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2025年01月21日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
一昨日、ある落語関係の知り合いにダビングを頼まれて、昨年末
ここで書いた「第22回NHK紅白歌合戦」を見ていた。

その後に、続けて昭和38年大晦日の「第14回」も見ていて…。

この紅白に出ていた昭和のスター歌手の訃報を連続で聞くことに
なって、非常に落胆している。

アイ・ジョージさんが91歳、三浦洸一さんが97歳…そりゃもう
お二人とも大往生に違いないのだが、とにかく寂しい。
特に三浦先生は、何度となく生のステージを見ることができたし、
2度ほどご挨拶をさせていただく機会もあった。



アイ・ジョージさんから。

とにかく「あの声」であろう。力強く伸びと張りがある堪らない
艶のある美声。
そして「譜面どおりに歌わない」タメを利かせた(笑)歌い方は、
私もよく真似している。ただ物凄く肺活量を必要とする歌い方
なので、絶好調のときしか歌真似できない…。

昭和8年に香港で生まれた。お母様がスペイン系のフィリピン人で、
あのラテンムードは、そこから滲み出たものだろう。

ご家族には恵まれなかった方で、祖母・父母も早くに他界されて、
孤児のような状態で様々な職業を転々としたと聞く。

流しの歌手をしていたときにスカウトされ、昭和28年「黒田春雄」

パッとしなかったために退社。
また流しに戻った後、昭和34年に大阪のキャバレーの専属歌手に
なった。その後、同年「トリオ・ロス・パンチョス」来日公演で
坂本スミ子と共に前座を務めたことで名が上がり、またテイチクと
専属契約を結んだ。


大晦日には「第11回NHK紅白歌合戦」に初出場して、そこから…
昨年末に再放送された昭和46年の「第22回~」まで、連続12回の
出場を果たしている。

昭和38年には、興行的には失敗だったようだが日本人として初めて
アメリカのカーネギーホールでの公演を行っている。




紅白では「ポピュラー」を歌うことが多かった。とにかく(親友であり
商売敵だった)フランク永井と並ぶ、歌の巧さがある人だったと思う。
春日・三橋が「和」なら、こちらは当然「洋」ね。

フランク永井が「柔」ならば、アイ・ジョージは「剛」という感じの
声の違いがあったように思うが、私は2人の声は大好きだった。

ただ…ウチの父親も言っていたのだが「山師」とでも言うのか、
妙な「ひと山当てたい!」の気持ちがあった人らしく…。それで
方々に借金があって、それこそヤ〇ザに追い掛け回されていて、
なかなかテレビに出られない…みたいな噂も聞いたことがあった。

91歳までお元気でおられたのに、平成以降、テレビやステージで
その姿を見ることが殆どできなかったのは、ホント勿体無いとしか
言えない。

36年の間、懐メロファンをやってきて、過去映像ではなくリアルで
アイ・ジョージの歌唱をテレビで見たのはただ一度、平成8年の
大晦日「第29回・年忘れにっぽんの歌」の第2部だけ。 テレ東の
第1スタジオ(現・神谷町1スタ)で「ラ・マラゲーニャ」と
「硝子のジョニー」を、全盛時と全く変わらない伸びのある声で
歌い上げたのを、よく覚えている。

一度でいいから、目の前であの美声を聴いてみたかった。

今さら言っても仕方ないが…変な山っ気を出さず、歌の道だけに
専念してくれていれば、「夏祭り」も「年忘れ」も「思い出の
メロディー」にも、数多く出られたに違いない。
声の衰えも殆どなかったと聞いているので、「硝子のジョニー」も
「赤いグラス」も、数々のスタンダードナンバーも、画と音が多く
残ったことだろう。それだけは本当に残念。

個人的には、昭和52年と昭和58年の「NHK思い出のメロディー」で
歌った「硝子のジョニー」が素晴らしかった。昭和56年7月のテレ東
「第12回・夏祭りにっぽんの歌」で歌われたのはフルコーラスで、
浅草国際劇場に響いたテークも捨てがたい。
昭和43年12月放送のTBS「日本レコード大賞10周年記念番組」で
「硝子のジョニー」を歌ったときは、あの”タメ”が効きすぎていて、
1番の途中でバンド演奏とズレてしまう(苦笑)ところがあったが、
あれも凄い声だった。

「赤いグラス」は、昭和40年の紅白しか見たことがないからなぁ…。

あと、どのような性格の方か知らないが、昭和40年代の紅白では…
盛り上げ係とでも言うのだろうか?やたら奇声を発したり踊ったり、
という場面を何度か見た(笑)。歌の印象と全然違うという…。

特に昭和43年の第19回では、フランク永井「加茂川ブルース」の
間奏で応援の三浦布美子が出てきたとき、ひな壇で「イヤ~ァ‼」
と謎の奇声を発していたし(笑)、デュークエイセス「いい湯だな」
のときは、頭に手ぬぐいを載せて、ひょっとこみたいな顔をして
踊っていた…(汗)。昭和46年の「第22回」でもやってたみたい。

まあ、そのような点も含めて、一流のエンターテイナーだったと
いうことは間違いない。

自宅での急逝だったと聞く。近年はペースメーカーを入れていたと
いう話だが、ヒートショック的なものだったのだろうか…。

アイ・ジョージさんのご冥福を、心よりお祈りいたします。





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最終更新日  2025年01月21日 19時13分59秒
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