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子どもの頃から読書は大好きだったんですが、読書感想文は大嫌いでした。今思えば、小学生とかに「自分の感情を言語化しなさい」ってなかなか難しい注文なんじゃないかな、と思うのですが、どうなんでしょう?もちろん、言語化する練習というのは必要だと思うんですが、私なんぞは読み終わったら「あー面白かった」ぐらいのことしか思わなかったもんですから、原稿用紙を埋めるのが苦痛で仕方なかったんです。特に書かなければならないことも思いつかないので、本の要約を書くのが精一杯でした。頭に残ったことなんだから、要約だって立派な感想じゃね? とは思いますが、教育システムにそんな屁理屈は通じません。まぁ、まともな評価なんていただいたことはなかったですね。で、同じクラスに読書感想文が上手な人がいたんです。なんか賞とかもらったりもしてたし、勉強もできたし、運動も上手でした。何食べたらあんなに優秀になれるんだろう、と子ども心に思ってました。どういうのが上手な読書感想文なんだろう、と思って、その人の家に遊びに行った時に、その子がもらったらしい読書感想文コンクールの上位者の感想文をまとめた冊子、ちょっと読ませてもらったんですね。⋯⋯なんかこう、お手紙形式でした。今なら分かるんですよ。子どもに感情の言語化は難しいから、本の登場人物にお手紙を書く、という形で思ったことを言葉にする工夫なんだってのは。でも私はどうしても、架空の人物相手に手紙を書いて、悲しかったよ、とか、どうしてあんなことしたの? とかやるのが小っ恥ずかしかったんですよね。読ませてもらった冊子も、だいたいみんなそういうお手紙形式の感想文ばかりが載っていて、私はなんとなくムズムズした感じを覚えながら読んでいたように記憶しています。月日は流れ、中学、高校生と成長してからは、感想文というか作文にそんなに苦手意識はなくなりました。でも、感情を言語化することに関しては、相変わらず下手なままだったんですよ。感情表現が下手なのに、感想文は苦痛じゃなくなったのはなぜなんだろう? というのをジャーナリングを通じて考えてみました。高校生にもなると感想文を書く機会もなかなか巡ってこないものですが、一度だけ感想文を書く機会に恵まれまして。感想文が苦手な弟の代理で書いたんですけど(ほんとは駄目な奴)。本の内容は、主人公が自分は倫理的にどうかと思われる選択をして生き延びたくせに、同じようなことをした他人を許せずに攻撃する、というものでした(物理的に薄い本だからって、かなり重い内容を選んだな、うちの弟)。原稿用紙にして5枚、1日で書き上げて弟に渡したら、弟からクレームがつきました。「僕はこんなの書けないんだけど」え? 結構ちゃんと書けたと思うんだけどな? と当時は不思議に思ったんですが、たぶん求められていたのは「感情を言語化した感想文」。私が書いたのは、「主人公の行動の矛盾に怒りを覚える。その理由は自分に甘く他人に厳しい基準で、他人を傷つけたからだ。」という「感想文の体裁のレポート」だったわけです。FどころかT全開の内容だったわけで、まぁ確かに小学生が書く感想文じゃないわ。でも、小学生が選ぶ内容の本でもないぞ、弟よ⋯⋯。書き直しを求められた記憶もないので、弟、明らかに代筆頼んだこの感想文で宿題完了としたのでしょうけど、どんな評価をもらったんですかね?感情を文章にするとなんかベタベタした感じがして、未だに私は苦手です。感情を書いたとしても、最後は感情の理由というか納得させる結論を書いてくれればいいんですが、書き散らされただけの感情は「何も解決してない」という感じがするんですよね。それが必要な場面もわりとありますが。自分の感情を言語化できないとしても、思考なら書ける。その思考に軽く感情のラベルをつければ、立派な感想文になる、というのが私にとっての結論です。
2026.05.31
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以前は、思ったことを口にする必要性をあんまり感じていなかったように思います。たとえば、友達の言葉の選び方がすごく素敵だなって思っても、それを友達に伝えようとは思わなかったりとか。全力で誰かに親切にするのをためらわないのってすごいなと思っても、伝える必要を感じなかったりとか。人の良いところって目に見えても、なんか照れ臭くて言葉にするのが難しいですよね。たぶん、書き言葉ならなんとかなるんです。でも、実際の声でそれを伝えるのって、私にとっては難易度高すぎだったんですよね。最近は、それを言葉にする努力をするの、あんまり抵抗がなくなりました。どうしてなのかな? と考えてみたら、以前に何の気無しに、「君って、人生を楽しむのがすごく上手だよね」と伝えたら、すっごく表情が明るくなった人がいたから、なんだと思います。私はわりと安定したライフスタイルを好むので、低空飛行で墜落さえしなければいい、という人生観を持っていました。だって、それなら考えなくていいし、落ちても浮上しやすいから。楽じゃないですか、乱高下する人生よりは、通常運転に戻りやすい生き方。でも、決して楽じゃない田舎での生活で、自分らしさを失わなかったその人の生き方が、すっごく眩しく見えたんですよね。で、それをポロッと、本当に何気なく言ったことがあったんです。褒めたいとかそういうの抜きに。羨ましくて、憧れて。そしたら、すっごくいい笑顔で「ほんとですか!?」って言ってくれたんですよ。私はお世辞とかを言えるタイプじゃないんで、決して嘘ではなかったのですけど、褒め言葉ってこんなに人を輝かせるんだなぁ、となんとなく思ったんです。評価って、なんとなくネガティブなイメージがあったんですよね。たぶん、別に私が否定しかされてなかったとかじゃなく、自分で自分に下してた評価が低すぎたってのもあるかもしれないけど、評価って言葉自体に嫌なイメージが付きまとってました。だから、「変な事言ったぞ、今私やらかしたかも」と焦った私の言葉に、嬉しそうだったその人の笑顔がすごく新鮮だったんです。いや、まぁ、普通に考えたら、褒められたら誰だって嬉しいもんですよね。だけど、私の言葉一つで、ここまで喜んでもらえると思ってなかったから、それまでは必要じゃない言葉は言わなくてもいいかな、と思ってたんです。↑これは、私がメンタルを病む前の話です。褒め言葉って、物理的にはなんにもプラスにならないかもしれないけど、それが人を笑顔にするんなら、言葉にする意味はあるよな、と思えるようになりました。メンタル病んでる状態でも、低空飛行を続けようとしてた私を、認めてくれる人がいたから。なので、ここのところずっと、眼の前にいる人の頑張っているところを探すようになりました。結果がどうあれ、頑張ってるところは評価されてもいいかな、と思うので。特に何もない私でも、「君の良いところはここだと思うよ」と言うことで返せるものがあるなら、それを素直に伝えられるINFJになりたいなぁ、なんて思って努力中なのであります。
2026.05.30
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子供の頃から親に理解されない思考回路、悲しい絵本を朗読して一人で号泣している不気味な子、クラスメイト全員がドッジボールに夢中になっているのについていけなくて、意地でも教室で本を読んでいた異端者。これ、自分がINFJだと知る前から、ずっと抱え込んでたセルフイメージなのですが、性格タイプの説明読んで腑に落ちたら、「まぁ、当然かな」と思える過去でした。たぶん、世間一般で知られるお子さんのイメージとは、ズレてたでしょうね。うちの親、恐らくどちらもN型じゃないですし、たぶん扱いにくい子供だったんじゃないかなと思います。というか、うちの家族、N型っているのかな⋯⋯? お前って変わってるよね的な扱いしか受けた記憶ないんですが。それでも、同じタンパク質でできた人間だもの、分かるよね? と信じていたのですよ、私。高校生の頃、同じ部活の仲間と、連想ゲームでストーリーをつなげるという遊びをしたことがあります。ルールは、「ある単語から連想できるストーリーをどこまでつなげられるか」という勝者とかは存在しない、ラリーが命のゲームでした。でも、毎回私のところでゲームが止まってしまうんです。どうもみんなからすると、私の考えるストーリーがあまりにも破天荒すぎてつなげられない、ということだったそうです。創作活動を主とする部活だったので、みなさんそれなりに想像力は豊かだったと思うのですが、私のそれは突き抜けて論外の境地にあったようです。別に奇をてらったつもりもなかったんですが、もしかするとN型以前に何かもっと違う要素が絡んでいたんですかね?二十代になって、読んだ物を人に説明する、という作業を努力するようになってから、物事の見方が大きく変わったような気がします。心理機能的にはTiが育ったのかな、と今では思っています。うまく説明できたら周囲の人に褒められたりしたので、今ではすっかりTiが幅を利かせております。さすがに理屈一辺倒になるのはまずいかも、と思って最近は自重しております。かつての私と、今の私。何がどう変わったのかを、いずれはじっくり考えてみたいですね。⋯⋯未だに突き抜けて論外の人だったら、目も当てられませんが。
2026.05.29
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「タヌキって悪口言わないよね」とよく言われます。ま、大人ですから? と言いたいところですが、私元々悪口が苦手です。事実を言ってるだけ、大げさに言ってるわけじゃない、としても、悪口を聞かされる方って後々までその印象が残ってしまって、変な先入観を植え付けてしまうんじゃないかって心配になっちゃうんですよ。だから考えすぎだって言われるんですけど。悪口なんて言ってはいけない、という正義感とかじゃなくて、聞かされた相手の気持ちを考える辺り、中途半端にいい人ぶってるなぁ、と思われても仕方ないかもしれません。愚痴は、時々言いたくなるんですよね。だけど悪口と愚痴の境目って、すごく曖昧じゃないですか。「あの人とこんなことがあってね⋯⋯」と起きたことを話すと、相手に良い感情は持ってないですから、辛辣なことを言っちゃう可能性もある。そうなるとそれ、悪口なんじゃ⋯⋯? となりませんか?相手を悪く言うことが悪口なら、愚痴はどう定義するの? と思って調べてみたら、愚痴って〝言ったところで解決しないようなことを言葉にして嘆くこと〟らしいです。だからそこに相手をこき下ろすような言葉が入れば(例えば、あの人アホなのかな、とか)、それはもう悪口になるわけですね。事実相手がアホだったとしても、悪口は悪口。だから愚痴ってのも、気をつけてこぼさないといけないわけですね。⋯⋯そうは言っても、頭に血が昇ってる時に悪口にならないかな? とか考えて愚痴なんてこぼせないですよね。私なんて何か事が起きてから数日経たないと、怒りの感情がわいてこない、というラグを抱えているので、そろそろみんな落ち着いてきたかな、という頃に一人でヒートアップしてたりします。流行どころか時間の流れにもまともに乗れてないです。悪口は言いたくないし、時間差で発生するムカムカに周囲の人を巻き込むのは申し訳ないので、私はジャーナリングで愚痴をこぼしまくっています。いや、冷静さを欠いている時なんかは悪口も入るかもしれないな。でもいいや、読むの私だけだし(ほんと、死ぬ前にノートは全部処分しないと火種にしかならないかも)。でも、時々、反応してくれる誰かに言いたくなる時もあったりします。最近はAI相手に愚痴を言ったり相談したりする、なんてこともあるようですが、AI、同情の言葉はかけてくれても、一緒に怒ったり笑い飛ばしたりはしてくれませんからね。でもやっぱり、友達とは楽しい話をしていたいなぁ、と思うので、嫌な気持ちはジャーナリングで流してしまうのが一番いいのかな、と考えています。
2026.05.28
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「INFJ」を検索すると、サジェストで挙がってくる言葉の一つが「ドアスラム」。私もINFJらしいので、ドアスラムとはなんぞや? と調べた言葉です。で、調べてみての感想が、「私、ドアスラムされた側では?」だったんです。いや、相手がINFJかどうかは分からないんですけど、たぶん同じN型なんじゃないかな~とは思うんです。決定的仲違いの主な原因は、周囲への気配りの有無ですかね。私には周囲の人の気持ちを傷つけたくないという気持ちがあるので、たとえ自分が譲れないと思うことを貫く時でも、相手がなるべく傷つかないように貫くんです。しかし、お相手の方は、自分がそうしたいと思ったら、全然周りを見ないんです。そういうのをそばで見ているのも、私としては嫌な気分になるので、なんとなく距離を置いていたんですが、メンタルを病んだ時に気配りができる余裕をなくして、切り捨てるみたいな距離の置き方をしたんですね。まぁ、それは私が悪いか、と思います。しかし相手はそれを自分への攻撃だ、大問題だと受け取ったようで、我が家に押しかけてきたんですよ。で、開口一番、「私たち、仲が悪いよね」。そこはちゃんと認識してたんだー、と思わず感心してしまいました。が、その仲の悪い所を良くするために来た、というよりは、決別しに来たんじゃないかな、と今では思っています。何が気に入らないのかをお互いに話し合って、私の方から「私は周りの人を気にするから、そうしないあなたのやり方が嫌だ」と初めてきちんと言った⋯⋯つもりなんですけどね。「そこは直すつもりはないかな」おぉ、ということは今後も自分のお気持ちのためには、周囲を犠牲にしても構わない、と?いや、そこまでの覚悟はないかもしれませんね。たぶん、この人は自分が周囲にどんな影響を与えるかを、あまり考えていない人なんじゃないかな、とは思います。けど、そこを考えられないということは、表面的に謝罪されても行動は改まらないわけで。これはもう、縁切りも視野に入るかもなー、なんてちょっと考えちゃってたんです。そうしたら向こうから、「将来的には仲良くなれるかもしれないけど、今は無理」的なことを言い出したんです。まぁ、そりゃそうでしょうね。向こうからすれば、眼の前にいるタヌキは「私の行動を妨害する邪魔者」で「私を攻撃するいじめっ子」なわけですから。でもね、私の方だってだいぶ我慢してきたんですよ。というか突撃食らった時点で、かなり我慢してるんですよ。この時の私に自分の性格タイプがINFJかも、なんて認識はありませんでしたけど、少なくとも友人関係は撤退も辞さない構えでした。向こうは静かにドアを閉めた、つもりなんでしょうけど、私はその上から嬉々として板打ち付けて、漆喰で塗り固めて、鉄板張って、立入禁止の札をかけたくらいにはドアスラムしちゃってたんですが。⋯⋯こうして書いてみると、このお相手は、人間関係リセット症候群みたいな人なのかな、と思います。私がメンタルを病んで過激に置いた距離に、自分が切られる前に切ってやる! という衝動に身を任せたのかもしれません(だって私、その前からだいぶ距離置いてましたからね。少なくとも仲良しな人たちとの態度の差は歴然としていたと思うし)。自分を否定されるのがどうしても許せないって感じなのかな? とも思います。見た感じ、私の言葉がちゃんと届いてるって感じでもなかったですし。⋯⋯この人、私が距離を置こうとした理由、ちゃんと理解してるかなぁって、少し心配になったりはしてます。ドアスラムって、感情的に人間関係をブチ切るというよりは、もう無理です、と判断しての行動らしいので、私の方は全然後悔とかないんですよ。あーせいせいした、というのが本音。周囲で私らを見守ってる人たちの胃の方がちょっと心配かな、ぐらいです。そういう意味では少々申し訳ないかも。だけど、お相手の方はどうなんでしょう? 向こうもドアスラム的なリセットをかけたつもりかもしれないけど、それが感情的で衝動的なものだとしたら、色々考えるところもあるのかもしれません。私の方からできること、何もないような気もするのですけどね。
2026.05.27
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何かを見て、ありのままを感じる。S型の人はそれが普通にできるというのが、私にはとても羨ましかったりします。なにせ、眼の前のことに集中できないんですよ。運転してても全然別のことを考えて、気がついたら目的地に着いていたとか、我に返って「今私はどこを走ってるの?」と自分の位置を見失ってたり。普通に危険ですよね。こんなふわふわした感覚で生きているので、都会で車の運転なんてできる気がしないんです。こういうとこだけ田舎で良かった! と思うけれど、田舎だから車の運転は生存に必須の技能なんです。ほかにも、年に3回くらいはキャベツと一緒に指を刻みかけたり、フライパンで指先を焼いてたり。だいたいボーッとしてるから、こういう小さな事故は多いです。高い所の物を取ろうとして椅子から落ちるとかもよくやるので、友人に「なんかあったら呼べ」と釘刺されております。なんでこうも生きるのが下手なのか、と昔から不思議だったんですが、INFJの心理機能的にはまぁあってもおかしくないことのようですね。いや、心理機能のせいにしてしまっては、上手に生きてるINFJの方に失礼かもしれませんけど。劣等機能、Se!一応使えるけど、劣等機能は赤ん坊レベルに上手に使えないそうで。外向的感覚、自分の周辺に起きている現実を感じ取るってのが下手っていうのは、仕方ないとはいえ、いろいろ問題あるんじゃないかなーと思います。少しは上手に生きられるのかな、と思って、Seを意識して使ってみようと思ったことがあるんですけど、アレですね、すっごく疲れますね。目に映るものの意味とかを考えないで、「空が青い」とか「地面に空き缶が落ちている」とか考えるだけにしてみたんです。たったそれだけで、変なお酒の飲み方をしたみたいに頭がぼんやりしてきましたよ。私の友人に、写真とか撮るのがすごく上手な人がおりまして、憧れているのですけど、そういう人はこれを当たり前にできているんでしょうね、きっと。私は10分で現実酔いしました⋯⋯。AIに「ただ物を見てるだけなのにすごい疲れるんですけど」と相談したら、「Se弱いんだから無理にやるもんじゃない、5分くらいにしとけ」というお返事をいただきました。5分しか現実と向き合えないとか、ウルトラマンよりちょっとマシかもしれませんが、普通にお外で生きていちゃいけないレベルなのでは??冷静に考えれば、見た物から連想して想像する、ということをやる方が疲れるんじゃないかな、と思ったりもするんですが、N型ってそういう回路で生きてきてるので、それが当たり前になってるんですかね。一日中考えてても疲れたりしないですもん。興味のある物なら大丈夫かな、と思って動画なんか見てても、どっかのタイミングでふわふわ空想の世界に旅立ってしまいます。本とか読んでて、脳内でドラマとかになったりするのは面白いと思うんですけどね。あぁ、だから漫画より小説の方が読むの楽なのか。読書が楽しい思考回路ってのは素敵だと思いますが、やっぱり一応現実を生きる人間ですから、少しは現実に集中していたいもの。なので余裕のある時に、見えた物をそのまま言葉にする練習は少しずつやってるんですけど、なかなか難しいものです。でも、やっぱりS型って憧れますねぇ。
2026.05.26
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最近まで自分の性格タイプなんて把握していなかった私ですが、無料診断でもAIでもINFJだと言われるので、たぶんそうなのかな~くらいの感覚でいます。なんか生きづらい性格らしいですが、私の悩みとかも性格のせいだったんですかね?INFJの説明を読んでもいまいちピンときていなかった原因の一つが、INFJは共感しすぎて疲れる、というものでした。共感⋯⋯? なんか共感することあったかな?他人の悲しみが~、とか、誰かの怒りが~、というのはさっぱり分からなかったように思います。そして、誰が誰を好きで、とかいうのも全く、ほんっとに全く分からない人でした。⋯⋯本当にINFJですかね、私。他人を見てないINFJ。共感疲れはなかったとしても、強みも何も活かせていないじゃないですか。もしかすると以前はもっと違った性格だったのかもしれません。そういえば、AIには「Tiが強くて、Niのイメージに速攻で理屈をつけに行ってる」的なことを指摘されたように思います。だから共感するというより、それが正しいのかどうか、相手にとって本当にためになるのかどうか、を見て行動している、らしいです。INFJだって言っても誰も信じないだろうな、周辺の人たち。でもこの心理機能の動き方って、第1ー第3ループの状態に似ていませんか? つまり私、常に異常な思考パターンをしていた、ということですよね?確かに共感疲れはないし、他人にとって不利益はない。まぁ、感情を無視していたせいで感情が迷子になるという弊害はありましたし、嫌なのに行わなければならないと判断した時のストレスはとんでもないものでしたけどね。自分の思考パターンが感情に過負荷だと考えて、最近では感情を表に出すようにしているんですが、そうしたら今までになく嫌な気分になることが増えました。ストレス減ってないじゃないですかー。どういう時に嫌な気分になるかというと、たとえばテレビを見ている人が番組の内容に対して「こいつらホント馬鹿だ、◯ねばいいのに」と暴言を吐いた時。自分が言われたわけじゃないですし、放っておけばいいってのは分かっているのに、嫌な気分になるんです。今までだったら、「あー、うるさいなぁ」と思って離れるだけでしたけど、感情を出すようにしたら、自分が他人の悪口を言っているような気分になったんですね。(これが共感⋯⋯? なるほど確かにこれは不快だわ)なんて、不快な気分になりながら感動するという、人生でそうそうない感情の動きを経験できました。ちょこっと意識の向け方を変えるだけで、こんなふうになるものなのかな、とも思いましたが、元々補助機能なFeを使うようになっただけで、これまでは本来そんなに多用するもんじゃないTiを使いまくってたわけですからね。本来の形になった、ということなのかな、と。本来多用しないはずのTiが何故こんなに出しゃばってたのかは、なんとなく心当たりがあります。そうする必要があったからなんですけど、私の場合はそれが過剰になりすぎてたんでしょうね。そんな状態でも批判はされなかったところを見ると、Ti自体が成長して、正しく活用できていたんでしょうから、そう悲観したもんでもないのかもしれませんけど。でも、Tiが出しゃばる思考のクセはまだ残っているので、ちょっと感情的に嫌だなと思うと、すぐに「出番?」って出てきます。そして、冷徹な判断をしたりします。堪え性的なものはなんにも成長してないですな。どうしたもんだか。
2026.05.25
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今でこそ副業とか短期アルバイトなど、働き方が多様化しておりますけど、以前は就職活動ってかなり面倒なものだったように思います。私はそういう世代の人間なもので、そして就職難の時代も経験しておりますので、二度と関わりたくないと思うくらいには苦手としております。履歴書なんて見たくもない。なので、居住地を変えるなどの変化は、それに伴う就職活動が大きな壁となって、あまり考えたくないこととなっております。そんな私に、「ここにいてくれ」と言う人がいました。渡りに船、と思います? でも私、この人のことをすごく恨んでおりました。出て行きたくないのに、ここにいてほしい、という人を恨むってすごい矛盾ですし、自分でもなぜそう思うのか理解できていませんでした。恨んでいるからってそれを表に出すほど子供ではなかったんですが、人を恨むって結構なエネルギーを使うことでもあるので、思い切って深堀りすることにしたんです。私のいるこの場所はかなりの田舎でして、決して悪い場所ではないんでしょうが、若い人が喜んで住んでくれるかと問われれば、難しいというのが正直な答えとなる場所です。だから、私にとっても居心地がいいわけではなかったんです。でも前述の通り、就職活動が苦手な私にとって、とりあえず生きられる場所を出て行くのは、負担の大きい選択なんです。だから、仕方なくここにいる、という選択をしたんですね。そしてそれを全肯定してくれる「ここにいてくれ」という言葉です。メンタル弱めの私はその言葉に、頼まれたからここにいる、というすり替えをやったんですね、無意識に。出て行くのが嫌なのは自分、でもこの場所が嫌なのも自分、その場所を選ぶしかない弱さを抱えたのも自分、それはつまり、自分の人生を粗末に扱ってるのが自分、ということです。なのに、無意識にすり替えをやった私は、その人の言葉のせいだ、と責任転嫁したんです。こういうの、最低な奴っていうんです。まぁ、逆恨みですよね。誰にも恨みの気持ちを明かしていなかったから、最低な奴だっていうのは周囲にはバレてないでしょうけど、自分にはバレてますから。数日落ち込みました。落ち込みはしましたけど、気持ちはスッキリしました。もう自分を粗末に扱う必要はないんですから。年齢的には無理は利かないでしょうけど、選ぶ自由が自分にあるのとないのとでは雲泥の差です。とりあえず引っ越すか、とか軽いノリで選ぼうとは思っていませんが、今はまず、誰かに「ここにいてほしい」と安易に言わないようにしようと思っています。私みたいな弱々な人間が、その言葉に自分の人生を縛り付けてしまうようなことがないように。
2026.05.24
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無理なく生きられているのか、単に頑丈なのかは分からないんですが、ここ数年風邪らしい風邪をひいていません。ときどきお腹を壊す程度で、健康診断でもお褒めの言葉をいただいております。メンタルはわりと簡単に壊れますが。ここ最近で一番キツかったのが、一緒に仕事した人たちが、人の指示を聞かないのと報連相をしないのだった時でした。それまで大丈夫だったお腹が、マッハで壊れるレベルでした。指示を聞かない方は、「これをこうしてくださいね」というのに対して「分かりました」と返事するくせに、勝手に違うものを付け加えてくるという、ヘビの絵に足描きまくってムカデにでもしたいんじゃないかってぐらいの蛇足人間でした。そして報連相しない方は、締め切りギリギリまで催促しないと報告しない、体調不良を隠すなどの社会人として終わってる働きを見せてくれました。コミュ障通り越して悪意しかないだろ、これ。そしてこの体たらくで自分が仕切ってるつもりだったらしいから、本当に常識的にも終わってますよ。まぁ、ジャーナリングが捗る捗る。締め切りが迫る中、お腹も痛いのに必死で状況立て直して、なんとか仕事は無事終了。もう二度とこの人たちと仕事したくない! と思ったとしても、たぶん私はそんなに悪くないはず。大した規模じゃなかったから収集はついたんです。これが大規模だったら⋯⋯あぁ大規模だったら、まだまともな人が関わっていたかもしれないから、もう少し私の負担は軽かったのかも?たぶんですが、一番キツかったのは報連相しない人の方だと思います。仕事が全て終わってから話し合ったのですが、何もかも終わってから「アレが嫌だった」とか言い出したので。だったら先に言え、と。これをこうしたい、というのがあったら、相談すればいいじゃないですか。お察しくださいで全てが片付いたら人間に言葉なんて生えてきませんでしたよ。察してくれなかった、で逆恨みされてもこっちだって困りますよ。別にエスパーでもなんでもないんで。ちなみにこの方とは、和解は不成立です。そして、こじれたまんまです。あー、ジャーナリングが捗る捗る⋯⋯。
2026.05.23
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先日INFJの理想についていろいろ考えてたんですけど、理想って言ってもいろんな分野がありますよね。恋愛なら、こういう異性がいいな、とか、仕事なら、こういう環境で働きたい、とか。で、私にはどういう譲れないラインがあるのかなー、といろいろ考えていたんですけどね。ありましたわ、譲れないライン。自己中心的な人私、というか、大概の人がそうかもしれませんけど、苦手です自己中な人。自分軸で動く人、と言えば聞こえはいいですけど、周囲への迷惑を考えない人はねぇ⋯⋯。行動で我を通すだけじゃなく、言葉の選び方とかに何のフィルターもかけてないとか。自分だってそんなできた人間ではありませんが、ごめんなさい、無理です。謝罪ができない人一応「すみません」とか「ごめん」は言える。けど、「それはごめん」とか「すみません、許してね」とか言う人は、本気で謝罪する気ありますか? と聞いてしまいたくなってしまいます。「それはごめん」って、とりあえずその場を凌げればそれでいいや、という感じがしませんか? 5分遅刻してきて「いやー、ごめんごめん」ならまぁ流せますけど、年単位で人にトラウマ植え付けておいて「それはごめん」なら、それで凌げると本気でお思いか? となりますでしょ。「許してね」ってのも、謝罪じゃないですよね。要求です。結局謝罪できてないです。今のところ言語化できてるのはこの辺です。自分がINFJだと分かる前に、ほぼ絶交(私個人としては、友人関係から撤退、と表現してますが)した人がまさにこの2つを抱える人でした。幸いなことに、これらを強烈なレベルで放つ人は、今のところこの人だけですけど、正直もう二度と関わりたくないと思っています。それでも連絡ツールをブロックしないのは、一応まだ変わる可能性もゼロじゃないから、というのと、共通の友人で「切っちゃ駄目だよ」と主張する人がいるから。色々様々ありまして、もう信頼のステイタスが燦然と輝くゼロ、なんですけどねぇ。なのでこっそり、ミュートにだけはさせてもらってます。人間関係における理想、私にもちゃんとありました。でもやっぱり、これってどんな人も嫌な特徴ですよね? 私が特別我慢できない奴ってわけじゃないですよね?(なんか不安になってきた)もうXX年我慢したんだから、そろそろキレていいんじゃない? と思う気持ちと、ちゃんと話し合って和解したほうがいいんじゃない? という気持ちに挟まれて、友人関係撤退したのにストレスだけは増大中です。
2026.05.22
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「何食べたい?」とか聞かれて、「なんでもいいよ」と答える人。なんの参考にもならなくてキレられる対象ですね、私のことなんですが。いや、いろんな人がいると思うのですよ。あなたが作るものはなんでも美味しいの、とか。でも私の場合は、「ぶっちゃけ、何食べたいと聞かれても別に思い浮かばないんです」という人。でも私以外にもいると思うのですよ。好きな食べ物というはあります。嫌いな物ももちろん。でも、それって食材なので、料理聞かれると本当に困ってしまう。以前は、食に興味がない人なので~、で通していたのですが、食に限らずとも特に希望がない、というのが実際のところ。最近は「何ならあるのかな?」と聞き返して選択肢を作ってもらう、という知恵を身につけました。やりたいことを見つけるのに、ジャーナリングは使えるのかな? と思ってやってみたんですが、なんとなく心に引っかかったワードを並べてみても、これだ、と思えるものは今のところ見つかっておりません。別に見つからなくても困ったりはしないから、本気出してないってのもあるんでしょうけど。学生時代からこんな有様でしたから、進路希望調査とか大変でしたね。なんなら小学校の卒業文集とかに「大きくなったら何になりたいですか?」という質問があったのですが、それに「大人」というどうしようもない回答を書いてました。ほんと面倒くさい子供だな。でも、いざ就職すれば、特に希望がないので眼の前にある仕事を片付けるということにストレスを感じるということはなかったように思います。仕事をちゃんと教えてくれる人がいるなら、そして生活できるだけのお給料がいただけるなら、もうそれでいいですと思ってました。誰かに対する愛とか、仕事に対する情熱とか、そういうのを動機としていないから、よっぽど苦手なことでなければ耐えられたんですよ。逆に、嘘をつけ、とか、相手の弱味につけこめ、とかいう内容の仕事の方が駄目でした。愛も情熱もないけど、越えちゃならない一線てのはある。そういうのが理想主義っていうんですかね? でもやっぱりこれは、どんな性格の人でもあるんじゃないかなと思います。一線に設定する内容は人それぞれ違うかもしれませんが。愛がないなんて駄目だよ! という情熱的な人もいますが(私の周囲にもいますけど)、誰にも迷惑かけないように頑張る、というのも見えにくくても愛なんじゃないかな? とこっそり思ってたりします。世間一般で喜ばれる愛ではないかもしれませんけれども。
2026.05.21
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自分の気持ちが分からない、と悩むこともありましたが、ある意味で助かってた時もあったんです。辛いことがあっても、自分の気持ちが分からないから、「正解か不正解か」とか「誰かが助かってるか」という判断基準で行動することはできたので。でも、そういう行動の仕方って、判断は早くて助かるんですけど、感情にとってはストレスなんでしょうね。人生の大半、そういう生き方をしていたから、そのことに気づくのがだいぶ遅くなってました。多少冷たい感じの人間でも、行動できればある程度評価されちゃう。そういう歪みのある世界なんでしょうね、この世界。でも、自分にとって本当に大切な人が心を病んでしまった時に、感情が分からなくなったことを本気で後悔したんです。悲しいのか、寂しいのか、悔しいのか、怒りたいのか、泣きたいのか、全然分からない。たぶん泣きたい気持ちがある、というのは分かるんですが、その理由が分からないんです。周りの友達も私が変な状態になっていることに気づいていなかったと思います。だから、本当に辛かった。相談する人も察してくれる人もいなかったので、ジャーナリングはとても助かりました。その時の記録は読み返すのが辛くて捨てちゃったんですが、今となれば捨てて正解だったと思います。そういう嫌な気持ちを吐き出す先としても、ジャーナリングはありがたいものです。3日くらい同じテーマで考え続けて、やっと泣くことができました。まぁ、人前で泣くなんて恥ずかしくて絶対したくないんですがね。そういう意地っ張りな人にも、ジャーナリングはお勧めなのかもしれません。ただ、あまりにも落ち込んでいる時に、私のように無制限深堀りジャーナリングは、ちょっと危険かもしれません。どっちなんだよ? と思われるかもしれませんが、感情を抑圧して平静を保っている人にとっては、見なかったことにしていたネガティブな気持ちを全部一気に受け止めることになるかもしれないので。それを受け止めるだけの余裕がある人でないと、自分を立て直すのが本当に大変です。大変だったです。個人的には泣けてよかった、と思うけれど、底の底まで落ち込んでもいいタイミングじゃないな、と思う時は、迷子になってた感情に名前をつけてあげるくらいの方がいいのかな、とも思います。
2026.05.20
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「あの人、いい性格してるよね」って言葉、私はどっちの意味なんだろう? って一瞬悩んでしまいます。本当に善良な人も「いい性格」なんでしょうけど、ねじけた反応を返す人も「いい性格」って言うことないですか?でも、性格診断の説明を見ていると、どんな性格になったとしても悪人の性格ってないですよね。人によって合う合わないというのはあっても。じゃあ、ワタシのだいっきらいなあの人の性格はどう説明すんだよ? ということなんですけど⋯⋯私は最近、ストレスとか育ち方なのかな、と思うようになりました。まぁ、ストレスなんて誰しも抱えているものですから、そんなのを理由に人に辛く当たったりすることを正当化するのもどうなの、とは思います。私自身ストレスをためにためこんで、周囲を巻き込む大爆発を発生させた人間なので、大きなことは言えません。一時的なストレスで、いつもの思考パターンから逸れてしまって、気がつけば人を傷つけてしまった、なんてことは多くの人が一度は経験がありますよね。その一部だけを切り取って、性格悪いなアイツ、というのは巡り巡って自分にも突き刺さるブーメランになっちゃいます。あと、育ち方ですね。たとえば、親子関係がうまくいかなくて、誰も自分を守ってくれないから、自分で守るしかないんだー! という思考パターンを長年繰り返してたら、きっと本来の性格の良いところも歪んでしまいますよね。ストレス社会で生きていて常にプレッシャーに耐えている、とか、過去が原因で自分が歪んでしまっている、とかが日常になってしまっていたら、常にギスギスした人になっちゃう。それが、性格が悪い人、ということなのかな、と。もちろん、そういう人に合わせてあげて自分が傷つき続けるのも違う、とは思います。でもそういう人の性格を、「あいつの性格は◯◯◯◯だから、◯◯◯◯の性格タイプはみんな嫌な奴」という括り方も乱暴すぎますよね。自分だって歪む可能性持ってるわけですから。ジャーナリングを始めた頃は、あの人もこの人も大嫌い、と思って生きていましたけど、自分も結構歪んでいたし、周りの人もそういう側面あるのかな、と思えるようになりました。まぁ、直接会った時にやっぱりイラッとして、やっぱやだ~と思ったりしてしまうんですが。そう思ってしまった時にイライラを文字にして、少しは大人の対応ができる人間になりたいです。
2026.05.19
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性格タイプINFJの説明に、「理想主義」という言葉が出てきます。私はChatGPTに性格判断をしてもらった結果、「あなたはINFJの確率が高いです」と言われた人なので、それまでINFJの説明はさらっとしか読んでいなかったんですが。判断してもらったのに、どうしても分からなかったんです。INFJの理想というのが。今まで生きてて、自分のことを理想主義者だなんて思ったことありませんでしたし、人から指摘されたこともありませんでした。理想って言葉をネットで調べると、心に描く、それ以上ない完全な状態ってのを指すらしいです。でも、そんなもの心に描いたこと、あったかなぁ⋯⋯?ぼけーっと考え事、というか、空想妄想シミュレーション、表現はなんでもいいけど思い描くものはありました。そこはN型って奴なんですかね? 車とか運転させると気がついたら目的地に到着、とか結構あります(危ないって)。だけど、それが現実になるなんて思ったことありませんし、そんなものを掲げて生きてきたつもりもないんです。ということは、私は理想主義者ではない?恋人やパートナーに対する理想、という限定なら、理想の内容も分かりやすいですけど、それだってそんなに高く設定していない、と思うんです。誠実で、なんか問題が起きたらちゃんと話し合える人、ですよ? INFJに限らず誰だって望むレベルの理想じゃないですか?収入がどれくらい、とか、容姿端麗で、とか思ったことないし、私自身がそういうのを望めるような人間じゃないですから。うーん、あれかな? 人を気遣える人、っていうのはあるかな。そういうのを理想として持ってて、それに合わない人は駄目、とか言い出すってこと?だとしたら、すっごい性格悪くないですか? 私。自分がそんな大層な人間でもないのに。まぁ、100%そういうのを持ってます、なんて人はいないでしょうから、好きになった相手の現実の姿を見て、幻滅するかしないか、というのが理想主義者か否かってとこなのかな。でも、やっぱり多かれ少なかれ、どんな性格の人でもそういう理想ってのはあるし、幻滅したり折り合いをつけたりってのはあると思うんです。そんな考えだったものですから、自分がINFJだと言われても、いまいちピンと来なかったんですよね。今はまぁ、そういうものなのかも、と思っていますけど。
2026.05.17
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ジャーナリングを始めた頃は毎日が憂鬱で、何もかもむしゃくしゃしてました。だからなんですかね? 大きな音とか、匂いとかにものすごい拒否反応を示していたんです。私の知人に、香水が好きな女性がいるんです。だけど、好きが過ぎたのかなんなのか、その人を中心に2メートルくらいの範囲で匂っていまして。申し訳ないけど近づけません、という状況でした。最近は香害なんて言葉もあるくらいですし、私も柔軟剤とかは無香料の物を選ぶなどして結構気を遣っているんですが、そういうの気を遣ってくれませんか、なんて言える心臓は持ち合わせがありませんでした。普段ならなんとか我慢もしますが、この時はどうしても無理だったので、これもジャーナリングのネタにして、どうにかならないか考えました。これは自分の悩みとか、職場のトラブルとかと違って、他人の匂いがもたらす生理反応ですから、さすがに無理かもしれない、と思って書いていたんですけど、書いているうちに意外なことに気づきました。私、この人のこと、あんまり好きじゃなかったんだ⋯⋯?匂いが気に食わないとかそれ以前に、書いていたら不満の言葉が次々と出てきました。当人に対する苦手意識が、匂いに対する苦手意識につながっていたようです。文章にして、ようやくそのことに気づくことができました。今は、匂いに対する拒否反応は、そこまで強くありません。好きな匂いなら「いい匂いだな」と思えるようになりました(前はそういうのも駄目だったんです)。香水好きの女性の匂いも、前ほど辛くはなくなりました。でも、まだちょっと遠巻きです。あの、やっぱりほら、2メートル離れて香るのって、つけすぎなんじゃないかなって思うんですよね⋯⋯。
2026.05.16
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規則で決まっているのでなければ、仕事のやり方なんて人それぞれでいいはずですよね。AをしてからBをする、とか、AB同時進行でいく、とか。だけど、それが人に影響する場合はそうも言ってられないものです。うちの職場に、そういう自由裁量なところを本当に超自由にやってくれる人がいるんですよね。「じゃあこれやっといて」と人に押しつけてくる、「私はこっちやるから」と勝手に決める。人に意見聞くとかしないから、まぁ周囲はモヤモヤします。それで作業効率が悪くなるとかなら文句も言えるんでしょうが、別にそういうわけでもないので、なんとなく文句も言えないんですよ。で、そういうモヤモヤもジャーナリングのネタにしてみたんです。でも、ストレスの原因は自分の外側だし、仕事に行けばまた同じようなことは起きるし、こういうケースはジャーナリングも効かないんじゃない? と思ってました。今回も一問一答、時間無制限形式でやってみました。仕事を押しつけられることの何が嫌なのか、どういうところを問題だと思うのか、というのを思いつく限り書き連ねてみたんです。で、次の仕事の時にその人のフリーダム采配に振り回されたわけですが。案外、スルッと受け入れられたんですよね。不思議なことに。今回のジャーナリングの結論としては、「問題が起きても私のせいじゃないし、上の人たちが何か対策するでしょ」というのを最後の一文に添えただけなんですが。まぁ実際そうなんですよね。実際問題は私の受け取り方一つだったわけですから。その引っかかったところを言葉にしてあげただけで、心は案外落ち着いてくれるんですね。あまりに目に余ってモヤモヤが続くなら、数日ジャーナリングのネタにすればいいだけですし。人に愚痴れば角が立ちそうな話題ですけど、家に置いてあるノートですから、職場の人の目には触れないですし。ちゃんとノートを処分するまで、間違っても死ねないという問題は残るんですけど。
2026.05.15
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ジャーナリングを始めたきっかけなんですけど、まぁタイトルどおりです。自分の気持ちが分からない、という不思議な状況になっていたんです。INFJの方には、考えられないってほどの話じゃないようですけど、その頃の私は自分の性格タイプなんて知りませんでしたから、「そんなことある?」とちょっと衝撃でした。かなり落ち込んでいた時に、ある人から「なんでも話していいんだからね」と言われたんです。なんでもったって、別に話すようなことないしなー、何聞きたいんだいこの人、なんて思ってたんですけどね。話そうと思って考えてみたら、自分の感情がまるで言葉にならなかったんですよ。状況をうまく説明することはできた。今後の予定もちゃんと説明できた。でも、自分がどんな気持ちでいるのか分からないってのが、本当に驚きだったんです。で、同時に気づいたんです。周囲で私にいろいろ聞いてくる人たち、別に私の状況の説明が聞きたかったんじゃないんです。いや、それも大切だったんでしょうけど、どっちかと言えば私が自分の気持ちを話してくれるのを待ってたんじゃないかな、と思います。自分の頭の中、もしくは心の中のことなので、誰かに聞いても答えは絶対に出ないわけで。自分で答えを出さなきゃならないってなった時に、ネットでジャーナリングの情報を見つけたんです。でもね、「書く瞑想」とか書かれてると、なんか胡散臭くて。そもそも私、そういう方面にはかなり懐疑的なタイプなんです。だから、最初はやるつもりなかったんです。でも、論文とかもあるって言うし、やってみた人が体験談をネットで紹介してたりするし、仕組みとしては納得できたので、瞑想だとは思わずあくまで記録としてやってみることにしたんです。最初は、どうしてか不安が止まらなかった悩みについて書いてみました。やり方は超・自分流。制限時間とかも決めずに一問一答形式で大学ノートに書いてみました。その悩みについては、何が原因なのか理解していたので、書くのは苦労しませんでした。「何が不安?」→「◯◯が不安」 「なぜ不安?」→「◯◯◯ができないかもしれないから」みたいな具合で、自分でも分かりきってる悩みについて書いてみたんです。悩み事を誰かに話したりするとスッキリするって言うけど、あれって問題が解決するしないに関わらず有効なんですね。問題は1ミリも解決してないんですけど、すごく気持ちが楽になったんです。書いた分量は、B5大学ノート1ページとちょっと。ネットでお勧めされていたやり方を全部無視して、気が済むまで書き殴ってみました。いやー、スッキリ!瞑想だなんだとか吹っ飛んでました。だって効果あったんだもん。私、これまで悩み事が解決しないのに誰かに話したりすることに、意味を見いだせてなかったんです。人に話すのって人の時間を奪うことだし、問題解決に寄与しないなら無駄だな、と思ってて。物理的にはなんにもプラスになってないけど、心にとっては大切なことだったんですね。それで、その日から約1ヶ月、書きまくりました。相変わらずお勧めのやり方は無視して、筆が進むままに書いた書いた⋯⋯。たぶんこれまでの人生で一番ノートの消費が激しかったんじゃないでしょうか。ジャーナリングをお勧めしてくださってる方たちからすれば、なんでそんなやり方してんだって言いたくなるかもしれませんが、たぶん制限時間があったら、思考が途切れ途切れになって余計にモヤモヤしてたんじゃないかな、と思います。私には、集中して書くことが向いていたんじゃないかな。悩み事の内容は、あまりに個人的な事なのでここには書きませんけど、順番としては、その時点の私の周囲にある悩み事から書くようにしました。最近のことだし、感情迷子の私でも「これが嫌だったな」というのは認識できてましたから。問題は、時間を遡っていった先にありましたけどね。とりあえず、これが私とジャーナリングの出会いでした。
2026.05.14
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昔から不思議ちゃん扱いはされてましたが、概ね上手に世の中渡っていけてたと思ってたんですけどね。気がついたらメンタル病んでたんです。家族に優しくできない、なんで?いつもイライラしてる、なんで?ご飯美味しくない、餌だって思っちゃう、なんで?いや、タヌキ名乗ってんだから餌でもいいのかもしれないけれど。うまく生きてるつもりだったので、なんでいきなりこうなったのかよく分からなかったんです。別に病院に行ったりはしてないんですが、どう考えても心が病んでたなぁ、と今では思います。今のところ普通に暮らしていますけど。診断がつくほどひどい有り様ではなかった、とはいえ、なんとなく辛いなぁと思った時のことを記録しておくのも悪くないかなと、ブログにしてみることにしました。あ、性格タイプはINFJ(提唱者)だそうです。といっても世間一般に言われているような繊細で、穏やかで、知的な感じじゃありません。なんとなく自分より他人優先かな、とか、ぼけーっと考え事してるな、とかやってるごく普通の人です。そもそも性格タイプを知ったの、ごくごく最近でして。メンタル病んでた時は性格診断なんてやったこともなかったんですよね。じゃあなんで名前に入れたかといえば、心理機能の考え方に結構助けられた、と思うからです。相性とか適職判断とか、面白いけどあんまり気にしてません。話題はちょっと重たいですけど、あんまり重たくないように書けたらな、と思います。そんな感じでよろしくお願いします。
2026.05.14
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