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2010.08.26
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謝礼か、献金か?

もし仮に、ヨシュア2002氏がその65万円を全額、教会の会計に入れていたとしよう。つまり、個人では一切そのお金を何かに使わず、まるまる「寄付金」として教会の会計に入れた場合だ。この場合が、もっとも「献金だ」と主張しやすいし、いちおうの根拠がある。個人的には何にも使っていないからだ。

小生は、こういう場合であっても問題があると考える。なぜなら、「 謝礼か、献金か? 」で書いたように、KH婦人が「神さまへ献金します」という意志を表明していないからだ。本人が米本氏に語った内訳はあのようなものだが、ヨシュア氏はその内訳を聴いていないという。

>教会の牧師に渡したお金に、
>その「つもり」という内訳が書いてはないのであるから、
>わたしはそれを献金として受け取るのは当然のことだ。

本人の意志を明確に把握せずに、神聖な神さまへの献金として受け取るということが、小生には信じられない。それは「強盗の献金」の例で書いたとおりだ。献金の本質とは「お金ではなく、捧げる者の心」であるのだから、その「心」を明確に牧師が把握しないでホイホイと献金扱いしているようでは、「形骸化した教会」「世俗化した献金」という誹りは免れない。宗教的な本質を忘れ、ただ教会組織の維持のためにお金をもらっているにすぎない。



小生は、ヨシュア氏がやったことも統一の「明かさず献金」と変わらないと考える。「 聖書の中で3,300万人も殺しているキリスト教の神さま 」への捧げ物として献金する、ということをKH婦人に説明していないからだ。KH婦人はあくまでも「ヨシュア氏への感謝」として65万円を渡したにすぎず、「3,300万人を殺害したキリスト教の神さま」へ献金したわけではない。統一の「明かさず献金」と変わらない。詐欺的献金である。

だから、どうしても「あれは献金だった」と強弁するのであれば、統一協会と同じ穴のむじなということだ。

もし、「やはり献金ではなかった」というのであれば、個人収入として脱税容疑をかけられる。やはり統一協会の教祖と同じことになる。

まあ、キリスト教も統一協会も聖書を信じているのだから、似たようなものだろう。所詮、両方とも、異教徒を大量虐殺してきたことを反省せず、詐欺や脱税をするカルト的宗教なのだ。





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Last updated  2010.08.26 09:03:45


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