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米は、洗うのではなく、研ぐ(とぐ)と言うが、最近は、無洗米。などと言うように、洗う。という行為に変化しているのかな?洗う、というから、洗剤とかを入れたりして洗うものだと思ってしまいそう。テレビの料理番組をあまり見ないので、どんな表現なのか、気にかかるところ。母は大正7年大阪の堂島生まれ。曽根崎小学校から大手前女学校に進学している。花嫁修業として、料理はクラブ関西の井上耕作に、お花は安達流のお家元に、(おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に、見たいな言い方やね)師事した。この、井上耕作さんは、テレビ放送で料理番組が始まるとすぐ、テレビに出ていた人なんだ。と、思う。なんせ、オイラが小学校3年くらいの時に、見た記憶があるくらいだから。この人に料理を習っていたの。と、画面を見て言ってた。楽しみ、と言うほどの事でもないけどこの、井上先生、口癖があり、料理の食材や、調味料、調理方法の説明の時に、「ちょっとこう・・」「んで、ちょっとこう・・」「これを、ちょっとこう・・」(します。と続くが言わない)とばかり言う。で、ウチでは、「ちょっとこう・」が始まる。とか言ってたわけ。同じ時期に、どこの局か忘れたが、天気予報で、「実は・・」と、発言の最初に必ず入れる予報官がいた。「実は・・明日は晴れなんですね。」「実は、この低気圧は・・」とか言う具合。これをば、オイラの家族は大いに楽しみ、「ジツは。」が始まるよ。と、一同テレビの前に集まったりした。まだ、意味も分からないから、何で面白いの?とか、聞くわけ。ジツはね、、じゃないが、実は、と言う言葉は、天気予報にはこれこれこういう理由で、そぐわないから面白いのだと、教えてくれたりした。洋風料理をわざわざ先生について習うくらいだからさぞや、毎日の食卓は賑やかしいものになっていただろう。と言う状態ではゼンゼンなくて、全く地味な物であったが、丁度この小学校3年くらいには、あの、○キンラーメンが発明されており、しかも、同じ市の発祥であるから、オイラは早くに体験している。工場がすぐ近くにあったから、衛生上良くないとかの噂も聞いたが、ホットケーキか、○キンラーメンか、と言う具合におやつにはよく食べた。程なく、うどんスープ。なる物も出来たと思う。それから、粉ジュース。当時は鰹節は削り器がどの家庭にもあり、我が家はかつぉぶしの事をおかっつぉ。と呼んでいて、おかっつぉ、作って頂戴。とお手伝い。カシャかしゃ削るがなかなか下の箱に溜まらず、つまらなかった。工場で大量生産の調味料がどんどん出てきた時代。一方では、おこぶやさん、佃煮やさん、などの従来の食材をそのまま提供する小売店も繁盛していた時代。コロッケ一個10円、キャベツの千切りつき。食パン一斤、35円くらいの時代。*******
2005年01月22日
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こんな事で、ええんか?オイ!なあ!ホンマにこんな生き方でエエンカ!なあ!と、ゴジラに肩を揺さぶられてるような、揺れであった。モノにつかまる・って、・ってもツ・カ・マ・レ・マ・セ・ン。夜明けなので、起き抜けだし、今となっては半分は夢の中の出来事のように感じる。当時、ワンちゃんが2頭いて、プードルと、マルチス、5時半頃から起きて騒いだ。ワンギャンと、吠えるのでなく、ワサワサとし始めた。あっちに行って、こそこそ。また、こっちに行って、・・実はコレで目が覚めた。??一体なんで?ネズミでも追いかけているような落ち着きの無い・・まだ、早いんだから止めてくれる?とか思っている時・・寝室の北側にガラスの枠が焼付け塗装の押し開き窓が天井部に沿って、並んでいるのだが、真っ暗であるはずの外が、明るい。んだ。ふと見ると、暗い。単純に首をかしげてとか、して、外を見る。と、・・・パパパーッと、白くほの明るくなる。あれえ、雷か。自然現象に対してのボキャブラリイが少ないので、その位にしか表現できない。犬達が一層、じっとしていない。ごーーー。と静かに、、来ました。最初。10年前の出来事。1995年 1月17日 午前5時46分30秒。温暖化というけれど、この年も暖冬で、ムッとするような大気であった。思い込みで言うのかもしれない。だけど、今年だって、ヘンだった。あの、大津波が来て、途端にすうう。と、冷えませんでしたか?オイラはそんな風に感じている。温度・湿度だけでなく、何か数値に表せない何かがあるのでは?と思っている。台風だって、分かるものね。昨日はあの時どこでした?と、10年前の事を話していて、神戸市の中心で仕事をしていたヒトがエキマエのデパート、真っ二つ。とかの話。床が斜めになり、商品がひとところにザーッと溜まってとか。さる沿線のエキマエなどは、高額商品のお店など、もう、全壊だと、ブランドのバッグなどむき出しで・・人々は放心状態だし。きっと、何をしても分からなかっただろうとか。それを、手にしない。しなかった。あの時、やってればとか、ちらっとは思う。人間約3名。今から思えば。。と、そうしていたら・・きっと、バチ当たってる。と、声を合わせて思いがけなく、コーラスになった。津波のシミュレーションも、続々鑑賞に堪えるものがCGで、出来てきて、もし、あの、津波が日本列島を襲えば・・とかの番組もまた幾度も放送されるだろう。真面目に避難訓練した方がいい。だけど、ビル一個とかのレベルでやるか?このやり方、如何によってはマチオコシになりそうだが、地下街などでは、一年くらいの間、準備をしないといけないだろうが真面目にゲーム感覚で、避難路などの点検をした方がいいのでは?警報の音だけでも周知徹底したほうがいいよね。訓練ばっかり。とかでもそれは、災害が起こらないに越した事は無い。第3セクターで、聞えのいい文字ばかり並べて飼い殺しの余剰人員。ひとつ、この際、災害担当になって、真剣に考えてみたらどうか。関連するヒト、モノ、時間、結構充実するかもね。
2005年01月17日
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コペンハーゲンのクリスマスは、11月も下旬になると、ハート型のシールを(GOD JULE (メリークリスマス)と、字が白抜きされている。)道行く人達は胸に貼り付けて、ルンルン気分だ。チューリップの球根を買って、クリスマスの日に咲くようにしておくし、大きな調理パン、、魚の形とかの、、を焼く練習を男達が始める。試食会をしようと、これだけで、プレ・クリスマスパーティーの言い訳が出来る。グルック(発音はもう少しクグモッテイル)という、木の実とドライフルーツ入りの甘いホットワインも欠かせない。授業中に助教授のラースが、大きな琺瑯の鍋を持ち出しお玉で混ぜながらちょっと飲んでみて、と、試飲会をしたのも、今では微笑ましい思い出の一つ。エブルスキーバ(これとて、音としては程遠い)という、たこ焼き型のプラム入りのホットケーキ。そして、あら塩を敷き詰めて、フライパンで焼く栗。クリスマスの定番。ターキー、ではなくデンマークは豚。ローストポーク。クリスマスツリーには、本物の蝋燭が灯されるのでそうそう、ツリーも本当のもみの木。イブには、消防車が大忙し。これは、30年以上前の事だから、今は、もう、蝋燭ではないかもね。オイラも、最初のクリスマスの年にはWillemousgade 58番地の屋根裏での年のこと。一階下のエルサマリアと、おしゃべりしてて灯しっぱなしの蝋燭がツリーに燃え移り、小火の手前まで行ったから消防車の大忙しは実感だ。異国に滞在し、最初のクリスマス。見るもの聞くもの始めてで、戸惑いばかり・・となるはずなんだが、、オイラ、小さい時からクリスマスには馴染んでいて、全く違和感無く、クリスマスをエンジョイしたっけ。小さい時から馴染んでいて、、と書いたが、この文章を書くために思い出さないといけない事があった。オイラにとってのクリスマス。その記憶の断片、半世紀以上前だから、もう、彼方に遠いが・・クリスマスの定義、クリスマスの象徴、クリスマスって、、なあんだ?を、ここしばらく、、考えておった。大げさな。でも、夜空をそりが走るサンタさんやカードの美しいくつしたの写真や、(もう、文法などどこかに行って、オイラの脳はすっかり、メリー・クリスマス!)思い出すダニ、(でさえ)お楽しみだ。また、明日書こう。
2004年12月23日
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ちょっと、踏み込んで書かせていただく。すぐ済みます。他人の骨を隣の隣の国が、送って来た。(返してきた)それはそれは、分かりやすい嘘である。経済制裁を。と、世論を盛り上げるのにも追風になるだろう。なんと、軽い世論。であることよ。と思うなー。確かに、皆、ご無事で帰ってきていただきたいのは誰もが望んでる。粘り強く取り組んでおられる姿にも頭が下がる。この事に反論など一切無い。だけど、偽物の骨、、ねえ。けしからんけしからんと、怒る。。ねえ。オイラの叔父は沖縄で戦死しているもう一人はフィリピンだ。亡くなった、明治34年生まれの、オイラが会うことの出来た叔母の一人、ハナコさんは言ってたよ、。桐の箱に入ってたのは、砂、だった、と。怒ってない、、怒って言ってたのではない、、と記憶する。聞いたのはもう、40年も前の話。人々は怒ったのか?愛する家族を失い、桐の箱に砂を入れられて。だから、どうなんだ。などと、これ以上は難しい事は表現できないが。分かりやすい悪、すぎて、なんだかよくわからない。もっと、隠れた大きな何かがあるんじゃないの?とか思ってしまうなー。*********友人の映像の専門家が、言ってたが、冬ソナの映像としてのレベルはとても高い。と。オイラ、忙しい事もあり、見ていない。君の名は というメロドラマ、この放送の時はお風呂やさんが空になった。と、聞いた事のアル世代なのではまらなあかんでしょ。世代的には。。なんだが、君の名は、を母が熱狂していたかと言うとそうではなかったし、(記憶の範囲なので定かでないが)お臍だけが見える、(つまりヘソ部分だけをくりぬいた)ワンピースを作り、オイラに着せていたような、変わった人だったから、出始めのパリ-のカルダンを称して、あれは、しょもない。(良い評価の反対)と存在も認めようとしなかったなー。。そのような、変人が、君の名は、でもないもんだと娘のオイラが勝手に思っているだけかも知れぬがオイラが冬ソナに、はなから興味さえ湧かないのは遺伝だと勝手にこれまた思ってる。今でも思うが、彼女が、時代や、性や、環境が違えば、面白いアーティストになっていただろうと思う。素材としては、なかなかオモロイ人だった。その、素材は遺伝して、少なくとも、多くとも50%はこの、オイラ、受け継いでいるのだから、しっかりせんと。アーティスト方面でね。*********昨夜はタップ。2月末の発表会、出ない。と決めて、稽古に参加。ブロードウエイ。と、あだ名をつけてる曲があり、これは、ダンサーになったつもり。の振りもたっぷりのエンターテインメント系のダシモノ。これが、、曲は好きだが早すぎて出来ないのだ。ナポレオンではないが、悔しいが、本当に。だけど、怪我するか、入院するか、どちらかだと分かるので、一抜けた。にしようと思ってる。げげげ。ワハハ。ところが、優しい、気配りのリーダー、。オイラに動かなくていい役回りを言ってきて。。嬉しかったが、出ない。との差は、動かなくても一定、時間を確保せねばならず、2月末までの時間割を考えなくちゃ。などと、。この位真剣にならないと、まあ、なんとか行けそう。とか、思っていると本当に皆様にご迷惑だしね。そうそう、今日は長いが、最後までお読みくださった方に、いい情報。昨日、税理士が来て、打ち合わせしていた。というより、ご指導があったわけ。役が多いと、の話になって、、彼曰く。お金が儲かっている人って、、、上手にそういうのは一切断ってますね。そうかー。。お金、儲けよう!漏れたな、論理。
2004年12月09日
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ちょっと、ニュージーランド。のような気温。ロトルアの湖のほとり、あの、バナナフリッター!旨かった。mskさんが、夢ニとその女達について、今連載?しておられます。彦乃、という若い女性にたまきという妻がありながら求愛し、駆け落ちする・・展開をば。文中、彦乃の男性を惹きつける要素について、父親の愛情を継母と争ったから、彼女がコケティッシュに云々。(詳しくはmskさんの日記をどうぞ)で、思い出した事がある。オイラは、19歳の時に母をガンで亡くしている。一年半後、数回のお見合いの末、父は結婚する。地味な地方公務員であったが故か、50にまだ届かない年齢の男性が一人はきついで。との、周りの愛情ゆえか、御節介ゆえか、本人の気持ゆえか、オイラには、娘さんの結婚に差し支えると煩く言われる。とか説明しておったが・・真意は父も亡くなってるのでわからない。とまれ、母が亡くなって、18ヵ月後、再婚した。相手は初婚。オイラには彼女はいつも年齢を何年生まれ。としか答えなかったので、20歳の若い娘(オイラの事)はいつまで経っても、継母の年齢を把握できなかったのを憶えている。今、分かるが、当時40歳。だったのでは?と思うのだ。継母にしてみれば結婚の話があった時は39歳であるから30年以上前では、所謂オールドミス、とかの単語も健在。(今は違うよね・・もう本当に皆さん、晩婚)さて、その継母が来たとき、我が家には、2人の子供と犬がいた。3頭のブルドッグの内、1頭は売れて、1頭は死んでた。だから、残るは1頭。名前をに。と言う。そう、この3頭、いち、に、さん。という名前だった。に、は幾らなんでも呼びにくいので、にーこ。と言ってた。にーこ、にエサをやるのも新妻の仕事になったわけだ。30年前だから、今のようにふんだんにドッグフードがあるわけでなく、母は、鶏の頭だの、足だの、ぎゅちゃぐちゃに炊いてとか、一定の工夫はしておったが、犬の事が分からない継母は、残飯であった。まあそれはいい。でも、彼女、グツグツ煮えたままのお粥のような残飯の炊いたのを犬に湯気が立っているのにやるんだね、これが。・・・言葉が無い。おいら達だって・・まあ、湯気はいいとしても一週間、同じおかず。ってのも有り、でしたね。追い出しにかかる訳です。早い話。さて、この場合、男である父、どうなるか、まあ、いろんな男の人がいるから、一概には言えないが、、妻には勝てん。のですわ。すべてのコメント、すべての事象、すべての環境、これ、妻を中心に廻ります。結局、2名の青少年は、家を出ます。ハイ。内一名のオイラ、人に取り入るというか、・・ここで、mskさん、の日記の事なんだけど、父親の愛情を継母と争ったから、男の気を引く術を得たのでは?との類推をしていらっしゃいますが、、家を出た娘から言えば、、単に落胆?以外の何物でもなかった。と言えます。少なくとも、彦乃は寂しかった、とは言えると思うが。続いて、嫉妬深い夢ニ。を踏まえて、東郷クン(当時17歳)をからめて、夢ニの妻が東郷クンとまんざらでもないみたいに夢ニにご注進・・云々。こういう、高等な人間関係の玉突きをしたのでないか?との推察をおられるが、ちょと、年齢的には無理かも。とか思います。無理の中身はたまきの年齢、今でこそ皆若いが、当時のたまきの年齢からすれば考えにくいのでは?と思います。彦乃の意思が夢ニとの恋愛に一定働いている。か?と言うことなんだけど。。これは、やはり、夢ニ主導型でしょうと。オイラは思う。後日、京都にたまきが夢ニとの息子を送っている。たまき、息子を送れば夢ニが帰ってくるのでは?と思って息子を派遣。。と、書いておられるが、むしろ、たまきは、子の養育最終責任者はあんたでしょ!と言ったかったのでは?ないかと思う。夢ニを取り返したい!とかは、、もう、思ってないのでは??とかねー。でも、女房妬くほど亭主もてもせず。だから、。妬いてたかも。入れ込むと、妬けるもんねー。こんな展開の日記になるはずではなく。今朝は寄り道した。今朝は開運事業部の事、書こうと思ってた。また、後日。さあ、開運でっせー。。。東京へ!いざ。開運!
2004年11月24日
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さんたさんとスノーマンのセットが2メートル40センチと。これを設置すれば少しはクリスマスらしくなるかと。40メートル離れた所からもああ、あそこは店舗があるようだ。と分かってくれる、きっと。オイラは思う。広場仲間のある方が、オッサン、っちゅうのはなんだか発声さえ躊躇われる。と書いておられたが、(男性)オバハン、と、中年女性を描写するのを日常とはしないのと同じかと、考えた。尊敬は出来ない男性の、それも年上だと、オイラにとってはオッサン、は単語として値打ちがあるカード。ホームレスのオッサン。とかはいいにくい。お気の毒要素が入ると、途端にホームレスの人、あるいはホームレスの方、とかの感じだな・・頭の固い、センスの無い(オイラから見て。あくまで)その人はきっとオイラの事を見下しているもしくは理解しようとしない、そう言う男性をオッサン、と描写し、溜飲を下げる。ささやかなシアワセ?かもね。クリスマスのデコレーション、これについては賛否両論あろうかと推察する。だけれども、店の飾り付けとしては、この時期、どうしてもはずせない。と言うことも皆様お分かりいただけると思う。ところが、オイラの加入したこのエキマエのビルの商店会。オッサンが会長をやると、一切、クリスマスのクリさえ話題に登らない。門松は話題に登る。これに10万、ってのは有り。クリスマスツリーの3個や4個が、(家庭にあるようなですぞ)・・オイラ、欧州に居たので、それと父がクリスチャンだったせいもあり、クリスマスは・・これはココに書くべきでないか・・小さい頃から家庭にあるクリスマスツリーの大きさが、違うかも。・・あっても、いいじゃないですか!(商店の間、間)それがです。数時間の説得と、予算のことも言われて、、いくら?2万円?高いなー、、とかで、わざわざ都会まで安い所を探して買出しに出掛けなければならず、門松の、植木屋の、挨拶即購入予約。とエライ違いで。そういう苦労の後に、クリスマスツリーをば、商店会の飾り付けに導入した思い出がある。そういうシンドイ事に時間を費やして、一般家庭にあるようなクリスマスツリーをば、店舗の通路、空間の装飾に使用する、惨めな事。なんだか、お金を出す(販促費)時に、ボチのワガママでこれは出費する。みたいな雰囲気になってしまい、こっちは、良かれと思いしている事がオッサン達のセンスが勝つと、本当に苦労。世の中に出て、見てミロや!と言いたい。ずうっと、そんな風に心の中で叫んでる。一体、町の商店の、モールの、飾り付けがどうなってるか。一人の消費者として見てミロや!と言いたい。そこいらの店に行き、そして、こっちに来て、真っ白に愛想もないビルだと、今の時期、お客はどう思うか。見てミロや。と言いたい再び。(アンタの家の中で、クリスマスツリーを飾るか飾らんか、それは勝手。だけど、店でしょ、ここはお店でしょ!)と、過ごしてきた、、開業以来15年。ささやかだが、今回クリスマスの飾り付けが実現する。オイラのこの春からの行動に関して(会長代行)評価してくれたのかどうか知らんが、現会長、あっさり予算執行にOKサイン。一発解答。拍子抜け。でも、嬉しい。取り付け費用含め20万。これとて、オイラの店のある駅前ビルだと地味。だけど、特筆に価する。嬉しい。と、同時に。見てミロや。他所を。と、オッサンに心の中で叫んでいたオイラが、15年経って、そのオッサン(現会長ではありません)の年齢になった。クリスマスデコレーションに関しては、オイラ、何度も言うが欧州にいたからその楽しさ美しい雰囲気、宗教に関係なく好きだし、しっかり憶えて形にする事が出来るが、クリスマスデコレーションに限らず、ネットの世界を含めて、世の中の変化、15年経てば相当な動き。成功体験、あるいはそれに近い体験、学習、考察、それらが、立ち止まっているのは何もオッサン、だけではない。よね。。るみなりえから始まる何でもイルミネーションが良いとは言わないけど、時流と流行とその流れに乗る振り位はやり方を知っておくのも大事かも。見てミロや。ですな。今日、大きなデスクが届くはず。若い2名(娘と姪)が並んで、PCに向かい仕事する光景を見てみたい。見てミロや。今日は創業記念日です。初心に帰り、過ごしましょう。
2004年11月20日
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昨日のちゅうじき(昼食)にと買出しにでて。香港豚。と言う蒸豚のような白いものがあって、デンマークで愛用?愛食してたのを思い出し、香港豚、というネーミングもすごい!とか思い、買う事にする。それは、香港豚ではなく、香味豚。と書いてあったのだが。読み間違った。今朝も偽のお札の犯人が早くも逮捕!されたそうなんだが、謎の一万円札の犯人逮捕!と、読んでしまい、??と、自分で注目したり。目が悪くなるのも楽しいじゃん。この数年間、てか2000年が明けてからのほぼ5年。実は睡眠が浅い。実は今日は8時間睡眠した。5年間で数回あった。こう言う時は嬉しいモンです。睡眠が浅いというより、そうですなー、・・継続しない。と言ったほうがいいかしらん。継続しない、だから、問題。とかあまり思わないで、さあ、寝よう!と又思うだけなので工夫をして眠る。悪いが、昼も寝てしまう。自分が先。なんだ。何でも。この際。チャーリー(愛犬)が5ヶ月になって、来た時は3.2キロだったのが、6.2キロになり、重い。我が家は駐車場が地面にあって、玄関に階段80段上って到達するので、よいしょよいしょと、クレートを担いで上る。店と家を一緒に往復してるから。夜、帰宅して、階段を上らせようと、起きて頂戴!と、寝てるチャーリーを起こすが・・寝た振りをするので、カゴを担ぐ。チャーリーは昨日は、お散歩でななちゃん(コーギー)とだるまさんが転んだ。をしたらしい。すごいワン子だ。80段の階段があって、嫌かと言うとそうでもなく。阿呆なので、高い所が好き。きっと、近い先祖にオランウータンがいるに違いない。その昔。オイラが絵に描いたような母親をしている時は息子の塾のお迎え、娘のバレエのお迎え、配偶者のお迎え、これをば、です。階段、駐車場、駅、駐車場、階段、(2回の階段は上下)3回やる。詳しく言うと80段の階段を降りて、クルマ、運転して駅、帰って駐車場、80段上って玄関。と言う訳。階段、の前に電話のベル。がある。電話番をしているわけでなく、大概は夕食の用意の最中。すると・・ハンバーグのタネをこねて、電話。(の後階段ですよ。)丸めて、電話。スープを仕込んで、電話。と、どうかすると、家族全員生のミンチ肉の塊を食しなければならなくて、は嘘だが、この、電話怪談?相当きついです。一日に6回から8回やるとです。・・これをです。おまけに・・仕事から夕食の兵糧を買って帰り、始めるのだから・・チャーリーのカゴなど。おちゃらけた担ぎ仕事なんだ。あの、凄まじい時代を生き抜いてきたんだから。なんだって、できるさ!と思ってしまう、ところの。老眼の進行に愕然とする今朝。80段の怪談、これねえ、、無料のジムだと思えば。お陰で、、肥えません。
2004年11月16日
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さて、ほぼハダカで、(パンツは穿いていた。)秋の日のヴィオロンの林檎の木の下に佇むオイラ。・・回収した、シーツはあるが、これをば身体に巻きつけてじゆーの女神みたくしてみても、掲げる松明は無いし。それでもまだ、寒い!一つの暖房は、プランタン。プランタン、名前も暖かそうであるが、プードル。グレーのオシャレなヤツ。第一、裸足。お金もないし。6番か、10番、9番のバスで、シャーロッテンボルグ城まで、行かねばならぬ。永年の夢の一つであった所のアカデミーへの入学が懸かっている面接だ。禍福は糾える縄の如し。いいかなー??と思えば、ガックリ来る。サイアクや-。。と思っても救いはある。この際、プランタンと、家無き子しようか??等と、ジョーダンの一つも言いたいところ。当時は若いので、そんな真理を吟味するとかの余裕が無かった。バスにとにかく、もう乗らないと、約束の時間にお城に到着しないじゃん。意を決して、裸足のまま、石の道をば横断し、お向かいの家に向かった。犬抱いて。ピン・ポーン♪中から出てきた御婦人、ハロー。顔が引きつってる。ごめんね。引きつらせて。悪気はないのだが、、このプランタン。まあ、この際、犬が女の子に抱かれているので、良かったなー。シーツだけだと、どうなっていたかは不明。向かいの家の犬、だと、分かったもの。プランタンちゃん、どうちたの?ところで、あたなは・いえ、あなたは・・と、かなり動揺。このオバサン。これこれしかじか、なんとか初級の英語でわけを話す。何とか分かる、オバサンで良かった。家主に連絡してくれて、、ところが。公務員の家主。鍵のためだけには帰りません。と、あっさり、困った。がが。この御婦人、奥からコートを出してきて、木靴を出してきて、バスの切符を出してきて、オイラに渡してくれた。家主と、打ち合わせがあったのだろう。ごめんやけど、こうしたってくれる?えー?、なんでよ、・犬は。あずかっといてよ。えー?、いつまで。はよかえるやんかいさー。とかなんとか・・ガバガバの木靴は裸足には痛かったがそんな事より履物があるだけでも有難い。黒い毛皮の襟のついたコートは長くて引きずりそうだが、そんな事もいってらんない。この場合。袖なしの寝巻きでは、幾らなんでもバスには乗れない。お礼を言って、プランタンを渡して、バス停に向かったオイラであった。続く。。としたいが、この後、教授とは無事に会うことが出来、面接の時間中、暖かい部屋で、コートのまま寒がりでんネンとか何とか言って、寝巻きにならずにすんで、。ウッフン、とかも言わずに済んで。無事に学生生活が始まる訳だ。今は昔。
2004年11月04日
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布団を干す。と言う習慣がある。洗濯物を干す。と言う習慣がある。さて、昨日、書いたように教授との面接をゲットしたオイラ。家人のすべて出かけた下宿の2階で、何を思ったか、シーツを干そう!と、朝日に向かって窓を開け、埃を払い広げたシーツを垂らした。風も適当にあって、清清しく、お掃除をしている間シーツがスッキリしてくれれば・・嬉しいな。適当な風、だったが、突如突風が吹いて(風の吹き方まで日本とは違う事がその時はまだシラナンダ。)シーツが、飛んだ。庭に落ちてしまった。取りに行かねば・・と、慌てて階段を降りて、と、そこに。プランタン。(グレーのプードル)おはよう。とだけ言い、おいらは自分のやる事をして、と玄関のドアを開け、戸外に出る。シーツはすぐそこに落ちているから裸足でいてまえと、、ちょんちょんとつま先で歩き出す。その時、プランタンは、ドアの隙間からオイラの後を付いて出る。ああーっ。プランタンちゃん、行かないで。シーツと、プランタンが奪還の目標となる。と、その時、また、突風が吹いて。バッターン!と、玄関のドアが閉まった!この、ばったーん。の前には、プランタン、プランタン、プランタン、くらいは、きっちりフランス語のアクセントで発声したはずだが、ワンこはふざけて逃げるばかり。で、バッターン!このドア、鍵穴だけでノブ無し。とりつくしまもない。とはこのこと。鍵穴だけのドア、なんか知らんやん。(この時から、鍵と、ドア、の組み合わせを始めとしてこの国の一般の所有概念につき学習が始まるのだが)閉まると・・・鍵がかかる訳だ。すると、どうなるかというと、プランタン、これは、出たまま。シーツ、これは何とか拾う。そして、オイラ。袖なしの寝巻きのまま、しかも・・・裸足。の女の子が、9月といえば。。もう、寒いわけ。犬抱いて、シーツ持って、庭で、ポツネン。忘れちゃならない、今日は面接。後、1時間・・・~続く~。このネタは、講演とかでしゃべってる。使い古しのネタです。でも、良いネタは、古くなりません。今丁度、オイラ、仕事の事で、大いに心配し、脳味噌を使わないといけない事が起こりまして、いえなに、仕事をやめちゃうとか、そんなんじゃないんですが、、きっと、良い方に行くとは思ってるけど、こればかりは、相手もある事なので。で、あまり、忙殺されるので、幕間にちょっと、シャーベット位をお出ししておこうか。とか思って。
2004年11月03日
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オイラが着用していたのは、袖なしの着物スタイルのサンドレス、膝までの紐で左前を括るオレンジ色の地に白の水玉のコットンで、白のパイピング。これ一枚。このような描写をしなくても、単に寝巻き。一方、プランタン、と言う名のプードル。これが、灰色。デンマークに着いたのが、その昔のある秋の日。新年度が始まる。ついては、入学を許可して貰いたい。と、エントリーしたが、王立美術アカデミーの当該担当秘書の机には、山と積まれた願書。それを指差し、これですから・・と、首を傾げられてしまった。たかこに聞いてきた。と、知り合いの名前を言う。(効果があるとは思わずにね)たかこは、後で気が付くが、優秀であった。たかこの友人が来たで!と、その秘書はすぐ、教授に伝える。たかこの友人?それはそれは・・オイラはたかこと友達ではない。単なる知り合い。まてしばし。明日、面接しますので、10時にココへ。とにかく、教授との面接はゲットする。たかこが知り合いで本当に良かった。その明日が来て、冒頭に説明した服装の所にカエル。・・今日の朝日は、その日の朝日に似ている。小鳥も鳴く。清明なる日の光。気温12度くらいか。今朝は茶色のピジャマのオイラなんだが、オレンジ色のサンドレスを着て、プランタンを抱いてる過去の自分を思い出した朝でもある。長いお日様の歴史からすれば、瞬く間。今、チャーリーが傍らに寝てる。デンマークに着いて、なんとか宿を確保した。長期の滞在を前提とした半分下宿のような、一般家庭。3人家族。母親と、2人の子供。オイラが3人目、と言う感じ。2階の小さな部屋がオイラの陣地。お風呂はココ、食事はこれこれ、鍵はこれ、犬がいるので、仲良くネ。とか、公務員のオバサン、一家の主が、生活上の決め事など、説明してくれて滞在3日目くらいだったなー。お庭には林檎の木があった。2戸一の、まあ、普通の住まい。goldshmitsvej 8 番地。さて、喜び勇んで。面接の日に。大事件が起こる。続きは明日。
2004年11月02日
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土日は、配偶者が子犬の守をするので、オイラは店に連れて来なくて良いから、シゴトが捗る。犬など、放っておけば良いではないか。と言うご意見の方もあると思うが、オイラは小さい時の愛情が犬でも人でも大事だと考えるので、パピーモードで対応する。従って、ワンこの出勤日は、月・火・木・金。世の中の休日が、この土日が、束の間のガー--と仕事する日になる訳。この数ヶ月は新規開店が2個、準備が・個。商品の追加が5個。しかもその商品のうち1個は世の中にまだ誕生していないアイテム。ドッグ・イヤーを実感する。PCのディスプレイを見ている時に実店舗があるから、いらっしゃいませ。をする。とにかく、めまぐるしい。とまあ、そういう一日を終えた土曜日。はらへったー。と、親娘で、クルマにのり、帰宅しようと。FMラジオから、まるまるまちのたなかさん、しんぱいしています。れんらくください。ぺけぺけまちのやまもとさん、でれでれさんから、しんぱいしています、れんらくください。・・・・・・とめどなく流れるれんらくください。・・丁度、踏み切りで、クルマが止まって、ラジオに神経が行った。この時、オイラは今回の地震の事を全く知らなかった。・・・????なんだね、最近は、安否情報も親切だね。水害が、案外、ひどくて、どこかで大量の行方不明がでてるのかな?とか、思って、これ、時々、こういうの、ラジオでやってくれたらいいね。まるまるさん、おかねはらってください。どこどこがいしゃの、きむらさんから。ぺけぺけしゃちょう、きゅうりょうはらってください。しゃいんのこれこれさん。どこどこさん、おかねかえしてください。・・・感情を全く入れないこの読み上げに、まねして、親娘で、やってたんだ。雑巾のように疲れてたので、おうどんでも食しよう。食して。また、クルマに。そうすると・・・まだ、それをしてる。安否情報。顔を見合わせ、・・・これは、ただ事じゃない。と、想像した次第。10年前の地震の時にはこの安否情報や電話での安否確認のシステムなど、時間がかかったはず。ソッコウ対応の制度が学習により出来ているのは喜ばしい。次の瞬間には、何が起こるか、本当に分からない。あそこまで揺れると、タマシイに影響するもんナー・・
2004年10月25日
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ある女性がいて、夫を亡くしている。子供が一人、男の子。中学一年生。ある男性がいて、妻と別れた。原因は知らない。子供が2人、女の子と男の子。女の子は母親に、男の子は父親に。したがって、男性は男の子一人。この男女が結婚した。再婚同士。妻は、後妻。と呼ばれる。夫は後夫(ごふ)とは言わない。夫は医者。オイラの叔父である。これで、4人家族になったわけであるが、この妻、賢いのか遠慮深いのか、連れ子(と言うよね)を冷遇。子供部屋にして、夫の子供は立派な8畳広縁付き、妻の子供は屋根裏部屋。一事が万事。8畳は、どら息子。お決まり路線。屋根裏は優秀。絵で描いたような、筋書き。屋根裏の彼、学校に行く時、自分でお弁当を詰めて登校。オイラ知ってる。米飯をしこたま、ドカ弁に詰めて、おかかを乗せ、ショウユを撒き、それで終わり。ダントツに優秀で、運動部に所属するも部長、生徒会の会長、カッコいいので、女の子がチョコレート持って、順番待ち。オイラの従兄弟なので、オイラも可愛がられる事になる。ストレートで素敵な大学、ストレートで大学院、フルブライトも取って、留学。日本の巨大企業に就職。あっさり、そこを辞めて、今はworld bankにお勤め。ワシントンDC在住。彼は子供時代、辛かった。だけど、今は、そんな事おくびにも出さず、かつてのどら(兄弟)とも、交流。帰国して会うと、いろんな話をしてくれるがうなります。いえなに、岩窟王を思い出していた朝なので、こんな事思い出しただけ。彼は米国に骨を埋めるつもりでないかと思っている。話が早い・・物理的に・・ので、聞き取りが困難です。きっと、頭の構造がオイラとは違うのだろう。ただ、彼の話し言葉の理解者は少数であるので、解るだけでも彼にとっては嬉しいのかも。
2004年10月06日
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今日から5つの銅貨。亡き父と見に行った思い出の映画でもある。この映画で、泣いてしまって、オイラ、これを歌う時、最後の銅貨のくだりになると、泣いてしまいそうになり、あまり歌わない。しかし、いい曲。父は小学生の子供二人にどこでどう工面をしたか、自転車を調達し、まだ、ジャリ道であった!!ルート171を、池田市の端から、茨木市まで、サイクリングを決行。現在は6車線の所もあるくらいの賑やかさなんだけどね。自分は(父)サイクリング車など売ってもいない時代にどこでどう調達したか、入手してきてそれに乗って、両手を離して8ミリカメラを構えて、おいら達を撮影して、その成果(?)を、御披露し、悦に入る。亡き母が、2万4千円!と、叫び、その自転車、消えたような消えないような、憶えていないが、この自転車の件をキッカケに、浪費を時々する父、というイメージがオイラのものとなる。正確に当時の平均給与額、わからぬが、おそらくあの、13800円。(これをご存知の方はおそらく数%と想像するが)よりはまだ、以前であったから1万円に届かない時代。同じ2万4千円、母が薬屋の御用聞きに支払う金額。これは少し時代が下がり、おいらが15歳ころ。夫の給料からでなく、たぶん。。ミグレニン、だったと思うが痛み止めを大量に消費。もうすでに当時、病魔が巣食っていたかもね。。母はオイラが19歳の時に亡くなる。男性が残されると、悲哀感いや増す。必然的に主婦は娘であるオイラがなることになって、楽しい学生時代が始まるわけだが。回りもほうっておかず、程なくというより、16ヵ月後、父は再婚する。父が48歳の時だ。その16ヵ月後、今度はオイラが家を出ることになる。16ヶ月と言うのはフィクションです。そう書きたい気分だがや。秋だねー・・・
2004年10月02日
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