売り場に学ぼう by 太田伸之

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Nobuyuki Ota

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2023.04.27
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カテゴリ: ファッション
昨秋10月に亡くなったファッションデザイナー花井幸子さんのオフィスから、花井さんが描いた素敵なイラスト入りハンカチが先日届きました。律儀にもお別れの会参列の返礼でした。



長沢節さん主宰セツモードセミナーを卒業してアドセンター(かつて写真家立木義浩さん、ファッションデザイナー金子功さんらが所属)に就職したくらいですから、花井さんの描く繊細なイラストはプロのイラストレーターと遜色ないレベル、おそらくセツモードセミナー出身ファッションデザイナーの中で腕前はトップクラスでしょう。



ニューヨークに本部があるファッション業界で働くキャリアウーマン団体ザ・ファッション・グループの日本支部(のちに社団法人化)を設立した鯨岡阿美子さんが1988年急逝した後、ファッション業界黎明期の大先輩の名前を残すべく、私は発起人として毎日ファッション大賞の中に鯨岡阿美子賞を設けるため基金集めに奔走しました。このとき真っ先に多額の寄付を送ってくださったのが花井幸子さん、そのきっぷの良さにびっくりしたことを覚えています。

実は、花井さんとはちょっとした事件がありました。

私がニューヨークで取材活動をしていた1980年代、特約通信員契約していた繊研新聞にストレートなコレクション批評を書いては繊研の編集部や営業部にクレームが届くことがありました。米国トップデザイナーであろうが米国市場に進出する日本ブランドであろうが、「良いものは良い、悪いものは悪い」と正直に書いていたので、記事が取材相手の逆鱗に触れて騒ぎになったことが度々あったのです。その中の1つが「ユキコハナイニューヨーク」のデビューコレクション、1981年に始まった現地アパレルのラッセルテーラー社とのライセンス提携ブランドでした。

米国にも、デザイナーのクリエーションをうまく活かしながらブランド事業を伸ばす事例もあれば、あまりにマーチャンダイザーや経営者が素材価格や工賃を抑制するあまりデザイナーのクリエーションを押しつぶしてしまう事例もあります。概して前者は個性と質感のある取材したいコレクション、後者は何の変哲もない普通のメーカーブランドのようなスルーしていいかもコレクション。

ユキコハナイニューヨークのデビューコレクション、花井幸子さんらしい上質な素材のフェミニンラインを期待していましたが、ステージに登場したものはいかにも米国アパレルメーカーがライセンス事業で作ったキャリア服、デザイナーの個性が押しつぶされた内容でした。テキスタイルやパターンの一体どこに花井さんの華やかさがあるんだ、ラッセルテーラーの別部門と変わらない服では意味ないじゃないか、そう思って少々きつい論調で記事を書きました。

すぐリアクションがありました。詳しくは知りませんが、花井さんのご主人で株式会社花井の花井喜俊社長から繊研新聞の松尾武幸編集局長にクレームが入ったそうです。次シーズン、私はラッセルテーラー社の広報担当に招待状申請をせず、ショーをスルーしました。

3シーズン目発表直前、松尾編集局長から「花井幸子さんのショー、今度は取材してくれ」と電話がありました。ラッセルテーラーのショールームで開かれたショー、米国バイヤーやエディターはショー途中にどんどん退席、中には低いランウェイを横切って退出する失礼な人もいてデザイナーにはとても気の毒な光景でした。私はどう書いていいのか分からず、編集部に写真だけ送ってコメントは控えました。



ヨーロッパのテキスタイル見本市で花井さんが気に入った素材をピックアップすると、ラッセルテーラー社のマーチャンダイザーは横から「ユキコ、それは1ヤード15ドルでしょ、あなたのブランドは1ヤード10ドル以下にしてください」と言っているはず。あなたは手にした素材を諦め、安めの素材で我慢していますよね、と。

「その通りなの。あなた、ファッションショーを見てそんなことまでわかるの」とおっしゃったので、「私はプロのつもり、それくらいはわかります。マーチャンダイザーの言うことをそのまま聞いていたら花井さんの良さは消えてしまいます。抵抗してください。ユキコハナイらしいものが作れそうにないなら、別の会社とブランドやった方がいいですよ」と申し上げました。





当時私は20代後半の若造ライター、年長の有名デザイナーにすればきっと腹が立ったはず、嫌われても仕方ない場面でした。

しかし、この数年後に帰国して東京ファッションデザイナー協議会設立に奔走しているとき、六本木のオフィスを訪ねた私の経過説明と呼びかけに細かいことは何も言わず、花井さんはすぐ協議会の設立趣旨に賛同してくれました。ユキコハナイのコレクションは写真のように華やかでフェミニンだけど、花井さん自身の性格は随分男っぽいとこのとき思いました。

そんな経緯があっての鯨岡阿美子賞の私からの呼びかけでしたが、花井さんはすぐ過分な協力をしてくれました。なかなか真似のできることではありません。

アパレル産業界の要職にあったご主人の花井喜俊さんは2004年に亡くなり、会社経営はご子息の喜幸さんが引き継いでいます。ご子息、アトリエのお弟子さんたちがユキコハナイのブランド世界観を守り、その名を長く後世に伝えて欲しいです。

(写真は全て株式会社花井のサイトより)





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Last updated  2023.04.28 12:49:19
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