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寄席演藝の世界で「一藝名人」と言われる方が、かつては結構多くいた。百面相の波多野栄一先生、ホンジャマーの帽子やロープ藝の早野凡平先生、トロンボーン漫談のボン・サイト先生など…。こういう方々の藝は、落語や講談・浪曲と違って、その方が亡くなられると「その藝自体」が絶滅してしまう。その儚さも魅力のひとつだ…というキザな言い方もできるけど、やっぱり勿体無いし、寂しく思う。---------------------------------------------------------------------今の演藝界においての「一藝名人」は、やはり煙管を使った漫談でお馴染みだった、ひびきわたる先生であろう。そのひびき先生が、10日に亡くなられたという。享年75。死因は腹水炎とのことで…腹膜炎とは違うのかしらん?聞き慣れない病名だったから、誤植かなとも思ったのだが、これで間違いないらしい。8下まで普通に寄席に出ていらしたようだから、急死という感じなのだろう。だって、ついこないだ、たけ平師が浅草で一緒に食事をしたと聞いたばかりだったので…。--------------------------------------------------------------------落語協会に入られたのが、比較的最近(06年?)だったので、ここ10年間ほどは、頻繁に生で見る機会の多い先生だった。藝人デビューは昭和38年だそう。「ハッタリーズ」の一員でデビューしたとは知らなかった。その後、昭和41年にピンの漫談家に転向して、フルートを吹いたりとか、煙管を使っての音の物真似(馬・アシカ・赤ちゃんの泣き声など)を演っておられた。寄席で見る前は、私の中の印象としては「テレビの寄席番組でとにかくよく見た人」という感じがある。『笑点』はもちろん、『お好み演芸会』や、テレ東の月曜20時から生で放送していたみのもんた司会の番組とか…とにかくよく見た。だから、寄席で最初に高座を見たときは、結構感動したもの。「おお!本物だ!」というような(笑)。一度…新宿昼席の浅めの出番だったと思うが…高座に出てきていきなり「ごく普通の声帯模写」を演りだしたことがあって、すごく驚いた覚えがある。3人やったのだが、左卜全と上田吉二郎は覚えているのだが、あとの1人が、どうしても思い出せない。…似たような高座を見たことがある方、コメント欄にご一報ください!そのクオリティが物凄く高く、それにもビックリ!左卜全と上田吉二郎は、昔から声帯模写の定番ではあるが、いちばんひびき先生の真似は似ていたような気がする。…もっとも、今どき左卜全と上田吉二郎は通じないけど(笑)。かく言う私も、白山雅一の指導を受けちゃったがゆえ(苦笑)、持ちネタが古すぎて、どうしようもないのヨ(笑)。------------------------------------------------------------------------ハッキリ言って、ひびき先生の漫談の中身は”現代とのズレ”が顕著なものであった。しかし、その”中身のズレ"が寄席の空気にビタッとハマっていたように思う。これは「褒め言葉」だと思ってお読みいただきたいが、寄席で落語を集中して聴くことに疲れたとき、スッと高座に出てきたひびき先生の漫談を聞き「古くさいネタだなぁ…」と思うのが、どれだけ心地よく、また楽しかったか。昭和40年代~50年代の「演藝ブーム」「演藝番組ブーム」の匂いを、高座で発することができる最後の藝人さんだったとも言えるような感じもする。-----------------------------------------------------------------------まだまだ演藝界には、レジェンドと言える方々はたくさんいる。演芸協会には司会漫談の名和美代児先生がいるし、漫才協会にゃ日曜の晩に一緒にご飯食べた(笑)青空たのし先生もいるし!こういうお歴々が現役バリバリなのに…享年75は、若いね。ホント惜しい。ひびきわたる先生のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2018年09月13日
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昨日の夕方に聞いた、いきなりの訃報。本当に耳を疑った。デビュー当初は、清純派として『こんにちは赤ちゃん』でレコード大賞を獲得。その後ガラリとイメチェンし、大人の女性の雰囲気で『二人でお酒を』『メランコリー』などなど、数々の大ヒットを飛ばした、歌手の梓みちよさんが先月末に急逝されていたという。享年76。29日、2月1日の通販番組生出演のための打ち合わせをしにマネジャーが自宅に行ったところ、梓さんはベッドの上で覚めない眠りについていたという。死因は心不全とのこと。昨今、通販番組でご自身がプロデュースした化粧品の宣伝で見ることはあったが、肝心の歌番組では姿を見なかった。近年は膝を悪くされていたようで、杖なしでは歩けなかったと訃報で初めて知った。----------------------------------------------------------------私の母親は「清純派時代のほうがよかった。大人の歌を歌うようになってからは嫌だった」と先ほど言っていた。…本当は、もっと”身も蓋もない言い方”をしていたのだが、故人にあまりに悪いので、オブラートに包んで書くことにしたんだけど(苦笑)。かく言う私も、近年の顔は「嫌な歳の取り方をしたなぁ…」としばしば思っていた。同格の中尾ミエ(取っ組み合いの喧嘩をよくしていた天敵)・伊東ゆかり・園まり・九重佑三子という面々に比べて、目つきや喋り方、態度に「嫌な奴オーラ」が出まくっていると感じられた。個人的に。ベテラン歌手の中で最も「近くに寄りたくない、そば寄ったら何ィ言われるか分からないオーラ全開」というか…ね。早い話が「怖い」。これに尽きる(苦笑)。30年以上前だが『さんまのまんま』で、浮気疑惑をさんま師が聞いた瞬間、シャンパンをぶっかけたという人だもの。今ならネットが大炎上で、芸能界追放になっていたに違いない。まあ、もっとも、この『まんま』の一件で第一線から徐々に退いていった…という印象も、あるにはある。それにしても、あのときのさんま師の対応は、本当に大人の対応で偉かったとつくづく思う。私だったら、まず間違いなく殴りかかってたヨ。そらぁもう、気ィ短いから(笑)。------------------------------------------------------------------でもね…歌手としては、超一流。上に書いたこととは真逆になるけども、大人の歌を歌うようになってからの、あの声音。あの雰囲気。ゴージャスな立居振舞い。歌の巧さ。今の音楽界から、ほぼ絶滅したと言ってもいい「大人の歌手」。その最後であり、最右翼だったのが梓さんだったと思う。『二人でお酒を』は平尾先生。『メランコリー』は吉田拓郎の作曲だった。この2曲は好いヤネ。あと『よろしかったら』も良かった。これは筒美先生だったか。------------------------------------------------------------------よく、林家たけ平師と「往年の歌謡番組」の話をするのだが、何故か頻繁に出てくるのが「いつの『紅白』のどういう場面が好きか?」って話。たけ平師、昭和48年「第24回」が好きなようで…だいぶ前に歌ブログでも書いていたが、初出場の八代亜紀『なみだ恋』のときに、当時八代さんが住んでいた近所の商店街の皆さんが、各々いろんな物を持ってNHKホールに駆けつけるところで感動するらしい…。まあ、その気持ちは分かる(笑)。私が選ぶ「紅白名場面」も勿論いくつかあるのだが、その中でどうしても外せないのが昭和49年の第25回大会の、梓みちよ『二人でお酒を』なんである。https://www.youtube.com/watch?v=rLjvhOfY4vgゴージャスな衣装に身を包んで、佐良直美の名司会に乗って紅組全員を応援に従えて歌った、この場面の素晴らしさったらない。特に2番は、紅組全員が舞台に胡座をかいて手拍子して応援するのだ。梓さんのことを嫌いな人もたくさんいただろう。特にね……「某ゴッド姐ちゃん」が梓さんを大嫌いなのは有名な話。でも、全員が「紅組勝利のために」個人的感情を一時だけ忘れ(本音は忘れてないだろうが!)一生懸命になる、あの場面に胸を打たれるのヨ。今の『紅白』から完全に無くなった光景。昨今の”歌手もどき”がいる『紅白』ではない。舞台上に居並ぶ面々の凄さ!島倉千代子とザ・ピーナッツが大御所、その他が水前寺清子・都はるみ・青江三奈・ちあきなおみ・由紀さおり・いしだあゆみ・和田アキ子・高橋真梨子・森山良子…。アイドル勢だと山口百恵・森昌子・桜田淳子の中三トリオに、小柳ルミ子・天地真理・南沙織…あとアグネス・チャンとか、八代亜紀とか…とにかく、まだこの時代は「本物」勢揃い!梓さんの声の艶・伸び・迫力。そしてバンド演奏も見事の一言。『二人でお酒を』のベストは、間違いなくこのテークだと思う。---------------------------------------------------------------上では悪く書いたけど(それじゃ悪く書くな!ってツッコミを受けそうだが)こんな大人の雰囲気を出せる歌手はもう出ない。二度と出ないと思う。子供対象という意味ではなく「ガキの歌」が氾濫しまくってるこの時代だもの…そりゃ難しいだろう。そういう風潮に嫌気が差して、誰にも看取られずにスパッ!とあの世へ逝ってしまったのだろうか……。だとしたら、とても素晴らしくて、非常に悲しい。またひとつ、これで昭和が遠くなった。本当に寂しいことだが時の流れは残酷なもんだから、グダグダ言っても仕方ない。それこそウジウジしてたらさ、梓さんにシャンパンを頭っからぶっかけられるかもしれん(苦笑)!梓みちよさんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。長い間、本当にお疲れさまでした。
2020年02月04日
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どうも最近このブログ、ネタ切れになることが多くて、我ながら困っていた。冷静に理由を考えてみたら、時事ネタばっかし追っかけていたから、こういうことになったみたいだ(笑)。そういうわけなので、新企画を始動させようと思う。これならネタは豊富にあるし、思いついたら書けばいいわけだから。とは言っても、相当偏った映画しか観ていないから、万人受けするものではないけれど…。さあ、始まりました!新企画始動!私の好きな映画!!第1回は「駅前シリーズ」!!!拍手~!!森繁久彌・フランキー堺・伴淳三郎のトリオ主演で制作された、このシリーズは、全部で24本ある。第1作は昭和33年の「駅前旅館」。井伏鱒二原作で名匠・豊田四郎監督によるこの文芸喜劇作品は大ヒットして、未だに名作と謳われている。第1作の「駅前旅館」は、3年前だったか、池袋の新文芸坐で催された「森繁久彌映画祭」で、初めてスクリーンで観たのだが、そのとき改めて唸った。森繁のカッコよさが素晴らしく、特に最後のシーンの良さと言ったらなかった。それから3年経って、新たなドル箱企画を考えていた東京映画は、「駅前旅館」のトリオに目を付けて、昭和36年に「喜劇・駅前団地」が制作された。これがまた大好評で、これ以降シリーズとして、昭和44年の「喜劇・駅前桟橋」まで24本制作されることになった。初めのころは、必ず「泣かせ」の場面があって、いわゆる「人情喜劇」だったのだが、だんだんシリーズとして人気が出てくると、観光映画の色あいが強くなっていった(特に後期)。当時の東宝喜劇は、都会的でモダンで洒落た感じだったが、「駅前シリーズ」は、むしろ松竹風な泥臭い感じがする作品が多かった。このシリーズ、私は大好きで全作品観ている。某英会話教室の「駅前留学」という文字を見ても、「森繁が英会話の先生で…」とか、勝手に物語を妄想してしまうほどだ(笑)。このシリーズ、出来不出来は作品によってまちまちで、面白いのは本当に見事な作品だが、つまらない作品は、どうしようもないほどつまらない(笑)。一応、4段階に分けて評価してみる。まだご覧になったことのない方も大勢いるだろうと思うので、大まかな参考になれば…。◎…素晴らしく面白い○…まあ面白い△…普通×…どうしようもなく、つまらない「駅前旅館」(昭和33年)…◎「喜劇・駅前団地」(昭和36年)…△「喜劇・駅前弁当」(昭和36年)…◎「喜劇・駅前温泉」(昭和37年)…△「喜劇・駅前飯店」(昭和37年)…○「喜劇・駅前茶釜」(昭和38年)…△「喜劇・駅前女将」(昭和39年)…◎「喜劇・駅前怪談」(昭和39年)…×「喜劇・駅前音頭」(昭和39年)…◎「喜劇・駅前天神」(昭和39年)…◎「喜劇・駅前医院」(昭和40年)…◎「喜劇・駅前金融」(昭和40年)…△「喜劇・駅前大学」(昭和40年)…○「喜劇・駅前弁天」(昭和41年)…○「喜劇・駅前漫画」(昭和41年)…×「喜劇・駅前番頭」(昭和41年)…○「喜劇・駅前競馬」(昭和41年)…○「喜劇・駅前満貫」(昭和42年)…○「喜劇・駅前学園」(昭和42年)…△「喜劇・駅前探検」(昭和42年)…△「喜劇・駅前百年」(昭和42年)…○「喜劇・駅前開運」(昭和43年)…○「喜劇・駅前火山」(昭和43年)…×「喜劇・駅前桟橋」(昭和44年)…×やはり、こうして見ると、監督が久松静児監督から佐伯幸三監督にバトンタッチされたころの作品が、いちばん脂が乗ってて面白いようだ。これ以上書くと、読むのが大変だと思うので、細かい話は、また次回ということに…。
2006年05月25日
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♫「逢うが別れのはじめとは、知らぬ私じゃないけれど」という往年の流行歌が今、頭の中に渦巻いている。この第一報は、ニッポン放送のラジオで知った。上柳アナが、時事通信社の一報として伝えたのが、13時半過ぎだったと思う。「もう、とっとと終わらせりゃいいのに…」と、ここ10年ぐらい言い続けてきたのだが、いざ本当に来年3月で終わるという知らせを聞くと…。…この異常な寂寞感は、何なのだろう?非常に不謹慎な例えなんで、怒られると思うのだが、何か長い間、闘病し続けてきた年配の知り合いが、とうとう亡くなった…と聞いたときの気持ちに似る。ここ数年は、殆ど見ることもなかった「いいとも!」。日曜日の「増刊号」すら、全く見ないで過ごすことが当たり前になっていた。出かけたりもするし。しかし、心の中のどこかで「いくら瀕死の状態、全てが形骸化された状態とはいえ、まだ『いいとも!』は毎日放送されている」ということに対する、安心感のような気持ちがあったのだろう。じゃなきゃ、こんな気持ちにはならないはずだ。でも、この淋しさに共感してくれるのは、私と同年代~5歳先輩の間くらいの年代の方じゃないかと思う。つまり「物心ついたときが、ちょうど『いいとも!』の上り調子だった世代」という方たちね。何度もここで書いたが、私は昭和54年2月生まれ、この番組のスタートが昭和57年10月。つまり私が物心ついたとき、フジのバラエティ番組の「ある種の頂点」に君臨しつつあるときだったわけだ、『笑っていいとも!』が。昭和60年前後ね。あの頃は、本当に面白かった。まだタモさんが中堅だったから…最近の「いいとも」しか知らない人には、全くもって想像がつかないだろうが、タモさん一人で進めるコーナーが、「テレフォン」以外に結構あったのだ。確か大黒様みたいな格好して、世間に対して文句を言う「おじさんは怒ってるんだぞ!」とか(笑)。他に、高田純次がやってた「純ちゃんのブラボーダンス」、小倉久寛がサックス吹いて言葉を当てる「サックスは最高」、「年齢当てコンテスト」もあった。今じゃ、中村橋之助丈の奥さまである三田寛子が、タモさんと2人でお菓子を作ったりするやつや、所さんと視聴者投稿の新しい諺を発表するやつ(『金言・格言、色紙でどうじょ!』だったか?)も好きだった。でも、いちばん好きだったのは金曜日。明石家さんま師とのトークコーナーがあったからだ。学校休んだ日が金曜だったりすると、具合が悪いのに無理矢理起きて、ヘラヘラ笑って見てたっけ。コーナー名は何度か変わったが、「日本一のサイテー男」という名前が、一番長かったんじゃないかと思う。このコーナーで吉永小百合の迷曲?「奈良の春日野」が初披露されたとき、聴いたタモさんがショックのあまり涙を流したのを、未だに覚えている(笑)。年末の「特大号」も、昔は心から楽しみにしていた。オープニングの、インチキ牧師の説教が心底好きで、画面に必死で食らいついて見ていた。「コノクツシタ…イヤ、コノタビ(足袋=度)ハ~!」なんてフレーズは、私は今でも使っている(笑)。20年ほど前の年末だったか、ものまね歌合戦のトリでさんま師が「オーストラリアの失踪花嫁」の真似をして(当時ワイドショーで大騒ぎだった)、大爆笑したのも懐かしい思い出だ(笑)。…こうして書いてみて、やっぱり私は「いいとも!」が大好きだったんだと、改めて思う。大好きだったからこそ、ここ10年ほどの内容の酷さに耐えられなくなって、見なくなったんだと気づいた。冗談抜きで、ここ数年はホントに見てなかった。全く…というとウソになるが、チャンネルを回した際、画面にパッと映ったスタジオアルタの空気が、まるでお通夜のようで驚いたのが、今年に入ってからか。そもそも、私が「いいとも」を見限りだしたキッカケは、オープニングで歌わなくなったとき。何年前だったか記憶が定かじゃないが、きちんとした番組のしきたりを崩しだした時点で「もうダメだな」と思ったのを覚えている。「テレフォンショッキング」も、単なるトークショー(それも番宣オンリー)になり、ほかのコーナーも迷走しまくっていたと聞く…。…晩節を汚した気がしないでもない。放送開始から、32年目での終了。本当に寂しいことだが、仕方がないと思う。タモさんが、単独でここまで続けたのは本当に凄い。稀有な才能と不屈の精神力、そしてその2つを表に全く見せない「アヒルの水かき」システム(?)が、ここまでの長寿番組になった所以であろう。そして病気とか、亡くなって終了ということではなく「元気なうちに幕引きできた」というのは、本当に良かったと思う。心から「お疲れさまでした」の言葉を、タモさんに送りたい。…ただ、一番怖いのが「『いいとも』を辞めると同時に芸能界からもリタイアする」ということ。これだけは、お願いだからしないでいただきたい。是非ともNHK「ブラタモリ」の復活、そしてテレ朝「タモリ倶楽部」の更なる充実を願わずにいられない(笑)。あと前から言っていることだが、月一ペースくらいで、NHKのBSあたりで「正統派のバラエティ番組」をやっていただきたいものだ。ガキ向けではない、トークとコントとジャズ演奏だけで構成されているような、洒落たバラエティが見たい!「今夜は最高!」のような。タモリ・小松政夫・山下洋輔・団しん也・坂田明あたりがレギュラーで、伊東四朗・三宅裕司・小倉久寛あたりがセミレギュラーのバラエティなんざ、いいと思うけど。とにかくタモリさん、本当に長い間お疲れさまでした。
2013年10月22日
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昨日の夕方、フジテレビのニュースで東京漫才の大御所、コロムビア・ライト師匠の訃報を知った。昨日の朝、自宅のソファに座ったまま亡くなっているのを息子さんが見つけたそうだ。享年83。本当に今年(特に9月以降)は、私の大好きな人が次々天に召されてしまう。天は、私に何か恨みでもあるのだろうか(苦笑)?東京漫才の文字通りトップだった「コロムビアトップ・ライト」の名コンビ。とてつもない不仲のコンビでも有名だったが(苦笑)、現在の爆笑問題のスタイルの原点でもある時事漫才は、断片的にしか聞いたことがないが、今聞いても結構な辛口で、実に素晴らしい漫才だったと思う。しかし、このコンビの功績は漫才だけではない。やっぱ懐メロの司会でしょ、司会(笑)!何度もこのブログで書いてきた、国宝級の価値がある東京12チャンネルの懐メロ番組の映像。今から40年前に放送された番組なのに、現在でも昨日録画したと言っても過言ではない状態で映像が多数残っているのは、本当に素晴らしいことだ。最近は戦前~戦中~戦後の歌の知名度が著しく落ちて、滅多にあの番組の映像を見ることは出来なくなったが、youtubeには結構上がっていて、珍しい歌手の映像や、大歌手の歌でも滅多にテレビで歌わなかった曲やら、検索すると色々出てくる。まあ、今年の夏の特集番組は本当に酷く、私がここでボロクソに感想書いたら、コメント欄が大荒れしたが(苦笑)、今でも私のような熱狂的歌謡曲ファンには、あの番組は「バイブル」のようなものである。あの番組の司会が、トップ・ライトのご両人だった。普段のスタジオでも、大晦日の歌舞伎座でも、変わらぬスタンスと、適度な毒舌と名調子の司会で、観客も歌手も見事にノセて、番組を高視聴率番組に押し上げた功績は本当に大きいと思う。ライト師匠のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。嫌かもしれませんが(苦笑)、あの世でトップ・ライトの名コンビを復活させて、是非ともベテラン歌手の方の司会をして頂ければと思います。子分筋の玉置宏先生もおりますし…。
2010年10月26日
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今日の16時前、知人からのメールで、お千代さんが亡くなったことを知った。いやはや、ビックリである。それしか言えない。確かに最近、NHK・テレビ東京でも見なかったが、それほど具合が悪いとは思わなかった。日本を代表する女性歌手は、だいたい長生きの人が多いのに…。二葉あき子先生が96歳、青葉先生が94歳、淡谷先生が92歳、市丸姐さんと松島先生が91歳…。お千代さんは享年75。今の平均寿命から思えば若い、若い。個人的には、そんなに好きな歌手ではなかったけど、この名は昭和の流行歌史に、美空ひばり・越路吹雪らと同格で残る「昭和歌謡の大看板」である。4月末のバタヤン、先月の川上哲治氏もそうだが、常套句でもなんでもなく、戦前・戦中~戦後どころか「昭和30年代の文化」が本当に遠くなってしまった。…変な表現かもしれないが「島倉千代子」という名と「死去」という言葉が、頭の中で結びつかないのだ。『紅白歌合戦』や懐メロだけでなく、現役歌手として普通の歌番組に、そしてバラエティ番組にも頻繁に出演していただけに、その死が信じられない。どうしても信じられない。テレビの報道を見ると、「人生いろいろ」が代表作…という扱いが殆どなのを見て「歌謡史を知らねえ奴がもう大半なんだな、世間は」という気持ちが強い。もっとも、お千代さん自身が「この歌で再デビューしたようなもの」みたいなことを言っていたから、仕方ない部分もあるのかもしれないが、どうもねえ…。やはり「この世の花」「東京だョおっ母さん」がトップで、あとは「逢いたいなぁあの人に」「東京の人さようなら」「りんどう峠」「思い出さん今日は」「からたち日記」「哀愁のからまつ林」あたりが、真の代表曲だと思う。とにかく、波乱万丈の生涯だった。この方は。かなり前、このブログで「蔵出しビッグショー」の件で、お千代さんの借金について書いた。それを引用する。その前にも大怪我したり、客の紙テープが目に当って失明寸前になったり…とロクなことがなかったらしいが、最大の波乱はこれだろう、やっぱし。昭和50年、知人に頼まれ実印を貸してしまう。その知人だけではなく、マネージャーや知らない人までの沢山の保証人になってしまう。千代子を保証人に借金を重ねた人々は行方不明になる。そして16億円の借金を抱える。後に美空ひばりから「実印は貸すな」と言われる(美空ひばりも実印を押してしまった経験を持つ)。 昭和52年、島倉に信頼され手形を裏書されていた守屋義人が事業に失敗して不渡り手形を出し蒸発。これにより島倉は2億4,000万円(当時判明分)の債務を負う。「実印の怖さ」というのを、社会人になる前に知ったキッカケは、私はこれであった(苦笑)。昨年大晦日のテレビ東京「年忘れにっぽんの歌」のフィナーレ「からたち日記」と「人生いろいろ」が、生放送での最後の歌唱になったのだろうか。あのとき…というか、ここ数年はかなり声量も声質もリズム感も衰えて、テレビで歌ってるのを見てると、脇の下に「妙な汗」がダーダー流れてヒヤヒヤ…という印象があった。昨年末もそう。歌手生活59年。長い間お疲れさまでございました。お千代さん!そっちの世界の「コロムビア大行進」は豪華ですよ~。まず尊敬する女王、美空ひばりがいますしね。他にも「大コロムビア」なんですから、お世話になった諸先輩や同輩がお待ちかねです。藤山一郎・伊藤久男・赤坂小梅・二葉あき子・霧島昇・近江俊郎・笠置シズ子・並木路子・池真理子・鶴田六郎・奈良光枝・岡本敦郎・久保幸江・織井茂子・神楽坂はん子・高田浩吉・若山彰…といったお歴々ですか?かつて一緒にステージを踏まれた方は。もちろん司会はコロムビア・トップ、ライトのご両人に玉置先生でしょうね。他に尊敬してやまぬ東海林太郎大先生も、オカッパルも、バタヤンもお待ちかねです。淡谷先生も、おハマさんも、ミネ御大もいますよ…嫌かもしれませんが(苦笑)。同じ歌謡曲黄金時代を作った、春日八郎・三橋美智也・村田英雄・フランク永井・三波春夫・若原一郎・藤島桓夫・松山恵子・花村菊江というお仲間も、待ってるでしょう。…お千代さんが一番後輩だから、ある意味キツいところも多々あるかと思いますけどね…。東海林先生と、久々に「すみだ川」でもデュエットして、旧交を温めてください。でも安藤まり子、青木光一、コロムビアローズの3人はまだ連れて行かないでくださいよ!菅原都々子先生も、三浦さんも、大津さんも、曽根さんも浮子さんもダメですよ、連れてっちゃ!お千代さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2013年11月08日
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今日は、下北沢に映画に観に行く前に、友人と2人で東京駅の八重洲口に行った。八重洲口から、少し歩いたところにある、大和証券本社ビル。このビルは、東宝マニアにゃお馴染みのビルとして有名である。「社長シリーズ」でも数本、会社の外観として使用され、また「ニッポン無責任時代」以降、数多のクレージー作品に登場しているビル。近いうちに、このビルが取り壊しになるという話も聞き、一度生で見ておこう!ということになって、その友人と2人で行ってきた。…外見も雰囲気も、昭和30年代のまま!涙が出るほど、感激してしまった。これを取り壊すなんて…ホント勿体無いし許せない事だと思う。しかしながら!私がカメラを忘れるという大失態をやらかしてしまった…ああ、私のバカ!…こんなときに頼りになるのは友人である。代わりに、その友人が見事に撮影した写真を載せようと思う(苦笑)。そしてその後、下北沢に行き、フランキー堺の映画を3本(!)見て、さすがにくたびれた。「フランキーの僕は三人前」(昭和33年・東宝)「六人の女を殺した男」(昭和40年・大映)「喜劇・日本列島震度0」(昭和48年・松竹)1本目は「僕は三人前」、昭和33年公開。3つの会社に同時に採用されたフランキーが、3つの会社を掛け持ちして仕事をするという話。それ以上でも、それ以下でもない内容。こんな事を書くのも非常に気が引けるが、本当につまらない映画だった…。脇役も、香川京子・河内桃子・中田康子・左ト全・藤木悠など、東宝にしては若干弱い配役だったからかもしれない。ただ、他の東宝映画に比べると、当時の一般人の生活が細かく描かれていた感じがあった。夏のロケ(?)だったらしく、「三丁目の夕日」以上に、リアルに描かれていた…って当たり前か(苦笑)。2本目は「六人の女を殺した男」。この映画、私は知らなかった。昭和40年公開の、スリラー色の強いブラック・コメディとでもいう感じの作品。フランキーは売れっ子の抽象画家の役。そのフランキーに、いろんな女が次々に群がってくる。ところが、全員が金目当てのロクでもない女ばっかし。前半の3人が偶然…というか、呪われたように死んでいくのに、後半3人はフランキーが自ら手をかけて殺した、というのが何となく中途半端で、ホントに惜しかった。もし6人が全員、偶然に死んだとしたら、結構面白かったと思う。またエンディングがやや長くて、観ててダレてしまい、そこも惜しかった感じ。また、女中役の岸田今日子が無表情で、黒電話を回して、110番するところが面白かっただけに、惜しい作品だった。岸田今日子だけでなく、他の出演女優も(3人目の奥さん役の人は知らなかった)いい味を出していただけに…。3本目は「喜劇・日本列島震度0」。日色ともゑ演じる占い師が、東京に大地震が起こる日を、予言した事から起きる騒動を描いた喜劇。これもまた、消化不良の作品だった…。脇の出演者は結構豪華だったんだが…。若き石橋正次に、財津一郎、南利明、三遊亭圓右(!)、何故か灰田勝彦(!!)まで出てきた。しかし何というか…、作品全体に、当時の邦画の斜陽ムードが漂っていて、どうにもこうにも、見所が薄い感じがした。しかし、こうして滅多に観るチャンスのない作品を観ることが出来て、良かったと思う。こうして考えると…「駅前」とかってのは凄い映画だったんだな(笑)。
2007年03月16日
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六代目円楽師が亡くなって4か月あまり。昨年1月から、円楽師の枠を代打で繋いできた「笑点」だが、いよいよ明日、新メンバーが入ることとなる。昨年正月の宮治師の新メンバー入りの際も物凄い箝口令で、発表の瞬間まで、事前に情報が漏れるということが全くなく、普段は口の軽い(笑)噺家関係者の口の固さに驚いたものだ。そして今回。もう前回以上の箝口令で何が何だか分からない!私も落語関係者の端くれゆえ「事前に情報を仕入れて1人でニヤニヤしてやるんだ!」な~んて心の底で息巻いていたが、そんな愚かな野望は、いとも簡単に打ち砕かれた(苦笑)。実は一昨日「新メンバーを知っている」という人に会ったのだが、聞き出すことができなかった…これはホントよ。--------------------------------------------------------------さあ!新メンバーは誰か?っつうこった。先週放送回のエンディングで、昇太師が「代打で出演した人の誰か」というヒントを言っていた。これしか手がかりはないというのが現状だが、私の理想論と現実論の折衷案で予想してみる。この1年で「大喜利」に代打出演したのは下記の31名とのこと。さっきWikipediaで調べた(笑)。桂文珍(2月13日放送分)春風亭小朝(2月20日放送分・11月6日放送分)笑福亭鶴光 (3月13日放送分・10月2日放送分・10月16日放送分)柳亭市馬(3月20日放送分)月亭八方(3月27日放送分)桂竹丸(4月3日放送分)桂米團治(4月10日放送分)桂南光(4月17日放送分・4月24日放送分)桂米助(5月1日放送分)立川志らく(2022年5月15日放送分・5月22日放送分・ 2023年1月22日・1月29日放送分)橘家文蔵(5月29日放送分)鈴々舎馬るこ(6月19日放送分)桂三度(6月26日放送分)月亭方正(7月3日放送分・7月10日放送分)立川晴の輔(7月17日放送分)柳家わさび(7月24日放送分)桂文枝(7月31日放送分・8月7日放送分)瀧川鯉昇(8月14日放送分)春風亭昇也(8月21日放送分)蝶花楼桃花(9月4日放送分)立川生志(9月11日放送分)三遊亭白鳥(9月18日放送分)春風亭一之輔(9月25日放送分)林家菊丸(10月23日放送分)桂雀々(10月30日放送分)桂文治(11月13日放送分・11月20日放送分)瀧川鯉斗(11月27日放送分)月亭八光(12月4日放送分)三遊亭王楽(12月11日放送分)2代目林家木久蔵(12月18日放送分)柳亭小痴楽(2023年1月15日放送分)今の東西落語界を背負って立つメンバー総登場、という感があることは違いない。これは私個人の意見であり、別に差別でも何でもないことをご理解いただきたいのだが、まず「上方」と「女性」は絶対に入れないほうがいいと思う。番組の色が完全に変わってしまい、三平師以上に「笑点存亡の危機」になる可能性が高い。女性初のレギュラー大喜利回答者になった桃花師は、そら人気・実力ともに凄いのは解っている。ただ、昨今のジェンダーレスなどという”めんどくさい時流”が「大喜利」に入ってきて、やれセクハラ回答だ、女性に対して上から目線だ…などという因縁で、大喜利自体が叩かれるのが嫌なのだ。左傾連中に。「上方勢」も、大半が引いて笑いを取るスタイルではないから、大喜利メンバーになると「違和感」が半端じゃなくなるだろう。だから止したほうがいいと考えている。--------------------------------------------------------------となると…である。まあ市馬会長やら志らく師匠もないだろう。文蔵師や鯉昇師も可能性はなさそうだ…。そして、たけ平師や三朝師、夏丸師という「友人の方々」は出演自体していないからこれもなし(笑)。私としては…まあ外れる可能性が高いが、以下の予想を立てた。希望的観測も含めて。本命… 昇也師orわさび師対抗… 小痴楽師or一之輔師大穴… 王楽師or桃花師or晴の輔師…とまあ、こんな感じではないだろうか?王楽師を入れたのは、亡くなった円楽師が「五代目圓楽一門会」だから(当たり前だ)、五代目圓楽一門から入れて、比率を同じにするのではないか?ということ。桃花師も…個人的には上記のとおりだが、今のスタッフならば…ということで入れてみた。立川流なら?ということで考えると、やはりBSの「若手大喜利」に出ている晴の輔師だろうか。当人は「(メンバー入りは)ない!」と言ってるが、個人的には春風亭昇也師がベストメンバーだと思っている。これは昇也師匠本人が、私が12月18日にカフェで催した会で話してくださったことでもあり、私も全く同意見だったのだが、まず昇太vs昇也で、往年の「圓楽vs楽太郎」の構図が出来る。そして宮治vs昇也で「歌丸vs小圓遊」が出来ることになって、いわゆるベーシックな大喜利のフォーマットが崩れないことになるという…だからベストだと思うんだがね…。歌丸師匠の系統をいくのなら、わさび師も問題ないとは思う。あとメンバーの比率的に、落語協会と芸術協会を同数にする(共に3人ずつ)という点で落協から…ということで考えると、適任はわさび師かもしれない。馬るこ師も少し考えたのだが、宮治師とキャラが被ってしまうので、これはないだろう。ネット上で一之輔師では?なんて声もあるようだが、あれだけ売れまくっている人が、今さら「笑点」に入るなんてことがあるだろうか?これでいくと、私は小痴楽師が入るほうが適任のような気がしている。ただ、そうなると芸術協会だらけになってしまうんだがね…昇也師だったとしてもだけど。とまあ、世の中に全く役に立たない予想(苦笑)を何時間も真剣に考えてしまったが、誰が入ったところで月曜の株価が大暴落するとかはない(笑)。だから、明日夕方の発表を楽しみに待ちたいと思う。
2023年02月04日
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連日こうも暑いと…毎年同じことを書いている気もするのだが、長時間パソコンの前に陣取って、真剣に文を書こうという気力も知力も湧いてこない(苦笑)。寝っ転がってボーッとしてるだけで、時間がウソのような速さで流れていく日々を過ごしていた(反省)。そのような中…先々月あたりからであるのだが、一時代を築いた方々が次々と鬼籍に入られた。「何を今さら」ってな内容ではあるのだが、何人かを取り上げて偲んでいきたいと思う。---------------------------------------------------------------いなせ家半七(噺家 5月11日没・享年64)関西出身で東京の噺家…という方は何人かおられる。私が親しくさせていただいている柳家一琴師匠も、そのお一人。半七師匠は山口県育ちだったとのことだが、なんせキング・オブ・江戸っ子の五代目柳朝門下ってのは、知ったときに非常に驚いた記憶がある。「なぜ柳朝師匠に弟子入りを?」という意味ね。長いこと高座を見ることができなかった師匠だったが、今年2月。浅草演芸ホールで「五代目柳朝三十三回忌追善興行」という特別な興行が10日間あって、そこで高座を拝見することができた。この興行は、三遊亭好楽師匠が久々に落語協会の定席に出るということが目玉であったが、私は「半七師匠を見られる」ということが自分の中ではメーンだった。なぜか。それは我が盟友、春風亭三朝師匠に「大師匠の追善に絶対来てよ!半七師匠も出るんだから!」と言われていたから(笑)。しかし…高座に出てきた半七師匠を見て驚いた。演芸ホールの入口にあった写真とまるで違う、明らかに「大病を患っている」という風な見た目だったからだ。そのときにお演りになったのは「京の茶漬」。例の京都人の性格の悪さを(失礼!)表した噺だが、軽くさっぱりした味わいで非常によかったのだが…。後日、三朝師匠に聞いたら、この時点で自分の余命が判っておられたのか、三朝師匠や桃花師匠に合同でお稽古を付けられたそうだ。満身創痍での高座だったのだろうと思う。----------------------------------------------------------------春日三球(漫才師 5月17日没・享年89)三球・照代と言やぁ「地下鉄漫才(乗り物アラカルト)」。今でも地下鉄に乗るたびに…って毎日通勤で乗っているが(笑)乗るたびにこのコンビを思い出す。ほんの1秒程度でも!個人的には「地下鉄」も好きだったが、今の時代を予言していたと言っても過言ではない「自動販売機」のネタも好きだった。私が小学校3年生のとき、照代先生がお昼のテレビ生放送中にくも膜下出血で倒れ、そのまま亡くなられたのは覚えている。山城新伍が司会をしていた、TBSの「新伍のお待ちどおさま」。その倒れられた瞬間は映っていなかったはずだが、その直前に滝のような汗を照代先生がかいていて、子供心に「急に体調が悪くなったんだろうなぁ…」とワイドショーで見て思ったのが忘れられない。その後、三球先生が芳賀みちるという女性芸人(だと思う)と組んで漫才をやっていたのを何度か見た記憶があるのだが、照代先生とほぼ同じ相槌を打っているのに「……こんなに面白くなくなるんだ…」と、漫才という芸の「残酷さ」を、まざまざと見せつけられたのも覚えている。その後、そのコンビも解消して落語協会も退会。ピンの漫談家になられた。その漫談はNHKラジオ「真打ち競演」で聴いたし、また同じNHKのBS2(今のプレミアム)で不定期にやっていた「衛星演芸特選」で、青空うれし先生と即席コンビで漫才をやっていたのを見た記憶もある。残念ながら、三球先生の高座を拝見することは出来なかったが、生で見かけたことが1度ある。もう十数年前になると思うのだが、霧島昇・松原操夫妻の三女で親しくさせていただいている二代目松原操(大滝てる子)さんのコンサートが、代々木上原の古賀政男博物館内のけやきホールで開かれたときのこと。私がロビーにいたか、トイレに並んでいたときだったか忘れたが、聞き覚えのある甲高い声がして、ハッと顔を上げたら三球先生が目の前にいたのだ!しかも隣には柳家権太楼師匠が!「うお~っ‼三球先生だ!権太楼師匠だ!」と興奮しまくる私。その場では声は勿論かけられなかったが、お二人で客席で並んで座られて、大滝さんのコンサートを楽しんでおられた。終演後、大滝さんに挨拶して表に出たら、三球先生は帰られていなかったのだが、権太楼師匠が1人でタクシーを待っていた。私は一応、市馬師匠との関係があって、その前に挨拶させていただいたこともあるので、権太楼師匠に近寄っていって、「お疲れさまです。以前ご挨拶させていただきましたが…」とお声がけしたら、師匠に「ああ!…君なら来ると思ったよ」と言われて恐縮しまくったのを思い出す(苦笑)。三球先生が1人でいらしたらなぁ…「先生の漫才大好きで!」と話しかけられたんだが!…って権太楼師匠に失礼か(汗)。----------------------------------------------------------------小桜京子(喜劇女優 6月15日没・享年90)叔父さんが柳家金語楼先生。元旦那は初代引田天功。なかなか凄い身内(?)の持ち主でもあった方。金語楼先生の「おトラさん」での「お豆さん」役でスターに。その後は東宝傍系の東京映画の看板シリーズ「駅前シリーズ」で活躍されたり、東宝サラリーマン喜劇映画の脇などで名演技を魅せられた方だった。1980年代~2000年代は、その姿を見ることが殆どなくなって、すっかり「過去の人」になっていた小桜さんだったが…。2015年10月に始まったBSフジの看板番組、我らが「クイズ!脳ベルSHOW」において、準レギュラーと言ってもいい扱いで頻繁に出演!11月にやっていた「11時間テレビ」でも11時間の長丁場であるにもかかわらず、ずっと出演!不死鳥のごとく復活されたのは記憶に新しいし、私も見ていて物凄く驚くと同時に、感動したものだ。クイズの正解率は低かったが(そりゃそうだ)司会の2人と楽しそうにやり取りをしていたり、微笑ましいリアクションや大ボケ解答にひっくり返って笑わされたりしたものだ。最後にお出になったのは、確か2021年の年頭だったと思う。川野アナのリアクション…っつうか、ジェスチャーヒントに赤ちゃんみたいにゲラゲラ笑ってて、岡田が「京子ちゃんが喜んでますよ!」みたいにイジっていたはずだ(笑)。「脳ベルSHOW」が週1放送に縮小されなければ、もっと多く活躍の姿が見られたかと思うし、まだ病に倒れられることもなかったかもしれない。「脳ベルSHOW」を縮小してしまったがゆえ、1人の喜劇女優の寿命は縮んでしまった。BSフジ編成部の責任は重い。「脳ベルSHOW」が週5放送のままだったなら、まだお元気でご活躍できたはずだ。生活の張りが無くなってしまったから…という可能性は、ゼロではないと思う。ちなみに、このような視点での書き方を「キチ●イ左巻きのアベガー論法」という(大爆笑)。すべてのオチが「安倍が悪い」に繋がるという左巻き独特の思考回路の文章ね(嘲笑)。それはともかく、一時代を築いてこられた方々の訃報はつらい。そして7月頭には、個人的にもっと辛い訃報もあった。こちらはまた別の機会に書くことになろうかと思う。
2023年07月20日
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