事情なんて、母は聞く耳を持たない。怒って電話を切るだけだ。あの時の、ののしり声のひどさを、私は今も忘れられないでいる。 ・・・私は冷たい女なんだろうか?あれからずっと、自問自答している。 私が結婚したばかりの頃に、ダンナのお母さんのお母さん・・・つまりおばあちゃんが、亡くなられたことがあった。ダンナのお母さんは、四人姉妹。 女の子ばかり四人もいたら、親が病気でも、 看病するのに困らなかったでしょう? うちの親戚で、嫁同士の擦り付け合いを見てきたので、私はついそういう言葉が出た。ダンナの母は、なんともいえない微笑みかたをして言った。 それがねぇ、それぞれ家庭があるでしょう。 なかなか、うまいこといかないものなのよ・・・。 あの時のダンナの母の言葉の意味が、今ようやく分かった。あの時は、若すぎて、まだ全然子供で、私にはよく理解できていなかった。 ・・・なんか今日は、とりとめがなくてダメだね。感情のままに書いちゃってるし。今日は、本当は明るい話題をしたかった。無理にでも、そうしようと思っていた。ブルーにばかりなっていては、いけないと思ったから・・・。 でもまた逆戻り。せっかく昨日、すっきりしたんだけれど。 母と話すのは正直、怖い。投げつけられる言葉が、怖くて仕方がない。冷たい女だと、一番初めにののしられた時のトラウマかな・・・。先日の、いつまで風邪を引いてるの?も、きつかったけど。 私は、子供達のことを一切、考えてはいけないのだろうか ?父のことしか考えてはいけないのだろうか?両方を何とかしようと考えるのは、大間違いで、親不孝者のすることなんだろうか?私はやっぱり、冷たい女なんだろうか? パラサイトだかなんなんだか、ずっと独身で、親のそばにいればよかったのかな・・・なんて、しまいには、ワケのわかんないことまで考えている・・・。母はよく、 子供は一人、そばにおいとかないと、いかん ! ! って、私に叫ぶしね。 ・・・・・いかん、いかん。思いっきりブルーだ。 どん底状態。明日こそは、浮上しよう。 なんとか頑張ろう。
December 14, 2005
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隣の奥さんと顔を合わせて、立ち話。 彼女のお父さんは、彼女が結婚する前に亡くなっている。そしてダンナさんのお父さんも、一年ほど前に亡くなった。だからこの人になら、話してもいいと思った。いろいろと、分かってくれるだろうと思った。私の父のことを。 いい話でなくて悪いけど、ちょっと聞いてくれる? 彼女は、親身になって聞いてくれた。全部しゃべった。父が癌であることも。容態がよくないことも。 私が一番聞いて欲しかったのは、母のこと。 母は私を責める。実家に帰れない私を責める。風邪を引いている私を責める。 母の要求には無理が多い。私が、長期にわたって帰省することを望んでいる。 子供がいて、それは無理でしょう? 向こうのお母さんが、ずっと面倒を見ればいい。 ・・・長期にわたってなんて無理だよ、そんなの。だいたいダンナの母は、ダンナの妹の子供の面倒を見ているのだ。共働きのダンナの妹の子供を。 娘をあまやかしている、あっちのお母さんがおかしい ! ! 母はそういって怒る。・・・もう、めちゃくちゃ。 それだけじゃないよ、問題は。子供だって、不安になる。母親のいない生活が長く続けば。 私は、実家とうちの行ったり来たりでないと、出来ないと言っている。 ・・・勝手にすれば。 明らかに怒った声。・・・胃が痛くなる。今日は、あんまりご飯が食べられなかった。 このすべての話を、隣の奥さんに聞いてもらった。 子供が小さいのに、人に任せて、 何日も家を開けられるものではないと、私も思うよ。 それは、お母さんが無理なことを言っていると思うよ。 でもまぁ、それだけお母さんも、 心がいっぱいいっぱい、ってことなんだよねぇ・・・。 彼女の言葉は、今、私が誰かに言ってもらいたかった言葉だった。すごく嬉しくなった。 母は、私を否定するから。 おまえのような冷たい女は・・・ ひとでなし・・・ 親を思う気持ちがない・・・ そんなことはないよ、と、誰かに言ってもらいたかったのだ。彼女に話してよかった ! !今、ちょっとすっきりした気持ちでいる。
December 13, 2005
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とうとう長男まで、ダウンした。 朝食が食べられなかった長男。熱をはかったら、37.2℃。 ・・・次男の胃腸風邪がうつった ! ?多分、おそらく。 小学校は欠席、医者に連れて行く。元気はまぁまぁいい。でも大食らいの彼が、赤ちゃんのご飯くらいの量しか、食べられないでいる。でも、吐かないだけましか・・・。 次男は今日、幼稚園に行った。今夜は熱も出ない。でもセキが出るようになった・・・。私が普通の風邪引いちゃってるから、今度はそっちがうつったかもしれない。 私の風邪は、そんなにはよくならない。鼻水が出っ放し。セキもでる。昨日は微熱があった。今日はないけれど・・・。 明日はどうなるんだろう ?いつになったら、みんな健康になるんだろう ?母が昨日、電話で言った。 あんた、一体いつまで風邪を引いてるの ? ・・・責めているのだ、暗に。大事な時に、実家に行くことのできない私を。母は、自分が苦しくなると、私のことを容赦なく責めてくる。 私がどんなに大変だったかなんて、聞く耳を持たない。まるで私が遊んでいて、風邪を引いたかのように責める。 私には責められることが、ストレスになっている。でも今この状況で、母に言い返すことは出来ない。母のつかれきった気持ちも分かるからだ。 私はいつ、父の顔が見られるのか・・・。先が全然見えない。
December 12, 2005
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母から電話があった。父の様態が、悪化したという知らせ・・・。 抗がん剤の治療中に、肺炎を起こしたらしい。抗がん剤が、効かないという。 今日、人工呼吸器を取り付けた。父はもう、しゃべることが出来ない。私が最後に聞いた、父の言葉はなんだっただろう ? 隣県に嫁いだ為、父と会うのはたまにのこと。こうして病状が重くなっても、子供もいるし、自由が利かなくて、まだ父の顔を、一度も見ることが出来ずにいる。 父と最後に会ったのは、夏休みの最後の日。8/31、車で、街中の駅まで送ってくれたよね。実家から家へと帰る為に、子供達と私、三人で、電車に乗った。 その時の見送りが最後。 ・・・おじいちゃんにバイバイは ? 子供達にそう言って、手を降らせた時、父も言っていただろうか?バイバイと。・・・よく、憶えていない。また元気な父に会えると、お正月に待た実家に帰れば、また元気な父に会えると、あの時は信じていたから。 母は、か細い声で私を呼ぶ。実家に帰ってきてくれと私を呼ぶ。でも今は帰れない。私は風邪を引いている。父にうつすわけにはいかない。次男も、夜だけまだ微熱が出る。・・・帰れない。 あと半年、医者が父の寿命をつげた。
December 11, 2005
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午前中に、長男を歯医者に連れて行かねばならなかった。次男はダンナとお留守番。 出かける前に、次男がクレヨンを探していた。 机の上で描いてよ! ! 何か絵を描くのだろう。うちの子達は、なぜだか床に寝そべって、お絵かきをするクセがある。下手すると、フローリングやじゅうたんに色がつく。何度も注意しているのだが、先日もホットカーペットに、赤のクレヨンで色をつけられてしまった。色を完全に落とすのは、なかなか大変な作業で、時にはしみとして残る時もある。だから机の上でと、今日は念入りに、釘を刺しておいたのだった。 なのに歯医者から帰ってきたら・・・ 赤と茶色とオレンジ色と・・・ちょっと前よりひどいじゃないのっ、このホットカーペット ! ! ! しっかりと、クレヨンの色がついていた。あんなにあんなに、注意しておいたでしょーがっっ。だいたい、一緒にいたダンナは、何を見ていたんだよっっっ。 俺? んなもん、見とらん。 ・・・・ぬけぬけと言ってくれる、ダンナ。(怒) あっそう、他人事ですか。 そーよねっ、アータがこれ、掃除するわけではないもんねっ。 そりゃ他人事だわねっっ。 ぷちっと切れた。それからは怒りまくり。クレヨンのことはもちろん、散らかり放題のリビングのおもちゃのことも、長男も含めて、子供達をしかりまくった。怒り出したら止まらない。片付けないおもちゃをゴミ箱に捨てたりして、子供達を泣かせた。 ・・・・これじゃ鬼ババだよなぁ。私の怒っている理由は間違っていなくても、怒りすぎたら、ただの鬼ババだ。 ・・・だめだぁ。疲れがたまっていると、私はこうなってしまう傾向が強い。 ダンナの留守中に、次男が病気をして、大変で、とうとう自分も風邪引いて・・・でも長男の歯医者があるし、ダンナの出張中の洗濯物は山のようにあるし・・・。休めなくてイライラが募る。なのにダンナは、自分だけのんびりしてる。せめて次男の行動くらい、チェックしててよ・・・。 怒るだけ怒った後で、自己嫌悪。そしたら、次男がぺたぺた背中に乗っかって、甘えてきた。さっきあんなに怒った、鬼ババ母さんなのに ・・・?こんなダメ母さんでも、この子は好きだと思うのだろうか ! ?なんだかますます自己嫌悪・・・。 あーあ、いつでも気持ちを大きく持って、子供に接することの出来る母親になりたいなぁ・・・。
December 10, 2005
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ゆうべの、車内げろ事件(なのか ? ^ ^; )のせいで、私はどーも、軽い風邪をひいてしまった模様。 朝から悪寒がするんだわ・・・ぞくぞくぞく。熱はないんだけど、気分はとっても悪い。そして鼻が、がんがん詰まっている。のどもなんだかすこーし、こそばゆいような感じで。・・・・風邪をひいたかな。 寒いのに、コートも着ずに、外で水仕事だったんだもの。そりや風邪も引くわなー。 外で水仕事・・・それは、車の中と次男の服の、げろを洗い流してたから。コートは、次男にげろをぶっ掛けられたから、着れなくなっちゃった。他のを出してくればよかったんだろうけど、その精神的余裕がなかった。もうとんでもなく、パニクっていたんだよねー、いやいや。 それに寝不足の状態で、無理したんだもんね。体力低下、風邪も引きやすい状態。ちなみに、疲れきっていたから、ゆうべはさすがに熟睡できた。 でもまだまだ眠いんだぁ。風邪で気分悪いし。長男が登校してから、しばらく寝てしまった・・・。リビングのホットカーペットの上で、毛布をかぶって。 次男はもう吐かないし、食欲も戻りつつあるけど、微熱が取れないので、今日は幼稚園を休んだ。 私は一度起きたけど、洗濯だけ干して、また同じように寝てしまった。なんと12時まで ! ! (汗)まだ掃除がしてないよぅ・・・。 でも、たくさん寝て、ちょっと体が軽くなった感じ。鼻づまりはすごいけど、悪寒は取れた。それだけでもずいぶんとラク。 次男はずっと、寝てた私のそばで、静かに一人で遊んでいた。いい子だねぇ。 寝かせておいてくれて、ありがと。 ・・・おそるおそる、車をのぞいてみた。ゆうべから、気になっていたんだよねぇ。暗いところで掃除したから、本当にきれいになっているのやら・・・って。 あーあ・・・げろのかけらが・・・まだまだある。 - -; ・・・ やっぱりね。でも、ギアの周辺に、散らばってるんだよね。こんなとこ、ぞうきんもなにも届かないんだけど。 狭くて。 仕方がないので、わたくしめの小指で、掻き出しましたでありますのことよ・・・ああ、もう日本語、変。(精神的錯乱状態におちいったとでも、思ってたもれー - -# ) これ、かわいいかわいい、わが息子殿の、お吐きになられたものであるからして、やれたのであるのだけれども、他人様のなら絶対できないっっ ! ! ・・・と、思うよ、私は。ダンナのでも・・・イヤかも。(苦笑) ゆうべひどかったにおいは、ファブリーズのおかげか、すっかり取れていた。ファブリーズ、ばんざーい ! ! でも、まじかでにおいをかぐと、シートベルトだけは、かすかににおうんだよねぇ。かすか・・・なんだけど。シートベルトって、取り外しできないよね ! ?出来たらいいのにー。ああ、洗濯機でザバザバ、洗いたいっっ。 ゆうべの次男のげろは、ほんのりオレンジのにおい。(変な話なので、気持ちが悪いと思われた方は、読まないように・・・)すっぱいのは、げろ特有のにおいだけど、それ以上に、すっぱ系のにおいがして・・・そう、アレはオレンジ。さっきのシートベルトも、かすかにするんだなー、オレンジのにおいが。 もしかして・・・と思って確かめてみた。次男の昨日の給食のメニューを。 豚汁、プリン、わかめご飯、春雨サラダ・・・・オレンジ。 やっばりね・・・。 あったわ、オレンジが。もう、キョーレツ。 - -; ・・・・・うつるかなぁ、私や長男に。私はちゃんとトイレで吐けるけど、イマイチ怪しい長男は・・・カンベンして欲しいなぁ。 さて、今夜は待ちに待ったダンナが帰ってくる。この惨事の一部始終を、機関銃のようにしゃべらさせてもらうしよう。(笑)
December 9, 2005
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次男が夕方から急に、吐き気を訴えるようになった。まだ一回も吐いてはいないけど、明らかに様子が変。元気がないし。 熱をはかってみた。 38.5 ! ! 結構あるじゃーんっっ。(汗)どおりで元気ないよー。もう5時を過ぎていたので、急いで小児科に向かった。6時で終わっちゃうもんね・・・。 こういう時、健康な長男まで連れて行かなければならなくて、とてもイヤだ。健康な子を、病気の子の集まりに連れて行くわけだもん。なんか病気を、拾ってきそうで・・・。 今日行った小児科は、家で待たせるには、ちょっと時間のかかるところ。片道、車で二十分のところ。・・・ね、家には、待たせておけないでしょう? 少し長めに車に乗っていたせいだろうか、病院の駐車場に車を入れている最中に、次男がなんと吐いた ! ! ビニールの中に吐いてーーーーっっっ。(汗) 念のため、ビニールを持ってきていてよかったよー。少し、服の上に吐いちゃったけど、ほとんどは、ビニールの中。びっくりしたけど、ホッ。 ・・・・でもにおうなぁ。 - -; 予想はしていたけど、胃腸風邪の診断。今、幼稚園で、流行っているらしいからなぁ。 帰りは車の中で、ぐったり眠っていた次男。熱が上がっているみたいで、病院にいる時から、ぐったり眠っていた。なのになのに、家に到着するすぐ手前で(あと300メートル)、カッと大きな目を見開いたかと思うと、また急に吐いたのだ ! ! ! アーーーーーーーーーーッッッッッ! ! ! ! ! ! (パニック) 今度は、ビニールがまったく間に合わなかった。また嘔吐物の量が、さっきよりずっと多い。 ・・・・・なんと表現してよいのやら。 次男、全身げろまみれー。私のコートもかばんも、げろまみれー。ジュニアシートもげろげろ・・・。ああ、床マットもね。一番ひどいのは、次男のしていたシートベルトだったかなぁ。 ・・・・車ごと捨てたかったわ・・・ええ、もう。 (遠い目) 一時間かかって、嘔吐物の処理をした。でも暗くって、ちゃんとキレイにできたんだか、正直わからない。明日の朝、車を見るのがちょっと怖いよ・・・。(苦笑)なにより、においが超きつい。もう、しつこいくらいに、ファブリーズした。 もうもうもう・・・・ふらふら。私、ゆうべ熟睡してないんたよーっ。何でこんな時、ダンナってばいないのよーーっっ。あーあ、あーあ、あーあ・・・・。(ふかーく溜息) 車の中では吐かないでよ、頼むから。
December 8, 2005
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今日は、長男の小学校の持久走大会だった。長男達二年生は、600メートルを走る。なんか少ないなーって思うんだけど、小学生なんてこんなものかな ?自分の時は・・・はるか昔過ぎて思い出せないんだよねぇ、これが。(笑) 長男は、運動神経がイマイチだ。はっきり、きっぱり、運動音痴というやつだ。・・・私にもろ、似ちゃったんだよねぇ。ごめんよー、長男。 - -; そんな彼の目標は、30位以内に入るということ。男子と女子に別れて走り、男子は四十数名いる。ていうことは、だいたい、2/3の中に入るってことだね。ま、そんなもんかな。彼が精一杯、頑張れる範囲って。 小学校まで見に行った。 よーい、スタート ! ! 先頭は、近所の幼馴染のA君だ。長男とは、とても仲がいい。足が速いということは知っていたけど、一番とは・・・すごい ! !五番目くらいにも、幼稚園で仲良しだったお友達がいた。うわぁ、みんな速いなぁ。彼らのお母さんも、見に来ていたが、ガンバレーと大声で、とてもエキサイトしていた。 うーん、仲良し君たちが、みんなとびっきり、足が速いとは・・・。劣等感みたいなの・・・感じないかな ? ・・・・・・感じないかも。長男、とってもマイペースだから。 ^ ^;負けん気なんて、これっぽっちもないしなぁ。それって果たして、いいんだか、悪いんだか・・・。 えーっと、うちの長男はどこを走ってる! ?きっと、真ん中よりちょっと後ろあたり・・・。あっ、まぁた、あのこってばぁっ ! ! 赤白帽子が浮いてるじゃん ! ! ! もおっ。 - -# 今日に限ったことじゃあ、ないんだけどね。彼は、赤ちゃんの頃からの帽子嫌い。帽子をかぶる、かぶらないで、親子喧嘩になったことは数知れず。 幼稚園の頃は、クラス帽子(赤白帽子のカラフル版)をきちんとかぶらない子で、いつも頭の上に、ほとんど乗せているだけだった。だから頭の上に、浮いているんである。それは今もそのまま、小学生になってからは、今度は赤白帽子が頭の上で浮いている。だから、彼の運動会や遠足の写真は、昔からいつもみっともない。これらの行事の時には、クラス帽や赤白帽子をかぶるからである。 ・・・だらしないなぁ。(溜息) 走りっぷりより、そっちが気になってしまった。他のお母さんも見てるし・・・。 あーあ。溜息をついている間に、持久走は無事ゴールで終了。 長男は、ぱっと見た感じ、30位・・・前後っぽかった。どうだったんだろ・・・きわどいなぁ。 終わって教室に戻る途中の長男が、私の前を通った。にっこりしている。小さな紙をひらひらさせた。 29位 そう、書いてあるっ ! ! やったじゃーん、長男! ! !目標達成、おめでとう。おかあさんは、一番をとった仲良しのA君のおかあさんよりも、よろこんでいたかもしれない。キミの29位は、キミにとってとても価値のあるものだと思うから。 来年も頑張れ ! !
December 8, 2005
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昨日・今日・明日と、ダンナは出張で留守。いつもは次男と私が、ベットで一緒に寝て、長男は、ダンナと布団を並べて寝ている。 でもダンナがいないとなると、長男がひとりになる。図体ばかり大きくなっても、まだまだ甘えん坊の長男。ひとりでは眠れないということで、ダンナの出張中は、三人で布団を並べて眠ることにした。いわゆる川の字ってやつ。 ・・・眠れん。 - -; 私が真ん中なんだけど、右からも左からも、お子様達が攻めてくるんだもーん。転がってくるんだよね・・・。布団にもぐりこまれたり、両方から交互にいろいろやられちゃって、目が覚めちゃう。 そのうち、それが癖になってしまったのか、なんにもされてなくても、三十分おきくらいに、目が覚めるようになってしまった。結局一晩、まったく熟睡していない。なんてこったい・・・。 ・・・緊張とかもあったのかなぁ ?ダンナがいないっていう。なんとなく。んー。 今夜も私、眠れないのかなぁ。・・・やだなぁ。 ダンナさーん(珍しくさんづけ・・・笑)、早く帰ってきて! !私が寝不足で倒れちゃう前に、お願い。(笑)
December 8, 2005
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長男が、おとついあたりから、せっせと新聞の切り抜きをしている。突然、急に、やりだした。一体、何を考えているんだかねぇ。テレビとかの影響をすぐ受ける子なので(選挙のあった日は、選挙ごっこをしていた・・・^ ^;)、教育テレビあたりで、そんなことをやっていたのかも ? ? ? B5の落書き帳を一枚破って、切り抜きをぺたぺた・・・。なにせB5だもんだから、小さな小さな切り抜きしかはれやしない。だからちょっとしたニュースばかりの、切り抜きなんだけど。だいたい、5センチ四方ぐらいかなぁ。ちなみに、切抜きを貼ったその紙は、見やすい所に、ぺたぺた張ってある。皆に見て欲しいのかなぁ、これ。 昨日、切り抜いたののなかには、野球のニュースがあった。清原選手を、楽天の池山コーチが誘っているとかなんとか。でも野村監督は、乗り気でないのかな ?池山は、ふたりがとりあえず会ってくれたらいいのに・・・と思っているらしい。なんのこっちゃって気もするけど、まぁ、ちょっとした小話ニュースだね。運動神経なんて全然ないくせに(私に似たせい・・・ - -;)、将来は、大リーグの選手になると言っている長男。こんな話題でも、野球は野球。だから切り抜いたのかなぁ。ふーん・・・。 そしておとついに切り抜いたのには、名古屋のバスが赤字で、百円の収入を得るのにいくらかかるのか、その数字をバス停に掲示したというニュースがあった。写真を見たら、わぁ、何処の路線か知らないけど、142円の掲示がしてあるよ~! !すっごい赤字。この赤字、どーやって解消するんだろーね。・・・にしても、お金にとても関心のある長男が、とっても好きそうな話題だわ。(苦笑) 何を考えてやってるんだか、まったくの謎なんだけど、彼の集めた記事は、新聞の片隅で、読み飛ばしてしまいそうな小さなものばかり。どれもたいした記事じゃあないんだけど、へぇそうなんだって、なんとなく思っちゃうというか、さりげない余談、ていう感じで、なかなか面白いよ ? これ。 さて、今日も長男は、せっせと切り抜くんだろうか ?今日は、どんなニュースを見つけるんだろう。なんだかちょっと、楽しみになってきちゃったかもしれないよー、こっちも。 ・・・ただね、ひとつだけ、長男にお願いがあるんだよね。 新聞を切り抜いて出たごみは、 ちゃんとゴミ箱へすててよねっ ! ! ! (床に紙くずがすごいのだ~ ) ・・・以上。 - -#
December 7, 2005
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まだとっても暑かった頃、9月のアタマに、キバナコスモスの色違いを、ひとつの鉢にまとめて植えた。 レモンイエローと、山吹色と、オレンジ色と・・・。黄色のグラデーションがとってもきれい。(9/3の日記を参照) 下の写真は、10月のもの。 つい先日まで、衰えながらも、キバナコスモスは咲いていた。だけど昨日の寒さで、いっきに傷んでしまった。もう、これでおしまい。でも3ヶ月も、咲いていたんだなぁ。わりと花期が長いんだね。 実は、キバナコスモスだけをまとめて植えたのは、今年が初めて。いつもは、他の花と一緒に、寄せ植えに使っていた。寄せ植えにすると、花期はあまり長くない。他の花に負けてしまうようで、1ヵ月もすると、弱って枯れてしまうことが多い。だから、こんなに長く咲かすことが出来るとは・・・ちょっとオドロキ。 ・・・いやいや単に、今までの私の育て方が悪かったのかも ? ? ? ちなみに、液肥を週一でやらないと、花が小さくなったり、オレンジ色などの濃い色の花は、花色が薄くなったりすることを発見。キバナコスモスは、結構肥料好きとみた。
December 6, 2005
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長男の小学校で、国語と算数の二学期のまとめのテストが、先日行われた。算数は大得意だが、国語はなんだかなぁ・・・の長男の為に、テストの前の数日間、私は国語の問題を作り、特訓を実施した。 国語・・・といっても、漢字オンリーのテストだ。漢字を読むのは得意だけど、書くのは苦手の長男。字が汚いうえに、雑な性格もあって、パッパッといい加減に書いてしまう。そんなだから、とめ、はね、はらい、なんてみーんないい加減。ほとんどあっているのに、ちょっとしたことでバツ・・・てなのばかり。 ひらがなでさえ、先日直されていたしなあ・・・。しかも作文のタイトルの次に書いた、自分の名前をだよ・・・トホホ。 合格点は80点なんだけど、ケアレスミスの連続で、下手するとやばいかも・・・で、特訓・特訓。 ノート3ページ分の問題作りを、毎晩した。学校から帰ってきてら、問題をやらせて、答えあわせ。 ・・・・・間違いばっかじゃんっっ。 もぉ、ちゃんとはねろーっ、はらえーっっ。 - -# 間違えた問題は、やり直し。ちゃんと直るまで、何度でも。厳しく採点してやったから、最後には半泣きになった長男。でも頑張ったよね。 だってだって、100点採ったんだもん ! ! 今日、テストが返ってきたのだ。国語で100点・・・ああ、夢のようだわー。算数なら見たことあるけど、国語は初めてなんでないかい ! ? おかあさん、すごーく嬉しかったよぉーっっ。 ^ ^ 私も努力したんだもんね。頑張って問題作ったんだもんね。眠かったけど、夜中に作ったんだもんね。なんだか自分が、100点を採ったみたいな気分。(笑) ちなみに算数はというと・・・86点。 なんでーーーーっっっ。 得意な算数で、なにやってんじゃぁーっ。 もぉ、もぉ。 ・・・あれ、一学期のまとめのテストの時も、こんなじゃあなかったっけ ?今度は、算数もちゃんとやらないとって・・・思ったんだよなぁ。 あの時。すっかり忘れてた。(苦笑) ダメじゃーん、私。 ^ ^;
December 5, 2005
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出そう出そうと思っていたクリスマスツリーを、やっと出すことが出来た。雑用がいっぱいあって、なかなか出来ずにいたのだけれど、休みの日に、子供達に手伝わせたら、早い早い。あっという間に完成 ! ん~、まともに手伝えるようになったんだねぇ、キミ達も。大きくなったねぇ・・・しみじみ。 このクリスマスツリーは、長男が生まれた年の、クリスマスシーズンに買ったもの。3月生まれの長男は、つかまり立ちとつたい歩きの頃だった。 これはその時の思い出話。私がコタツ机の上にツリーを置いて、飾り付けをしていると、つたい歩きで、長男が近寄ってきた。長男が横から手を出しまくり、ツリーにつるしたばかりの飾りが、次々と落下。触っちゃダメ~と、言い聞かせつつ、根気で何度もやり直し。苦労の末、やっとカンセーイ。さて、初クリスマスツリーと長男を、ビデオに撮らねば(親ばか ^ ^;)・・・・・え゛っ。 ぶちっ。 キンキラのモールが、音を立ててちぎれた。長男の手の中に、20センチほどのモールの切れ端が・・・。 がーん。 T T ちなみに長男の犯行現場(?)は、もろ、ビデオに収まっている。(笑) 懐かしい懐かしい思い出。毎年、クリスマスツリーを飾るたびに、私はこのことを思い出す。小さな小さな赤ちゃんだった長男を、懐かしく思い出す。 あのモールをちぎってしまった小さな小さなキミの手も、ずっとずっと大きくなったよね。今年はその手で、飾り付けの手伝いが出来たね。 本当に、大きくなったね。
December 4, 2005
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昼に、家族でファミレスに行った。がら空きの状態だったので、すぐに席に通してもらえると思って、名前も書かずに待っていた。ウエイトレスのお姉さんは、レジで会計をしているところ。終わったら、席に案内してくれるはず・・・。 しかし、私たちの直後に来た他の家族連れは、ちゃんと名前を書いて待っていた。この空き具合で書くとは、なんて律儀な・・・。 ウエイトレスのお姉さんの手が空いた。お姉さんは、引きつった顔をしている。 すみません、お名前を書いてお待ちくださいませ。 えーーーーっっっ。(ガーン) 後から来た家族連れに、抜かされちゃったじゃーんっ。律儀に書かなきゃいけなかったのね・・・。でもこんなにすいてるのに! ? 待てども待てども、一向に名前を呼んではもらえない。お姉さんはバタバタ動き回っている。相変わらず、引きつった顔のまま。よーく見てると、とっくに帰ったお客さんのお皿も引いていないし、オーダーを全然取に来ないと、怒っているお客さんもいた。料理が出来上がるのも、どうやら遅れているらしい。 ・・・店員が少ない? おそらくは。ウエイトレス、ウエイターさんが三人だけ。コックさんが二人。土曜日のお昼時に、これはきついよなぁ。お姉さんの顔も引きつるわな、これは。 しかしすいているのに、三十分も待たされたのには、ちょっと閉口した。目の前に、空いている席がたくさんあるのに、待っているのって・・・ねぇ。子供達がここがいいといって譲らないので、待っていたけど、他のところに変えたかったよ、本当は。 待ちに待って席に通されても、やっぱりオーダーをなかなか取りに来ないし、時間がかかったあげくに、やっと料理が出て来たと思ったら、まだ、はしやスプーンなんかのセットが出来ていない。ダンナの頼んだ和食のセットにつくはずの、漬物も忘れられている。極めつけには、もう食べ終わったのに、紙がないのだ。お勘定をしてもらう、あの紙が。 ・・・払わんぞ~、お金。 - -# 完全なる人手不足。だれか急に休んだのかな ?それとも人件費削減! ? でも、お客には、中の事情なんて関係ないもんね。こんなにパニクっているなんて、お客に失礼だと思う。もう二度と行かないって思っちゃったよ、あのファミレスには。
December 3, 2005
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いつもいつも、あと二・三日でお正月・・・といった頃になって、大慌てで大掃除をすることになる。年末は、子供もダンナもいて、昼ご飯の仕度もあるし、かえって時間があまりない。子供やダンナも、掃除を手伝ってはくれるけど、長続きしないんだよね。ちょっとやったら、また明日ーだもんね。でもって、明日ちゃんとやってくれるかというと、怪しいし。あまり、あてには出来ない。 で、今年は少しずつ、前もってやっておくことにした。分割で大掃除、ってわけ。去年もちょっと、そんな感じでやってはみたのだけれど、始めたのが12月の半ばだったから、段々と日程がつまってきちゃって、結局、大晦日までバタバタしてしまう、いつもとあまり変わらない感じになってしまった。だから今年は、12月に入ったら、すぐに始めることにした。 早速、昨日からやっている。一階のレースのカーテンを、全部洗濯した。今日は、二階のカーテンも。カーテンレールのほこりも拭いたし、二階のエアコンの掃除もした。ああ、一階のエアコンもやらないと・・・。 あとは風呂掃除。浴槽の裏とでも言うのだろうか。パカッと、浴槽の横カバーをはずすと、浴槽の裏部分があらわになる。結構カビてて、汚いのだ、ここって。ゴシゴシこすって、カビ落とし。 昨日と今日で、すっごく働いたよー。午前中は、ほとんど掃除に費やした。まだまだ、窓ガラスも拭きたいしねぇ・・・。まぁ、ぼちぼちと。 しかし家事って、真面目にやると、すごく時間がかかるよなぁって、再認識。主婦は、これを無給でやっているのだ。しかも頑張ってやっても、やって当たり前ぐらいにしか思ってもらえないし・・・。ていうか、やったことすら気づいてもらえていないかも・・・。むなしいなぁ・・・って、最後は愚痴?(苦笑)
December 2, 2005
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ルピシアが、今年のクリスマスティーの新作として出したのが、ジングルベルという名前のフレーバードティー。 なんとこの紅茶、ヨーグルトと柑橘系の香りがする。ルピシアいわく、ヨーグルトは雪のイメージで、柑橘系がベルのイメージなんだそーだ。ヨーグルトの雪はまだしも、柑橘系がベルって、一体とこが ! ?ちょっとわからん~。 この紅茶、缶のふたを開けると、強烈なくらいに、ヨーグルトのにおいがする。香りだなんて、生易しいもんじゃあないのよ、アレはもう、におい。ぷんぷんにおう。紅茶の茶葉の香りなんて、どこへやら・・・。柑橘系の香りもするので、そう、オレンジ入りヨーグルトみたいなもん ! ? かも。 オレンジ入りヨーグルト・・・思い出すなぁ。アレは切迫流産で、入院していた時のこと。長男の時も次男の時も、私は切迫流産になり、一週間か十日、入院をしていた。いつも妊娠五週目くらいから、切迫流産になってしまう為、つわりの始まりと重なっていた。食べられるものと、食べられないものが出てくる時期でもあるし、困らないようにあらかじめ私は、いろいろな食べたいものを病院に持ち込んでいた。そのなかのひとつが、オレンジ入りヨーグルト。酸味のあるものって、食べやすかったのだ。 缶を開けて、ジングルベルの香りをかぐと・・・・・思い出すのは、切迫流産での半寝たきり安静入院生活。 ^ ^;ダメだー、クリスマスノイメージなんて、ドコヘヤラ・・。 今朝、ジングルベルを初飲みしてみた。んー、マミーの紅茶版みたいな味 ! ?やっぱりすごくヨーグルトだよ、これ。まずくもおかしくもないけどね、でも、なにも紅茶にヨーグルトの味をつけなくても・・・と私は思うけど ?どーなんでしょ。 個人的には、去年の新作、ホワイトクリスマスが、ルピシアのクリスマスティーの中では、特におに入り。 ^ ^dこれは、ホワイトチョコの焼き菓子のような味の紅茶なんだけど。
December 1, 2005
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