キリスト教カルトを斬る

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TERA DREAM

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2007.01.22
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 明らかに悪事が行われているにもかかわらず、そしてその悪事を見逃そうとしたことも含めて、日本聖公会は被害者に対して謝っていません。それどころか、その謝っていないことに関して質問し、謝るように勧めている人々に対して「聖公会を潰す気か?」と大声でおっしゃったそうですが、何故なのですか?
 教会は正しいことだけをしてきたのでしょうか。教会はいつも正しいのでしょうか。聖書は、教会はいつも正しいと語っているのでしょうか。私にはそうは思えないのです。何が正しいのかを主に聞くことは出来ても、自らの判断が常に正しくなることは、例え司祭や主教であっても不可能なことです。日本聖公会がそのことをご存知ないはずはないと思っています。

 H司祭による児童への性的虐待、司祭であろうが主教であろうが、あるいは一信徒であろうが、あってはならないことであることは誰にでもわかることです。にもかかわらず、日本聖公会はH司祭による児童への性的虐待だけでなく、主教による使途不明金事件やまったく理解できない土地売買に関しても沈黙を守られてきています。それだけではありません。東京教区では使途不明金を出した財務主事を刑事告発しているにもかかわらず、主教による使途不明金の問題に関してはまったく沈黙していらっしゃいます。あるいは、沖縄教区での理解できない土地売買に関してそれを記事にした聖公会新聞の編集長を、圧力をかけて解雇されてしまいました。私も、あの編集長だった方の書かれた文書を読ませていただきました。
 市街化調整区域の土地を、常識では考えられない価格で買い取りましたよね。そしてその土地は傾斜地で、有効に利用できる土地は限られているそうですね。一体何故そのようなことをされたのか。そしてそこことを問題にしようとされた方々を排除されたのですか?

 ここまでならば、司祭や主教の個人的資質の問題として考えることも不可能ではないのですが、日本聖公会はこれらの問題に関して一切沈黙されてしまいました。信徒の方々さえも、多くを語ることが出来なくなっているのではないでしょうか。何故信徒の方々を黙らせることが出来るのか、私には不思議でなりません。信仰は、司祭や主教を信じることではなく、主イエスキリストの出来事を通して私たち人間が救われたことを信じることなのではないでしょうか。司祭や主教が人間を救うわけではありません。聖書はどこを読んでもそのような答えは出てきませんし、ローマ・カトリック教会が主張する教会の伝承の中にもそのような理解はないと思っております。
 何故、H司祭を審判廷で裁かなかったのですか?日本聖公会の法憲法規では、審判廷でなければ裁けないことになっているのですが。知りあいから法憲法規を見せてもらいました。第197条に「日本聖公会に所属する教役者または信徒は、この法規その他の日本聖公会の法規に基づく審判廷の審判によらなければ、懲戒されない」とはっきりと記されていますよね。にもかかわらず、審判廷を開くことなく、H司祭を陪餐停止にしてしまいました。このことも、法憲法規から逸脱していませんか?
 聖職の陪餐停止は、「職務の一部停止または停職を受けた聖職」に自動的に科せられることが、法規第201条第5項に規定されています。審判廷は聖職に対して陪餐停止を科すことは出来ません。一昨年の暮れに出されたH司祭の陪餐停止は、法憲法規上無効ではないのですか?
 それ以前に、なぜH司祭を審判廷で正式に裁かなかったのですか?

 ここにも大きな疑問があるのです。そもそも、司祭按手はサクラメンタルなものですから(法憲法規では「サクラメント」になっていません)、取り消すことは出来ません。そこで、H司祭が日本聖公会を離脱すれば、H司祭が聖奠を執行しても日本聖公会はそれを止める権利はないのです。そして、その離脱した状態で、外国の聖公会がH司祭を司祭として受け容れることは十分に可能なことになります。そして、ほとぼりが冷めたらどこかの教区の主教として迎えることは、法的には可能になります。

 私の知りあいは「そこまで頭が回らないだろうが」と言っていましたが、私が存じ上げている方々であれば、それくらいのことは十分にお考えになられます。
 そこまでしてもご自分たちの立場を守ろうとする、その理由は何なのですか?

 以前にも書きましたが、性的虐待に関しては日本聖公会に限ったことではありません。セクハラということも含めれば、私はいくつもの事例を耳にしてきました。それだけではありません。キリスト教の聖職による不倫さえ耳にしてきました。それも、関係者の証言を得ています。
 奥様以外の女性のところで生活をし始めた大学のチャプレンの話も聞きました。仕事の関係で知りあい、同労者であった複数の女性と関係を持ってしまった結婚されている牧師の話も被害者のお母様の文書を読ませていただきました。

 何故、それぞれの教派はそれぞれの立場で罪を裁かないのですか?
 犯罪者に対する刑罰は教育であるという立場を守り通してきたのはキリスト教会ではないのですか?だからこそ、死刑廃止論を盛んに論じていらっしゃったのではないのですか?死刑廃止論といえば、学術研究のために「沈黙の一年間」を過ごしていた私の知りあいに対して、死刑廃止論に賛成して一緒に行動しないという理由で、私の目からするとイジメにも等しいことをされていましたよね。あの方々は皆さん日本聖公会の聖職になっていらっしゃるようですが、何故あなた方は審判廷の開廷を申し出ていないのですか?
 被害者の人権を無視されるのですか?

 私の知りあいのブログからこのブログへお出で下さった方々の中には、キリスト教以外の方々もいらっしゃると思いますが、皆様はどのようにお考えでしょうか。宗派の組織と傷ついた檀家とどちらを選ばれますか?
 悲しいことです。本当に悲しいことです。
 日本聖公会の聖職の方々は、教区からの給与以外にかなりの収入があるそうですね。田舎の小さな教会ではそれが少ないそうですが、都会の大きな教会になると副収入がかなりあるそうですね。もちろん確定申告をされていらっしゃるでしょうが、税金も高額納税者になっていらっしゃいませんか?





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Last updated  2007.01.22 23:07:21


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