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PCに向かってちゃんと文章を打ち込んでたはずなのに、気がついたら目を閉じて寝てる。そのまんまの姿勢で⋯⋯ってのを繰り返す時は、もう何やらせても駄目なんですよね。最近イベント続きで、それなりに楽しいとは思うのだけど、とにかく疲れてしまいます。そのくせ自分の予定を動かされるのもイヤなので、普段より余計に過密なスケジュールになってしまう。こうなるとジャーナリングも疎かになるので、ストレスで暴飲暴食のスイッチが入ってしまいます。暴飲暴食からの肥満は御免被りたいので、自分の何が駄目なのかをちょっと考えてみました。自分でどうにかなる部分はどれか?仕事だのなんだのは、大概自分の意志でどうにかならない部分です。締め切りとかがないならある程度自分でペース配分を考えることもできますが、相手があることだとそういう調整もままなりません。で、私の場合、自分のペースでできることって何かな、と考えてみたのですが、どう考えても「自分で決めた生活パターン」しかないんですよね。別に遊びに行ったりとかしてるわけじゃないので、毎日の生活で「やると決めたこと」ってのをセーブしないといけないんです。例えば、週一でやっている中国語とか。勉強は嫌いじゃないので続けたいけど、勉強に付随する宿題もスケジュールとか脳みそを圧迫しているのは確かなので、頭も体力も限界だーとなったらやめる勇気も必要かもしれません。誰かに「お前これ以上は無理だからやめろよ」と言われると、ちゃんと自分で決めて行動したい主義の私は「なにをー!」とムキになってしまうので、他人に指摘される前に身の振り方を考えておかないといけません。納得できるか?自分で決めたんだから納得するしかないのですが、挑みもせずに「かもしれない」で何かを諦めるのは、誰かに決められるのと同じくらい嫌なことです。というか、「かもしれない」は私の意志ではなく、勝手な想像なわけで、それが他人の脳みそ経由か自分の脳みそから出たことかぐらいの差でしかありません。感情迷子なくせに自分の意志は大事にしたいので、自分で決めたことを可能性だけで諦めるのは意志を曲げること、と思っちゃうんですね。これじゃ納得はできません。思考が意志を曲げられるとしたら、思考が弾き出した答えが、議題として挙げられている事以上に大事だと思える時ぐらい? 中国語で言うなら、これまで理屈っぽい私に親身になって教えてくれた恩師に、一時的な疲れでお役御免を言ってもいい、と思えることなのか? ってとこでしょうか。恩師が状況からもう指導は難しいとなったら、私も諦めることができます(自分の意志より先生の事情の方が大事)。でも、自分の仕事がキツいからもうやめたいとなったら、「なんでそこで頑張れないんだ」と自分を責め始めるんですよね、きっと。思っていることを書き出してみる思考と意志が反対のことを主張する時、頭でグルグル考えていても結論は出ないことがほとんどです。転職するとか結婚するとか、そういう大きな決断を下す時に誰かに相談する人が多いってのは、話すことで頭を整理する意味合いもきっとあるんじゃないかと思います。でも、たかが週一の習い事で人に相談するのもご迷惑でしょうし、それで簡単に「じゃあやめたら?」と言われても、私は納得できないと思ってしまいます(めんどくせー)。なので、私は脳内会議の模様をジャーナリングのテーマにしてしまいます。納得できるまで書きまくると、それまで堂々巡りで決められなかったことが整理されます。どちらを選ぶにしても、後からストレスで崩れることが減ります。感情迷子でも自分のことは自分が一番分かってる私の気持ちをよく汲んでくれる友達がいても、私が経験して思ったことを全部話せない以上、私のことを一番理解している人間は多分私自身です。だから、心から納得できる決定をするためには、誰かの意見を参考にすることがあったとしても、自分で決めないといけません。今まで大事にしてきたことは何か?今どう思っているか?本当は何を望んでいるか?これから何なら頑張れるか。そういうことを一つひとつ考えて答えを出していけば、私のように自分の望みをうまく言葉にできない人でも選ぶことができます。確かにスパッとその場で決めることはできないんですが、即断して後悔して恨み辛みを抱えるよりは、考える時間を取る方が後々楽です。まとめ。何かを選ぶのは時に辛いこともありますが、人生って結局、選択の上に続いていくものです。何を選ぶかを人任せにするとか、その場のノリで決めてしまうと、たとえうまく行っても納得できてるかという点では微妙です。習い事程度ならそこまで重大な決断ではないかもしれませんが、小さいことを決められないって、大きなことはもっと決められないんですよね。そして、大きなことは大体後から色々考えてしまうんです。人を恨みたくないから、私は自分で決めてしまいたい。だから、本当に大きな決断なのに「早く決めてよ」と誰かに急かされる時は、「ちょっと待ってくれる?」と言う勇気を持ちたいと思います。
2026.08.03
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SNSなんかを見てますと、「性格タイプ◯◯◯◯は嫌い」とか「苦手」とか書いている人もいます。私も以前はとある性格タイプが本当に苦手でした。だけど、結局は性格「タイプ」なので、方向性は同じでも生き方そのものがみんな同じというわけではありません。なのに、このタイプはこういうことをするから、と一括りにしてしまう、ということが往々にしてあります。今回は自戒も込めて、性格タイプで人を判断することについて考えてみました。「あいつらは理想を押し付けるから」INFJという性格タイプは、理想主義と言われています。私自身もINFJということになってますが、もしかしたら周囲に何かを押し付けるような生き方をしているのかもしれません。理想、と言いましても色々あります。トラブルがあったらまずは話し合わなきゃ、という人もいれば、トラブルにあったらまずはルール最優先で、その後改善策を考えてルールのヴァージョンアップを図るべき、という人もいるかもしれません。私の理想、と言われて思いつくのは、「自分の生き方は自分で決めるべきなんだから、誰かに自分の考えを押し付けるのは良くない」ということでしょうか。この考えに反対する人は少数派だと思いますが、状況が変われば「誰かに選んでもらいたい」、「代わりに選んで失敗を回避したい」という考えの人も出てくるかもしれません。つまり、そういう人たちにとって私という奴は「独りよがりのルールを押し付けてくる嫌な奴」になるわけです。「あいつらは思いやりが欠けてるから」NTと言われる人たち(INTP、INTJ、ENTP、ENTJ)は、論理的な判断を優先する傾向があります。なので結構クールで思いやりが希薄に思える人もいるのかもしれません。しかし、たとえばINTJなんかは第三機能にFiを持っているので、少なくとも感情が迷子になってるINFJの私よりは自分の内面を把握しているんじゃないでしょうか。なんなら、感情なんてどうでもいい物扱いをしていた私の方が思いやりの薄い人間だったかもしれません。論理を優先する、ということは必ずしも人の都合を考慮しないという意味じゃありません。都合を無視して最適な結果は得られないのだから、論理重視な性格でも相手の事情は考慮するんじゃないですかね。そこに「その気持ち、分かるよ」的な言葉が入らなかった、もしくはこちらの都合をうっかり忘れていたんでしょうか。人の中身を見ることはできないのだから、表面だけを見て性格タイプを決めつけるのは、あまり良くないですよね。「あいつらは考えが浅すぎる」物事をどう捉えるかは、人の違いの中でもかなり大きなものです。同じことを考えるとしても、全然違う考え方や結論になることだってありますよね。本来、みんな違っていても良いはずなのですが、自分と違う人のことを上手に割り切れないということが生じてしまいがちです。考え方が違うと、その人を自分の周辺から排除してしまいたくなるかもしれません。その方が楽だと思っていたことが私にもありました。何かを見てパッと切り替えられるって、すごいことです。でもそれを「考えが浅い」と捉えることもできます。逆に何かを見て全体を把握したりできるのもすごいことです。でも「考えすぎ」と言われることも多々あります。どちらの見方もそれぞれ正しいのだから、そこを批判するのがどれだけ狭い見方なのか、というのがよく分かりますよね。まとめ。性格タイプって面白いし、人を理解するのに役に立つ考え方だと思います。しかし、それが自分や他人を必要以上に縛る物になってしまうなら、それは分類の使い方を間違えているんじゃないでしょうか。性格タイプに救われたと思うからこそ、私は誰かを枠に押し込める考え方はしたくありません。人を理解する手がかりにはしても、それを答えだと決めつけてしまったら、相手だけじゃなくそのタイプに属する人たち全てを決めつけてることになりますからね。この人はそういう性格かも、と考える視点を持てることが、性格タイプ診断の利点なんじゃないかなと私は思います。
2026.08.01
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