タイ万華鏡-2 /  Thai Kaleidoscope-2

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2007/11/08
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カテゴリ: 伝統文化、芸術

 しかし、あの無名な奴隷のタイ男その独りが、休みなく継続の全10戦での10人ビルマ軍を全勝した。アンワ王は非常に驚いた末、「カノムタム」氏を褒美として自由させ、母国のタイへ帰還させ、「タイ人は強い、リーダーがしっかりすれば、国がダメになる事はないだろう。。」と言ったらしい。

 このために、「カノムトム」氏は「ムアイタイ」の父とされ、あの勝戦日である3月17日は「ムアイタイ記念日」と定められた。この記念すべき日とは、勝利したムアイタイは始めて海外宣伝された。

 アユタヤ時代にまたもう1人のムアイタイ名人がいた。ピチャイ市ウタラディット県の地元と周辺町までに「ムアイタイの権威者」とされた「チョイ」氏である。幼児からムアイタイ名師の元で特訓を受けた後、16才までムアイタイで稼ぎ生計した。その後、さらに、雑技と刀術を雑技師の中国人に師弟したため、県と広い周辺地域は、ムアイタイや武術で挑戦者がいなくなり、噂が広がった。鄰の「タ-ック」県を治めた「シン」(藩主)にスカウトされ、藩儒として王宮へ送り込まれた。

 アユタヤ王朝を滅ぼして住留したビルマ軍団と戦って追い払った後、国を再建のため数百人の軍人と国民をともにアユタヤから南方へ下り「トンブリ」を新首都と宣言し新しい時代の「トンブリ王朝」を始まった「シン」将軍 (シン藩主)は、自ら「トンブリ」初代王と宣言した。この時、藩儒の「チョイ」氏を御褒美として、地元のピチャイ県へ藩主と命じた。 

 1771年、ビルマ軍は再びタイへ挑発した。チェンマイを侵略し、ピチャイ県へ「チョイ藩主」と激戦した。戦場となったピチャイ県でチョイ藩主は守り抜けた。使用していた両刀は折れてしまったまでの戦いは、「プラヤ・ピチャイ・ダーッブハク」(=折れ剣刀将軍)と、人々に呼ばれた。

国を再建し復興期間中のトンブリ時代14年間は、ムアイタイはさらに盛んになり、ムアイタイが強い名人が多く現れた。国の方針としてムアイタイは全男子に必需技能としたため、教習所が沢山でき、日常練習していた風景が街中どこでも見られた。ターックシン王の両腕となる軍人たち(10数人)全員がムアイタイが完璧、武術も上等者であった。

ムアイタイが最高に盛んになって、国技で「スポーツ」としての感覚に展開し始めた。各教習所、各流派の弟子で「ムアイタイ対戦」がよく街のイベントとして行われた。この時代のムアイタイ対戦は、1対1で採点なし時限なしだった。相手がノックアウトかお手上げの敗北申すになるまでの戦い。場所はたいていお寺の広場。選手は必ずやる事は、額に白い紐で潜って後頭部に結び目をつくり、片方か両方の脇の下の腕に白い紐を結び付けた。








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最終更新日  2007/11/13 07:50:58 AM
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