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今日は寒くなりました。松本もちらちらと雪の舞うところもありましたが、地に着くまでに消えてしまいます。北部地方は降っているようです。
2006.03.30
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風越城跡(仮称):長野県四賀村四賀村誌の364ページ第133図「四賀村の城館・城館砦の分布」に、名前は書かれていないが、お城マークが二箇所書かれている。このお城マークについて、村誌には何の記載もない。場所は、殿城山の辺りと風越峠の近くと思われる。四賀村では城跡に「○○城跡」の漂柱が立てられている場合もあるので、とにかく行ってみることとした。殿城山には以前行っているので、今回は風越城跡に向かう。四賀村から本城村への道、風越トンネルから風越峠に登り、境界に沿って行き、右折して本城村側にいくと、地形図にある1034m標高点がある。ここが、お城マーク地点と推察される。お城の遺構らしきものは見受けられない。ここからは虚空蔵山城、花川原峠、唐鳥屋城が見えることから、連絡用の烽火台があったのかも知れない。
2006.03.30
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魯桃桜は松本では中央図書館にあります。ピンクと白の二本、今満開です。知らなかったのですが、木に札がついていて、魯桃桜の名を知りました。早咲きのサクラかと思っていましたが、そうではないようです。魯桃桜についてはこちらに説明があります。http://www.frc.pref.nagano.jp/mini/mini31.pdf
2006.03.30
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四賀村方面の山に行った際によく利用する温泉、松茸山荘の宿泊者用の各部屋に山の名前が書かれている。城山、戸谷峰、虚空蔵山、大石山である。大石山だけが知らない山だった。はて、大石山は?、そんな山があったっけ。と、思っていたが、ある日、四賀村誌を見たら、そこに大石山、標高1322mとの記載をみた。地形図でみる限り、四賀村の山で標高1322mは、本郷山以外には見当たらない。標高1321.9mの三角点ピーク、点名「本郷山」が、四賀村では大石山と呼ばれる山でした。 http://www.shiojiri.ne.jp/~iti/2005112800.html
2006.03.29
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会田氏の支砦で、会田斎田原の西側、五常小学校の南方に会田川をへだててある。富士山形の小砦であるが遺構を存ずる。:四賀村誌松本市、国道19号線、明科町「東栄町」の信号から県道302号線で四賀村へ。大木戸バス停まで。地区の施設に駐車場あり。バス停大木戸、斜め前の畳屋さんから会田川に下り、法音寺下橋を渡り法音寺集落へ。集落の最奥、サイトのある後ろに神社あり。神社裏の竹林を登る。平地に出ると、そこに法音寺跡の白柱。植林地を抜けると、小社と石祠のある作業道終点。石祠から尾根を登る。急坂を真っ直ぐに。展望も開け、笹沢城跡に着く。曇りで北アは見えず。下に五常小学校と長野道が見える。反対側の尾根に堀切あり。良い道がある。ほぼ目の高さに、大きな建物が見えるので、正登城道は斎田原からと思われる。タンポポが咲いていた。
2006.03.29
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ベロニカ草春一番、里に咲く花と言えばこれ「おおいぬのふぐり」。そろそろ大群落にお目にかかる時期になりました。畑の斜面などに一面に咲いている、それも範囲が広いと、目をみはるものがあります。ただ、どこどこで「おおいぬのふぐり」が見ごろとなっています!。なんて、報道されることのない花でもあります。青のきれいな可憐は花だが、名前がちょっと悪い。外来の花で、外国では「ベロニカ」の名があるそうです。
2006.03.28
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うつつ城は、別名、現城・現の砦と言われる。四賀村から立峠への道を行き、岩井堂集落の外れで、道が中央分離帯になる地点がある。ここに岩井堂沢にかかる橋がある。車は道広部に置ける。橋を渡って竹やぶに入る。抜けると広々とした山腹にでる。右手よりに登ると尾根に出る。右に下れば尾根先にあるお寺に出ると思われる。左折して尾根を直進すると、うつつ城跡につく。正面に虚空蔵山が見える。点名、岩井堂の4等三角点がある。搦手側に行くと右下から巡視路が合流する。少し先に鉄塔があり、左に虚空蔵山登山道がある。つまり、1.うつつ城跡へは、虚空蔵山花川原林道コースを登ってきて、巡視路の道標から、右に折れ、尾根を下ると城跡である。2.次に、グランドから林道虚空蔵線を300mくらい行くと、左山側に巡視路道標がある。ここを登って、尾根に出たら、尾根を下ると城跡である。3.更に尾根先のお寺から尾根を登る。4.そして、今回の竹やぶ口。(3.のコースの短縮コースともいえる)の四ケ所がある。1.2.は登山道と巡視路だけに道は良い。
2006.03.28
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ダンコウバイキジムシロ今日、3輪ほど見ました。里山では、この花も咲くようになりました。
2006.03.27
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今日、松本市内で、初めて咲いている桜をみました。魯桃桜(ろとうざくら)というサクラの種類です。松本城の開花はまだです。
2006.03.26
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会田氏は、四賀村方面に勢力をはった一族だったが、天文22年(1553)4月、武田勢の火攻めにより、降伏して武田氏の家臣となった。信玄に「命は助けよう、領地も今まで通りとする。そのほうの働きによっは・・・・じゃ」なんて言われたことでしょう。となると、家名存続のため、武田の一武将として、信濃守護の小笠原氏など反武田方を攻撃することになる。つまり、昨日の主君や友を、今日は敵として戦わざるを得なかったのである。武田がそのまま栄えれば、会田氏も安泰だったかも知れない。ところがぎっちょん、頼みとした武田氏が滅亡してしまったのである。県外に亡命していた小笠原氏が、信長の支援も受け松本に復帰する。となると、風向きは一変。「よくも、あのときは。にっくき会田め、根絶やしにしてくれる」と、今度は小笠原氏の攻撃を受けることとなった。天正10年 (1582)、本城は落城し、最後はこの覆盆子城で滅亡したのである。会田氏につき従った一百姓も、同様の運命をたどってであろう。戦国時代の世のならいとは言え、悲しい物語でもある。その点、真田くんは良く立ち回ったもんだ。
2006.03.26
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召田城(別名:矢久城・覆盆子城・一期城)会田城の支城で、天正11年小笠原氏の進攻に対して急造した新城で、別名を覆盆子の城という。覆盆子(いちご)は一期(いちご)をとげるの一期で、会田氏一統の亡びた城である。この城は会田城より小県郡に近いため小県方面への退避を予定しての築城と思われる。:四賀村誌国道143号線、四賀村召田の交差点を山側へ、少し行くとバス停本村がある。その先、右手に見える一軒家への道がある。この家の屋号は「いちご」だと聞きました。いちごさんから少し行くと、召田家の墓地があって、その後ろに、止め山の張り紙のある細い尾根道があるのでこれを登る。かなりの急坂だが、止め山テープに沿って登れば覆盆子城跡に着く。搦手がわの尾根を行くと平地があり、長越集落からの道と思われる道?があった。もしかして、これが、一般的な登城道ではなかろうか。その反対側は、昔、作業道だったのかも知れない、と思える道の跡があった。更に尾根を登ると、地形図にも記載のある「四阿屋山神社」に着く。
2006.03.26
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荒神尾城跡〔別名〕七嵐城:長野県四賀村(現松本市)正式な読みが分かりません。「あらかみお」「こうじんお」でしょうか。四賀村に数ある山城の中で、規模も大きく、郭の遺構も良く残っています。本郭には石祠と松の大木が17本ほどある。この松は、麓の化石館や7-11からも見えます。もっとも、知っていればの話ですが。さて例によって、登り口が分からず、上宮集落~作業道終点から伐採地~上手山尾根に出て、行きがかりで、一旦この城がある尾根の終着点、点名上手山(わでやま)の三角点まで登り、上手山尾根を下って城跡につきました。つまり、搦手側の登城です。城跡訪問だけなら、わざわざ上手山を経由することもないでしょう。帰りに城跡から下ったところから、登ったとしての道順は、以下の通りです。四賀村化石館~錦部小学校~上宮集落~上宮砂防えん堤~作業道終点。(ここまで車が入る)。作業道終点から右折して、急斜面の山に取り付く。目印、道はなし。後は真っ直ぐに、上を目指して登る。外れていなければ、塩ビの杭が目に付くでしょう。やがて上方に巨岩が見える。この巨岩を巻くと、すぐ上が城跡です。作業道終点まで車で行くなら、ここが最短時間で城跡につける場所でしょう。さて、正しい登城道ですが、錦部小学校から右前方の沢を渡ると、そこに子供の遊び場がありました。緑の林で神社もある。そこから、山へと入っている道がある。もしかして、ここが正しい登城道でしょうか?。ご存知の方、教えて下さい。機会あれば確かめて見たい、と思っています。なお、枝打ち作業のあとはあるが、上宮集落の尾根末端にある神社からの道はありません。
2006.03.23
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この城の情報は少ないが、松本市の資料には「入山辺宮原部落の南上方小高い山頂」と書かれている。これと、地形図を頼りに城跡探訪に出かける。以前、南原集落の南原神社から出発して、集落内の最上部の家から登れるのではないか、と向かった事があった。だが、そこはどうも駄目そうだ。その際、「もしかしてここかな」と見込みを付けていた地点から取り付くこととした。南原の集落内には入らず、そのまま車道を行くと、一軒家のところに路側帯の標識がある。車は路側帯に置き、路側帯の手前から山側に入る。畑の上部で右手に登る。急坂で細いが、道あり。登りつくと、もしかして館跡か?と思える、平地に出る。そのまま直進する。(帰りに分かったことだが、ここを右折すると、尾根の末端で下に続く、良い道がある)山すそを巻く平坦な道だ。少し行くと右手、山側前方にケヤキの大木がある。根方に社が祭られている。この先、行っても取り付き点は無い(確認済)。ケヤキから右に折れ、急坂を少し直登する。直登は無理なので、右山腹方向に逃げ、尾根方向に向かう。尾根に出ると、そこは小さな平地で、帯曲輪?のような地形である。左折して、後は尾根を一直線に登る。数段の帯曲輪あり。とにかく真っ直ぐ登る。堀切を経て本郭に着く。素人にも城跡と分かる地形であり、何の表示もないが、ここが本郭に間違いない。本郭の石垣は崩れていた。搦手側に数条の堀切あり。尾根の先を確認のため、さらに尾根を登っていくと、送電線鉄塔の巡視路道標の所に出た。巡視路は右下から合流している。この先の尾根道は、巡視路だけに良い道である。ここで、Uたーん。帰りは、城跡から尾根を真っ直ぐに下った。思ったより多くの帯曲輪が確認できる。帯曲輪らしきこれは、ずーっと下まで連続して続いていた。降り立った地点は良い道だった。「もしかして館跡か?」の平地の近くに出る。さて、もしかして正しい登城道を確かめるため、この良い道を下った。下に行くとヤブっぽくなったが、出た地点は会社の施設、金網の裏だった。路側帯標識の手前、200mくらいの地点だった。ケヤキの大木からも尾根末端からも、登城道と言えるような、鮮明な道はありません。宮原集落にも、福寿草が咲いていた。王ジャパン世界一。北海道雌阿寒岳噴火。
2006.03.21
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本日快晴、ポカポカ陽気、城跡帰りに福寿草見学でした。そして、温泉。四賀村の福寿草は、今、目いっぱい咲いてました。あの遊歩道のある群生地(この時期、臨時の有料駐車場\300)でなくとも、民家や山すその土手でいくらでも群落を見る事ができました。---仙の倉でも9人が遭難、救助待ちとNHK7時のニュースがあった。こちらも心配だ。
2006.03.20
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四賀村保福寺町にある山城です。読みは「そうば」でしょうか?「かやば」でしょうか?他に保福寺城・見当城・掛ケ上城の別名があります。 一般的な登城道は、保福寺町公民館の前から山側に分岐する道があり、そこを入ると山裾の車道に出る。(広い道、車はここに置ける)。民家の左側、沢の左岸に沿って真っ直ぐに行く。沢にかかる橋は渡らずに、沢の左岸をそのまま行くと堰堤があって、そこを右折する。右山腹道を少し登ってから直登で、掻場城跡です。石垣や空堀が残る。尾根末端から、直登しても行けるが、急斜面であり、道はありません。
2006.03.20
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王さんと握手したことがある。もう、うん十年も前、王さんが巨人の現役だったころだ。世界の王の手は、がっちりとした大きな手で、力強さを感じた。俺は言った「優勝してください」と「がんばります」との答えだった。俺は、別に巨人フアンでもダイエーフアンでもない。どちらかといえば、中日フアンだ。昔、中日に葛城さんがおられたころからだ。が、今回の王さんチームは応援していた。昨日はTV 観戦。なかなか点が入らぬ、いらいら状態。そして、福留のホームラン。やったー、よーし、よーしよし。これで、すっきり。明日も応援するぞ。山の話ではないが、これだけは別だ。
2006.03.20
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やったー、福留!!!これが書かずにおられよか
2006.03.19
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長野県武石村(現上田市)沖地区ある小山(四等三角点:点名:小山)ですが、先日、行った際、山頂に城跡らしき地形があったので「もしや」と思い、調べてみました。やはり、城跡でした。標高676mの山城。小縣郡史には「天文11年10月武田晴信大門峠に於いて、村上義清と激戦の際、勝に乗じて長窪を焼き、小山城を攻む。晴信入信以来第11番の落城とす(甲陽軍鑑武石沿革史)屋敷の址は山麓東南に在り」とあります。登城道は、武石村(現上田市)沖のバス停「中沖」から諏訪神社、神社脇から山道があります。
2006.03.17
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このブログのカテゴリーに「城跡」を設けました。・知らずに行ったら城跡だった。・なになに山は城跡だ。・こんな城跡がある。・登り口はここだ。・どこどこ城跡に行ってきた。・こんな歴史の城跡だ。・城跡の伝説。・登り口はどこ。・登城の道はどお。・どんな城跡。などなど、城跡の情報の場として活用して下さい。
2006.03.17
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武石村(現上田市)のふくじゅそう見に行ってきました。見ごろです。早朝に行ったが、うっすら雪あり、花はなし。開いていたのは一輪だけ。早かったか、と思ったが、地元の人の話ではもう一時間もすれば、雪はとけ、一面まっ黄色になるとのこと時間つぶしに、近くの三角点探訪再び群生地、お話どおり、山腹一面まっ黄色ふくじゅそうには、咲く時間帯がある。午前10時から午後3時ころ温泉の割引券ももらえます。残念、今日は休館日だった。
2006.03.16
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プーさんのツメキズか?木に登ったクマが、降りる際に、地上近くでツメでブレーキをかけると、このようなキズがつくらしい。らしい、というには私にはこれ本当にクマ?との疑問があるからである。俺が見たクマは頭から飛び降りた。最も登った高さにもよるだろう。里山では新旧、取り混ぜこのようなキズを良く見る新しいと、やはり不安。キズは深いので大型動物には間違いないだろう。キズは地上近くにつけられている。シカ、イノシシとも考えられる。このようなキズが、すべてクマなら松本市周辺の里山にはクマがいる。又はクマがいた。ことになるのだが、その割りに、目撃情報がない。どなたか、はい、それはクマです。と判定できる方いませんか。
2006.03.14
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画像は、数年前ですが、武石村のフクジュソウです。今朝の松本は、車の屋根で約1cmの雪、今はやんでいます。すぐに解けるでしょう。松本近辺の福寿草の群生地では、辰野町、四賀村(現松本市)、武石村(現上田市)が知られています。武石村も見ごろになったとの報道があったので、見に行きたいと思っています。
2006.03.13
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昨日、松本はポカポカ陽気の17.6度、小日向にある三才山城跡を探しに行く。見当をつけて尾根を登る。山頂には、素人でも山城と確認できる遺構があった。下山後に気づいたのだが、何と、集落内に登り口の案内があった。こちらが正しい登城道である。今年初めて、フキノトウを見る。三才山砦は小日向の東側の山頂に位置する。ここも赤沢氏の領地内なので、赤沢氏の要害とされる。山頂に東西約44m、南北約13mの主郭と、それを取りかこむ長い帯郭が残っている。:松本市誌
2006.03.12
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県庁から桜島が見えなくなるマンションが建つと、県庁から桜島が見えなくなる。てんで、県知事が、「桜島は象徴だ、そりゃまずい」とマンション建設予定地を税金で購入する計画をしているんだそうである。なんでも県は、県民1人当たり90万円を超える借金があるそうだ。なのに10億円も出してマンション建設予定地を買う計画だってよおいおい、ちょっとそりゃおかしいぞ桜島を見る目的で来庁する人は、いないでしょうに。別に県庁から見えなくたっていいじゃない。反対票に一票画像はフェリーからの桜島です。
2006.03.11
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今年こそ今年こそはで十数年自分のホームページのことだが、毎年毎年登った記録がとどこおり、クシ歯の欠けが増えるばかりである。下山したらすぐに書くのが一番良いとは思っている。それが、日陰に移動してから着替えてから汗を流してからチョッと休んでから家に帰ってからで、結局まっいっか天気の悪い日にしょう登れなくなってからにしょうそして、日は過ぎ、年は過ぎメモ帳だけが、雑多にたまる自分で書いたのに読めないもう、ごちゃごちゃ面倒だと、なってしまうのである
2006.03.10
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しもふり城へ、尾根の末端から取り付くと、○○神社と彫られた石碑や石灯篭があります。この石碑に彫られた文字が達筆文字で、私には読めません。萩影で良いのでしょうか? 自信がありません。どなたか、正しい読みを教えてください。
2006.03.09
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霜降城跡 長野県松本市「しもふり」と聞いて連想されるのは?霜が降る、よりもやっぱりあの肉の霜ふりですよね。○○牛や○○牛や○○牛と三つくらいは頭に浮かぶ。だが、食べたことはないので味は知らない。そんな、おいしそうなお城が松本にあった。松本市誌によれば、霜降城は桐原城と谷を隔てた東方の寺所の北側にあり、桐原城の支城として桐原真智の子の真隆が嘉吉3年(1443)に築き、真基の時に本城と共に落城したという。現地には堀跡は残るが、郭などはしっかりした形では残っていない。とあります。
2006.03.09
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丸山。これは人の名前にも山にも良くある名前。霧ケ峰高原にある有名な特別天然記念物「八島湿原」にある山だ。うん、そんな山あった? という人 と八島湿原にある山といえば、鷲ケ峰でしょう と言う人がほとんどでしょう。ところが、もう一山、丸山さんがあります。地形図に山名も三角点もない山です。無雪期は、立ち入り禁止かと思う場所。なだらかな山です、今、ならスノーシューで歩けますよ。
2006.03.08
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白馬村にある向山と内山。どちらも人の名前のようだが、三角点のある山なり。でも、知られていない山である。白馬に長野オリンピックの会場となった、白馬クロスカントリー競技場がある。向山さんと内山さんは、そのお隣さんである。競技場の駐車場を起点にして、どちらの山もスノーシューで登れますよ。
2006.03.08
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ブログにある過去画像の一部を削除することとした。まあ、たいした画像ではないし、自分の接続環境はいまどき時代遅れのダイヤルアップであるから、新規に画像を登録しようとすると、今まで登録した画像が表示されてから、新規登録ができるようになるため、どうしても時間がかかる。のである。で、削除することとした。しかも、ブログへの画像の貼り付けは、登録した物しかできないようである。リンクができないのは、まことに不自由である。いちいち、投稿画面にInfoseek 側の宣伝が入るのも気になる。無料のレンタルだから仕方ないか。同じ、レンタルのInfoseek でも掲示板の方が使いかっては良い、と思う。Infoseekではなにやらポイントメール登録したり、アンケートに答えたり、買い物をするとポイントがたまり、それを物に変える事ができるのだが、まだ何の登録も返答もしていない。で、まだ、ポイントは0である。また、ブログにはアフリエイトなる仕組みがある。自分のブログに広告を置いて、それを見た人が購入すると、ポイントをもらえるらしい。だから、そのポイントを狙って、やたらと自動ナントカを駆使して、迷惑なアクセスを繰り返すヤカラ君もいるのである。我がブログに、アクセスしてこられる人も、大抵はその口と思える人達のブログである。ようだ。大抵、アフリエイト広告が貼られているので。最も、アフリエイトで稼いでいる人もいるようだ。でも、稼ぐとなると相当の知名度とアクセスされることが必要だろうが。
2006.03.08
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ログイン→日記/記事に書き込むからここで一度「更新」をクリックして今日の日付けを確認する必要がある。でないと、日付けが更新されないので、書いた日記が、更新前の日付けで書き込まれ、割り込まれる。今日書いたにが「2月20日に日記」になった。
2006.03.06
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ご覧の通り、遊歩道も福寿草も雪の下です。たった一株だけが、雪から顔を出し、開きかけていた。明日は、放射冷却で冷え、快晴になるようです。
2006.03.03
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四賀村福寿草情報 3月3日お昼時点3月5日から四賀村(現松本市四賀)で福寿草祭りが開催されます。近くの里山に行ったついでに、会場の様子をみてきたのでお知らせします。最近降った雪で、群生地の遊歩道の全コースに雪があります。来るときは、それなりの靴を履いてきたほうが良いでしょう。群生地のほとんどは雪におおわれています。一部、土の出たところに顔を出している福寿草はまだツボミです。登山靴で一応、コースを歩いてきましたが、今日は気温も低かったこともあってか、雪から顔をを出して、開いていたのは一株だけでした。開花第一号の画像をゲット。
2006.03.03
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松本市に平瀬城という山城がある。この城は実戦のあった城で、多くの戦死者が出た城であり、武田信玄の小説にも出てくる。説明には天文20年10月24日武田晴信に徹底抗戦し落城、城将以下 204名討死せし処下田の道端に貯水溝を掘ったとき、数体の頭骨と銭が石囲いの墓より出土、それ以来本城で鎮魂祭を毎年行っている。本城と支城があり、今日、支城を探しあてた。今朝降った雪もとけ、木々から落ちる腐った雪で、セーターもズボンもぬれる。
2006.03.02
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昨日は、一日中雨だった。夕方少し雪が降ったようで、今朝は凍結した雪が2cmほど。もちろん、メインの道路に雪はなし。ところで、トリノは(自分的には)盛り上がらないままに終わってしまった。印象に残った選手も数人だった。選手ではないが開会式の時に、オリンピック旗をもって行進した人の中に、ソフイァ・ローレンさんがおられた。画像で見るのは数十年ぶりだった、ものすごくなつかしい。おーー、ソフイァ・ローレンさんだと声がでた。しゃんと背筋をのぼして、軽快に歩いている姿が、とても印象に残った。映画「ひまわり」「昨日今日明日」などの数場面がぽっぽっぽっと頭に浮かんだ。共演の、マルチェロマストラヤンニさんの名前もすっと出てくる自分がいた。レンタル店にDVD はあるだろうか。
2006.03.02
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誤解・勘違いする人もいる「アホ」なキャンペーン。HP のトップに3月22日(水)まで、とあれば、「キャンペーン期間は3月22日(水)まで」、と思うのは極極普通でしょう。なのに、これには、その前にクリアしておくべき条件があったのである。それは、2月28日(水)までにキャンペーンに参加するための「ID 」なるものを取得していなければ、キャンペーンには応募できない、ということであった。そんなの、最初から見て、把握していない人には分からないでしょう。HP の「キャンペーン期間は3月22日(水)まで」を見て、よし3月22日(水)までに買おう、運が良ければ当たるかも、と思い、購入したとしたら、どうだろう。応募の権利がないことを知って「えーー、そんなー」と思うのではありませんか。で、俺に言わせれば、応援する超一流メーカーとして、このキャンペーンは、HP を見る時期(2/26)によっては、誤解・勘違いを生む、配慮に欠ける「アホ」なキャンペーンと言わざるをえない。いや、こっちのほうが「アホ」になったのかも知れない、とも思うのでR。ショボン。後から知ったことだが、ここに申し添えて置く。○○○○宣言して「キャンペーンID」をゲットし、指定期間中に○○○○をご購入・ユーザー登録された方合計200名様に○○○○や○○○○などのプレゼントが当たります♪と、ユーザー「登録後に見れるページ」に、書かれていたのである。そんなん、最初から分かるかーっ、と言いたい。HPトップの表示内容を変えることを希望するものである。---お遊びで、フォント加工のテストを兼ねてつづってみた。
2006.03.01
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