キリスト教カルトを斬る

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TERA DREAM

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2007.01.08
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 1983年から1988年まで、児童(被害者)への性的虐待行為を続ける。
 1988年以降、PTSD発症

 2001年4月 4日 M主教に被害者の父親が被害手記を渡す。
         5日 翌日、父親は被害者が入院中の病院からH司祭(加害者)に
          PTSDによる自殺未遂を電話でつげる。H司祭は婦人と共に
          病院に駆けつけ、病院の廊下で土下座して詫びる。
         6日 M主教はH司祭に辞表を書かせ、H司祭に退職させると父親
          に告げる。

        18日 主教が退職撤回、常置委員会でもそれを決定。
            理由は「事実無根」
      7月 9日 奈良地裁葛城支部へ損害賠償と慰謝料請求を提訴

 2004年9月30日 奈良地裁判決、原告敗訴
     10月14日 大阪高裁に被害者が控訴
 2005年3月30日 大阪高裁判決 原告(被害者)勝訴
      4月15日 被告(加害者)最高裁に上告
      7月19日 最高裁は上告棄却を決定

      9月初頭に3人の女性が自分たちも被害を受けたと教区に訴え。
         5日 H司祭は金沢聖ヨハネ教会を自主退職。
     12月 9日 教区が奈良県庁で謝罪記者会見。

           処分を発表。

 H司祭は、最高裁の上告棄却が決定されてからも、教会の牧師、ウィリアムス神学館教授、教区常置委員長を続けていました。しかし、3人の女性からの訴えが教区に対してあり、さらに4人の女性からも被害があったことを告げられ、「教区がやっと対応の誤りに気づき原告被害者と他の4女性に謝罪」したとのこことですが(「考える会」の時系列資料から)、この時にいたってもH司祭は「事実無根」であると主張し続けています。
 事件が発覚した2001年当時のM主教は2003年に退職し、2003年9月6日以降は、新しくT主教が就任しています(現職)。

 2006年5月9日に、「考える会」の方がお会いした司祭は、「審判廷には当事者の両者を呼び聖堂内で公開でするという規定があるので、この種事件ではプライバシー保護の観点から無理である」とおっしゃったそうです。しかし、日本聖公会法規第二〇九条第二項では、「行為の被害者を保護するために必要であると判断したときは、審判を公開しないで行うことができる。」とされているとのことです。

 2005年9月5日にH司祭が自主退職した後、12月9日の謝罪記者会見までの間に何があったのか。皆さんには見えてきませんか?テレビのドラマ、それも刑事物のドラマのような筋書きが見えてきませんか?


   9月 3人の女性が性的虐待の被害を受けていると訴え、
  12月 更に4人の女性の被害者が現れて、教区が謝罪記者会見。

 もちろん、日本聖公会の主教や司祭が「法憲・法規」を読んでいないことは事実でしょう。ほとんど関心がないと思います。私の友人の履歴書を「読む義務はない」といって読まなかった責任を、いとも平然と「期間未了」発言をした司祭に帰してしまったくらいですから、組織に関する議論など出来るはずもありません。
 9月から12月のほぼ3ヶ月の間に、何があったのか。
 そして、その後も主教や常置委員だった司祭が、被害者に謝罪していないのです。もちろんH司祭も謝罪していません。

 もし私の脚本が事実だったら、日本聖公会は中世封建社会の宗教組織であると言わざるを得ないと思います。中世の領主の下で、教会はどのような立場をとっていたでしょうか。イギリスにはいまでも貴族がいます。そして、ダイアナ元妃の交通事故が、意図的に引き起こされたものである可能性が、最近になってまた浮上してきています。 





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Last updated  2007.01.08 19:23:27


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