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2023.04.16
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カテゴリ: あれこれ番外編
​​ アラスカ奇談1


フロリダの友人から便りがあった。

夫婦で アラスカ オーロラ を見に行くそうだ。


アメリカの最南端のフロリダから、

最北端の アラスカ で真冬に オーロラ とは。




彼女はアメリカ人には稀な細身の女性で、



震えているような女である。


大丈夫かいな?

と心配していたのと同時に、

その 便り

1983年の冬 へと引き戻してくれた。


1983年1月

当時22歳、

東京英語専門学校2年生の



何故か

本来なら

クジラ を捕るための キャッチャーボート に乗って、

横須賀の田浦を出港し、



船酔い の恐怖と戦っていた。


農林水産省水産庁遠洋課 の依頼で、

ベーリング海 のタラ漁をしている日本船の

監督船の 通訳官 として、

主な仕事は

アメリカの沿岸警備隊 との 通訳 であった。


こう書くと

いかにも立派な仕事に聞こえるが、

当時 中央区 にある

唯一の英語専門学校であるTESに、

全く英語のできない 水産庁 の役人が、

船にもう一人乗せる余裕があるので

とりあえず 通訳 を…

ということで依頼してきたところ、

当時 血気盛ん

何でもやってみたいという、

英検2級の二次試験で

試験官に悪態をついて落っことされた程度の

英語力の が、

手を挙げたというわけである。


それにしても

ギャラは二ヶ月ちょっとで

100万円 ちかく。


用意されたパスポートは

​緑色​ 「公用」 と書かれた、

外交官 が持つようなものであった。


横須賀の田浦から出港にあたり、

は自分の 舎弟 を連れてくるわ、

当時の 彼女 らしき女性は

船室の整理を始めるわ、

その女性について何かと知りたがる

中学以来の 友達 が引き留めるわ、

後に覚えた CHAOS とは

このことであろうという状態で、

普段見送りの人などいない船の連中に

冷やかされながら、

大きな汽笛をならし、

おまけに 紙テープ を見送りの人々に投げ、

兎にも角にも

我が 第二十七興南丸

ベーリング海 に向けて船出となった。


やはり一番心配なのは 船酔い であり、

周りから散々脅されていた

文頭にあるように、その恐怖と戦っていた。


船が東京湾を出て

左に犬吠埼の灯台が見えてきたころには、

外海である太平洋の揺れを感じて

怪しくなってきた。


10日は食事ができぬ といわれていたが、

ふと

「そんじゃあ、10日も 呑めねえ じゃねえか」

と思い、

免税 で買った 缶ビールを二本ほど 空けた時には

「矢でも鉄砲でも持ってきやがれ‼」

となってしまい、

結局のところ 船酔い はなし、

機嫌よく毎日 ​飲んだくれ​ の航海となった。


一等航海士 が初めのうちは

「通訳さん、船に強いねえ」

と誉めてくれていたが、

私が可愛げもなく平気でいるのと、

あまりにも 呑む ので

「通訳は呑兵衛で
 三半規管がおかしくなっているから
 船酔いしないんだ

憎々しげ に言われるようになってしまった。


それでも、 船長

「歴代で一番船になじんだ通訳官」

と言われたように、

乗組員の皆様に可愛がっていただいた。


中でも オッペさん
(通信士、operatorの略であろうが本人も知らなかった)
には、

娘婿 にならないかと迫られて

お断りするのに苦労した。


船での生活は 快適そのもの で、

朝遅くに起きだし

オッペさん と船倉で 体操

そのまま船尾の機関室にアイサツして、

一番上の操舵室で ボースン(甲板長)

かじ取りなど教わり、

昼食


海水 風呂 で温まり、

デッキに出て

体についた水滴が -40℃ の中で

ピシピシと 凍っていく のを楽しみ、

再度 入浴


湯上りの ビール を飲み始め、

船の皆さんと 飲めるよう に6時間ほど 飲み

酔った勢いで、

操舵室で

仙台の民謡 「さんさ時雨」 のレッスンを

二等航海士 から受け、

自室の丸窓から顔を出して

ゲロ を吐く。




あまりの ​快適さ​

もう半年ほど乗っていようかと思うものの、

件の オッペさん

「トスィ。陸に上がれなくなるぞ!」

と言われ

なるほど とあきらめる。


この二年ほど前に高校の相棒と、

浅草山谷 日雇い労働者 体験合宿をしたときに、

やはり帰れなくなることを心配して

断念したことを思い出す。


船の ワッチ(交代勤務時間)

0:00-4:00、

4:00-8:00、

8:00-12:00

と一日二回、4時間ずつとなっていて、

私が夜7:00に飲み始め

夜中の1:00まで 吞んで いると、

船中の全員と

飲む ことができるのである。


おかげで

船が揺れているのか、

自分が揺れているのか

わからなくなり

​船酔いどこ吹く風​

となる。


それでも一人で飲む時間もでき、

食堂の長いテーブルに

ウイスキーのグラスをおいて

揺れで流れていくグラスを少しも慌てず、

揺り返しで戻ってくるそれを

余裕の片手で捕まえて、

グビリと一口飲んでいると

「俺って船乗りだぜ」

と思うものの

調子に乗って酔っ払い、

自室の丸窓から

ベーリング海 のタラ、タラバガニ、オヒョウなどに

コマセをまくことになる。




船は北海道のはるか

北のカムチャッカ半島から

アラスカまで連なるアリューシャン列島の

さらなる北の ベーリング海 を舞台に、

監督船としての警備をするのだが、

実際に の航海の二ヶ月の間に

一度だけ

日本の船がアメリカの沿岸警備隊に

違法操業で捕まったものの、

我が 第二十七興南丸 からは三日ほどの距離で

現場まで行くことはかなわず、

無線で日本船と 水産庁 監督官 が話し、

通訳官

やはり無線で沿岸警備隊と

罰金額などの確認を取っただけであった。


“Aha, Over.” 

“Aha, Over.”

“That’s right. Over”

“OK. I am out.”


二か月間の 通訳官 仕事のすべて である。


これで衣食住つきで 100万円 とは、

の今までの人生で

最も Gig であった。





この項続く。


4/16/2023 10:00





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Last updated  2023.07.24 15:08:02
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