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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年6月1日 大津市 晴れ 最高気温26℃ 最低気温14℃湿度の低い爽やかな晴天。今回は日吉大社と西教寺をウォーキング。西教寺のかざぐるまのトンネル。今回のウォーキングの順路は以下の通り。距離約13km。 JR比叡山坂本駅 ー 穴太衆の石積みの街並み ー 西教寺 ー 日吉大社東本宮 ー 日吉大社西本宮 ー 日吉大社奥惣社金大巌 ー JR比叡山坂本駅8:00 JR比叡山坂本駅に到着。前々回の比叡山延暦寺(徒歩でビワイチ㉓)と同様に石積みの街並みを歩く。延暦寺ウォーキングしたときに次は日吉大社を歩こうと決めていた。途中、ヨゴイチ(徒歩でビワイチ㉗)が挟まったが、今回、晴天の週末で決行。日吉大社までは約2km程度の道のり。神社までは駅から一本道。一ノ鳥居。駅から約400mほど。二ノ鳥居。一ノ鳥居から約400mほど。このあたりから石積みの街並みが神社まで続く。前回は日吉大社に向かう道路の右側を歩いたので今回は左側を歩く。こちらは石畳の歩道。途中、参道を逸れて石積みの街並みをウォーキング。石畳の路が続く。三ノ鳥居に到着。8:30ごろ。ここからが日吉大社の境内となる。しかし、神社入苑には拝観料(\500)必要で受付は9:00から。よって、西教寺に向かうこととした。西教寺は日吉大社から北方に約1kmの距離。日吉大社の傍から続く小道を征く。このあたりは古墳群にもなっており、途中このような場所も。琵琶湖西岸の高台を通る里道。八講堂千体地蔵。その昔、日吉大社の北方に 八講堂 という谷がありお堂があったそうだ。その近辺の村落では至る処に地蔵が祀られていて、田畑開墾などで出てきたお地蔵さんをこの地に集められたとのこと。(案内版より)西教寺に到着。拝観料を払うとパンフレットと共に貰える境内参拝順路図。西教寺は、正式名称を天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺といい 聖徳太子 の創建との伝え。その後、久しく荒廃していたが 慈恵大師良源 が復興。(件のかなり神ってる横川のドン 元三大師 である 徒歩でビワイチ㉖ より)さらにその後、文明18年(1486年)に真盛上人が入寺し再興、不断念仏の道場として天台真盛宗を興し今に至っている。真盛上人はこの寺の中興の祖として祀られてもいる。寺の本尊は阿弥陀如来。また、戦国の武将 明智光秀 が麓の 坂本城 の城主の時代に菩提寺として所縁が深いお寺であり境内には明智一族を弔う墓所がある。客殿・書院内の庭園は 小堀遠州 の築造で有名。最近ではこの時期に境内に多くのかざぐるまを飾って地域の風物詩としてメディアに紹介もされている。徒歩ビワイチでも麓の坂本城趾を巡った。(徒歩でビワイチ②)完歩後の史跡旧跡巡りとして来訪したかったお寺でもある。総門から本堂に向かう参道。もみじの緑が美しい。紅葉の季節にはさらに映えることだろう。かざぐるまもお出迎え。参道の行き止まりには勅使門。この門は天皇もしくは天皇の勅使しか通れない。脇道から進む。脇には宗祖大師殿。宗祖大師殿の唐門。立派な御門である。この門の破風には麒麟の彫刻が遇われている。明智光秀の大河ドラマ「麒麟がくる」はこれが所以だろうか?この門の建造は大正時代。宗祖大師殿。先に向かう。かざぐるまのトンネル。この先に明智光秀を弔う墓所がある。明智家一族の墓所。光秀を弔う墓標。人間50年下天の内を駆け抜けた戦国武将に合掌。案内版。すぐ傍には内室の煕子さんの墓所もある。本堂。重文。本堂・客殿・書院には大本坊で受付し入場することが出来る。大本坊の入口では麒麟に見立てた盆栽?作り物かな?、が出迎えてくれる。本堂には大変大きな阿弥陀如来座像が祀られている。見たところ3m位だろうか。大きい。その他、幾多の仏像も安置されていた。参拝・見応えのある本堂である。客殿・書院の御庭も大変立派なものだった。だがしかし、撮影禁止のため画像はない。境内最奥には、宗祖真盛上人の御廟がある。尊い高僧の墓所はいつも階段ばかり...墓所。西教寺は以上。これから日吉大社に向かう。が、長くなったので今回はこれでおしまい。次回、日吉大社を東本宮・西本宮・奥惣社と巡る。おつかれちゃん。
2024/06/01
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年11月22日 高島市 晴れのち曇り時々雨 最高気温17℃ 最低気温6℃やや時雨気味の日。湖北 高島市マキノ町の メタセコイヤ並木道 を歩いた。約14kmのウォーキング。今回訪れた メタセコイヤ並木道 は、滋賀県高島市マキノ町 にある全長約2.4km、約500本のメタセコイヤが沿道に並ぶほぼ直線の道路。この並木道はマキノ高原に通じる路で 日本の街路樹百景 にも選定されおり沿道は マキノピックランド という農業公園として整備されている。1981年に マキノ町果樹生産組合 が植樹したのが始まりとのこと。その後、組合関係者や地域の人々が大切に育て延長もされて現在の姿になっているとのことだ。(現地の案内モニュメントより)また、この並木道は春夏秋冬それぞれで美しい姿を見せてくれるが紅葉が特に有名でこの時期の週末には多くの観光客で賑わう。7:45 最寄りの JRマキノ駅 に到着。ウォーキングワークアウトをセットしてスタート。並木道の南端までは約3km。駅前の案内図。途中の風景。穏やかな秋の朝の農村風景。8:30 メタセコイヤ並木道の南端に到着。やや色つき始めという感じかな。朝で車の通りも少なかったので道路に出て撮影。朝日が当たり色つきが綺麗に映える。この先500mほど北に歩くとマキノピックランド農業公園のようだ。その途中のグランピング施設の入口に冒頭のオブジェがある。農業公園の駐車場付近。並木道を紹介するモニュメント。モニュメント近くの並木道風景。その1。既に複数の観光客が沿道を賑わしている。その2。長く続くメタセコイヤの樹列。絵はがきのような写真が撮れた。その1その2コスモスとメタセコイヤ。ちょっと空模様が怪しくなってきた。樹列を少し離れて撮ってみた。その1その2並木道の北の端の方。南の方より少し紅葉が進んでいるかな?北端まで歩いて帰路につく。帰りは別の道で近くの 知内川 沿いを歩く。こちらにもちょっとしたメタセコイヤ並木がある。あいにく雨模様で色つきが映えていないかな。実際はもっと綺麗だった。10:40 マキノ駅まで戻る。駅から約300mで マキノサニービーチ にも寄ってみた。去年ビワイチでも訪れた湖岸のモニュメント。(徒歩でビワイチ⑤)マキノサニービーチ。今日のウォーキングはここまで。11:00 少し早いお昼ご飯。マキノ駅前の食堂 蕪(かぶら) にて からあげ定食 をいただいた。大きな唐揚げが5個も。衣はサクサク、身は柔らかくジューシーでとてもおいしかった。お腹いっぱい。ごちそうさまでした。味噌汁もおいしかったな。今日、歩いた距離と歩数 距離:14km 歩数:16,500歩 (概ね)ワークアウトの歩いた図。今回も途中で停止してしまって軌跡が飛んでいる、、、なんやろねこれ。ちょっと残念。滋賀の季節を彩る美観地区のメタセコイヤ並木道。見頃にはちょっと早かったけど秋を堪能したウォーキングでした。おつかれちゃん。
2024/11/23
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年8月15日 長浜市 晴れ 最高気温35℃ 最低気温26℃お盆休暇のウォーキング。今回は長浜城趾と黒壁スクエアの街歩き。それとウォーキング後に長濱浪漫ビール(クラフトビール園)を訪れた。ウォーキングルートは以下の通り。 長浜駅 --- 豊国神社 --- 豊公園 --- 長浜城歴史博物館(長浜城) 長浜鉄道スクエア --- 黒壁スクエア --- 大通寺 --- 長濱浪漫ビール豊公園の瓢箪モニュメントから長浜城を望む。長浜市は 豊臣秀吉 が 羽柴秀吉 として 織田信長 の侍大将として仕えていた時代に初めて国持ち大名となった地であり、元々は 今浜 という地名を信長の一字を貰い受け 長浜 と改名しお城を建て城下町として栄えた街である。8:00 長浜駅着。真夏の朝日が眩しい。さぁ歩こう。長浜駅前には、秀吉と石田三成の出会いの像がある。鷹狩り途中に立ち寄った寺でお茶を望んだところ、その寺に住まう武家として出仕を望む若かりし三成、秀吉の様子を覧て味わいの異なるお茶を3杯献じ、その気配りに感銘を受け家来として召し抱えたことを物語る像である。(「三献の茶」の謂れ)8:10 最初の目的地 豊国神社。駅から1kmもない近く。秀吉公を祀る神社。豊国神社は京都をはじめ名古屋や大阪にも有るが、ここ長浜の豊国神社は当初1600年(秀吉の三回忌)に遺徳を偲んで建立された社とのこと。しかし、江戸時代に秀吉公を祀ることを禁じられ廃社となる。その後、明治時代1898年に拝殿が再建されたとのこと。その間、村落の町年寄の家に祭神を移していたとのこと。(Wikipediaより)境内には 羽柴秀吉 の座像がある。まだ新しい銅像だ。この地では町を興した豊臣秀吉を敬う気風が今も受け継がれているのだろう。同じ境内には秀吉の家来で後に熊本城主となった 加藤清正 の銅像もある。農民の出のため元々の家臣がいない秀吉は、同郷の 加藤清正 を幼い頃から家族同様に養い取り立て、後の秀吉を支え信頼の置ける優秀な武人として育て上げた。豊公園と長浜城に向かう。長浜城は、1573年 当時の 木下藤吉郎(羽柴秀吉) が近江の地を与えられたときにこの地の琵琶湖畔に築城された。船が直接お城に入城できる水城だったようだ。その後、豊臣家滅亡と共に廃城となり、現在のお城は1983年に建てられた復興天守で建物内は長浜城歴史博物館になっている。8:30 豊公園。豊公園入口の瓢箪モニュメント。来た目的は長浜城見学、駄菓子菓子、開場は9:00のためしばらく園内を散策。太閤井戸。湖の中にある井戸の趾。井戸跡の傍から琵琶湖を望む。穏やかな湖面に青い空が映る。湖水も透明できれい。豊公園の噴水と長浜城。猛暑の中、癒やされる涼しげな一枚。天守閣跡にある 豊臣秀吉公 の像。なんか古の中国の聖人みたい。オイラのイメージする秀吉像とはちょっと違う、、、これは長浜の町内に残された 豊臣秀吉 の肖像画を元にしているのだろう。豊国神社の説明版にある 関白 豊臣秀吉公 肖像画。9:00 開場。天守間近の一枚。現在の展覧物。内部は写真撮影禁止なので画像はないが、2階の展示、北政所(ねね、秀吉の奥さん)の展示物は見応えありよかった。最上階から琵琶湖を望む。さてさて、長浜城を堪能し、街並みウォーキングに向かう。ちょっと長くなったので今回はここでおしまい。おつかれちゃん。
2024/08/15
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徒歩でビワイチ気ままな歩き録。2024年11月3日 犬上郡豊郷町 晴れ 最高気温20℃ 最低気温14℃ビワイチの日。大雨の後の秋晴れ。今回は古の大神を祀る 多賀大社 と近代の歴史文化建築である 豊郷小学校旧校舎群 を巡った。約15kmのウォーキング。今回はその3。豊郷小学校旧校舎群の見学を終えて帰路につこうと思ったが、近くに 伊藤忠兵衛記念館 なる施設が有ることを校内の観光案内所のパンフレットで知り、近いので寄り道することにした。距離は1km足らず。入口受付から記念館内を撮った写真。伊藤忠兵衛さんとは近代の近江商人。この地 豊郷町の出身で、大手商社の 丸紅・伊藤忠商事 の創始者とのこと。そしてこの記念館は、初代 伊藤忠兵衛さん(創始者)が暮らし、二代目 伊藤忠兵衛さん(忠兵衛さんの次男で伊藤精一さん。伊藤忠の実質的な創業者) の生家でもある屋敷を初代忠兵衛さんの100回忌を記念して整備し、2002年から一般開放されている施設とのことだ。(伊藤忠兵衛記念館 Web Site より)屋敷は中山道に面している。中に入ると玄関で来場記帳。無料で入館できる。屋敷内は、店の間・仏間や奥の間、隠居の間など1階の間がすべて公開されている。とても広いお屋敷である。中庭には二棟の蔵もあり、歴史紹介や調度品の数々が展示されていた。写真撮影も自由だ。お屋敷内にある伊藤忠兵衛さんの略歴。初代 忠兵衛さん二代目 忠兵衛さん(伊藤精一さん)開館時間は 10:00-16:00 で、月曜日が休館日とのこと。約30分ほど見学し退館。お昼は記念館近くのうどん屋さん 玉屋 にて。肉うどんと瓶ビール。ビールにはおつまみのスナック付きなのがうれしい。ビールもうどんもうまし。ごちそうさまでした。近江鉄道 豊郷駅 に帰着してゴール。ウォーキングタイムアウトが途中で停止していたので歩数計からの推定。歩いた距離:約15km 歩いた歩数:約17,600歩歩いた経路図は当初の歩行計画を示す。長距離ウォーキングで少々疲れたが、秋晴れの下、楽しい1日でした。おつかれちゃん。
2024/11/08
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