悪性リンパ腫になっちゃった!!!
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移植1000人の同窓会が高輪プリンスホテルで、患者家族260名新旧移植医療関係者により盛大に行われました。私は弟から造血幹細胞移植を受け10ヶ月ぐらいお世話になっていました。家族は頻繁に見舞いに来ていたので全員で参加させてもらいました。受付は元移植病棟の看護婦さんたちで、白衣も素敵でしたが雰囲気が違ってきれいでした。名前が変わっている子が何人かいてよかったのですが、私に近いお姉さま方からは「名前変わってませんから」と挨拶をいただきました。退院してまる3年という年月は昨日のように思い出せました。会場は半分がテーブル、半分は立食のスペースでした。席は決まっていませんでしたので、私の家族はみんなが遠慮して空いていた司会者に近い所に陣取りました。挨拶に先立って、亡くなった方に対し黙祷がささげられました。生の演奏で「千の風になって」が流れ、私は移植して亡くなった4人の仲間を思い出していました。数年後元気にいれるのは20%くらいなのかな…なんて改めて思っていました。乾杯はシャンパンでした。会場に来られている方は、結構飲んでも平気みたいですね。私も普段よりしゃべってノドが渇くので、水割りをがぶがぶ飲んでました。料理も生ものはなく、手をかけてあるものばかりでした。確かに刺身は一見豪華だけど、味も値段もオードブルのほうがはるかに豪華です。三陸産のアワビも生より柔らかくておいしくなってました。私の場合移植後2年近く刺身はだめ、3年はお酒もダメでしたが、みなさんそんなことないみたいでガツガツいってましたね。移植仲間でブログ仲間でもあるきむ8383くんが私を見つけてくれました。彼が2度目の臍帯血移植で見舞いに行ったとき、看護婦にけっこうきつい事いうなと思った。以前はやさしい男だなと感じたので、長くてストレス溜まっているんだなと思った。もちろん今は42キロから55キロになってまだ青白い感じだけど好青年になっていた。同世代の看護婦には○○クンなんて呼ばれて囲まれて良かったね。しばし歓談食事の後思い出のスライドが流されました。新しい病棟になってからの様子は、ほとんど私が撮影したものでした。私は日記のようにデジカメで身の回りや病棟内を写真に撮っていました。私は自分の仕事している写真をあまりもってなかったので、看護婦さんや先生の仕事しているところを残しといてあげようと思いました。いつかなんかの役に立つと思っていたので、十分役割は果たせたと思いました。初期の移植病棟のスライドは、宇宙船という雰囲気で大げさでした。今はだいぶ緩和されて、ストレスもなくなったので、こんな事も移植がうまくいくようになった一因でしょう。患者さんが数人壇上でお話をしました。本人が亡くなったら、母子3人になるところが、4人でこの場に入れる喜びは無上のものだと思います。わざわざ沖縄から見えた方も、なによりも元気な姿を見てもらって感謝の言葉を言いいたい気持ちが伝わってきました。お話を聞きながら生き残った私達は自分の経験が必要とされた時は、それに応じるのが義務なんだよなと思いました。【最後に提案】本当は移植する必要もなくなるのがいいのですが、今後も移植を受ける人が増えるでしょうから、5年に1回集まるっていうのはいいかも知れない。2年に1回はやりすぎ、オリンピックにあわせて4年でもいいけど「4」は嫌われるかも。退院して5年再発しなければいいわけだから、ちょっと遠いけど、次回も行こうと励みになる。どうでしょうか?
2007年03月03日
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