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話し合いは前回で出された「海からの暖かい風がふくからミカンが育つ」ということが話題になる。教師「海から温かい風が吹いてくるのは?Mくんこだわってましたね。」Mくん「僕はお母さんから聞いたんですけど,芳野地区の山は東側にあって,海は西側に有るから,有明海から暖かい風が吹いて来て,その理由は海に暖流という温かい海の流れがあるから,それで畑が温かくなってるのかな?」Hさん「私もMくんに納得で,私もお母さんに聞いて,海の水は太陽の熱によって蒸発して,海の水は塩が含まれているから,海の上を吹く風に塩水が運ばれて,塩水を運んだ風が太陽の下を通る,太陽と海の反射のところを通ってあったかくなって段々畑のミカンのところに届いて当たる。」教師「お母さん情報ですね。」Kくん「海から吹いてくる風は海の温度で変わる。」教師「海から吹いてくる風は海の温度で変わるってことは?」Fさん「Kくんがいってることは,海が温かかったら,お風呂とか入るとき湯気が出ていて,その風が熱いから海も水だし,あの風があたたかくなるってことだと思います。」 お母さんから聞いた,M君やHさんの考えが,Fさんの体験談によって価値づけられていった場面である。海からの風をお風呂に立てて説明するのがおもしろい。 また,芳野の山では南向きにミカン畑がつくられているという考えが出された。Aさん「芳野の山は南向きで,北向きの山に比べれば,南向きの山は少し暖かい。」Kさん「えっと南向きにあると,南から吹いてくる風は暖かいからその風が当たりやすくなるから暖かい。」教師「それ何か調べた?」Kさん「おじいちゃん」Nくん「質問なんですけど,南向きって,山の南向きって何が南向きかよく分んないんですけど。」教師「(Aさんに向かって)どういうことかよくわかんないって。」Aさん「南向きだと太陽が当たりやすくて,北向きだと太陽があたらないから,だからそっちがいい。」教師「N君が聞いたこととはちょっと違うよね。何が南向きなの?芳野の山はみんな南向きなの?」C:裏がある。Tさん「前に出ていいですか。(山の絵を書く)Aさんがいってる芳野の山が南向きって言うのは,南と北があって,その山の南の方にミカン畑があるってことだと思います。」Kくん「(前に出てくる)これが太陽でこっちがわにミカン畑があるとすると,こっち側は段々畑になっていて,南側だけにミカン畑が作ってあるということだと思います。」教師「Aさんはこれは何で調べたの。」Aさん「家にある社会科の図鑑」 「畑が南向きにつくられている」ということを「山が南向き」としか表現できずに,みんなに理解してもらえないAさんに対して,TさんさんとKくんが「山の南斜面にミカン畑がある」ということだということを図解して補う。 ここで「なぜ芳野地区ではなぜミカンが作られているか」という課題に対しては,その子なりの理解ができていると判断し,授業を終えた。
Jan 31, 2008
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前時までの間に調べて来たことをまずグループで話し合ったあと,全体での話し合いの場で最初に発言したのがTさんさんである。Tさん「図に書いていいですか。えっと太陽の光が,海も一応水みたいにキラキラしてるから,だから太陽が海に,太陽の光が海に当たると段々畑にも反射して光は入ってくると思います。」これは前時に発言した内容と同じである。この意見の「背景」に迫るため,次のように返していった。教師「Tさんさんこの考えはどうして考えたの。何か調べた?自分で考えた?」Tさん「この前Tくんがもってた図鑑にのってたから。」教師「Tくんの図鑑にのってたの?海がキラキラするっていったよね。」Tさん「水みたいに,海も水も同じで,澄んでる,あの一応水だから水に顔を映すと写るように,海も鏡みたいになってるからだから反射すると思う」教師「キラキラしてる海見たことある?」Tさん:(うなずく)C:ある。ある。教師「みんなもあるんだ。Tさんがいってること分かる。このことについてどうですか?」Mくん「ぼくも賛成で,インターネットにも河内町からというのちゃんとあって海とか反射したりして当たるから…」Yくん「僕もTさんさんに賛成で,ここに(インターネットの資料)書いてあるんですけど,」教師「それは何の資料?」Yくん「フレッシュ河内グループの河内ミカンというもので,おいしいミカンの3つの太陽と書いてあって,熊本市のミカン園では3つの太陽がありますと書いてあり,一番目は太陽からの直接当たる光と,二番目はTさんが言った通り海からの反射された光,三番目は石垣からの石段からの反射された光があるのであったかいと書いてあるので,Tさんさんの意見に賛成です。」 Tさんさんの海が反射するという意見は「海がキラキラ」しているところを見たという経験が「背景」となっている。そのことみんなに返すと「ある。ある」という声が上がった。さらに,その考えに対して,Yくんが自分の調べた資料とつなげていくのである。Tさんの考えの「背景」を問うことで,周りの子どもたちがTさんの考えを共感的受け止めることができたのではないかと思う。そして,そのことをきっかけに全体の話し合いが深まっていったのではないかと考える。 さらに,話し合いは前回でされた「海からの暖かい風」につながっていく。次回につづく
Jan 30, 2008
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社会科の初志をつらぬく会の西部地区研究集会の最後は,名誉会長の上田薫先生の講演だった。「事をきびしくやわらかくにとらえるために~学校立ち直りのために~」という演題で,スポーツ,特に上田先生のお好きな野球と,教育の問題をからめながらのお話しはとても感銘を受けた。以下,講演の概略をまとめる。 今,あらゆることが部分的になっている。例えば野球でいうと球を捕って投げることだけをいくら徹底して練習してもゲームには勝てない。球を捕ってどうするかということが大切になってくる。捕って投げるだけじゃダメで,捕る前から投げる体勢になっていなといけない。捕ってどうするがが大切で,球をとっただけでは意味がない。 知識も同じである。教師は型通り進むことだけを望んでいる。部分だけ取りあげて覚えさせれば,覚えることだけだったらできる。しかし,大切なのはあることを知ったら,それが動いて何かに発展する必要がある。つまり,覚えてどう使うかが大切。知識を使う構えがなくてとらえることはできない。使う構えができてとらえるべきである。そこに強さとやわらかさが必要になる。 それは,物事を連続して考えているかということになる。バットの素振りも何も考えずにいくら振っても意味がない。弱点を克服するように考えたり,相手のピッチャーを想定したりして,素振りをしないと意味がない。 漢字の書き方も同じ。書いてみて問題を感じるかどうかが大切である。一回一回意味のある字を書く。その字を書くことで練習していない字にも影響を及ぼすような書き方をしないと,何回書いても同じである。それが「やわらかさ」。 授業の発言も同じ。どのタイミングでどう発言するか。次に周りの子にどう影響するかを考える必要がある。先生に迎合して,先生の顔色をうかがうような発言は下の下である。そこには人間理解が必要。 日本のスポーツは最近金メダルをとれない。それは日本が専門しかやらないから。例えば水泳の100mの選手は100mを何度も何度も繰り返し行う。しかし,強い国の選手は違う。100mの選手が長距離を泳いだり,水球をしたりする。それが100mの泳ぎに影響してくる。違うことをやることによって,自由に工夫することによって生きてくる。 日本はコーチの言う通りに行うことを求められる。コーチは相談役であり,選手の個性や自主性を生かすことが大切である。そうでなければ,イチローのような選手は育たない。 問題解決学習も同じで,子どもの自主性を大切にした学習である。教師の都合に子どもを合わせるのではなく,「先生の都合を変えられる授業」であること,つまり,「計画通りにいかないこと」が大切である。 ボールを捕ったら一塁に投げたいと思う。それは惰性でそう思うのであり,優等生の子や自信満々の教師はそのことを疑わない。そういう思いを断ち切れるかどうかが問題。 授業において教師がある資料を用意する。この資料を出したい,予定通りにいきたいと思うだろう。その思いを立ち切れるかどうかである。研究発表会等で用意した資料を出さないという決断ができるかどうか。用意した物をつかわないことで,かえってそのことが生きる。 ある正解があると決めるとそこに行きたくなる。しかし、正解などない。「その先生にとっての,その場だけの正解があるだけであり,それは常に動いている。」だからこそ,いろんなことができる。 腹をくくって,落ち着いて処理できるかが大切。「しまった,困った」とあわててはダメ。授業も予想しない反応をしたときは,得難いことだとそれを正面からとらえていくことが大切。 そのためには,失敗してはいけないと思わないこと。失敗してもいい。その失敗が次の成功に生きる。必ずしも成功する必要はない。 88歳の今でも,問題意識がつきることがない。今も進行中である。 わたしがとって不十分なメモをたよりにまとめたので,上田先生の真意とはずれている所があるかもしれない。しかし,一言一言がとても心に染みた。 講演を聞いた後二つの曲が頭をよぎった。The Beatlesの『The Long And Winding Road』。今のわたしにとってこれから進む道は,あまりにも遠く,険しい。理想と現状のギャップに愕然とする。しかし,この道に近道はない。どんなにゆっくりでも1歩1歩確実進んでいくしかない。 そして浜田省吾の『家路』。「どんなに遠くてもたどりついてみせる。石のような孤独を道連れに空とこの道出会う場所へ」。 この曲をBGMに阿蘇の「Winding Road」を「家路」へついたのだった。
Jan 29, 2008
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今日は授業記録はお休みである。 1月26日,27日に大分で行われた,社会科の初志をつらぬく会の西部地区研究集会に参加した。 昨年,わたしはこの会で,「フェアトレード」を教材とした「国際協力」の単元の実践提案をさせていただいた。今年会場に足を運ぶと,わたしのことを覚えていただいていた先生から声をかけられ大変感激した。 分科会は高学年分科会に参加した。参加した先生方の鋭い授業記録の分析や,助言の先生方の示唆に富む話など,わたしにとって大変有意義な時間となった。 特に,佐賀大学准教授倉本哲男先生の「沈黙こそ授業が動いているとき」「こだわりとこだわりのぶつかり合いをどう切実にもたせるかが大切」という言葉,そして,九州大学准教授田上哲先生の「子どもたちは自分で自分を規定している。その自分の物語を書き換えていくことで,自分が変わっていく。自分でよりよい物語に書き換えていくのが授業。その際,思いだけではだめで,資料や事実や経験に基づいていることが大切。」というナラティブベースとエビデンスベースの話は,明日から授業を行う上でとても参考になった。 わたしたち教師はどうしても「いい授業」を行おうとしてしまう。「いい授業」。それは,子どもたちが元気良く手を挙げ,ハキハキと発表する授業。全員が手を上げる授業。そして,その発表が切れ間なく続く授業ではないだろうか。つい最近までわたしもそんな授業が「いい授業」と思っていた。 しかし,わたしたちが真剣に物事を考えている時,果たして切れ間なく話をするだろうか?じっと黙って考え込むのではないだろうか。あるいは,ぼそぼそと断片的なことを「つぶやき」ながら考えるのではないだろうか。そして,必死に考えながら話をするとき,ハキハキと元気よく,語尾まではっきり話ができるだろうか?本当に考えながらものを話すときは,ひっかかりながら,何度も言葉を言い換えながら,たどたどしく話すのではないだろうか。それはきっと子どもでも同じである。「沈黙こそ授業が動いているとき」であ る。 ハキハキ発表する授業は子どもが教師のために授業を行っている。教師が望む子ども像を,クラスの子どもが演じてくれているのである。これは授業とは言わないであろう。 授業とは「自分の物語を自分で書き換える」こと。わたしたちは,何かを考える時,何かを見る時,「わたしなりのフィルター」を通してしか見ることはできない。今まで「赤」と思っていたものも,別のフィルターを通してみれば「青」に見える。「赤」と思っていたものが「青」でないと分った時,その時,自分のフィルターをかけ直すだろう。つまり,自分で自分自身を再構成していくことが授業である。そのためには,自分と異なる「フィルター」をもっている「他者」が必要である。自分が「赤」と思っていることを,「青」だと主張する他者が。話し合いはそのためにある。教師が求める答えにたどり着かせるためではない。「あの子は自分と違って,これを見て『青』だと思うのだ。」ということ,つまり,自分と友達が全く違う「他者」であるということが分るために話し合いがある。 分科会に参加しながらこのようなことを考えた。 会の最後に本会名誉会長の上田薫先生の講演があった。講演の内容については次回へつづく。
Jan 28, 2008
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この日の授業は宇都宮大学教授の溜池善裕先生に参観していただいた。溜池先生には,昨年わたしが社会科の初志をつらぬく会の西部地区研究集会で実践提案をしたおり,分科会に参加していただき、数々のご助言をいただいていた。そして,夏の全国集会で再会した際に,熊本に初志の会のサークルがないため,一人で試行錯誤しているという話をしたところ,「だったら熊本にわたしが行きますよ」とおっしゃり、この日,熊本まで足を運んでいただいていたのである。 まず溜池先生より次のような指摘を受けた。「なぜ,Tさんは繰り返し,繰り返し,でてきて同じことをいっているのか。Tさんは満たされてないのではないか」 今までわたし自身Tさんをそのような目で見たことはなかった。積極的に意見を発表するし,その考えも的を射たものが多く,「気にならない」「いい子」として捉えていたのである。 だからTさんの発言を学習のまとめに「利用」することはあっても,なぜそのような発言をここで行うのか,どういう過程を得てそのような考えをもつにいたったのか,Tさんの「意図や背景」に寄り添うことをしていなかった。本時をみても,Tさんの発言に対しての子どもたちの返しが極端に少ないのである。 このことはわたし自身がTさんの「伸び」を考えていなかったことを意味する。一貫性のある彼女の主張も見方を変えれば,この授業においては,何の変容もしていないということになる。 では,次の時間からどのような手だてをうっていくかということが問題になる。まず必要なのが,その子の「意図や背景」が可視化できるような手だてである。そこで溜池先生より次のようなアドバイスを頂いた。○ 子どもたちが発言をする際に,どうやってその考えにたどり着いたのか,どんな方法で調べたのかなど,その子の考えの根拠を教師が聞くこと。○ 発言の内容のみを板書するのではなく,誰が,何を,どういう根拠で,どんなつながりで発言したのかが見えるような板書を行うこと。 前述したように「知る」と「分る」は異なる。自分の見方や考え方を変容させるには,他者と出会う必要がある。それはつまり,他者の「意図や背景」が分かることである。このように発言の「内容」だけでなく,「意図や背景」に迫る手だてを行うことで,Tさんのみならず,すべての子どもが「伸びる」授業にしたい
Jan 27, 2008
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Nくん「インターネットで調べたんですけど、芳野地区は山は山でも阿蘇とかそんなに高くないし,熊本県とかは、なん、赤道っていって何か一番太陽に当たる場所に、ちょっと近いから、あったかいから、だから山に植えてもあまり寒くないんだと思う。ミカンが育つんだと思う。」Aくん「太陽は、えっと金峰山は、えっと、南向きで太陽は東から南を通って西に沈むから、南の方は、暖かくて、北の方は寒いんだと思います。」Oさん「えっと、私もNくんに似てるんですけど、冬の山は暖かい」教師「冬の山は暖かい?」 いろいろな情報がまだ,錯綜しているのであろう。考えと根拠が一致していなかったり,そもそも何を言いたいのか一度聞いただけでは理解できない。そんななかTさんが次のような発言をする。Tさん「芳野地区の山は海に面していて、まず太陽の光が直接当たった木とか,それとか石垣に反射した木とかで、それで海もキラキラしてるから、海に太陽の光が反射して芳野地区のミカンとかに当たるんだと思います。」 太陽の光が,海や石垣に反射すると言っているのである。しかし,この意見の後次のような展開が続く。Mくん「平地より標高が高い所にくると、昼と夜の温度差が激しくないから山に作ってるんで、あともうひとつは…」教師「昼と夜の差が山の方が激しくない?」Mくん「激しくないっていうより平地より激しくない」Mさん「山はちょっと寒いんですけど、でも、おばあちゃんに聞いたら、海から海風っていうあたたかい風が山の方が当たりやすいから、だから、山につくってます。」 子どもたちも,そして,わたし自身もTさんが出した「反射」という話題には触れず,次の話題につなげているのである。 この後,芳野の山の高さの話題,海水の温度の話題と続くのだが,その海水の温度の話し合いの中で,もう一度Tさんが反射の話題をもってくる。Kくん「これ図鑑で調べたんですけど、夜は海は暖かいけど、昼は海は冷たいから、えっと、あれ、あの、海はずっと暖かいわけじゃない。いや違う?」Mくん「それは多分、昼は暑いからそうやってその暑いから入ったら、冷たく感じるけど、寒い時に入ると暖かく感じるってことなんじゃないかと思います。」Tさん「海があって、それで太陽があって、太陽がまず海に光を照らすとこの海に、海に光が反射してここにこういった時に、ここに山があって段々畑があって、それでまず石垣に当たってここまず石垣に当たってそれで、太陽から直接来る光もあれば、石垣に当たって来る光もあれば、また海から当たる光もあるからあの、暖かいと思います。」教師「Tさんの言うことみんなわかる?」(Aくん挙手)Aくん「Tさんが言ったことはまず太陽が海に反射して、当たって、それと太陽から直接木に当たって、段々畑に当たってまた当たるから、えっと海に近い方がえっと、日が当たって甘くなりやすいんだと思います。」教師「ん。今、甘くなりやすいかどうか?ん、勿論、日が沢山当たるとミカンにはいいって聞いたよね。今温度の話だよね。」(Tさん挙手)Tさん「海に近いのは、太陽の光が海に反射してその光が木に当たって,またほかにもあの太陽の光が直接木に当たったりして、そして、太陽の光が石垣に当たったのが、木に当たるのがあるから、だから、海に近い方が海じゃない方よりか暖かいってこと。」 この日の授業は混沌としたまま終わる。話題として「山(ミカン畑)の高さ」「海からの暖かい風」「日当たり」などが出され,次までにそれぞれがどういうことなのかを調べることに授業を終えた。
Jan 25, 2008
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教室に入ると,前回から土,日をはさんで,それぞれ調べ学習をしてきたようで,言いたくて,言いたくてうずうずしている。グループでの話し合いを行った後,まず,ミカンが暖かい所が好きなのか,寒いところが好きなのかそのことから話し合いを始めた。Gくん「はい。えっと、ミカンの絵本に載ってたんですけど「マイナス7度で枯れるって書いてある」マイナス7度になったら枯れるって言ってて、野菜と果物の本でミカンの暮らす温度は16.5度だから、ちっと、マイナス7度だから寒いところに、で、寒いと枯れるから、えっと、寒い所は苦手だったと思います。」Aさん「えっとミカンはー、北向きの山よりも、南向きの山の方が暖かいからミカンは暖かい方がいい。」Kくん「はミカンは九州から関東ぐらいまでしか、育たない。」Hさん「このミカンの絵本っていう本に『ミカンは暖かい所がふるさと。ミカンは雨にあてないように暖かい所で育てた方がよく育つ』ってことが書いてあるから、暖かい所の方が育つだから、だから暖かい所の方がいい。」 植物図鑑や,家の人への聞き取りなどいろいろな面からミカンが暖かいところで育つことを説明し始めた。全国の生産地の分布から,ミカンは暖かいところにできるということを証明するKくんの意見には感心させられた。 しかし,この流れの中で,次のような考えも出される。Sくん「ミカンはえっと、12月、1月って冬とかくらいにえっと収穫するとかって書いてある。」 つまり,冬にとれるから,寒い所がすきなのではないかという考えである。それに対し次のような発言が出る。Tさん「多分だけど、冬にとれるのは今まで暖かかった時で、それで、やっと実をあの、冬は寒いからその時にとれるんだと思います。」 これで,この議論は終わるのだが,実はこのTさんの意見に納得していないことが,後の授業の中で分ってくる。つまり、Sくんのように考えている子が結構いるのである。また,わたし自身もTさんの意見を全体にもどすようなことはしていない。 さらに,話し合いは「では暖かい所に育つミカンがなぜ山につくられているか」という話題に移っていくのである。
Jan 24, 2008
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本実践は,全ての授業をビデオで撮影し,授業後にビデオ記録をもとに授業リフレクションを行い,次の授業をデザインしていった。授業リフレクションについては,慶応義塾大学教授鹿毛雅治氏は次のように述べている。(授業研究とは)授業者である教師と学習者である子どもたちの具体的なありように寄り添いながら,授業における事実を丁寧に確かめていく地道な営みである。(中略)「授業リフレクション」とは,教師が授業中の出来事を具体的に振り返ることを通して,何らかの気付きを得て,自らの授業を捉え直すことを目的とした実践研究である。(鹿毛雅治著『子どもの姿に学ぶ教師~「学ぶ意欲」と「教育的瞬間」~』教育出版) このような視点から行った11/21の授業リフレクションから次のようなことが見えてきた。 子どもたちは,見学旅行の際,なぜ芳野でミカン作りが盛んなのか説明を聞いている。しかし,聞いていることと分っていることは異なり,「芳野でなぜミカンがたくさんつくられているのか」ということに対して,上手く説明できてない。 ミカン山に行ったときには,山一面のミカン畑におどろきの声は上がったものの,「ミカン」が「山」にあることに対して,ほとんどの子どもは疑問は感じなかった。しかし,一つ一つ事実をつきあわせていくことで,「なぜミカンが山にあるのか」ということに関して葛藤状態が生まれ,うまく説明できなくなっている。 次の時間には,ミカンがどういう特徴をもった果樹であるかを明らかにする必要がある。その上で,その特徴をもってミカンが山につくられた理由を明らかにしていく。ミカンが山に作られている理由を子どもたちは,段々畑の必要性から「地形」の面からは説明できている。これに「気候」という面から説明できるようにしたい。 *熊本大学附属小学校では,2月15日に行われる研究発表会で,鹿毛雅治先生を全体会の講師としてお招きしている。どんな話をしていただけるか,今からとても楽しみである。
Jan 23, 2008
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11月16日に河内町芳野地区の観光農園でミカン狩りを行っている子どもたち。その時の写真を見せながら,見学旅行の感想文を紹介する。「あきれるほどたくさんみかんがあった」「あんなにみかんの木がたくさんあるのを初めて見た」また,次のような疑問を書いている子どももいた。「ミカン畑以外の仕事もいっぱいあるのに,なぜミカン畑をつくったのか」「農園の周りにはなぜいっぱいミカン畑があるのか」 二人の疑問を紹介すると「そういわれればそうだ」という声が上がる。そこで,「芳野地区ではなぜミカンがたくさんつくられているのだろう」という課題を設定し,話し合いを始めた。A児「山があって,山があると土をのせないでも段々畑はできるけど,(山の絵を書き,段々畑を書き加える)平らな所は土をのせていかなくちゃいけないから,ここに穴があいちゃって,(平地にくぼみを書いてそこにミカンの木を書く)ここに作物を植えちゃうと,ここの段々の所から,水が流れ込んで来てしまって,そこに水がたまって,そこの木の栄養をとりすぎて枯れちゃうから。」B児「えっとぼくもこうやるといけないんですけど,二段目はここに石垣をつくっても後ろがないから,また,こういう山みたいなちっちゃいのつくって,またこうやって植えたりしないといけないから,作業は一年とかかるから,こっちの方が石垣をやって土を乗っけて,種をまけばいいから簡単だから,あの山につくってると思います。」まず,自分たちが何度も上り下りした,段々畑のことが話題に上がる。段々畑を作るためには,山でなくてはいけないという考えである。その後はなぜ段々畑がミカンに向いているのかという話題になる。C児「あの聞いて来たんですけど,農園の人が,段々畑にすると,雨が降って来て上に雨がふってきて,下の木に,上から水が行き渡るようにそんな工夫がしてあるから,段々畑にするっていっていたような気がする。」D児「もう一つ聞いたんですけど,段々畑は石でできているから,太陽の光が石に反射して,太陽の光が木に当たりやすい。」E児「これが太陽で,段々畑にたくさん木があったりすると,そしたら,太陽の光が来て,それで平たかったら,かさばったりして当たらない木が出てくるけど,段々畑だったら,段になってるから,高い所に,木の影で当たんなくなったりはないから段々畑がいいんだと思います。」 子どもたちは,段々畑の良さを「水はけ」「石垣による反射」「木と木が重ならない」の三点からとらえている。つまり,これだけ段々畑がいいから山に作るという訳である。 ところが,ここで次のような意見が出るF児「山は高いから太陽に当たりやすいから,みかんはあたたかいことがなりやすいっていっていたので,山は高いから太陽に近いから,日がいっぱいいっぱい当たるから山に作ってある」E児「みかんは寒い所の方が…」全児「え~」 これは「山は高い方が太陽に近いからあたたかい」という意見と「ミカンは寒いところでとれるのではないか」という意見である。混乱する子どもたち。「ミカンは暖かいとこで育つ」「山は平地に比べて気温が低い」と思っている子どもたちにとって,「山でミカンが作られている」という事実が,説明できずに,葛藤状態に陥っている。この日は,それぞれの疑問点を出し合い,授業を終えた。
Jan 22, 2008
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今日から2学期に行った授業実践を記録していく。 小学校3年生の社会科で,地域(市町村)の農業の学習である。 これまでここの単元では,地域のある農産物の生産者を取りあげ,その人が「どのように」作物を生産しているかを追究するような実践が多く行われてきた。その結果,その作物のことについてはとてもくわしい「○○博士」はたくさん生まれるものの,地域の農産物に対する見方や考え方の変容にはつながらないことが多かった。なぜなら,このような展開では,その農産物に関する知識が増えたにすぎないからである。 そこで,本実践では,次のようなねがいをもち,授業に取り組む。○ 農作物と自然条件を関連させてとらえさせたい。○ どんな作物を栽培するかということが,農家の人々の工夫であることをつかませたい。 具体的な手だてとして,農産物をつくる人々の工夫の中で「自然条件を生かしたり,克服したり」することに焦点化する。ここでは「どのように」作物を栽培しているかではなく,「なぜ」その作物を栽培しているのかを追究させる。ある農作物が,ある地域に生産されている場合,当然そこには自然条件が大きく関与している。つまり,地形や気候に適した農作物が栽培されている。いわゆる適地適作である。その場所で,その作物を栽培していることこそが生産者の最大の工夫といえる。 このように「自然条件を生かしたり,克服したり」するという視点で,地域の農産物の栽培の様子を追究することで,ある場所にある作物が栽培されている光景を目にした時に,これまでは単に「○○畑が広がっている」と捉えていたものが,「○○が栽培してあるのは△△な地形や□□な気候と関係あるからだ」というような捉え方に変容していくことになる。また,農産物の追究を通して,地域の地形や気候の特色をつかむことにもつながる。 そこで,熊本市河内町の芳野地区の果樹栽培を取りあげた。河内町は全国有数のミカンの生産地である。河内町の芳野地区ではミカンの生産と合わせて,ナシ作りがさかんであり,「芳野梨」のブランドで九州各県をはじめ,関東地方にも出荷されている。しかし,このナシ畑は古くから続くものではなく,元々ミカンが栽培されていた畑の一部をナシに転作したものである。この転作の理由を追究することを学習の中心に据え,授業を展開していく。 まずは,ミカン畑に見学にいくところから授業を始めた。
Jan 21, 2008
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「いい授業」とはどんな授業だろうか? 以前の私は「指導案通り」に流れる授業,つまり,教師の思い通りに子どもが動く授業を「いい授業」と思っていた。しかし,ある時次のような指摘を受けた。 「教師の思うように子どもが動くがの『いい授業』ならば,授業は『訓練』じゃないか。あなたが目指す『いい授業』とは『訓練』なのか?」 確かに私が「こう動いてほしい」と思って授業をすると,子どもたちはそんな私の気持ちを察知し,私の意に添うように動いてくれる。しかし,それは子どもたちの中に何か新しいもの生まれて,その結果,そう思って動いたのではない。そこに学びはない。 「いい授業」とはどんな授業であろうか?もう一度改めて考えてみた。 ある子が精一杯自分らしさを表現する。周りの子たちはその全てを分らないまでも,必死でその子を受け入れようとする。あるいは,逆に全力でその子とは異なる自分を表現しようとする。そんなかかわり合いの中で,それぞれの子どもたちがより自分らしい自分を創りあげていく。 果たしてこれが「いい授業」といえるのか,また,そのような授業が本当に実現できるのか今の私には分らない。しかし,こんな「授業」を目指したいと心から思っている。 これまでの「いい授業」から脱却し,「新たな授業」を求めての暗中模索が始まった。そんな私の授業実践を記録していき,たくさんの人達に意見や感想をいただきたいと思い,ブログを開設することにした。そして,共に「授業」について考えていければと思う。 全ては子どもたちのために!!※このブログの開設に当たり,同僚のH先生には暇をつぶして…いや,忙しい中大変お世話になった。心より感謝する次第である。
Jan 18, 2008
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