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庭は梅と山茱萸のせめぎあいが展開されている。 紅梅が咲き疲れ、その側の山茱萸が今や我が世の春を謳歌している。 でも、野鳥たちは梅の花に夢中で山茱萸には近寄ろうともしない。 野鳥たちは山茱萸は風媒花だからお呼びでない遠慮しているのかも。
2016.02.29
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交通渋滞を避け、偕楽園を背にして5キロ上流の桜川の土手を散策。 いつもの小川にどんな生き物がいるかを観察したかった。 野鳥は見慣れた種類のほかに、コバシチドリのような鳥に出会った。 カメラを向けても怖がらずかえって観察されたような気がした。
2016.02.28
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白腹が軒先のプレートに上がりカメラ撮影を容認した。 去年までは鵯に縄張り侵略と咎められていたが今年は形勢逆転。 鵯は見て見ぬふりをし、むしろボスの席を明け渡した感じである。白腹は庭の主と自認し雀、目白等の小鳥を守る役を担っている。
2016.02.27
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夕方、庭の椿の花を撮っている木漏れ陽が撮れた錯覚になった。 小枝が白く、葉が艶を失って見えるのは木漏れ日の実像かなぁ。 分厚い葉っぱが「お疲れですね」と囁き優しく寒さ除けをしている。隣の蕾は「あとは私にお任せあれ」と冷たい眼差しで見ている。
2016.02.25
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棗の苗を買ったとき、棗は夏にならないと芽が出ないと言われた。だから夏目というのだから枯れたと思うなョと付け加えられた。 既に屋根の高さになり実が成っては落果を繰り返している。 寒空にたった一つの果実、さしづめ木守棗と讃えてあげようか。
2016.02.24
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昨日夕刻、帰宅するとガレージ一帯に沈丁花の香りが漂っていた。 やっと咲いたかとカメラを取り出したがさほど開花していなかった。 沈丁花は花よりも香りと今日の来し方を反芻しながら庭を一巡した。沈丁花の香を嫌がる人もいると知ったが通用口の花かなぁと感じた。
2016.02.23
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昨日午後、暖かい陽気に誘われて庭の片づけをした。 椿が盛りで花に夢中の頃もあったと昨日のことのように思い返した。 太郎冠者、日光(ジッコウ)の花がひときわ目立った。 古人がこの種の名をつけた由来、その達成感を自分勝手に想像した。
2016.02.21
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もみじ谷の奥にある磐は瑠璃ビタキの特等席。 今年は雌の縄張りになったが雄のようにドギツさがなくて可愛い。 磐は当初はシミなど殆どなかったが会うたびに白いものが増えて来た。 俺もシミができ始めたが磐のシミの様に幸せの数と思うことにした。
2016.02.21
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庭の落ち葉をガサゴソしていた白腹が獲物をくわえて出てきた。ミミズらしい獲物でも眼はランランとして輝いていた。散歩中に出会った翡翠は小鳥を捕食する寸前に逃げられてしまった。石垣の上でどうして失敗したのかと反省中である。*春の小鳥は繁殖期、渡りを目前にして動物食を漁り体作りをする。木の実などと違い将に食うか食われるかの弱肉強食の世界だ。眼、頭脳、羽、そして、嘴を総動員して狩に専心する。人は食膳で談笑する習慣。小鳥にとって食は真剣勝負そのものだ。
2016.02.19
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此の椿、唐子咲きの一種。別名、「月光(ガッコウ)」という。害虫の発生が目視できるように1.5メートルの高さで棚状にした。花の時期は花を下部や水平の位置から撮れるようになった。その結果、雌蕊の姿をしみじみと見ることができた。*椿は自家受粉が難しいが、月光は実付きが良く零れ種の発芽も良い。零れ種からは月光は生まれないから発芽してもそのまま放っておく。侘助は結実しないなど、椿の子作りは不思議な要素が多く悩ましい。代々、投機の対象にされ品種改良が盛んで異常をきたしたのかなぁ。
2016.02.19
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昨日は観梅で賑やかな偕楽園内を避けて沢渡川の土手を散策した。 葦の荒地の開墾中で、もうヨシキリの声が聴けなくなると感じた。 突然、小鳥の群れが飛び上がり用水堀の囲いに留まった。 春のホオジロで、鮮やかなバックスタイルを顕示していた。
2016.02.17
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ヒタキがいた隣の梅の木に目白の小さな群れが来た。 全体的に黒みを帯びリングが目立たず小柄であるので亜種かなぁ。 目の周りが黒いが、怪我をしたわけではないだろう。 時々小柄な目白の群れに出会うがヒメメジロなのだろうか。
2016.02.17
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目白は群れを頼りに安全を確認しながら生きる習性がある。 その群れの構成員は四十雀、コゲラなどの弱い者同士が多い。 尚且つ、公園構内はカメラも群れの一員であると考えているようだ。 何故って、シャッターの音を発てると安心して近寄ってくるからだ。
2016.02.15
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偕楽園の南崖下の陽だまりは越年草のオンパレード。 蒲公英、仏の座、イヌノフグリの花などが群生し、今満開である。 その中に、桜草らしい花を見つけ、凛々しい花に暫し見惚れた。 彼らは、咲きたいときに開花して周りに気兼ねすることをしない。 * 偕楽園に来れば梅の花に気を取られ足元を見ることを忘れてしまう。 梅花が終われば背の高い草に覆われて彼らは気付かれず仕舞い。 除草剤が開発されてもその禍に見舞われず延々と生き伸びている。 咲きたいときに咲けば生き残れる彼らはなんと幸せものか。
2016.02.15
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昨日、昼食後、桜川の土手を散策した。 越冬の喜びにむせぶ野草の間にイヌノフグリの花を見つけた。 イヌノフグリは別名「星の瞳」。牧野博士の命名とは雲泥の違いだ。宛ら野辺に落ちた星の滴の精に見える。
2016.02.14
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庭の梅の花、「鹿児島紅」が咲き始めた。 花弁の鮮やかさは格別でも、赤い花糸が気にかかる。 赤い花糸に躓いて職を辞するかしないとかが話題になっている。 小鳥や蜂は決して躓いたり絡まれたりしないのにーー。 赤い果をぞっくりつけていた万両が昨日殆ど啄まれた。今まで残っていたということは美味でないのかもしれない、それとも2月の食糧危機に備える備蓄用なのかもーー。そして、わずかに残った実は「木守万両」なのかもしれない。万両の果柄や赤く残りけり
2016.02.12
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庭の青軸性の梅、「月影枝垂れ」の蕾がわずかに割れた程度。 待ちきれずに偕楽園へ行って鑑賞した。丁度咲き始めだった。 枝も蕾も青い花が咲くのかと思ってしまうほど青い。 樹木全体を青白いベールで包んだ姿はいつ見ても圧倒される。 その足で翡翠に逢うべく予定の場所へ行ったが撮れなかった。 代わりにセイタカアワダチソウの先端に尉鶲が止まってくれた。 枯れた背高泡立草は精悍な尉鶲を迎え胸を張っているように見える。 アルゲンの汚名を着せられた枯れ花も野鳥を配すれば格別な風格だ。
2016.02.11
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午後になって小雪が舞い始めたのでウォーキングは中止した。 その代わり、庭を一巡してブロクネタを探した。 山茱萸、別名「春黄金花」が硬い蕾を割り黄色をのぞかせていた。 蕾が硬ければ硬いほど美麗な花が咲くのだと悟った。
2016.02.08
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午前中は陽が差して暖かそうだったが直ぐに陰ってしまい寒かった。 それでもコゲラたちは横縞のシャツだけで桜の樹の診断に忙しい。 すでに梅の木に四つほどの穴をあけたのもコゲラたちだろう。 一休みして穴に入ってぬくぬくしてはどうか。
2016.02.07
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鵙は目白の天敵。目白の悲惨な姿が今でも脳裏にこびりついている。でも、最近の鵙は小鳥の捕獲を忘れたのか惨事を見かけなくなった。目白、ヒタキたちは鵙が来ても緊張感を抱いていないように見える。飽食のせいか、それとも労多く果少なしと敬遠しているのかもーー。
2016.02.06
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今季は冬鳥の渡来が少ないかと心配した。 が、新年になってウォーキングすれば必ず会える。 暗がりが好きな白腹は、臆病だからでなくそこに餌があるからか。 ジョウビタキは車をバックにシャッターチャンスょと囁いている。
2016.02.05
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昨年11月下旬に咲きだした蝋梅は寒中に萎えて次づぎに落下した。 しかし、立春を迎えて不死鳥のようにまたまた咲き出した。 厳寒で苦しいときは自制し、チャンス到来を待ってまた咲きだす。 諦めずに希望を抱き続け出船のチャンスを待つ姿、尊きかなである。
2016.02.05
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明日は立春渡去指令指令はいつ頃かなぁ。でも、日本に居残りしたいなぁ。 そうもいかないとなれば、せめて翼を鍛えなくっちゃ。
2016.02.02
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脚の脹脛が痛み内臓の異常かと考え内科の診察を受けたが原因不明。 ジッとしていると痛み、歩くと治るので努めて歩くことにしている。 歩けば瑠璃ビタキなどの冬鳥に出会えて痛みが吹っ飛ぶようだ。 今季は、彼女の縄張りへ入ると必ず逢えるので歩くのが楽しい。
2016.02.01
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