売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2022.09.06
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李載淵

東京ファッションデザイナー協議会(通称CFD)正式発足して数日後、突然韓国のファッションデザイナー団体の表敬訪問を受けました。発足記者会見でCFDの活動目標として「国際交流、特にアジアとの連帯」と発表したことですぐ動きがありました。数人の訪問者とCFD設立趣旨や国際交流の考え方などを話し、最後に高麗人参のお土産を手渡しするシーンを記念撮影して帰られました。

その後、日本の業界メディアでこの団体とCFDが提携という記事、あの記念撮影の写真も掲載されました。面談では提携なんて話は全く出なかったし、まだ発足したばかりの組織ですからそこまで考える余裕はありませんでした。一方的提携報道にはまいりました。

あくまでも私の推測ですが、当時韓国にはファッションデザイナー団体がいくつもあって(日本にも歴史のあるデザイナー団体やデザイン振興組織はいくつもありました)、日本で発足したファッションデザイナーの新組織が認める唯一の韓国デザイナー組織と韓国内向けに訴求したかったのでしょう。表敬訪問団が資料として置いていった分厚い会員デザイナー名簿の写真にある作品写真は韓国クラシックが大半、決してコンテンポラリーではありませんでした。こういうこともあるので、事務局を預かる者として国際交流には気を付けねばと肝に銘じました。


(李載淵さん)

それから3年後、韓国で制作会社とモデルエージェンシーを経営するリー会長がCFDオフィスを訪問。近くて遠い国同士の距離をファッションという文化活動でなんとか短くしたい、日本のデザイナーのショーをソウル開催する一方、韓国デザイナーを東京コレクションに参加させたい、できれば私にソウルでセミナーをしてほしいというお話でした。

リー会長には3年前一方的に韓国のデザイナー団体にCFDと提携と発表されたことを説明、韓国との交流には慎重にならざるを得ないと正直に言いました。リー会長は日本とのファッション交流を進めたいので一度韓国に来てください、と言われました。

1989年秋だったでしょうか、私は初めて韓国を訪問しました。このとき招聘されたセブレの大田記久デザイナー(1988年毎日ファッション大賞新人賞受賞)のショー、リハーサルで韓国モデルたちが恥ずかしがってなかなかブラを外さないところ演出家の木村茂さんが丁寧にその必要性を説き、モデルのリーダーが「いいわよ」とブラを脱ぎ捨て若手モデルたちもこれに続きました。大田記久さんのコレクションは韓国初のノーブラショーでした。いまでは笑い話、でも当時の韓国はまだかなり保守的でした。


(ソウル訪問時デザイナー諸氏と面談、左は李信雨デザイナー)

ソウル滞在中、私は繊維産業を統括する役所の役人、主要メディアの生活文化担当記者、業界団体リーダー、韓国の売り場でよく目にするブランドデザイナーらとたびたび懇談してCFDのこと、日本の市場環境などを話し、百貨店やアパレル企業など業界関係者にはセミナーを、ファッション専門学校の学生さんには講義をしました。

半年後、韓国にCFDのようなデザイナー組織が誕生、さらにその半年後東京コレクションのようなソウルコレクションが初めて開催されました。ものすごいスピード感に私は驚きましたが、その背後にはリー会長の熱い思いと行動力があったのは言うまでもありません。そして、1990年韓国デザイナーの李信雨(イ・シンウ)さんが初めて東京コレクションに参加、翌91年毎日ファッション大賞新人賞を受賞しました。

リー会長は軍人から男性モデルに転身した人でした。のちにモデルの育成とマネジメント会社モデルライン社を起業、ファッションイベントのプロデュースも始めました。韓国にCFDと同じようなファッションデザイナー組織とコレクション運営の母体を作りたい、韓国のモデルを東京コレクションの舞台に立たせたいという彼の夢はかないました。その後も金東順(キム・ドンスン。ブランド名ウルティモ)デザイナーを東京コレクションに参加させるなど、リー会長は日韓の文化交流に尽力しました。


(キム・ドンスン2014年秋冬 ソウルコレクションにて)

しかし、彼の父親は第二次大戦中に日本軍兵士に過酷なリンチをされたそうですから、心の底から親日的ではなかったかもしれません。それでも日本のデザイナーを度々韓国に迎えてファッションショーを開き、李信雨さんに続けて金東順さんを東京コレクションに派遣、多くの韓国モデルに東京コレクションで経験を積ませました。

我々の話を真摯に受け止め、デザイナー組織とソウルコレクションを立ち上げ、現在東京コレクションを主催している日本ファッションウイーク推進機構の韓国における広報活動でも手助けしてもらいました。このブログシリーズの前半で書いた原口理恵基金「ミモザ賞」(日本のファッションを陰で支える人を表彰)をリー会長は受賞していますが、それは彼が誠心誠意日韓文化交流に力を注いだと選考委員の皆さんが評価したからです。

韓国訪問時セミナーや講義を数本こなして最後のディナーを共にしたあと、リー会長は銀行の封筒に入れた分厚い日本円札束を講演料として私に渡そうとしました。「あなたのために来たのだから、これを受け取ったら友達ではなくなるよ」と封筒を突っ返したら、リー会長は歩道の真ん中で顔をくしゃくしゃにして大泣き、こっちまでもらい泣きしそうになりました。


(大事にしているお守り)

でも、彼がプレゼントしてくれた小さな手製のお守りだけは遠慮なく記念にいただきました。米粒に小さな漢字を描く韓国アーティストが作ってくれた長さ3センチの薄い象牙プレート上に極小漢字で書かれた漢詩、一体何と表記されているのか私にはわかりません。リー会長が「お財布に入れておいてください」というので、もう30年以上ずっとカードホルダーに入れて携帯しています。韓国からのお客様と会うたび、私はこの贈り物を自慢げに見せてきました。

近年、日韓関係は最悪の状態。日本では韓流ドラマはいまも人気、韓国ミュージシャンは熱狂的ファンを日本で増やし、新大久保のコリアンタウンは賑わっています。しかしここ数年は政府首脳会議も開かれず、近くてかなり遠い国になりました。韓国のファッション事情も以前ほどには入ってきません。リー会長のような人がいろんなジャンルで現れ、韓国との距離を短縮してくれたらいいのにと思います。





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Last updated  2023.08.27 14:07:42
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