1

『笑っていいとも』『ごきげんよう』の放送が終わり、今月には『さんまのまんま』が終わると聞いた。小さいころから「あるのが当然」という、ずっと身近にあったものが、ここ数年で徐々に姿を消していく。そして、今日ネットのニュースで知った『こち亀』が今月で200巻発売&40年間の連載終了、という報。一瞬「いつだったか、ウソの最終回ってのがあったな、また同じネタをやるということか?」と思っていたら、今度は真実。「ああ、とうとうこの日が来たのか…」と、ある種の諦観と強い寂しさが、両方一度にやってきた。40年間、ただの一度も休載することなく、ずっと連載が続いてきたことは奇跡に近い。秋本治先生の強靭な体力と、毎週湧き出るアイデアの数々には敬服するしかない。ただね…私は、ここ10年以上は、全然読んでいなかった。100巻を越えた辺りから、妙な女性キャラが増えてきて、「スピンオフっぽい」ような話が多くなってきてしまい、読む気が著しく無くなってしまったのだ。だから、ここ10年間くらいの『こち亀』のことは、冗談抜きでホントに何も分からない(苦笑)。これから『こち亀』の思い出を少し書くが、今の10代~20代には分からない「20巻台~70巻台」の思い出が中心になってしまう(笑)。そして「懐メロマニア」「昭和30年代マニア」の視点で書くことになってしまうのは、ご理解いただきたい。----------------------------------------------------いつも、ここで懐メロの話題を私は書いている。懐メロファンになったのは小学校5年に上がってすぐ、NHKで3回連続で放送された『昭和の歌・心に残るベスト200曲』という特番を見たのがキッカケ。ただ、好きになる云々ではなく「私が懐メロを知った」いちばん最初は『こち亀』だった。ここ最近の連載では、おそらくそんな話題は出てないと思うのだが、初期の『こち亀』で、両さんは春日八郎の大ファンという設定だった。私が「春日八郎」という名前を認識したのも『こち亀』。両さんは、よく『赤いランプの終列車』『お富さん』『あん時やどしゃ降り』『長崎の女』を歌っていた。当時は、単に吹き出し内の歌詞を流して読んでただけだったから「ただ鼻歌を歌ってるシーン」という認識で読み進めていたが…。その後、私が懐メロファンになり、平成元年大晦日の『第40回紅白歌合戦』で、春日御大が『お富さん』を歌ったとき「両さんの好きな歌だ!」と思ったことをよく覚えている。あと『長崎の女』を初めて聴いたときも「この歌は両さんが歌ってる!」って大声を出したっけな。私も春日ファンだから、よく高校のときとか同級生に「歌手で誰が好き?」と聞かれて、戦前派の名前を出しても分からないだろうと思い、しょうがなく「春日八郎」と言うと「両さんかよ!」と何人もに言われたもんだ(苦笑)。-------------------------------------------------------人それぞれ、必ず『こち亀』で好きな話、というのがあるだろうと思う。そういうときには、両さんの幼少時代のエピソードや感動的な話(人情噺っぽい)のが選ばれるが…。…私はひねくれている(苦笑)。未だに、ごくたまに思い出し笑いをしてしまうほど大爆笑してしまったのが、確か単行本の28巻か29巻に載ってた「部長の知人が経営している原宿の喫茶店に、両さんと部長が2人で手伝いに行く」という話。礼儀もなっておらず、言葉も分からない若者連中に両さんが怒り、自分たちの知らないメニューを勝手に解釈して出してしまうのがおかしかった。「スクリュードライバー」を注文され、単に日本酒をネジ回しでかき回して出すとか(笑)。中でも最高なのが、訳の分からないポップスのBGMを聞いた部長が倒れてしまい、両さんが「部長を元気にさせるためには、ぜひ演歌を!」とか言って…。かけた歌が、林伊佐緒・近衛八郎・樋口静雄の3人が昭和12年に歌った『男なら』(爆笑)。「う~ん、最高だね、このコブシ!」というセリフを今でも覚えているから、たぶん高倉健バージョンだと思うのだが…そんな細かいことはいいか。だから、後に『男なら』を初めて聴いたときの衝撃と感動は、今でも忘れない(笑)。------------------------------------------------------「GIジョー」と「バービー人形」の詳しい知識を教えてもらったのも『こち亀』。大田区出身として、あまり知らなかった「お化け煙突」「勝鬨橋」「東京スタジアム」などの東京下町の名所を詳細に教えてもらったのも『こち亀』。中期の頃によく出てきたヤクザ「御所河原の親分」には古いギャグを教わったと言っても過言ではない(笑)。訳の分からない俳句も、よく詠んでたな…。ある意味「大衆文化の教科書」という漫画だった。私にとっての『こち亀』は。------------------------------------------------------パワーダウンしてウダウダ続けるより、惜しまれるうちに(連載40年で惜しまれるも何もないもんだが)潔くパッと終わるのが、実に『こち亀』らしいし、似合う。江戸っ子が主人公の漫画なんだからね(笑)。秋本治先生の英断、それを受け入れた集英社の方々には、心から拍手を送りたい。2020年の東京五輪をテーマにした話が読みたかった…という気がしないでもないが、それは未練だぁね。確かに寂しい、ホントに寂しい。でも、潔いのが両さんだろう。散る桜、残る桜も散る桜。秋本治先生、40年間本当にお疲れさまでした。楽しい漫画を、本当にありがとうございました。
2016年09月03日
閲覧総数 1941
2

地上波のテレビに、一定水準の出来や、何らかの希望を求めることは皆無だと思っていたが、昨晩のTBSの『ぴったんこ・カンカン』は素晴らしかった。12年間の『報道ステーション』キャスターを降りて、久しぶりにバラエティー番組に帰ってきた古舘伊知郎がメーンゲスト。復帰一発目に、この番組を選んだ古舘氏のセンスも好い。古舘アナをリスペクトし続ける、TBS安住アナとの丁々発止のやり取り、12年鬱屈していたものが一気に噴出したような、久しぶりに聞く古舘氏の素晴らしき「言葉の職人芸」の数々…。冗長な部分もあった番組ではあるが、芳村真理・徳光和夫・南美希子・加賀まりこ・高見沢俊彦という80年代の香りが一面に漂うごとき(いい意味よ!)豪華ゲストの面々とのトークに、久しぶりに「贅沢な時間」を感じられた。特に古舘氏の母校、立教大学のアナウンス研究会の学生を前に「言葉は発酵食品=キムチ理論」という話を熱く語る古舘氏と…。20数年前の古舘氏の『トーキングブルース』での「現代版『外郎売』」というべき「薬局の健康ドリンク売り」をほぼ完コピで演じきり、感極まって涙を流した安住アナに私は胸を打たれた。何というか、古舘氏の喋りは「落語」「講談」「浪曲」「歌謡曲のナレーション」に通じる「江戸~昭和から続く伝統へのリスペクト」を、他のアナウンサーより何十倍も強く深く感じる。東京の下町生まれの歯切れの良さも、もちろんあるが…やはり天性のセンスというものもあるんだろう。古舘氏の『報道ステーション』キャスターとしての姿は、私はほとんど見ていない。もちろん、ご承知のとおり「偏向報道番組」であって、放送法に完全に引っかかるといってもおかしくない程の「安倍政権叩き」「支那・朝鮮を持ち上げ日本を貶める」報道が嫌だからというのが第一義(笑)。それよりも、左巻きの意見云々じゃなく、型にハマってトーンを上げないで話している古舘なんか見たくねえ!という気持ちが、私は、より大きかったからだ。それだけに、今回の復帰を「売国奴・国賊がバラエティに戻ってきやがって!」という意見もあるかも分からないが、私は素直に嬉しい。ホント嬉しい。亀の子束子の本社前の、数本だけ並んだ棕櫚の並木を見て「お~っと!小さな逗子マリーナ!」と咄嗟に見立てる、この至藝を聞いた瞬間に、私はホント感動したもの(笑)。そして、銭湯の前ですれ違ったおばさんに…「古舘さん、どうしてニュース辞めちゃったんです?」と聞かれて…古舘「辞めたいから辞めちゃったんですよ、こういう番組に 出たくて辞めちゃいまして」安住「なかなか週刊誌の記者でも聞けないことを、よくぞ…」このやり取りに、心から嬉しくなったもの(笑)。心の中が、左巻きでも何でもいい。古舘氏には、これからまたバラエティーの司会で、宮根や羽鳥の座を簡単に崩すような名調子を聞かせてもらいたいものだ。
2016年06月11日
閲覧総数 784
3

昨晩遅く、落語仲間のOさんからメールが。「Twitterで話題のバカコラムです」との一文に、アドレスが添付してあった。http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160923-00010000-mediagong-ent私はTwitterをやらないので、PCで検索して見たが、噺家・落語ファン関係なく、怒りのツイートだらけでホントに大炎上状態(笑)。んでもって、読んだ感想だが…まず、この高橋維新なる弁護士は「落語を聴ける脳ミソを持ち合わせていない」というこった。私は幼稚園時代から30数年、落語をずっと聴いているがこういう発想になったことがない。…つうか、こういう発想をしたことすらない。こういう発想をする(してしまう)この人の脳ミソの構造が、私には理解できない。「利口ぶったバカが、いちばん始末に負えない」ってのは談志家元の名言のひとつだが、これはその見本だろう。…別に利口ぶってないか、ただのバカか(笑)。でも、弁護士をやってるくらいだから、いい大学を出てなおかつ司法試験に受かってるんだろうが…。「利口」か「バカ」かの二択でこの人を分けるならば、10000%「バカ」だね。「どんな名人が落語を演っても、私は頭の中で人物の描き分けができず、風景も見えてきません」ってのを自白してるだけだもの(笑)。-----------------------------------------------------最近は演劇っぽい落語も多いが、基本的に落語家は役者じゃないから、感情過多にセリフを言うよりは、演者の声のままリズムやテンポで人を変えていく…というのが基本形だと思う。たけ平さんも夏丸さんも、基本は地の声のまんまで描き分けをしている。…噺家なら誰でもそうか(笑)。それが「同じ噺でも演者によって印象が変わる」という落語最大の魅力になるのではないか。-----------------------------------------------------この高橋(もう呼び捨てでいいや)の全ての文章は論点ズレまくりのロンパリ状態なんだが、いちばん酷いのは、この文のような気がしてならない。「結局、落語というのは、作り手の手間を抑えてサボるための仕組みに過ぎないのではないか、と筆者には思えてならない。」高座の上に何にもないが、何でもある。それが落語や講談、浪曲の魅力ではないか。1人が1役で、舞台セットがあるものでしか物語の理解ができないのならば、芝居だけ観に行け。金輪際、落語を聴きに来るな。百歩譲って、心の中でそう思うのは勝手だが、ネットに載せるな!では最後に、高橋維新君に私から最大級の罵倒をしてお開き(笑)。蹴殺すぞ!!!!!!…待てよ。こいつは、こういうふうに言われることを覚悟のうえでこんなコラム書いたのかね?だとしたら、私のほうがこいつの掌で転がされてるのかいな(苦笑)??
2016年09月25日
閲覧総数 650
4

戦後、昭和20年代の歌謡曲黄金時代に活躍されたスターが8月30日にまたお一人、遠い人になってしまわれた。享年97。死因は老衰。もう文句なしの大往生と言い切っていいが、昭和20年代の流行歌の数々が、また遠くに行った…そんな印象を強く受けた。金翁師匠の訃報で受けた悲しみと同様かもしれん。---------------------------------------------------------------三條町子さんを最初に知ったのは、平成4年9月末放送のテレ東「昭和歌謡大全集・第3弾」だった。その前、私が昭和歌謡を好きになったキッカケの、平成元年5月にNHKで放送された「昭和の歌」にも過去映像で出ていたのだが、そのときの印象は殆ど残っていなかった(映像は昭和52年8月放送「第9回思い出のメロディー」の「かりそめの恋」)。それで前述の「第3弾」のとき、二葉あき子と菅原都々子の隣に、あまり歌手オーラを感じないおばさんがいるな…と思っていたら、その方が三條さんだった。こんな書き方ぁ失礼極まりないが(汗)。そして非常に訥々とした地味な語り口で、確か岡晴夫・小畑実・津村謙の話をされていたと記憶している。そして「なつかしの歌声」のVで「かりそめの恋」が出てきて、母親が「この歌知ってる!」と隣で歌いだしたのだ(笑)。ちょっとぶっきらぼうな調子で、平野愛子とまた違う気だるさ…とでも言うのだろうか?中学2年ながら、そんな歌い方が強く印象に残ったのを思い出す。------------------------------------------------------------------三條さんは、昭和23年に本名の「宮野信子」でキングからデビュー。生涯、一貫してキングレコード専属だった。確か「泪のブルース」がデビュー曲だったはず。翌年に芸名を「三條町子」にして出した「かりそめの恋」が大当たり。以降「東京悲歌(エレジー)」「私は銀座リル」「想い出のランプに灯を入れて」などがヒット。紅白にもラジオ時代に2度出ている。NHKとテレ東の夏&大晦日の歌謡特番に出ることは少なかったが、私は10回に満たない程度ではあるが、生の三條さんの歌声には間に合っている。靖国神社の「みたままつり」と「歌謡祭」。共に日本歌手協会が主催するイベントだが、三條さんは比較的多く出演されていて、「かりそめの恋」「東京悲歌」が生で聴けたのは幸せであった。あと2012年にNHK「歌謡コンサート」(今の「うたコン」)に出演されたときも、私は客席にいた。確か知り合いに誘われて、2人で見ていた記憶がある。勿論、代表曲は「かりそめの恋」「東京悲歌」の2曲なのだが、個人的には「私は銀座リル」が強く印象に残っている。この歌は津村謙の「上海帰りのリル」のアンサーソング的な側面がある感じの歌なのだが、前述した三條さんの”ぶっきらぼう”というか”客観的”というか”突き放したような”歌い方にマッチした佳曲だと思っている。残念ながらSP盤は持ってない(苦笑)。----------------------------------------------------------------これで「SP盤の時代から歌手活動をされている」元気な方は…菅原都々子先生は戦前デビュー(昭和12年から)だから凄いが、戦後限定でいくと、女性ではコロムビア・ローズ。男性では青木光一・三浦洸一・曽根史郎・白根一男…ぐらいであろうか?しかし青木会長も三浦さんも、ここ6~7年は「歌謡祭」にも出てこられないし、実質歌えているのは曽根さんと白根さんとローズさんぐらいであろう。昭和30年を越えたら、大津美子・二葉百合子(引退しているが)・浜村美智子ぐらいだろうか。そりゃ60年以上の歳月が流れているわけで、人の世の常・避けられない運命で、亡くなられてしまうのは仕方ないことなのだが、それでもやはり寂しさ・時代の流れの無常さを感じずにはいられない。それにしても、97歳の大往生というのは本当に凄いことだ。三條町子さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2022年09月01日
閲覧総数 828
5

平成4年4月1日に放送された最初の『昭和歌謡大全集』。当初は開局25周年記念の単発企画だったそうな。とにかく、この番組を見た衝撃は未だに忘れられない。前回書いた『第11回日本歌謡祭』のときに流れた映像は、あくまで「故人を偲ぶ」というコンセプトだったらしく、イントロ・間奏・コーダなどは切られたものが流された。ところが、この番組はイントロ~コーダまで一切切らず、1曲すべてを丸々放送してくれたのだ。そして、私がいちばん驚いたこと。それは…『なつかしの歌声』は、なんと毎週レギュラーで放送されていた番組だった!!ってこと(笑)。記念すべき一発目に放送された『丘を越えて』の放送日が、夏でもなきゃ大晦日でもない、至って普通の日にち(笑)だったのを見て、初めてその事実を知ったのだった。小唄勝太郎のカラーVTR・メガネをかけてない若き日のディック・ミネや灰田勝彦・その当時は、まだまだ普通に歌っていた大御所(菊池・二葉・近江・林・織井など)の若き日の映像…。とにかく、ちょっとイッちゃってる?と周囲から言われても仕方ないほど興奮してばかりいた(笑)。ここで、個人的に勝手に思う『なつかしの歌声』の魅力。1・バンドの音がいい!!この番組のVTRを見て、初めて知ったことのひとつに「ベースがエレキじゃなくてコントラバス」というのがあった。昔のフルバンドの写真を見れば、基本ベースはコントラバスなのだが、当時私はガキだったので…「えっ?ベースってエレキじゃないんだ!すげえ!」…と当時は感激していたのだ(苦笑)。また、この番組における伴奏は、基本SP盤のアレンジに忠実でありながら、それを「ひと捻り」させる抜群の編曲にあったように思う。そこは、水谷良一先生の腕だったんだろうな~。ついでに言えば、この番組の指揮者・水谷先生のマネして指揮棒買った人もいる、私のグループに(笑)。2・マイナーな歌でも平気で放送する!!前回書いた藤山一郎先生の追悼番組で、ほかの放送局に絶対にないような曲が山ほど放送されたと書いた。『上海夜曲』も『燃える御神火』もそうだが、凄いのは当時レコードにならなかった『なつかしの海南島』という戦時歌謡を歌っていたこと(笑)。これが歌謡曲マニアのボルテージを上げるんだ、また!歌手も志村道夫、鈴村一郎、照菊なんかのVTRが残ってるし、まだ見ぬ貴重な曲目&歌手もあるんだよ、これが(笑)。詳しくは、私のHPをご覧下さいませ(笑)。「なつかしの歌声 放送記録」で検索すると見られます。3・セットがいい!!今の目で見ると「セコセコ」なセットなのだが、これがまたマニアには堪らない(笑)。公園やらホテルやら街角で、妙なオブジェや数段の段差を見かけたら、懐メロを歌いたくなる衝動に駆られる友人が20人近くいるんだから。完全な病気だけど(笑)。しかし…上記3つもいいのだが、私が最も惹かれたもの。それは…マイクロホンの形状(笑)!!!漫才や落語でしか見たことない「SONYのC38」で歌を歌われるお歴々の素晴らしさ!↑こういうスタイルね。それまで私は、ハンドのほうが歌いやすいだろうに…と思っていたのだが、『なつかしの歌声』にハマって以降、センターマイク一辺倒になってしまった(笑)。そしてハンドマイクも、いわゆるカラオケボックスにある普通の形状ではなく、単なる細い銀の筒状のやつがいいと思うようになってしまい…(苦笑)。↑この形のやつ。ヤフオクに出ないかな?これ(笑)。…何から何まで『なつかしの歌声』の形式に準じてでないと歌が歌えない体質になってしまったのだ(苦笑)。次回が完結編。まだまだ終わりじゃござんせんよ…(笑)。
2015年08月11日
閲覧総数 2201
6

今朝、新聞を開いて、訃報を知り絶叫してしまった。まさに「巨星墜つ」。冗談抜きで「死なない人」だと信じて疑わない節があったから、本当に驚いた。矢来町のときみたいに「これで落語が終わった」などとバカなことは決して言わないが「戦後落語黄金時代」は終わった…という気がする。もちろん、まだ金馬、米丸、笑三というお歴々がいるが、テレビ・ラジオ・映画と全てにおいて超人的な大活躍をされた最後の生き残りの噺家が、圓歌師匠だったと思う。落語家の枠を軽く飛び出して、全国区の大スターだった師匠だものね。享年88。一部報道で「享年85」と発表されたようだが、これは空襲で戸籍が焼け、後に改めて戸籍を作った際に昭和7年生まれになっちゃったから。ホントは昭和4年の生まれ(のはず)。圓菊師・金馬師と同い年のはずだ。…ちょっとサバぁ読んだのか(苦笑)?--------------------------------------------------------「昭和の爆笑王」という称号は、たけ平師の大師匠である林家三平師に付けられることが多いが、「真の爆笑王」は私は圓歌師だと思う。「授業中」「月給日」「浪曲社長」「中沢家の人々」…。私は生で「中沢家」と「御前落語」しか聴いていないけど、圓歌師匠がウケなかったところを見たことがない。どんなに重い客席(昼間の末廣亭とか)でも、圓歌師匠が高座で喋りはじめると、クスクス笑いが徐々に起きてきて、最終的には「天井が壊れるんじゃないか?」と思うほどの大爆笑になったのを何度も経験した。本当にカッコよかった。これは、ウチの母親がよく言っているのだが、歌奴時代に一世を風靡した新作落語の「授業中」。今日の訃報では「山のアナアナ」ばっかし言われていたが、母親曰く「『授業中』は、一席まるまる全部が流行語」と言ってもいいほどだったらしい。それが証拠に…最近、ハンバーガーのパンのことを「バンズ」と言うことが増えたが、この言葉が出ると我が家では…「バンズバンズ(まんずまんず)、座ってけれや」「おい、饅頭座って蹴飛ばせとよ!!」…という「授業中」のフレーズを必ず言う(笑)。ワインの「マンズワイン」ならば、もっと言う(笑)。あと「浪曲社長」の…「♪敵の爆弾、雨あられ、親父目掛けて、ガバと!!」「当たったのか!?」「♪弾がよ~けていきまし~た~」…てえのも、名フレーズであろう。65歳以上の日本人で、小さいころに、ある程度テレビやラジオで演芸番組を見ていた人なら、100%近く知ってるフレーズだと思う。歌奴時代は、神風タレントとしても大活躍をされた。ドラマにも出まくり、東宝の『落語野郎』シリーズには4作全部に出てるし、そのうち1本は主役だし!明治チョコのCMの「おれ、ゴリラ。社長の代理」ってのも一世を風靡した大流行語でもあったわけだし。------------------------------------------------------------しかし、最強に凄い功績は、上田敏が(上原敏じゃない!)訳詩した、カール・ブッセの『山のあなた』を、全国区にしたということであろう。「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う…」というこの名訳詩を、虎造節で唸りたくなるのは、私だけではあるまい(苦笑)。8~9年前に、末廣亭で1度だけ聴いて腹ぁ抱えて笑ったエピソード(クスグリ)があった。ほかの高座では私は聴いたことがないクスグリ。まあ、圓歌師匠の言うことだからウソなんだろうけど(笑)昭和30年代~40年代、あるテストで「『山のあなた』の作者を書け」との問いに、70%の学生が「三遊亭歌奴」と書いたという(笑)。でも、これが事実であってもおかしくないほど流行った…ということを如実に表すクスグリだと思ったっけ。一度でいいから、寄席で生で「授業中」と「浪曲社長」を聴きたかった(涙)。------------------------------------------------------------私は何度となく「中沢家」で客席をひっくり返した場面に出くわしているが、最も印象的なのは、2012年6月29日の鈴本演芸場「第3回・鈴本囀の会」にゲスト出演したときの「中沢家」。三遊亭司・林家たけ平・柳家喬の字の三人会に、ゲストで出演された、このときの高座は忘れられない。孫弟子の司師も、たけ平師も「震えた」と後に言うほどの完成度&大爆笑で、若手相手でも決して手を抜かない姿勢に「藝人スピリッツ」を感じ、感動したものだ。…誰か録音してないかな?あの高座(笑)。-------------------------------------------------------------私は三平師の高座には間に合ってないが、圓歌師の高座はバッチリ間に合うことができた。何回か数え切れないほど、生で「中沢家」を聴き、次に何を言うか分かっているのに涙を流して、腹ぁ抱えて爆笑した。この十数年間。もう「中沢家」が生で聴けないのが、信じられない。正月の寄席の看板に(通常興行もだが)「圓歌」の名前が二度と出ないというのが、信じられない。圓蔵師匠のときも同じことを書いたが、今まで何度となく大爆笑させていただいた分、辛さと悲しさが半端じゃない。「『しばらくでしたぁ~中沢さん…』同級生だョ、俺の!」「『猪木が危ねえ!』、テメエのほうがよっぽど危ねえ」「可哀想なのは鳩だよ、豆ェくれるンだか、くれねンだか…」…このフレーズを書いただけで、もう涙が出てきてしまう。ここでも書いたが、一昨年の3月8日、三遊亭司の真打昇進披露パーティーの終宴時。勇気を振り絞って、圓歌師匠に挨拶させていただき、2ショット写真を撮っていただいた。談志師匠ももちろんだが、戦後の落語の歴史を語るときに欠くことのできない大重鎮と話せた、写真を撮ってもらったというのは、本当に私の中の財産である。圓歌師匠、本当に長い間、お疲れさまでした!噺家生活は72年…ということになりますでしょうか?心より、ご冥福をお祈り申し上げます。
2017年04月24日
閲覧総数 644
7

昨日「東海林太郎歌謡芸術保存会」に2度目の参加をした。まあ~10月とは思えぬ猛暑で、ホントに汗ダクダク!親友の懐メロ仲間2人の不参加(仕事の都合だと)が非常に残念だったが、物凄く充実した時間だったネ。そして猛暑で倒れそうになった(苦笑)。今日は休日なのに私は出勤だったので、二次会が出来なくてそこが本当に残念。今月中にゃリベンジの飲み会やるぞォ!…つうか、やりたい!みんなの都合は知らんけど(笑)。--------------------------------------------------------------------さて、私は10年以上に渡り、このブログで12チャンネルの看板番組『なつかしの歌声』について書いてきた。…こういう書き出しの文章、何度書いたか分からん(苦笑)。その『なつかしの歌声』最強のライバルと言われてきたのが、大阪・よみうりテレビ制作の『帰ってきた歌謡曲』。昭和45年4月2日(木)から放送スタート、そして『なつかしの歌声』と同じ、昭和49年3月末に終了した懐メロ番組。司会は、上方の大御所だった大久保怜。大村崑の師匠としても知られる方。東京出身の私は、ちょっとピンと来ないけど…。珍しい歌手の出演も多く、珍しい曲目も多数歌われたというこの番組について、私は全く調べようとしなかった。今から10年以上前、『なつかしの歌声・データベース』のHPをやっていた時分、京都の懐メロマニアの方から、放送時に付けていたメモを頂戴したことがあった。だが、所々の放送回の記録が抜けており、完全版のDBを作るには、それこそ国会図書館に1週間は通い詰めなきゃならないうえに、『なつかしの歌声DB』以上に作るのに骨が折れそうだったので、断念していたのネ。----------------------------------------------------------------------先々月だったか、愛知県在住の懐メロマニアの後輩(大学の卒論で『懐メロブーム』をテーマにしたという凄い人!)からメールが来て、「『帰ってきた歌謡曲』のデータベースを作ってもいいですか?」と言われた。何度も会ってる友人だし、私に一応”仁義を切る”姿勢が見えたので、私は「そりゃ是非!」と、上記のメモ書きを2か月かけて探し(笑)それをスキャンして、メールした。それが一昨日の晩。そうしたら、その後輩が「途中まで」とはいいながら、Excelでデータベースを送ってくれた。だいたい、番組の中期くらいまでだっただろうか。これがまあ、緻密!私が20年前に作った『なつかしの歌声』のデータベースとは、月とスッポンという差であった(苦笑)。-----------------------------------------------------------------------その放送記録を丹念に見ていくと、ぼんやりと話には聞いていた『帰ってきた歌謡曲』のエピソードの出処の回が判明したりして、非常に興味深かった。10年以上前、玉置宏先生から直で聞いた「岡晴夫が収録会場まで来たのに体調不良で倒れ、そのまま東京へとんぼ返り→即入院→そのまま死去」になってしまった回の詳細も判っていた(!)。これから、また私が貰ったメモ書きと、後輩が独自に調べていく詳細とで、より正確な放送記録が作れるだろう。楽しみだ!…こういう情熱に溢れ、調べるためには一切の手間を惜しまない「真の懐メロ研究家」が、ウチのグループにいて良かった(笑)。再三言ってることだが、Twitter上で文句を言ってるだけじゃぁ、道が開けるわけがない(苦笑)。
2018年10月08日
閲覧総数 1669
8

先週の「昭和歌広場」の疲れが抜けないな…なんて思って過ごしていたら、何も書かずに1週間!ダメだな、やっぱりもう少し頻繁に書かにゃ…。今日放送の『笑点』、何と番組放送50年目に突入!!これは本当にすごい、前人未到の大記録であろう。いま現在(ここ10年ほど)、落語ブームだ何だと言われているけれども、ごく一般人には、そんなブームぁ来ていない。都内の…まあ…数千人の演芸マニアが、毎日いくつかの寄席と落語会をグルグル回っているだけ、というのが実情だ。一般人と「落語・寄席演芸」を繋ぎ留めている唯一のもの、それが『笑点』だと言い切っていいだろう。演芸マニアの過程として、誰もが経験していく「流れ」というのがある。これ、40歳以下の演芸マニアだったら、殆どの人は、この流れを経験しているんじゃないかと思う。…少なくとも、私はそうだった(苦笑)。1・『笑点』で落語に興味を持つ。2・古典落語が好きになると『笑点』をバカにする。 (下手したら何年も見なくなる)3・『笑点』が、一般社会と落語を繋ぎ留めていることに 気がついて、また毎週見るようになる。…結構こういう人、いるんじゃないだろうか(笑)?だから、正月とかGWの浅草の昼席とかで木久扇師匠やたい平師匠が出てくると「つまんないからいいや」とか言いながら、席を立つ人を稀に見ることがあるが…。私は「ああ、こいつぁまだまだニワカだな」と心の中でコキ下ろして、思いきりバカにしている(笑)。私も高校時代に落語マニアになったとき、ほんの一時だが「『笑点』見て喜んでいるヤツぁガキ、ガキ!やっぱし志ん生や文樂を聴かなきゃ!!」なんて粋がっていた暗黒の?大馬鹿時代があったものでね…(苦笑)。『笑点』の力は偉大なり!まるで、イスラム国のテロリストのような発言でもあるが、私は内容云々とかでなく、落語好きとして心底こう思う。ただ、今日の放送を見ていて気になるのは…。なんか、この50年間の歴史を振り返るような特別番組を作ってくれなさそう(レギュラーで祝い事を済ませそう)な感じがするのだ(苦笑)。上にも書いたとおりで、これは前人未到の大記録なんだから、3時間ぐらいの特別番組を作るべきだと思う。日本テレビだって、アーカイブスの中をひっくり返せば、談志時代~前武時代~三波時代初期(昭和41年~46年)のVTRが、ことによると見つかるかもしれないんだから、なんとかすべきでしょうよ!上の写真の時代の映像を見つけてほしいもんである。…まあ、とにもかくにも50周年おめでとうございます!そして…まあ非常に不謹慎な発言ではあるが、歌丸師匠や木久扇師匠にもしものことがあっても、若手の落語家を抜擢してレギュラーにしたりしながら、未来永劫『笑点』は続いていってほしい。
2015年05月17日
閲覧総数 1769
9

先週と今週、土曜の午後に文化放送で放送してる「伊東四朗・吉田照美 親父熱愛(パッション)」という番組で、面白い特集をやっていた。「この曲とこの曲は似ている」まあ、昔からありがちな企画ではあったけども、非常に面白くて、録音したのを寝る前に聞いて、大笑いしてしまった。「サウンド・オブ・サイレンス」と、由紀さおりの「夜明けのスキャット」とか。平浩二の「バス・ストップ」と、プラターズの「オンリー・ユー」の出だしとか…。山田太郎の「新聞少年」と、クールファイブやアローナイツが歌った「中の島ブルース」とか…。都はるみの「涙の連絡船」と、大下八郎の「おんなの宿」とか…。言われれば、確かにコード進行とかメロディーラインが同じで、大笑いしつつも驚いたり、感心したりで、結構面白かった。ダントツにそっくりで、盛り上がったのは、村田英雄先生の「皆の衆」と、近江俊郎先生の「ハバロフスク小唄」。まあ、これは前々から歌謡ファンの間では有名だが、2曲続けて聴いたら、すんごい笑ってしまった。そういえば、私が中学くらいまでのころ、よく「若いか若くないか判別するテスト」ってのがあった。それが…「♪チャンチャンチャ~ン、チャンチャンチャ~ン」…という、2小節のメロディーを聴いてみて、藤山先生の「青い山脈」のイントロと取るか、「ジングルベル」の出だしと取るか、というもの。上記のメロディーは、「♪ジングルベ~ル」の箇所と同じなので、よく「青い山脈」のイントロを口ずさむと「年寄りだ!」と馬鹿にされたものだ。あと、ウチの従姉妹が、小さい時に見てたアニメの「セーラームーン」のテーマが、倍賞千恵子の名曲「さよならはダンスの後に」と瓜二つ、ってのも一時は有名な話だった。私が思っているものだと、加山雄三の大ヒット「君といつまでも」と「恋は赤いバラ」の2曲も、コード進行がそっくり。これは結構、気付いてる人が多いと思う。でも、「恋は~」のほうが先に出来た歌だから、「君と~」のプロトタイプということもあるかもしれないけども…。他にもまだまだ、よく聴きゃそっくり、っていう曲は大量にあるんだろうな~。人間の考え付くメロディーなんて、限度ってもんもあるだろうしね…。
2007年06月24日
閲覧総数 3192
10

今日の午後、職場で松山恵子(お恵ちゃん)の訃報を知った。確か、3月くらいだったと思うが、「肝臓ガンで闘病中」だというのは、テレビで聞いていたことは聞いていた。だが、こうもあっさりとあの世に行ってしまうとは思ってもみなかった、というのが正直な感想。職場で周囲の人間は「松山恵子って誰?」ってリアクションだったけど…。テレ東の「年忘れにっぽんの歌」、「夏祭りにっぽんの歌」、「昭和歌謡大全集」そしてNHKの「思い出のメロディー」、この4番組に欠くことなく、毎回毎回顔を見せていて、「出てるのが当たり前」「いるのが当然」だった人が、いなくなってしまうというのは、非常に喪失感が大きい。私は3回くらい、生のステージを観ている。初めて見たのは、「第28回NHK思い出のメロディー」の観覧募集に当たって、NHKホールに行ったときだった。「お別れ公衆電話」を歌ったのだが、直径5メートルはあろうかというグリーンの落下傘スカートで、場内大歓声だったのを、今も強烈に覚えてる。スカートの中にスポッと入る挨拶を、歌い終わって帰るときに何度もしていて、司会の宮本アナに「人間スプリンクラー」と形容され、会場大爆笑になったのが強烈だった(笑)。最後に生を観たのは、昨年秋の「日本歌手協会・歌謡祭」。「だから言ったじゃないの」を、いつもどおりに歌って、いつもどおりのステージだったんだが…あの時はすでに、体調が悪かったんだろう。私個人は、決して好きな歌手ではなかったが、この人の歌を聴かないと、どうにも「ナツメロ番組」を観ている気になれなかった。それくらい歌謡番組には必要不可欠のスターだったと思う。「十九の浮草」「未練の波止場」「だから言ったじゃないの」「お別れ公衆電話」「アンコ悲しや」「別れの入場券」などなど、大ヒットも数多いし。ド派手なフランス人形のような、豪華絢爛なドレスで華やかに登場し、「お恵ちゃ~~ん!」というファンからの強烈な掛け声に、「ハ~イ!」とハンカチを握った手で応え、良く言えば大衆的、悪く言えば下品という言い方になってしまうが、あのアクの強い歌い方で強烈なインパクトを、観る者に残すプロ中のプロ。あのステージはホントに見事。下品とは言っても、悪い意味ではなく、今の歌手連中(小汚い女性ね)のような「醜い下品」ではなく、「大衆性」と言ったほうがしっくりくる感じの…。今の歌手連中は、男女問わず、ホントに下品だからなあ。また今日の今日まで、私生活が全然わからないのも見事なことだと思う。「昔のスター」のままで、今日まで第一線に居続けたのだ。私生活を切り売りする芸能人が多い中で、これは本当に素晴らしいことだ。お葬式は「密葬」にするそうだが、これもベストの選択だと思う。病みやつれた顔を、昔からのファンには見られたくないのが当然だろう…。ファンのために休むことなく歌い続けて、それで寿命を縮めてしまったのかもしれない。それにしても、あの名人芸を、2度と生でもテレビでも観られない、というのが信じられない。「いるのが当然」の歌謡番組にも、これから、もう2度と出てこられないのが、ウソみたいだ。今頃は、あの世で、東海林・藤山・淡谷・ミネといった歌謡界の大先輩に挨拶でもしているところだろうか。そして、ファンの人たちに向かって、こう言ってるに違いない。「あんた、泣いてんのネ」と。ただただ、一歌謡曲ファンとして、冥福を祈りたい。
2006年05月08日
閲覧総数 590
11

いや~、良かった!もう最高!!今晩のBS2「ビッグショー」は、今も現役、我らがバタヤン・田端義夫の31年前の舞台。「田端義夫・ギターかかえて37年」昭和51年4月18日放送。元々、私はかなり田端ファンだし、こんなに放送が待ち遠しい「ビッグショー」も本当に久々だった。お馴染みの大ヒットから、ファン向けの「中ヒット」まで、歌いまくる45分間!ファンファーレが鳴って、緞帳が上がって、いきなり聴こえてきたのは「海のジプシー」!毎度お馴染みの「オ~~~ッス!!」の挨拶!「バタヤンッ!!」と応える客席のファンも、ハナっから興奮状態!!1番と2番の間奏で、また「オ~ッス!!」それだけ根強いファンが多い、ということがこれだけで、よ~く分かる。あとはもう、大好きな歌のオンパレード!!その一言に尽きる。曲をいちいち書くのは、野暮であろう。ゲストで出てきた西崎みどり(現・緑)とのデュエットも、今じゃ「ミスターかくし芸」の堺マチャアキのトークも文句なし!童謡の「浜千鳥」が聴けたのも嬉しかった。同年代の歌手が、ほぼ全員鬼籍に入った中、米寿を過ぎても、まだまだ元気なバタヤン。今日のVTRのような勢いは、今の舞台にはないけれど、もう生きてるだけで十分!これからも、お元気でいて下さい!!さて、この番組、来週はサブちゃんで、その次は森光子、その次がお千代さん。これから3週も、十二分に歌謡曲を堪能できる月曜の夜になりそうだ。ウキウキしちゃうなあ、ホント!
2007年05月07日
閲覧総数 104
12

なんで亡くなられたことを、半年以上も伏せていたのかよく分からないが…とにかく残念だった。故・平田昭彦、佐原健二と並ぶ「東宝特撮映画の雄」、俳優の土屋嘉男さんが、2月に肺がんで亡くなっていたことが今日わかった。享年89。昭和2年生まれだから…大往生に近い年齢だと言ってもしょうがないかもしれないが、東宝映画を愛する私には本当に辛い訃報である。黒澤明監督作品の常連であり、その黒澤監督の盟友である本多猪四郎監督作品の常連でもあった土屋さん。戦後の東宝を代表する数々の作品で、素晴らしい演技から鬼気迫る怪演まで、様々な顔を魅せてくださった。-----------------------------------------------------世間は、昭和35年の『ガス人間第1号』を代表作として見るのだろう。あの作品は確かに凄かった。八千草薫の美しさもさることながら、特撮映画であると同時に「悲恋もの」の傑作であると言えよう。ただ、個人的には他の作品を推したい…気がする(笑)。個人的には…そうさなあ…「宇宙人演技」を初めてやった『地球防衛軍』のミステリアン総統役かなぁ?顔が全く見えてないけど、当人が「宇宙人を演りたい」と直訴してキャスティングされたという。あと『怪獣大戦争』のX星人も代表作だろうネ。小さいころ、家に母の黒いプラスチックのカチューシャがあって、それを目のところに持ってきて、X星人の真似をしたもんだ。『マタンゴ』の怪演も良かったし、『美女と液体人間』や『電送人間』の刑事役での抑えた演技も素晴らしかった。『フラバラ』での大尉役も良かったなぁ…池袋・新文芸坐のトークショーでは、出てたことすら、すっかり忘れていて、司会のみうらじゅんから激しいツッコミを受けていたのが忘れられない(笑)。そうそうそう!『ゴジラvsキングギドラ』の新堂会長役を忘れちゃいかん!あれも抑えた演技で、ゴジラと対峙したときの表情は、どこか陰のある土屋さんの魅力が最大限に発揮されていたように思う。----------------------------------------------------------上にも書いたとおり、どんなに明るい表情をしていても、どこか常に陰があるような、天知茂とは違うニヒルさ…とでも言うのだろうか?そんな役者さんだった。時代劇でも、非常に渋い佇まい・独特の低音の台詞回しが物語に奥行を与えていて、ストーリー自体は大したこたぁなくても(苦笑)、ドラマが重厚になったものだ。たった一度だけだったが、池袋・新文芸坐のトークショーで生のお姿を拝見することができたのは、私の財産である。生で『ガス人間』のセリフも演ってくださったし(笑)。土屋嘉男さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。長い間お疲れさまでした。ありがとうございました。
2017年09月07日
閲覧総数 150
13

『第14回・歌で綴る昭和の時代』開催日…7月12日(水) 会場…お江戸日本橋亭http://www.ntgp.co.jp/engei/nihonbasi/index.html開場…18時30分 開演…19時 終演…21時(予定) 料金…(予約)2,000円 (当日)2,500円 出演…林家たけ平、桂夏丸、神田真紅 (歌謡ショー司会&構成)林田雄一 第1部…「落語・講談競演」 第2部…「思い出のヒットパレード」 予約先(メール)sink97@excite.co.jp (電話)09072228704下記のメールアドレス・番号でもご予約・お問い合わせを承ります。 4890mffs@jcom.zaq.ne.jp 0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp 090-4183-2028さあ、開催まであと2日!まだお席がございます!昭和の時代に生まれた不滅の流行歌、そして落語と講談を一度に味わえる豪華企画!これを見逃しちゃいけません!たくさんのご来場、心よりお待ち申し上げます!!------------------------------------------------------------------------朝也改メ春風亭三朝・真打昇進記念公演 『林家たけ平・春風亭三朝二人会 ~出囃子で振り返る戦後落語黄金時代~』 開催日…7月14日(金) 会場…浅草ことぶ季亭 開場…18時30分 開演…19時 終演…21時(予定) 料金…(予約)2,800円 (当日)3,000円 出演…林家たけ平、春風亭三朝、松尾あさ社中(お囃子)、 林田雄一(司会) 第1部…落語競演 第2部…出囃子で振り返る戦後落語黄金時代 内容のお問い合わせ・チケット予約はこちらまで 4890mffs@jcom.zaq.ne.jp 0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp 090-4183-2028ご予約の際「お名前(フルネーム)」「連絡先(携帯電話 番号など)」「枚数」を必ずお伝えくださいませ。 こちらの会も見逃しちゃいけませんよ!下町情緒あふれる台東区浅草!地下鉄「田原町駅」下車徒歩5分!にあります「浅草・ことぶ季亭」で開催いたします!第1部は、たけ平師・三朝師が長講を1席ずつ。中入り後は昭和の名人の数々の出囃子を、落語協会のお囃子さんである松尾あささんの三味線と、新真打・三朝師の太鼓でたっぷり お楽しみいただく、超ゴージャスな会!そして、かつて、この「ことぶ季亭」で定期的に開催されていた「たけ平・朝也二人会」の復活でもあります!ただ、私が『東京かわら版』に広告を載せるのを忘れたので、かなり「シークレット」的な会になってしまい…(笑)。このブログをご覧になった落語ファンの皆さま、TwitterやSNSなどで宣伝をしていただければ幸いです!会場の詳細な情報は、下記の公式HPアドレスから ご覧くださいませ。http://asakusakotobukitei.jp/
2017年07月10日
閲覧総数 206
14

現林家正蔵(元こぶ平)、正蔵襲名の際の祝儀を申告しないで、所得隠しが2400万円、追徴課税が4200万円!!あの家(というか兄弟)の金持ちぶりは、確かに常軌を逸脱していたような気がする。「貧しい暮らし」というか、そういうものが根底にある落語を、大金持ちが語ったって、説得力があるわけない。それはともかく、毎週月曜日のお楽しみ、今晩の「ビッグショー」は…「藤山寛美・役者の履歴書」昭和51年3月28日放送。今回は歌番組というより、全体的にドキュメンタリーの趣のある45分。それゆえ、歌好きには物足りない番組ではあったが、「がめつく生きろ」というオリジナルソングを歌っていたりして、その場面は貴重だった。また、オープニングのクレジットで「藤山寛美」と出たあとに「稲垣完治」(寛美の本名)とクレジットされたのが印象に残った。中で、合成を使って「稲垣完治」が「藤山寛美」と対談をするシーンがあったからだが、これも珍しいものだった。それはともかく、普通「ビッグショー」はVTRで録画されている。ところが、何故かこの回だけ「キネコ」という方式で録画されてて、全編に渡ってフィルムの映像だったのが不思議だった。VTRだったら、この番組に対する印象も、また変わったかもしれない。来週の五木ひろしはともかく(苦笑)、5月の1発目が待ってました!!我らがバタヤン・田端義夫!これは楽しみだ、ホント!
2007年04月16日
閲覧総数 68
15

昨夜、寝る前にYouTubeで、いろいろ映像を検索していたら、とんでもない映像…つうか、音源を見つけて腰ィ抜かした。TBS『8時だョ!全員集合』の極めて初期の音源。しかも、1つは昭和44年12月放送の音、もう1つは「第1期最終回」(昭和46年3月27日放送)のエンディングの音!これには本当に驚愕したし、思わず口をついて出た言葉は「やっぱ、あるところにはあるんだなぁ…」だった(笑)。しかも、音だけだと思ってたら、画面の左下(或いは右下)に小さくモノクロの映像が出ているではないか!!つまり、放送当時にオープンリールの家庭用デッキで録った映像の音だったというこった!ますますビックリ!-----------------------------------------------------------------ただ「昭和44年12月」の音と書いてあったほうの音源だが、私の推察からすると、これは間違い(これをアップした方の記憶違い)だと思う。まずOPが『ほんとにほんとにご苦労ね』の替え歌で始まっていたのだが、これはたぶん『ドリフのズンドコ節』の替え歌のあとに使用されだしたはずなので、昭和44年末ということは考えにくい。『ほんとに~』のレコード発売は、昭和45年4月末だけども、5か月前から使ってはいない気がする。あと、女性ゲストの中に水前寺清子がいるのだが(声だけの判断ネ)放送開始当初に、チータはゲストで出ていない。私の手元に『8時だョ!全員集合の作り方』という本があり…これはもうドリフファン必携の本なのだが…この巻末に詳細な放送全記録が載っている。これによると、チータ初出演は昭和45年1月末のようなのだが、桜木健一がゲストでいるので、この回ではなさそう。なぜならOPの替え歌で「女が3人…」という言葉が出てくるから。それでいくと、昭和45年7月か10月の回のような気がする…同じ方が上げていた動画で、いしだあゆみが『何があなたをそうさせた』を歌ってる回のOP&EDの気がするのだが…真実はどうなんだろう???10月のほうネ。-----------------------------------------------------------------それにしても…上にも書いたけど、残ってないと思っていたテレビ番組の音や映像が、こうして手軽に(?)発掘できる時代になったというのは、本当に凄いことだ。ただ、音源や映像の上げ方が姑息だ!という批判(苦笑)もあるみたいだが、こればっかりは仕方ないと思う、私は。私も「音源や映像の上げ方がセコイな」とは思うが(苦笑)、まあまあレアな映像や音源を持っていながら、全く上げない私のほうが、よっぽど性格が悪い(笑)。ま、正確に言うとYouTubeへの上げ方を知らないだけ(笑)。仮に知ったとして、何も上げないとは思うけど(最悪だ!)。YouTubeに動画や音源を上げている方は「コレクション自慢」という屋根の下にいても、広く世間の人に映像や音源を無償で提供してるだけエライと思う、私は。-----------------------------------------------------------------ここで以前から書いているが、映像とか音源の収集ってのは、お金をかければ手に入るというものではない。確かにお金は必要だが、それは「欲しいものを確実に手に入れる」ために使う金ではない。大金を使ったところで、確実に手に入るとは限らないし…。いろんな人に会い、やましい気持ちは一切ないと誠意を見せ、何年も何年もかけ信頼関係を築き…その結果、映像や音源をダビングしてもらえるわけ。私の場合は、今日まで入れると大体25年はかかっている(汗)。この25年間に使った額は…考えただけでも、気絶しそう…(苦笑)。歌番組で言やあ『なつかしの歌声』『年忘れにっぽんの歌』『思い出のメロディー』の映像や音源なんかは、その信頼と信用と得て、様々な実績(早い話がデータベース作った)を積んだ結果として私ゃ戴けたのだ、コレクターから。落語の音源も同様。保田先生や草柳さんをはじめ、様々な演芸関係者から情報を得たり、図書館に通ったり、知識を山のように仕入れた先に、手に入れる道筋ができるのだ。…まだ落語のほうは、CDで出てるから手に入れることはテレビ番組よりゃ楽だけどもサ(笑)。でも…野暮な言い方だけど「そういう努力だけ」は人一倍やってきたつもりヨ、この四半世紀の間(長ぇネ…)。----------------------------------------------------------------今になって冷静に振り返ると、私は『なつかしの歌声』をはじめとする懐メロ番組の資料収集のため(もちろん目的は全容解明のため)に、かなりの「いろんなこと」を諦めたり捨てたりしている。周囲にどれだけ馬鹿にされようが叩かれようが、全容解明という、自分の中の1本の”芯”だけは絶対に曲げたりとか折ったりとかぁしたことはない。これは今でもそう。ブログに書くのを止めただけよ(笑)。もし「本当に昔のテレビ番組の映像や音源を手に入れたい」ならば「ネット以外の道筋」に重きを置いて考えなくてはいけないのではないだろうか?でも…今の時代だと、ネット以外に頼れる道筋はないのかもしれないとも思う。いちばんいいのは、各テレビ局が普通に昔の番組を再放送してくれりゃいいんだけど(笑)。せめてBS民放の朝鮮ドラマ枠を全部潰して、通販の時間を半減させれば、枠は大量に作れると思うんだけども…。でも収入が激減しちゃったら、それこそシャレにならないか。
2019年01月29日
閲覧総数 381
16

今から14年前、平成5年の夏に出版された豪華絢爛なクレージーの写真集が、植木御大の追悼の意味を込めて、再販された。私は勿論、最初の版も持っているが、今回のも、黙って購入した。ま、ファンとして義務みたいなもんだ(笑)。今回久々に、この本を読み返してみて、改めて気がついたことがあった。この本が最初に出版されたときは、クレージーのメンバーが「全員存命」だったのだ。もっとも、この本が出た2ヵ月後くらいに、ハナ肇御大が亡くなってしまっているが、まだこの時点では、全員元気だったのだ。また周囲のスタッフの方々も、存命の方が多く、改めて悲しくなってしまった…。わずか14年で、クレージーのメンバーは4人が欠けてしまい、周囲の方では青島幸男、宮川泰、古澤憲吾、田波靖男、笠原良三の各氏などなど、もはや壊滅状態に近い状況…悲しい。それにしても、この本は本当に凄いと思う。ここまでクレージーの全てを集めた、集大成的な本は、これからも作るのは難しいかもしれない。写真が多く追加されている上に、初版より値段が安くなっている(!)というのも凄い。まだ、この本を購入されていない方がいらしたら、少し場所は取りますが、購入をオススメします。
2007年06月22日
閲覧総数 321

![]()
